血まみれの友情
霊園でゴーストを処理した翌日、東雲と溯春は朝からとある場所へと向かった。
自宅からやって来たであろう溯春に、東雲が心配そうな目を向ける。霊園から帰った後に調べたところ、誘引剤は一日二本吸った時点で、たとえ中和剤を使っても数日間の療養が必要になると分かったからだ。
しかし、待ち合わせ場所に現れた溯春に変わったところはない。
「溯春さん、もう大丈夫なんスか……?」
昨日の弱った姿から一転、今の溯春は完全にいつもどおりだ。しかも溯春が中和剤を使っていないことは東雲も知っていた。中和剤を受け取るために必要な申請書を書こうとして、使用本数ごとに定められた療養期間の説明を見て投げ出したのだ。
「寝たら治った」
「えー……流石に丈夫すぎません? 溯春さんって実はめちゃくちゃ健康っスよね」
そういえば帰りの車内でも既に治りかけていたな、と東雲は思い出した。誘引剤自体が効果時間の短いものだからと考えていたが、設定された療養期間などを考えると溯春が丈夫すぎるのだ。
とはいえ悪化していないのならば気にすることもない、と東雲は本題に入ることにした。今日ここに来たのは溯春が昨日言ったからだ。しかし、東雲にはその理由が全く分からなかった。
「ていうかこんなとこに何の用スか? 報告書だってまだなのに」
尋ねながら前方を見上げる。そこは高く長いコンクリート塀に囲まれた建物だった。塀の外側からは中を見ることはできないが、どんな建物かは看板を見れば簡単に分かる。
「その報告書に必要なんだよ」
そう言って歩き出した溯春に続き、東雲も門の中へと入っていく。門の横に設置された看板には、〝関東第一刑務所〟と書かれていた。
§ § §
受付で手続きを終え、東雲達が通されたのは面会室だった。十分な明かりと広さがあるのに、暗く、狭苦しく感じる。
今まで経験したことのないその部屋の雰囲気に、東雲は外界から隔絶されているような感覚を覚えていた。この雰囲気や囚人側とは強化ガラスで隔たれていることもそうだが、ここに辿り着くまでにも長い廊下と何重もの扉があったからだ。
「おれ、面会って初めてなんスけど……なんか流石に厳重すぎません? こんなモン?」
「相手のせいだろ」
涼しい顔で溯春が言う。「相手のせいって……」東雲がその意味を推し量ろうとした時、囚人側にある扉が開いた。
入ってきたのは、ボサボサな髪をした男。背中は丸まり、顔中に傷があるが、年齢は東雲とあまり変わらないだろう。
ふらふらと入ってきた男は部屋の中央まで歩いてきたが、ちらりとも東雲達の方を見ない。
「よう」
溯春が声をかける。しかし囚人の男は反応しなかった。しきりに身体や目を動かしているが、やはり溯春の方にそれらを向けないのだ。
そんな男の様子に溯春はふうと息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「『枝垂れ桜が指差す先』」
「っ……!」
男が顔を上げる。濃い隈のある目は大きく見開かれ、じっと溯春を見つめる。
「あれの傍にいた奴はお前の知り合いか? 禮木」
「ソハルには関係ない」
「ああ。だがあそこにいたゴーストを処分した。動きから考えて、多分あれを守ってたやつだ」
「ゴースト……」
禮木と呼ばれた男が小さく呟く。音を紡ぎ終わった唇は次第にふるふると震え始め、かと思えば「人殺し!!」と突如大声を発した。
「人殺し! 人殺し!」
「それはお前もだろ」
「違う違う違う! 人殺しはお前だ、ソハル! ミモザは人間だ! お前は人間を殺したんだ!!」
ダンッ、と禮木がガラスを叩きつける。禮木の近くにいた刑務官が止めようとしたが、それを溯春は手で制した。
「俺にはゴーストに見えたがな」
「ふざけるな! ミモザがゴミデータと同じなワケがない! お前にそう見えたならお前の知覚は管理者に支配されているんだ!」
そう叫ぶ禮木の鼻からは血が流れていた。白目も充血して真っ赤になり、今にもそこから落ちてしまいそうなくらいにギョロリと飛び出している。
「何言ってるんスか、こいつ……」
東雲が顔を引き攣らせる。しかしすぐにはっとして、「〝ゴミデータ〟……〝禮木〟って……!」と声を上げた。
「溯春さん、まさかこいつシリアルキラーの……!」
「お前は黙っとけ」
「ッ、またそういう……!」
東雲は不満そうにしたが、禮木と溯春を見比べると、渋々と言った様子で引き下がった。
それを見て、溯春が改めて禮木の方へと目を向ける。先程まではどこを見ているか分からなかった禮木の目が、溯春を見つめる。
「ミモザっていうの以外にあれを知る奴がいなかったんなら、確かに俺がミモザを殺した。ゴースト化してたからな」
「ミモザはゴーストじゃない! 人殺しの言い訳にするな!!」
禮木が叫べば、彼の目から血の涙が流れ始めた。ガラスを叩いていた手はいつの間にかその顔へ。頬を引き下げるように手を押し当てるせいで、目や鼻から出た血液が顔中に塗りたくられる。
あまりの光景に東雲は息を呑んだが、やはり溯春は動じなかった。血に塗れた禮木の顔を冷静に見つめながら、「ゴーストだったよ」と繰り返す。
「ッ、嘘を吐くな!!」
禮木が再び手をガラスに叩きつける。透明なガラスが赤く染まる。そのガラスにうんと顔を近付け、「自分の罪を認めろよ!!」と溯春に叫ぶ。
「お前はそうやって自分を正当化して人を殺す! ゴーストだって言い張って、生きた人間を殺すんだ! アカネだって――」
ドンッ! ――突如響いた音が禮木を遮った。しかし禮木は何もしていない。動いたのは、溯春。彼が足でガラスを蹴りつけ、禮木の言葉を止めたのだ。
「黙れよ」
地を這うような声で溯春が告げる。禮木は動きを止め、東雲は強張った顔で溯春の背を見つめた。そこから漂う深い怒りと殺意に、東雲の喉がゴクリと音を立てる。
「禮木、お前言ってたよな。ゴーストはただのバグだって」
そう続けた溯春はいつもどおりの声に戻っていた。冷たい表情を禮木に向け、忙しなく動くその瞳が自分の方を向くのを待つ。
そして、禮木と目が合った時。溯春は言葉の続きを口にした。
「ゴーストがバグなら、連中が人間に戻ることはどう説明する?」
真剣な声で問いかけた溯春に禮木は目を見開いたが、突然「ひひっ……」と笑い出した。
「何、ソハルも興味あるのか?」
傷だらけの顔でニンマリと笑い、先程とは打って変わって上機嫌な様子でガラス越しに溯春に近付く。
「そうだよなぁ、うん、当然だ。だってお前はボクと一緒に世界の残骸を見たんだから。無様に死んでった他の奴らとは違って、お前はあれを生き残った! ふはっ、やっぱりお前はボクの理解者だ! 世界を知った気でいる哀れな連中と違ってずっとずぅっと見込みがある!」
「さっさと質問に答えろ」
「だからお前は管理者に狙われたんだ! ミモザがゴーストに見えるように知覚を奪われた! なんだよ、それならそうと早く言ってくれよ。大事なトモダチがミモザを殺しただなんて有り得ないと思ったんだ! 狙いはお前だけなのか、ボクもなのか……ああどうしようどうしようどうしよう! 興奮してクラクラしてきた」
「そりゃ貧血のせいだろ。いい加減顔拭け」
恍惚とした表情でダラダラと顔から血を流し続ける禮木に、溯春が冷静に返す。しかし禮木が顔を拭く素振りはない。ぶつぶつと一人で話し続けている彼を見て、溯春が大きな溜息を吐き出す。「禮木、話の続き」短い言葉ではっきりと言えば、禮木はゆっくりと頭を擡げた。
「ジェイルブレイク」
「ああ? 何言ってんだ」
禮木の答えに溯春が眉を顰める。しかしそんな相手の様子に構わず禮木はガラスに張り付くと、「それ以外にないだろ?」と溯春を見つめた。
「ゴーストはバグで型が変わった。型が違うんだからもう人間に戻れるはずがない。それなのに人間に戻ったっていうならそれはバグじゃない、意図したことだ。ジェイルブレイクして世界の理を歪めたんだよ!!」
「はあ……?」
声を上げたのは溯春ではなかった。東雲だ。先程からずっと禮木の話は理解できずにいたが、ゴーストという身近なものに触れられたことで一層何を言っているか分からなくなったのだ。「黙っとけっつったろ」溯春がちらりと東雲を見る。「あ、スンマセン……」東雲はぎゅっと口を閉じると、二人の会話に意識を戻した。
「なんだかよく分からねェが、要するにお前は意図的にゴーストが人間に戻されてるって言いてェのか」
溯春が禮木に問いかける。
「人間じゃない、人間だったものだ。ゴーストを受け入れられる時点で入れ物も人間とは違うものになってるんだから同一視するのはおかしいだろ。そんなことも分からないのか?」
「悪かったな、頭が悪くて」
溯春はやや疲れたようにこぼすと、「……生の亡者っていうんだとよ」と話を続けた。
「生の亡者……?」
禮木が目を瞬かせる。そのたびに血の涙が散ったが、彼に気にする様子はない。一拍の後に「……ふひっ、なんて悪趣味な名前だ」と馬鹿にするように吹き出して、ニィッと凶悪な笑みを浮かべた。
「生なんてない。存在しない。それでもそれに縋る者と呼ぶのなら……その名前をつけた奴は世界を知ってる」
心底愉快だとばかりにそう言うと、禮木は高らかに笑い出した。「あは……ははははは!」大きな笑い声が面会室に響く。間に挟まるのは禮木がガラスに頭を打ち付ける音。「おい、やめとけ」溯春が止めるも、禮木の耳には入らない。
何度も何度もガラスを打ち付け、顔中から血を流し、透明なはずのそれを真っ赤に染め上げていく。
「誰が名付けたの? そいつはどこにいる? ああ、話したいなぁ。ボクの話を聞いて欲しいなぁ! 連れてってよ、ソハル! 一緒に世界の外側に行こう!!」
焦点の合わない目で禮木が叫ぶ。同じ言動を繰り返す彼が止まったのは、刑務官に呼ばれた医師に鎮静剤を打たれた後だった。




