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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第四章 終焉の報せと血の慟哭
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境界線の内と外〈一〉

 長い廊下を溯春と歩きながら、東雲は無意識のうちに窓を探した。

 しかし、どこにも見当たらない。人工的な光のみで照らされた廊下は延々と続き、景色が変わるのは時折固く施錠された扉を通る時だけだ。

 東雲は堅牢で閉塞感のある道のりに息を詰まらせると、「なんだったんスか、あいつ……」と無理矢理空気を変えるように声を発した。


「イカれ野郎だよ」


 いつもと同じ調子で溯春が答える。あんな異常なものを見た直後なのにどうして――問いかけて、東雲は口を止めた。

 禮木(れぎ)という名前に東雲は聞き覚えがあった。加えて、〝ゴミデータ〟という言い分――彼は禮木千賀(せんか)だ。一四人の命を奪ったシリアルキラーで、レベル(フォー)の囚人。捕まった当時は毎日のようにニュースは彼のことを取り上げていたため、それから一〇年近く経った今も東雲はその名を覚えていたのだ。

 そんな人間と溯春は平然と話し、禮木もまた溯春を友人と呼んでいた。そのことを考えようとすると、どうにも嫌な気分になる。


「溯春さんがここに来たのは、あのゴーストの生前の名前のためだったんスか? それとも……」


 思考を散らすように話を続ける。「名前はついでだ」特に怪しむことなく答えた溯春に安堵しながら、東雲は「あんなの信じられるんスか?」と問いを重ねた。


「何言ってるか全然分かんなかったですし、ずっとおかしかったじゃないスか。そんな奴の言葉なんて……」

「ほとんどは意味の分からねェ妄言だ。だがあいつの中では筋が通ってる。ミモザっつーのも実在するはずだ。何者かは知らねェが、あいつに近しい人間で同じ名前の死者がいないか調べろ。きっとすぐに記録が見つかるはずだ」


 断言する溯春に、東雲はむっと眉根を寄せた。「どうだか」不貞腐れるような声が出て、咄嗟に「おれは信じられません」と言葉を繋げる。


「禮木って確か、責任能力なしって判断されたくらい精神を病んでるんでしょう? 溯春さんは確信があるみたいっスけど、禮木自身が自分の発言を理解しているとはおれには思えません。あいつが連続殺人を犯したことは事実なのに、まるで自分は殺人犯じゃないみたいな口振りでしたし……」

「それだけ知ってるなら奴が高IQだってことも知ってるだろ? 俺らみたいな凡人とは全然違う物の見方をしてるんだよ」

「妄想じゃないんスか? 管理者だの世界の外側だの、たとえ別の視点で見てたとしても、意味の分からないことばっかり言ってたじゃないスか」

「だが生の亡者(ライフクリンガー)の話は違う」


 溯春が足を止める。つられて止まった東雲を真っ直ぐに見据え、「奴の中では理屈で説明できるんだ」と口を動かす。


生の亡者(ライフクリンガー)は意図的に作られた――もしそうなら、あの小娘の〝パパ〟とやらは作った側の人間かもしれない」


 至極真剣な目だった。溯春には珍しいその視線に、東雲の中で禮木の話の信憑性が高まる。

 だが東雲はそれを受け入れたくなかった。ぐっと眉間に力を入れ、「信じるんスか?」と低い声で問いかける。


「あいつは正気じゃない。あの荒唐無稽な話の中じゃ多少マシに思えたかもしれませんけど、結局意味が分からないことには違いありませんよ」

「参考にするだけだ」

「あんな狂人の話を? アンタまであっち側に行く気っスか?」


 東雲の問いに溯春が口を開く。だが、そこから音が出ることはなかった。


「――あら、溯春くん?」


 廊下の曲がり角から声をかける者がいたからだ。

 そこにいたのは烏丸(からすま)――この刑務所の所長だ。烏丸に気付いた溯春は彼女に顔を向けると、「どうも」と小さく会釈した。


「どうしたの? 今日は面談の予定はなかったはずだけど……」

「禮木に会ってました。先日狩ったゴーストがあいつの知人かもしれなくて」

「……そう」


 烏丸が頬に手を当てる。困ったように眉根を寄せ、「だから私が呼ばれたのね」と納得したように呟く。だがふと気付いたように目線を上げると、溯春の隣にいた東雲に笑顔を向けた。


「挨拶が遅れてごめんなさい。あなたは溯春くんの新しいバディかしら?」

「え、は、はい!」


 急に問われて、東雲の声が上ずる。背筋をしゃんと伸ばし、心做しか顔に力を入れて自分をよく見せようとしていた。

 そんな東雲に烏丸はもう一度笑いかけると、溯春に向かって「紹介して欲しいわね」と声をかけた。


「……東雲です。東雲、この人はここの所長だ」

「烏丸永怜(えれん)さんっスよね!? ファンです! 握手してください!」

「あらあら」


 困ったように笑いながらも、烏丸はずいと伸ばされた東雲の手を取った。優しく握り、軽く上下に動かす。その間はずっと、烏丸は東雲の目を見つめていた。甘く弧を描いたそれに東雲の頬が熱を持つ。

 握られた手のひらにしっとりと水分が滲んだ頃、溯春が「じゃあ、俺達はそろそろ」とどうでも良さそうに言った。


「えっ、もう行くんスか!?」

「報告書仕上げてェんだろ」

「でもっ……!」


 溯春に食い下がる東雲の手は烏丸と握手したままだ。それに気付いた溯春が呆れたように「お前……」と東雲の手元に目をやれば、「ッ、これはその……」と東雲は慌てて手を離した。


「まだ握ってても良かったのに」

「え?」

「大きくてあったかくて、あなたの優しさが分かる触れ方だったから」

「――――ッ!!」


 東雲の顔がぼっと赤く染まる。口をパクパクと動かし何も言えなくなっている彼を見ながら、溯春は「あんまからかわないでください」と烏丸に苦言を呈した。


「単純な奴なんです。惚けて使い物にならなくなったら困る」

「大丈夫よ。ねえ、東雲く…………駄目そうね」


 東雲に視線を移し、烏丸が苦笑をこぼす。ぼうっとした東雲は虚空を見つめたままで、溯春や烏丸の言葉が耳に入っているようには見えないからだ。

 そんな彼の様子を見て、溯春が大きく溜息を吐き出す。「アホ面」東雲の脛を蹴りながら言えば、「ッ、へ!?」とやっと東雲が意識を現実に戻した。


「帰るぞ」

「え、あっ……はい! てか今蹴りました!?」

「気の所為だろ」


 素知らぬ顔で溯春が歩き出す。彼を追いかける東雲は後ろ髪を引かれるような顔で烏丸の方を振り返るが、溯春が足を止めることはない。


「あ、あの……さようなら!」

「ふふ、またね」


 元気良く別れを告げた東雲に烏丸が笑顔で手を振る。それを見て溯春は「『さようなら』ってなんだよ……」と呆れたようにこぼしたが、嬉しそうにする東雲の耳には届かなかった。

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