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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第四章 終焉の報せと血の慟哭
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作られた正義感〈二〉

 東雲を置いて歩いていった溯春は、しばらくして被害報告のあった場所に辿り着いた。

 日本にいるというのに西洋の雰囲気を強く感じるのは、そこに並ぶ墓の形のせいか。不思議と植物までも日本で見慣れないもののように思えてきて、溯春は居心地悪そうに顔を顰めた。


「ガーゴイルだっけか……」


 以前頭に詰め込んだ記憶を手繰り寄せる。ゴーストは死者の魂が怪異化したものだが、どんな怪異になるかはその死者の性質による。死者がどんな未練を残したかに応じて怪異化した時に形を得るわけだが、どういうわけかその形は既知の、各国の伝承にあるような魔物や妖怪になるのだ。

 もしくは、ゴーストを見てそういった伝承が生まれたのかもしれない。ゴーストが公式に観測され、ゴーストクリーナーという役割が生まれたのはここ百年の出来事だが、それ以前も完全に存在が否定されていたわけではないからだ。

 とはいえこれは鶏が先か、卵が先かを議論することと同じだった。だがどちらにせよそういった事情があるため、伝承の内容を知っておけばゴーストに対処する時に役立つ。そのため溯春もゴーストクリーナーとして、有名なものは古今東西問わず知識として持っていた。


 その知識では、ガーゴイルというのは空を飛び水を吐く魔物だ。西洋では像として建物の装飾でも使われており、その像が動き出すという話も聞いたことがある。


 そんなことを考えながら視界に映った景色に、溯春はうんと嫌そうな顔で閉口した。


「……嘘だろ」


 ガーゴイル像が、複数。墓と墓の間や、霊廟の装飾としても見て取れる。更に遠くを見れば、この区域の中でも一際大きい建物の壁にもいくつか像があるのが分かった。


「この中から見つけろってか……」


 ヒク、と溯春の頬が引き攣る。被害報告にあるのは、ガーゴイル像が動き出して人を襲ったということだけ。どの像が動いたかはどこにも記されていない。


 普段であればそれでも困ることはなかった。追跡官がいるからだ。しかし、ここに東雲はいない。

 溯春は東雲を置いてきたことを後悔した。彼の鼻があれば被害場所から追うことができたはずなのに、今はそれができないからだ。


「…………」


 溯春は胸元から煙草型の誘引剤を取り出すと、火を付けてすうと煙を吸い込んだ。

 ゴーストを誘い出す薬剤の、特殊で嫌な香りが胸の中に満ちる。煙を口から吐き出しているのに、鼻の奥にその匂いがこびりついているように感じる。

 その匂いと味に溯春は一層顔を渋くすると、ガーゴイル像を一体一体確認するように歩き出した。


 像でも装飾でも、ガーゴイルが象られたものに近付いては、離れる。誘引剤の匂いを近付けることで反応を見ているのだ。

 しかし三〇分近く歩いても、異変を示す像はなかった。


「……クソッ」


 溯春が悪態を吐いたのは、身体に付着した誘引剤の匂いが薄まってきたからだった。

 誘引剤は煙草でいうところの副流煙だけでも十分に効果を持つが、人間の体内に入った時にこそ本領を発揮する。特に人を襲うタイプのゴーストには効果てきめんだった。獲物と魅惑的な香りが混ざることで、誘引剤を吸った者はゴーストにとってのごちそうになるのだ。

 だからこそ、効果時間は短い。一度誘引剤を吸った者が長時間その匂いを発していては危険なため、一時間程度で完全に消える。


 先程溯春が吸っていた誘引剤の火が消えて、もう二〇分は経つ。匂いの濃い間にすら反応がなかったのに、これ以上薄くなれば一時間を待たずして全く効果がなくなるだろう。

 溯春はうんと不機嫌そうな顔をすると、二本目の誘引剤に火を付けた。


「ッ……」


 吸った途端、ぐっ、と胃が掴まれたかのような感覚が溯春を襲う。大きく深呼吸して、吐き気をやり過ごす。

 溯春は体調が落ち着いてきたのを感じると、ゴースト探しを再開した。


 同じように歩き、止まり、また歩く。

 収穫はない。それでもこの広大な墓地を全部見なければならないと、足を動かし続ける。


 その時だった。不意に視界に入った光景に、溯春は足を止めた。


「枝垂れ桜……」


 この西洋風の墓地には不釣り合いな、日本らしさを主張する木。そういえば動画の中にもあったと思い出したが、それよりも別の記憶が刺激されていた。


『――綺麗だろ。うちの墓の近くにあるんだ』


 そう言って笑ったのは誰だったか。()の見せた写真の中の桜は満開だったが、枝ぶりが目の前の桜の木によく似ていたような気がする。

 その古い記憶にどこか懐かしさを覚えながら、溯春が再び足を踏み出した時だった。


 ブンッ……――風を切る低い音が、溯春の鼓膜を叩く。


「ッ!?」


 溯春が咄嗟に飛び退けば、彼がいた場所を影が一瞬にして通り過ぎていった。


「やっと来たか……! 《キルコマンド実行申請》」


 溯春の手の中に透けた大鎌が現れる。と同時にまた影が溯春に襲いかかった。


 ギィンッ! ――鈍い音が響く。その音と共に溯春の身体は大きく後ろへ飛ばされ、地面には彼の足によって、抉れたような二本の軌跡が刻まれた。


「……クソ(かて)ェな、おい」


 いつもは右手で持つ大鎌を左手に持ち直し、空いた右手を呆れたように見る。ぷらぷらと糸が切れたように揺れるのは、支えがなくなったから。歪な皮膚の盛り上がりが、その下の骨が折れたことを溯春に教える。

 これは早く終わらせた方がいい――飛び回る影を見上げながら、「《ID検索指定:ガーゴイル》」と指示を出す。するとすぐに機械音声が流れ、大鎌が実体を持った。


「さっさと来いよ」


 左手で大鎌を構える。空中で影が一度止まり、溯春の目にはっきりとガーゴイルの姿が映る。


 直後――


「ッ……」


 襲いかかってきた影に、溯春は大鎌を振り切れなかった。片手では力が足りなかったのだ。

 更には突進をまともに食らい、溯春の身体は地面へと投げ出された。


()ってェな……」


 溯春は背中に痛みを感じたが、幸い攻撃自体は大鎌の柄で受けたため大きな怪我はなかった。

 その大鎌を支えにし、立ち上がる。右手からはメキメキと骨が動くような音がしていたが、溯春に痛がる素振りはない。ただ嫌そうに眉を顰め、口に咥えたままだった誘引剤を大きく吸い込む。「近くにいたら面倒だろうが」誰にとも無く悪態と煙を吐き、空を見上げた。


 嫌味なくらい晴れ渡った青空を、ガーゴイルがゆっくりと旋回している。まるで鳶が獲物を見定めるかのような動きだ。お陰で溯春の目には相手の姿がはっきりと見て取れた。

 怪物のような形の顔に、人間のような体つき、そして大きな翼。そのどれもが石でできていることは、攻撃を食らった溯春には考えずとも分かった。

 ゴーストが物質に取り憑くことはない。しかし大抵のゴーストは伝承どおりの能力を持つ。ガーゴイル像が動くという伝承ならば、このゴーストもまた〝石像が動いている〟という()()なのだ。

 石像であるがゆえの重さと硬さ、そこにゴーストとなったことで得た速さまでもが加わり、たった一度大鎌で攻撃を受けただけでそれを持つ右腕が折れた。


 ()()()()使()()、大鎌を構え直す。先程まであった不自然な骨の隆起は、もうない。


 両腕でしっかりと鎌を持ち、空を睨みつける。来るならいつでも来いとばかりに腕に力を込めたが、ガーゴイルは空から降りてこない。


「なんで寄って来ねェんだよ」


 空に向かって不満をこぼした頃、誘引剤から煙が消えた。代わりに口内に感じたのはフィルターの苦み。溯春はそれをぺっと吐き出すと、改めて空を見上げた。


 ガーゴイルは相変わらず上空を旋回している。しかし、溯春に襲いかかる素振りはない。


 そのままガーゴイルが数回上空を回るのを見届けると、溯春は大きく舌打ちして素早く誘引剤を出した。この一時間で三本目の誘引剤だ。新たな煙を吸い込んだ瞬間に溯春はまた吐き気を感じたが、それでも姿勢を崩すことなく空を睨み続けた。


 ――だが、やはりガーゴイルは向かってこない。


 一方で溯春の顔色は、時間の経過と共にどんどん悪くなっていった。額には冷や汗が滲み、喉仏がしきりに上下する。誘引剤の煙を吸い込む頻度も落ちていた。口に咥えたままだが、なかなかその火が強くなることはない。ただただ火のついた先端から細い煙が上がるだけ。


 これでは足りないかと、溯春はやっと誘引剤を大きく吸い込んだ。瞬間。


「ッ……ゲホッゲホッ!」


 溯春が激しく咳き込む。口から胃液を吐き出し、ゆらりと体勢が崩れる。

 数歩よろめいたところでどうにか足を踏ん張ったが、止まらぬ咳嗽(がいそう)のせいで顔が上げられない。


 その時だった。


 旋回していたガーゴイルが方角を変えた。大きく羽ばたいて、次の瞬間には溯春に向かって急降下していた。


「――――!」


 溯春が異変に気付く。青白い顔のまま、ぐっと体勢を整えてガーゴイルを迎え撃つ。


 大鎌の刃が敵の首へ。しかし相手の爪もまた溯春に届こうとしていた。

 それでも溯春は引かない。その目にはしっかりと自分を狙う爪が映っていたが、溯春は構わず大鎌を振り抜いた。


 ――ゴトリと、重い物が落ちた音が鈍く響く。


「……うぜェな」


 首が落ちたガーゴイルを見て、溯春が呟く。

 視界に映るのは石像の全身を捕らえる鎖。それがガーゴイルの動きを阻み、溯春を鋭利な爪から守っていた。

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