約束の守護者
妖しい雰囲気の漂う、夜の墓場。しかし日本の風景ではない。板のような墓石、石の棺、それらに刻まれたアルファベット――ここは異教の墓地だ。
緑の多い風景の中には、ちらほら像や霊廟も見受けられる。奥には大きな聖堂も鎮座しており、そこからこの墓地は見渡せる場所にあった。
そんな中を、コソコソと進む若者が数名。手には酒や棒のようなものを持ち、互いにからかい合いながら歩く彼らは墓参りに来た人間ではないだろう。周りに誰もいないのをいいことに、時折ゲラゲラと大きな笑い声を上げている。
「――ほら、やっぱあった」
彼らのうちの一人が言う。若者達の目の前には一本の立派な枝垂れ桜があった。この墓地の風景には不釣り合いな、日本らしい木だ。花の季節ではないため葉も蕾も付けていないが、たおやかに伸びた無数の枝が堂々たる存在感を放っている。
「この木がなんで伐られなかったか知ってるか? 伐れなかったんだよ。伐ろうと近付いた奴全員死んじまったんだって。それが、雫ヶ丘霊園の怪異」
顔を下から照らした若者が、仲間達に向かって語りかける。その仲間達の前にはホロディスプレイがあった。彼の語りをライブ配信しているのだ。
「ってことで、今からこれ伐ります!」
そう言って若者が掲げたのは斧だった。酒で赤らんだ顔をニヤつかせ、ゆらゆらとした足取りで桜の木に近付いていく。
「やっぱ桜の木はホラーなんだよ。これでぶっ叩いたら血が――」
意気揚々と斧を掲げた若者の姿が、突如として消えた。「なんだ!?」録画していた者達の中から悲鳴が上がる。「なんかいたぞ!」「逃げろ!」「おい、あいつどうするんだよ!?」――混乱の声が墓地に響き渡る。
「なんなんだよ、あれ!? 木じゃなかっ……」
ドンッ――ホロディスプレイの中で、そこに移っていた若者が何かに弾き飛ばされた。画面の外から聞こえてくるのは唸り声。グルグルと獰猛な声が、葉を踏む音とともに画面に近付いてくる。
その音がすぐそこまで来た直後だった。画面が停止し、ホロディスプレイが消えた。最後に映っていたのは、太く頑強な獣の足。
瞬く間に拡散されたこの映像は、二日後にはフェイク動画と結論付けられた。
§ § §
「――なんで二九区だなんてド田舎に行かなきゃならねェんだよ」
車の中、サイドウィンドウの外へと顔を向けた溯春が嫌そうに呟く。運転席に座る東雲は隣にいる彼を見ると、「場所が悪いんスよ」と言ってホロディスプレイを開いた。
「動画にあった雫ヶ丘霊園って、名前くらいは溯春さんも聞いたことあるでしょ? 関東最大の宗教不問霊園っスよ。不問っつってもまあこの国なんで、仏教と神道以外の墓地らしいんスけどね」
ホロディスプレイを見ながら説明する東雲の手はハンドルに触れていない。しかし溯春がそれを咎めることはなかった。自動運転中は人間による操作を一切必要としないからだ。
「それでなんで場所が悪いんだよ」相変わらず不機嫌な表情のままの溯春が問えば、東雲は「宗教関連だからっスよ」と説明を続けた。
「霊園内は宗教ごとに区画が分かれてて、景色も全然違うらしいんスよ。勿論ルールも違う。外国領事館の宗教版みたいな感じっスね。だからめちゃくちゃセンシティブで」
「要するに誰もやりたがらねェ面倒事押し付けられたってことか。珍しくお前が案件持ってきたと思えば……」
「うっ……」
呆れたように言う溯春に、東雲がぐっと顔をすぼませる。「だってここ数日仕事なかったですし……」もごもごと口を動かし、「おれは溯春さんが心配なんスよ」と隣に目をやった。
「生の亡者の件があってからずっとピリピリしてるじゃないっスか。だから気分転換にもなるかなって」
「それはお前が人のこと四六時中見張ってるせいだろ、鬱陶しい」
「でも溯春さん、見張ってないと〝パパ〟っての探しに行っちゃうじゃないスか。この数日で何回許可範囲外に出ようとしました?」
「いいじゃねェか、人探しくらい」
「そのまま殺しちゃいそうだから駄目なんですぅ!」
東雲は力いっぱい言うと、疲れたように大きな溜息を吐き出した。そのままハンドルに腕をかけ、そこに体重を乗せる。ハンドルにもたれかかる形で外に顔を向けながら、横目でフロントガラスに微かに映る溯春の姿を見つめた。
「おれ、あの後アンタの罪状取り寄せたんスよ。そしたら本当に殺人犯だったし……詳細どころか被害者情報すら黒塗りにされてたんスけど、一体どんな大物に手を出したんスか」
「さあな」
間髪入れずに返した溯春に変わったところはない。打っても響かない彼に東雲はぎゅっと酸っぱい顔をすると、「バディなのに……」と悲しげにぼやいた。
「だったら俺が嫌いそうな案件くらい分かるだろ。こんな面倒臭そうな案件持ってきてる時点でお前は俺を何も分かってないんだよ。なのにバディだの何だの言うな」
「嫌がりそうなのは分かってましたよ! でも他になかったんですぅ……」
「だったら持ってくるな」
「でもでもでも、言うほど面倒でもないっスよ? 確かにセンシティブっスけど、今回は墓地の関係者に話を聞く必要はありません。それにどの宗教もゴーストクリーナーには比較的寛容なんスよ。本当はこだわりがあるみたいっスけど、この国にある共同の霊園ってことである程度はお役所ルールを受け入れてくれてるみたいなんです」
身体を起こし、身振り手振りを混ぜて東雲が言う。しかし溯春はちらりとその動きを見ただけで、面倒臭そうな様子は変わらない。
「今回ゴースト被害の報告があったのはキリスト教の区画っスね。そこにあるガーゴイル像が動き出して襲ってきたとか」
東雲が本題を切り出せば、やっと溯春は「ってことはもう捕まってるのか」と興味を示した。
「え? まだですよ?」
「ああ? 何に襲われたか分かってんだったら、エクソシストがどうにかできるだろ」
「ちょ、そういうこと言わない!」
ぐんっ、と東雲が溯春に顔を近付ける。あまりの勢いに溯春は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに「は?」と怪訝な声を出した。
「言ったでしょう、センシティブだって。エクソシストは確かに悪魔や悪霊を払いますが、宗派によってはそれらとゴーストは別物って考え方なんスよ」
体勢を戻しながら東雲が説明すれば、溯春は「はあ?」と更に不可解そうな顔になった。
「何言ってんだよ、どう考えても同じだろ」
「それはこの国の考え方です。普通はどの国でも宗教どころか宗派ごとにだってゴーストに関する考え方は違うんスよ。だからあくまでゴーストはゴーストって扱いで、宗教に関わることは何も言わないでください。まあ誰かと話す予定はないんスけど、どこで誰が聞いてるか分かりませんからね。溯春さんの物言いじゃあ下手すりゃ国際問題になりかねません。あと今回被害報告が出てるのはカトリックの区画じゃないんで、エクソシストは多分いないっス」
一気に捲し立てるように言うと、東雲はふうと背もたれに背を預けた。「触らぬ神に祟りなしってやつっスよ」まとめて、溯春に目を向ける。
「……クソ面倒臭ェ」
溯春はそれだけ言うと、再びサイドウィンドウの向こうへと目をやった。




