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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第二章 あなたがもういなくとも
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絡めて、砕いて、喪って〈三〉

「――君に責任はないよ」


 ベンチに座る東雲に、歩いてきた朱禰が語りかける。そこは緑豊かな霊園で、東雲の見る先にはたくさんの墓があった。

 ここは国の管理する霊園だ。身寄りのない者、もしくは公務で命を落とした者が葬られる場所。東雲達がいるのは後者の墓が集められている区画で、どの墓も綺麗に手入れがされている。


「記録にもしっかりと残っている。君は指示に従っただけ。その指示を誤ったのはハンドラーの方だ」


 返事をしない東雲に構うことなく、朱禰が言葉を続ける。それでも東雲は朱禰の方を見ることもしなかったが、やがて「でも――」と口を開いた。


「おれが指示を無視してれば、あの人は死なずに済みましたよね」


 東雲が一点を見つめる。朱禰もその方角に目をやって、「……難しい問題だね」と首を振った。


「追跡官はハンドラーへの従順性が重視される。それは君達追跡官がただの人間ではなく、犬の知覚と身体能力を組み込まれた超人だからだ。人間よりも優れた能力を持つ者が自己判断をしてはならないというわけではないけれど、でも極力管理はしておきたいと考えるのが人間だよ。だから追跡官は自分をハンドラーの道具として考えるように教育されるし、ハンドラーも道具として扱う。……酷い話だけどね」


 言いながら朱禰が目を落とす。「だけど私は、君達を人間だと思ってるよ」と続ければ、東雲がやっと朱禰に目を向けた。

 そんな彼に、朱禰が柔らかく微笑む。


「追跡官としては、あの時の君の行動は満点。人としては……君自身がどういう人間でありたいか次第かな」


 朱禰が言い終われば、東雲はゆっくりと視線を落とした。



 § § §



『ッ、溯春さん!!』


 溯春の死を連想した時、古い記憶が東雲の脳裏を過った。いや、古いと言うほど昔のことではない。溯春と出会う前の、それほど遠くない過去の出来事だ。


 と同時に、今の状況が頭の中を駆け巡る。壁に叩きつけられた溯春。それによって破壊された壁の頑強な造りと、人間の身体の脆さ。あんなふうに壁を破壊できるくらいの力で叩きつけられた人間がただで済むはずがない。

 だから助けに行きたい――そう思うのに、東雲の身体は動かなかった。


『髪縛って押さえとけ!!』


 溯春の最後の指示が、東雲から自由を奪う。

 自分は今、ゴーストを鎖で拘束している。しかし溯春を助けに行くためにはその手を離さなければならない。つまりは命令違反、追跡官としてはやってはならない行為。

 ここで溯春が助けを求めてくれれば何の問題もなかった。だが、彼の飛ばされた隣の部屋からはそんな声は聞こえない。それが溯春の性格ゆえなのか、それとも声を出すこともできない状況なのか、そんなことはどうでも良かった。ただ、溯春からの指示がない――東雲の足をそこに縫い付けるには、それで十分だった。


 それでも、思う。もし大怪我を負っていたら。すぐに病院に連れていけば助かるのなら。

 今すぐに命令を放棄してしまいたい。だがそれは許されざる行為だと、何度も何度も刷り込まれた教えが東雲を止める。


 永遠にも感じられる時間だった。しかし実際はほんの数秒の間だったと東雲が気が付いたのは、鎖を握る手が何かに引っ張られた時だった。


「――ッ!?」


 ゴーストが動き出したのだ。髪ではなく、本体が。髪だけで溯春を隣の部屋に投げ飛ばしたゴーストが、東雲に一部の髪を掴まれているのも構わず溯春の方へと向かったのだ。

 収まっていなかった土埃が、ゴーストの動きによってぶわりと広がる。それが経過時間の短さを示していたが、東雲に気にする余裕はなかった。


「このッ!!」


 今度は迷わず東雲が腕に力を込める。これは命令どおりの行動だからだ。人間よりも強化された腕力にゴーストは一瞬だけ動きを妨げられたが、しかしすぐにまた動き出す。

 それを止めようと、東雲は鎖の空いている端の方を使って本体を捕らえようとした。だが別の髪の束に阻まれる。素早い動きと強い力を持つゴーストはあっという間に壁の方へと辿り着いて、隣の部屋へと入っていった。


「待て!!」


 東雲を嘲笑うかのように、大量の髪が壁の穴を塞ぐ。これでは隣で何が起きているか分からない。人よりも優れた嗅覚も聴覚も、密度の高い髪の壁のせいでほとんど何の情報も拾わない。


 これでは本当に溯春が死んでしまう――東雲の頭から血の気が引く。頭のてっぺんから顔をザァッと嫌な感覚が這い、喉元、心臓を通って指先を冷やす。


『追跡官としては、あの時の君の行動は満点。人としては……君自身がどういう人間でありたいか次第かな』


 朱禰の言葉を思い出した時、東雲は無意識のうちに鎖を持つ手から力を抜いていた。完全に離すことはしていないが、明らかに拘束は弱まっている。

 そして、代わりに全ての力を足に込めた。蹴り出す。飛び出した先は、ゴーストに塞がれた穴。


「ッ、溯春さんから離れろ!!」


 叫び、髪の束を掴む。行く手を阻むそれらを何度も何度も引き剥がし、掘り進めるようにして隣の部屋へと向かう。


「溯春さん!!」


 髪の束に揉まれながら、何度も叫ぶ。生きていたら返事をしてくれと、無事を確認させてくれと願いながら繰り返し繰り返し声を張り上げる。

 そうしてまた、東雲が大きく息を吸い込んだ瞬間だった。


「――さっきから(ちけ)ェんだよ」


 微かな男の声と共に、東雲を阻んでいた髪の束が消え去った。



 § § §



 時はほんの少しだけ遡る。

 轟いた壁の破壊音、舞う粉塵。無惨な壁材の残骸が散らばった先は、それまで三者のいた部屋の隣。


 壁を破壊した勢いをそのままに、髪の束が溯春を床に叩きつける。


「かはッ……」


 骨の砕ける音がした。呼吸もままならない溯春の身体を、大量の髪の毛が覆い隠す。その間にも髪の隙間からは骨の軋むような音がし続けていたが、溯春の呼吸音は聞こえない。


「――待て!!」


 壁の向こうから東雲の声が響く。それと同時に隣の部屋から更に髪が入り込んできた。新たな髪は元あった髪の束と一つになって、壁の穴を塞ぐほどの太さを持った。


 それはまるで大口を開けた大蛇のように。広げた両顎が床に伸び、隙間なく溯春を覆う。

 ドクリと髪が脈打てば、蛇が獲物を吐き出すかのように、壁の方から塊が髪の中を移動してきた。その塊はすぐに溯春のいる位置に辿り着き、髪の中で彼へと手を伸ばす。


「アイ……シテ……」


 ミイラのような女だった。ゴーストの本体だ。張りのない灰色の肌、骨のように痩けた頬。落ち窪んだ眼窩に目玉はない。それでも両の瞼がニヤリと弧を描けば、皮だけの口角もまたニィと上がった。そこにあったのは茶色く変色したボロボロの歯。灰色に近い紫の歯茎から生えるそれはまばらで、ネチャリと音を立てて唾液が糸を引いている。


 棒きれのようなゴーストの腕が、溯春に近付く。

 しかし溯春は動かない。固く目を閉じた彼の身体からは尚も骨の軋む音がし続け、その口からは時折空気の漏れるような吐息がこぼれるだけ。


 その間にもゴーストの手は溯春の頬に届いていた。伸び切った爪を生やした指が彼の頬を撫で、首筋を這い、胸元で止まる。

 するとゴーストはうんと顔を近付けて、口を大きく開いた。ネチャネチャと音を立て、舌を伸ばす。

 腐った肉のようなそれが溯春の唇に届きそうになった時、ドンッ、とゴーストの身体が後ろに強く押された。


(くせ)ェ」


 ゴーストの腹には溯春の拳が埋まっていた。閉じられていたはずの彼の目はしっかりと開かれ、しかし冷たく軽蔑するような眼光でゴーストを見ている。


「《ID検索指定:クソ針女》」

「ッ!?」


 溯春から放たれる怒気にゴーストがたじろぐ。


〈検索完了。申請承認。コマンド実行権限を付与します〉


 無機質な音声が流れれば、溯春の手の中にあった大鎌が実体を持った。


「――さっきから(ちけ)ェんだよ」


 その言葉と共に大鎌が振り抜かれる。ゴーストの首が落ち、溯春の胸に当たる。

 そのまま床へと転がりかけた首は直前でノイズに包まれ、大量の髪ごと跡形もなく消え去った。

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