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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第三章 夢喰み心に入り込む
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人ならざるモノの邂逅〈一〉

 薄暗い明かりが、さほど広くない部屋を照らし出す。リノリウムの床に汚れはなく、ステンレスの脚を持った家具らしきものがいくつも並ぶ。その脚を上へと辿っていけば、ステンレス製のベッドだということが分かった。

 しかし、寝具ではない。どちらかと言うと台座に近く、病院で使われる手術台のようなものだ。

 そしてその上には、裸の死体が横たえられていた。


 その台は検視台だった。青白い肌の死体はあちこちの骨が折れ、皮膚から突き出した傷がある。頭部はひしゃげて顔は判別できず、乳房の痕跡から辛うじて女性だと分かるくらいに損傷が激しい。

 そして死体の横には、男が立っていた。


 複数の死体が運び込まれた、その部屋に一人。たった一人の生きた人間であるその男の影が、壁に落ちる。

 男の背格好を表すように縦に伸びていたその影は、突然不自然に形を変え始めた。ゆっくりと膨らみ、丸い塊になっていく。しかしそれは、男が屈んだからではない。光源の位置が変わったからでもない。男の姿は見えていなくとも、影の動きだけでそれら自然の要因ではないと分かる。何故なら丸い塊になった影からは四肢が生えたからだ。そして擡げた頭が上を向き、開いた口からは大きな牙が顔を出した。


 それは男の大きさを遥かに超えた、巨大な化け物のような影だった。


 その影が、動く。部屋を飛び出し、外に出て、夜の中を駆けていく。

 何かを追いかけるように進んでいた影は、しばらくして足を止めた。


 影が人の形に戻る。黒い服装の男だ。

 彼の見つめる先は、ホテルの一室。窓の向こうに二つの人影が見える。女と男が、部屋の中で何やら話しているらしい。


「生きた人間……?」


 黒い服の男が怪訝にこぼす。と、その時。男の顔を突然現れたホロディスプレイが照らした。着信だ。着信元として表示されているのは、東雲の名。


 そしてその明かりではっきりと見えた男の顔は、溯春のものだった。



 § § §



「もう! 溯春さんってば急に遠く行くのやめてくださいよ! おれが怒られるでしょ!」


 翌日、管理局にある自分達のオフィスに出勤してきた溯春を見た東雲は憤慨したように声を荒らげた。「うるせェな」溯春がどうでも良さそうに言えば、東雲が更に目を吊り上げる。


「うるさくないっス! 元囚人のアンタはおれが常に居場所把握しとかなきゃならないんです! 撒かれたら最悪おれクビっスよ……」


 だんだんと勢いをすぼめていった東雲は、そこまで言うとがくりと項垂れた。

 思い出すのは以前朱禰と話した時のこと。元囚人だった溯春が何をして罪に問われたのかと尋ねた東雲に、彼女はレベル(フォー)の犯罪だと答えたのだ。あの時は直後に飛び降り事件があり有耶無耶になってしまったが、レベル(フォー)が適用されるのは殺人やテロ行為などの重犯罪。そんな犯罪を犯した人間の動向を見失ったとあっては自分の責任が問われてしまう。

 そこまで考えて気持ちがどんどん落ち込んでいった東雲だったが、ふと溯春の不在に気付いた時のことを思い出した。


「そういえば体調は平気っスか? なんかバイタル変わったから……熱あるんじゃないスか?」

「少し走っただけだ。いちいち気にすんな」

「走ったって……ランニング? 溯春さん、そんな健康的なことできるんスか……?」


 東雲が顔を強張らせながら問えば、溯春が「あ?」と彼を睨んだ。「ひっ!」東雲が竦み上がる。「スンマセン、なんもおかしくありません」と慌てて言って、「にしてもどこ行ってたんスか?」と溯春の注意を逸らすように続けた。


「溯春さんが夜に出歩くのは珍しくもないっスけど、許可範囲外に出そうになるのは初めてっスよね? しかもあんな時間に」


 あんな時間とは、深夜一時を回った頃のこと。大人が出歩いていてもおかしくはない時間だが、既に公共交通機関の大半が営業を終えている。徒歩にしては遠くに行き過ぎではないかと東雲が込めて言えば、溯春は素知らぬ顔で「調べ物」と返した。


「調べ物って……一昨日の飛び降りの件っスか?」


 二人の目の前でマンションから女性が飛び降りたのは二日前のことだ。


『あれは自殺じゃない』


 溯春の言葉が東雲の脳裏を過る。自殺でなければ他殺だが、あの場には誰もいなかったのは溯春も見ていたのだ。


「溯春さんが気にしてるみたいだから、一応おれも最近の自殺について調べたんスよ。でも飛び降りが多いってこと以外関連が見えなくて……実業家とか有名人とか、一見そんな困ることなんてなさそうな人達が多いんスよね。かと思えばこないだの喜多さんみたいな公務員もいるし……あ、昨日の人はただの大学生っぽいです」


 ここのところはニュースになるほど自殺が多発している。それは死亡したのが著名人だからだということもあるが、東雲は調べているうちに一般人にも同じような者達がいることを知った。


「勿論、死亡者の犯罪歴も調べましたよ。溯春さんは人殺しの顔だって言ってましたし。でも昨日の人もそれ以外の人達も、犯罪とは無縁そうっス。分かっているだけでも、隠し口座や不審な入金みたいな金の動きもありません。やっぱり気の所為なんじゃないスか?」


 方方に問い合わせた結果を思い返しながら溯春に尋ねる。すると溯春は呆れたような顔をして、「誰がそいつらを人殺しって言った」と溜息を吐いた。


「溯春さんっス」

「馬鹿か」

「えー……」

「つーかなんでゴーストクリーナーが警察みたいな調べ方してんだよ。頭沸いてんのか?」

「そこまで言わなくても……」


 しゅん、と東雲が口をすぼませる。しかし反論は出てこない。自分でも何故こんなことを調べているのだろうとは思っていたからだ。それでも意味があるのではと言い聞かせてやったことが無駄だと言われているようなものなのだから、自己嫌悪ばかりが強くなる。

 そうして完全に落ち込んでしまった東雲に溯春は嫌そうに眉を顰めると、「俺達の相手はゴーストだろうが」とうんざりしたように言った。


「だったら理屈なんて捨てて〝ゴーストの仕業〟前提で考えろ。他人の身体を操る奴だっているかもしれねェじゃねェか」

「操る……ああ! そゆこと!」


 ぱあっと東雲が表情を明るくする。しかしすぐに「……ん?」と首を傾げ、不思議そうに話を続けた。


「でも操って殺すってゴーストに得あります? 人間に危害を加える場合は食うとか遊ぶとか目的があるじゃないスか。ただ殺すだけっておかしくないですか?」

「理由なんて俺らには関係ねェだろ。居場所が分かりゃ十分だ」


 そう言うと溯春は部屋の外に向かって歩き出した。予想外の行動に東雲が目を瞬かせる。そしてその意味に気が付くと、「待ってください!」と声を上げた。


「まさか今からやろうとしてます? まだ針女の報告書だって終わってないっスよ!?」

「ンなモン待たせとけ。どうせ全員死んでんだ、これから殺される人間減らす方が有意義だろ」

「いやいやいや、遺族の気持ちとかあるじゃないスか!」


 東雲が食い下がるも、溯春が足を止めることはない。「遺族のケアは俺らの仕事じゃねェ」溯春が冷たく言い放てば、東雲の声は「それはそうっスけど……」と一気に弱々しくなった。


「でもおれ達が報告書仕上げないとそのケアもできないわけで……」


 ちらりと溯春の背中を見る。同情を誘うような東雲の言い方に溯春は歩きながら後ろを振り返ると、「だったらお前はそっちやっとけ」と言ってまた顔を前に戻した。


「そしたら報告書の遅れも最小限になるだろ。お前から離れすぎるのが問題になるなら移動する時教えてやる」

「それっておれに溯春さん追いかけながら書類作れって言ってます!? ――あ、ちょっと待って溯春さん!!」


 東雲が声を張り上げるも、やはり溯春が止まることはなかった。

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