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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第二章 あなたがもういなくとも
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絡めて、砕いて、喪って〈二〉

 客室の中へと飛び込んだ東雲が見たのは、やはり大量の髪の毛だった。足の踏み場がないわけではない。しかしどこかに足を着くたびに髪の束が襲ってくる。

 床から壁へ、壁から天井へ――東雲が人間らしからぬ動きで部屋の中を縦横無尽に動き回る。彼が見ているのは自分を追ってくる髪の束と、部屋の入口。溯春がいるからだ。

 溯春の近くに残っていた髪の束の狙いが東雲に向かっていく。それは東雲が逃げれば逃げるほど集まって、いつの間にか溯春を狙う髪がなくなっていた。


「溯春さん今いける!!」


 東雲がそう叫んだ瞬間だった。


 ガシャンッ! ――ガラスの割れる音が響く。それは東雲が今しがた蹴った壁が砕けた音。「は……?」急に消えた足場が、東雲の身体を彼の意図しない方へと放り出す。


「ッ、()って……風呂ォ!?」


 地面に投げ出された東雲の目に飛び込んできたのは浴槽だった。周りはタイル張りの床と壁――ここは浴室だ。部屋と浴室がガラス壁で繋がっていたのだ。


「なんで部屋から風呂丸見えなの!?」


 驚愕する東雲に、溯春が「狭いとこ入るな!」と怒号を飛ばす。「そう言われても……!」体勢を整えようとする東雲に髪の束が襲いかかる。「ッ、ちょっと待っ……!」慌ててその場から飛び退くが、狭い浴室にいるせいでほとんど距離が開かない。


「ああもう!!」


 髪の隙間を見つけて東雲が部屋の方へと身を滑り込ませる。だが、駄目だった。


「げっ!!」


 東雲の右足に髪の毛が絡みつく。「馬鹿が!」苛ついたように言った溯春は、東雲の方へと駆け出した。


「《キルコマンド実行申請》」


 溯春の言葉と同時に大鎌が現れる。半透明の、実体の薄い状態の大鎌だ。しかし溯春は構わず大鎌を振るうと、東雲の足を捕らえる髪の毛を斬り裂いた。


「斬れるんスか!? だったら最初からそうしてくださいよ!!」


 東雲が声を上げた時にはもう、溯春は彼から離れていた。「やりたくなかったんだよ!」溯春が心底嫌だと言いたげに返す。するとその時、それまで東雲を狙っていた髪の毛がブワッと大きく広がった。


 まるで咆哮するような動きだった。壁を叩き、怒りと痛みに震え、そして――溯春に狙いを定める。


「チッ、やっぱこっち来たか」


 溯春が分かっていたとばかりにこぼした瞬間だった。無数の髪の束が槍を作り、一斉に溯春へと向かった。


「くッ……」


 溯春が半透明の大鎌で攻撃を凌ぐ。全て斬ろうにも数が多すぎてまともに当たらないようにするのがやっとだ。


「《ID検索指定:目の前のゴースト》!」

〈検索エラー。対象を捕捉できません〉

「使えねェなクソ!!」


 溯春は悪態を吐くと、「さっさと本体探せ、東雲!」と声を張り上げた。


「さっさとって言われても……!」


 東雲は困ったように辺りを見渡したが、ふと自分はもう髪に狙われていないことに気が付いた。近くの髪に軽く触れてみても全く反応されない。怒り狂ったこのゴーストは今、溯春を狙うことに夢中なのだ。

 そうと分かれば、と東雲はずいずいと髪の中へと向かっていった。あまり刺激しすぎないように気を付けながら、しかし束を掴んでぐいと視界を開く。それを何度か繰り返した時、東雲は髪の奥に他とは違うものを見つけた。


「いた! 溯春さん、本体いました! 奥のベッドのとこ!!」


 言いながら溯春の方を見れば、彼の周りには幾筋もの髪の毛が舞っていた。溯春が斬り刻んだものだ。「髪縛って押さえとけ!」溯春が東雲を見ないまま指示を出す。それを聞いた東雲が手を横に出せば、彼の手の中に長い鎖が現れた。


「ちょっと失礼!」


 髪の中心に声をかけながら東雲が手を動かす。その動きに合わせて鎖が髪の間を縫うようにかけられて、東雲が腕を引けば、ぎゅっと髪の束を縛り上げた。


「そっちから見えます!?」


 鎖に抵抗しているのか、溯春を狙っていた髪の動きが激しくなる。それを押さえながら東雲が問いかけた時、溯春の視界には髪以外のものが映った。

 それは灰色の、爬虫類の表皮のようなものだった。しかし鱗はなく、肉付きの悪い皮の下からは平べったい肋骨が透けて見える。そのすぐ下で左右に突き出すように主張しているのは骨盤だ。中心部、足の付根を見る限り性別は女。灰色の肌の、やせ細った女が髪の主だった。


「《ID検索――》ッ!?」


 本体を見ながら大鎌に指示を出そうとした溯春を髪の束が襲う。東雲の鎖に捕まっていない髪だ。

 溯春は咄嗟にそれを大鎌で斬り落として防いだが、しかし大鎌を持つ腕に死角から迫った髪が絡みついた。


「調子乗りやがって……!」


 溯春の目に怒りが浮かぶ。いや、怒りを通り越して殺意だ。あまりの眼光の鋭さに、東雲の顔が「ひっ……」と引き攣る。


 そして、溯春の殺意を感じ取ったのは東雲だけではなかった。髪の束もまたたじろいだ。だがそれは一瞬だけで、動揺はすぐに攻撃へと変わる。溯春の腕を締め付ける力が一気に強まり、グンッと勢い良く溯春を壁に叩きつけた。


「ッ、溯春さん!!」


 東雲が顔を青ざめさせる。壁の砕ける音が響いたからだ。噎せるような土埃が視界を濁らせるが、それでもそこに大きな穴が空いているのが見える。


 鉄骨の骨組みが、壁の硬さを東雲に教える。

 自分が聞いたのは本当に壁()()が砕ける音だったのか――蘇った喪失の恐怖が、東雲から思考を奪った。

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