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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第二章 あなたがもういなくとも
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相思相愛の果て

 たった今起こった出来事に東雲は混乱で動けなくなっていた。しかし、すぐに状況を理解する。これまで自分を取り囲んでいた髪の束がない――つまりゴーストは狩られたのだと考えずとも分かる。そして、それが意味するところも。


 東雲はぱあっと顔を明るくすると、壁の穴を乗り越え隣の部屋へと向かった。


「溯春さん、無事だったんスね!!」


 東雲が声をかけたのは、仰向けだった溯春が上体を起こしている時だった。彼が下敷きにしていた場所には壁の残骸、そして頭があった部分には血溜まりがある。「溯春さん、怪我……!」東雲が血相を変えて言ったが、溯春は「擦り傷だ」と答えて平然と立ち上がった。


「え……立てるんスか……?」


 唖然として東雲が問いかける。目の前にいる溯春の様子は()()()()()()()()()。怪我をしているようにも見えなければ、どこか痛めているような気配すらない。これで頭部が血で濡れていなければ完全な無傷にしか見えないが、それはおかしい、と東雲は溯春と壁を見比べた。


「ここ、鉄骨っスよ……? 床だって石材だし……鉄骨に当たらなくても骨の一本くらいは折れるはずじゃ……」

「打ちどころが良かったんだろ」

「だとしても……え? 溯春さんって生身の人間っスよね……?」


 東雲が頬を引き攣らせる。そんな彼を溯春は冷めた目で見ると、「お前と違ってな」と溜息を吐いた。


「だから本来はお前が俺の盾になるべきなんだよ。それをどこぞの馬鹿が捕まるから俺が狙われる羽目になったんだ」

「うっ……す、スミマセン……」

「しかも注意力散漫。よく試験受かったな」

「えっ、どこがっスか!? 溯春さんを守れなかったとこっスか!? それとも命令違反したこと!?」


 驚きと後ろめたさで声を荒らげた東雲に、溯春が視線で元いた部屋を示した。「こっち……?」恐る恐る東雲が壁を越えて部屋に戻る。そんな彼に溯春も続いて戻ってきた頃、ひとしきり部屋を見渡し終えた東雲が「うわ……」と声を漏らした。


「死ぬほど被害報告作るの面倒臭そうだな」


 気怠げに言う溯春に、東雲は胸の中でしか同意を返すことができなかった。

 部屋の中には無数の死体が転がっていたのだ。これまではゴーストの髪に隠されて見えていなかったが、床には大きな赤黒いシミや死体の一部があって、更にはそれらを食らう虫も蠢いている。部屋は相変わらず暗く全貌を見渡すことができないのに、見える分だけでもこの状況だということを考えると、東雲はぞっとするものを感じた。


「こんなに被害者がいたなんて……」


 かなりの数がいることはニオイで分かっていた。しかし、実際に目にすると違う。「だから注意力散漫だっつったんだ」呆れたように言う溯春に東雲は「……っス」と返すと、「あのゴースト、結局なんだったんスか?」と問いかけた。


「多分針女」

「はりおんな……? それってこういう、悪食な感じのやつなんスか?」

「さあ? 若い男を襲うってことくらいしか知らねェな」

「『さあ?』ってことはないでしょう」

「ゴーストと伝承だのなんだのを結びつけんのは俺らの仕事じゃねェ」


 溯春はどうでも良さそうに言うと、「分かったとこで大して意味ねェしな」と部屋の中を歩いていった。「そりゃそうっスけど……」渋々といった様子で東雲も溯春の後に続く。

 客室内はそれほど広くない。だから溯春が足を止めたのはすぐ後のことだった。バスルームの前に立ち、その先に視線を落としている。トイレと一体になったバスルームは手前から洗面台、トイレと続き、その更に奥に先程東雲がガラスごと飛び込んだ浴槽があった。

 構造から東雲も溯春の見る方向に何があるのかは分かっていたが、しかしわざわざ見つめる意味が分からない。どうしたのだろう――東雲が溯春の後ろから覗いてみれば、そこには男女のものと思われる二体の死体があった。


「この女の人……さっきのゴーストと匂いが……」


 女の方から漂うニオイに、東雲が眉を曇らせる。


「こいつが()か」

「言い方……」


 溯春に苦言を呈しながら、改めて死体を見る。腐って判別しづらいが、服装を見る限り若い男女だろう。頭蓋骨が陥没した男の死体に、キャミソールワンピースを着た女の死体が抱きつくようにして倒れている。女の方の死因は、東雲には想像がつかなかった。


「これ……多分一緒に死んだんスよね。男の方は他殺っぽいけど、どういう状況だったんだろ……」


 まるで死んだ男に寄り添っているようだ――死体から抱いた印象に、東雲が眉根を寄せる。


「ここに死体があるってことはホテルの営業停止後に来たんだろ。連れ去られたのか、自分で来たのか……どうせ犯罪絡みだろうから調べるのは警察の仕事だ」


 溯春はいつもの調子でそう言うと、「それより、」と東雲の方を振り返った。


「お前、命令違反したのか」

「え、なんで……」

「自分で言ってただろ」

「……あ」


 そういえば、と東雲が目を泳がせる。「ゴーストが溯春さんの方行ったんで止めようと……」言い訳するように説明すれば、溯春は「それがなんで命令違反なんだよ」と怪訝そうに首を捻った。


「だって押さえとけって言われたのに追いかけたんスよ? 髪に阻まれて追いつけませんでしたけど」

「ンなの違反のうちに入らねェだろ」

「でもおれは溯春さんを助けようとしたんです! そんな命令されてないのに……」


 だから命令違反だと込めて東雲が言えば、溯春は不可解そうに片眉を上げた。


「俺を助けるためにゴーストの拘束解いたってことか?」

「まさか! ちょっと力は緩めましたけど、完全には自由にしてません!」

「じゃァどこが命令違反なんだよ。勘違いでぎゃーぎゃー騒ぐな」


 溯春が大きく溜息を吐く。微塵も命令違反だと考えていなさそうな彼の様子に、東雲は「あの……」とおずおずと口を開いた。


「ゴーストと向かい合ってる時に、命令じゃないことをしてもいいんスか……?」

「あ?」

「溯春さんを、助けたいと思ってもいいんスか……?」


 そう問う東雲の目は真剣だった。溯春もまたその目を真っ直ぐに見据える。そして、すぐに呆れ顔になった。


「お前が俺を助けたいとか調子乗ってんじゃねェよ」


 心底嫌そうな表情で溯春が言う。


「つーかお前が何を思おうが、俺の邪魔さえしなけりゃどうでもいい。何かしたけりゃ勝手にやれ。うまくやりゃァ命令違反にもならねェだろ」


 溯春は言い終わると、煙草のようなものを取り出して火を付けた。途端、独特なニオイが室内に漂う。更には腐敗臭と混ざり合い、なんとも言い難い不快なニオイになった。

 それは元凶である溯春にとっても嫌なものだったらしい。彼は気持ち悪そうな顔をすると、部屋の奥の壁にあった窓を雨戸ごとこじ開けた。


「ちょ、誘引剤っスよ!?」


 溯春の行動に東雲が慌てて声を上げる。だが溯春は全く気にする様子も見せず、「ちょうどいいだろ」と煙を吐き出した。


「これだけ死人が出てりゃゴーストが生まれてるかもしれねェんだ、近くにいるならてめェから来いってな」

「せめて手当てしてからにしてくださいよ、それ身体に悪いんスから! あと臭い! めちゃくちゃ臭い! ていうか溯春さん誘引剤嫌いでしょ!?」

「いい加減腐ったニオイなんて嗅いでたくねェんだよ」


 それだけ言うと、溯春は話を打ち切るように外へと視線を移した。陽の光が暗闇に慣れた目を突き刺す。溯春が小さく瞬きを繰り返してそれをやり過ごしていると、道路の向こう側にあるマンションが目に入った。


 一見するとごく普通のマンションだ。デザインから見て古そうだが、珍しいものでもない。

 ただ、屋上がおかしかった。居室のバルコニーになっているであろうそこに、一人の女の姿。しかし、()()()()()()()()()


「何見てるんスか? ああ、女の人。ああいうのが溯春さんの(この)……待った、あれヤバいんじゃ……!」


 溯春と同じものを見た東雲が顔を歪める。彼女と彼らの間には遮るものが何もない――女が柵の外側にいるからだ。


 女がいるのは一〇階以上の高さ。強い風が長い髪を弄び、女がそれを鬱陶しそうにしながら首を振る。

 すると視界が変わったせいか、女も自分を見る視線に気が付いたらしい。髪を払う動きを止めて、遠くから自分を見つめる溯春達の方に顔を向けた。


 そして、目が合う――女が微笑む。


「っ……!」


 その表情に溯春が目を見開いた直後だった。女の身体が柵から離れ、重力に従って下へと落ちていった。

 響くのは道路との衝突音。それからまばらな悲鳴。つい最近聞いたばかりのそれらの音に、東雲が「嘘……」と声を漏らす。


「…………」


 溯春もまた、何も言えずにいた。今見たものをもう一度見ようかとするかのようにマンションの方へと釘付けになって、いつもの悪態さえ吐かない。


「なんなんスか最近……なんでこんな短期間で……そんなに生きてられない世界ですか……?」


 驚愕したように東雲がこぼす。信じられないと言わんばかりの彼の一方で、溯春は「……違うな」と低い声で呟いた。


「違う?」

「あれは自殺じゃない」

「え? でもどう見ても自分から……」

「自殺志願者はあんな笑い方しねェんだよ――」


 溯春の眉間にぐっと力が入る。敵意のこもった目はまるでこの状況にそぐわず、東雲が思わずゴクリと喉を鳴らす。


「――あれは人殺しの顔だ」

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