【プロットタイプ】裁定者
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
上手い回答が出来ない人間なので、感想欄閉じてます。
これは読者様の問題ではなく、私の問題。
詳しく知りたい方は代表作の『作品と作者の注意点』に書いてあります。
注意事項2
旧約聖書のヨブ記って知ってます?
動画になって、私もそこで知ったので有名かな。
最初は動揺しましたが、考えて見ればあれが一番良いですね。
好きがあれば嫌いがあり、良いがあれば悪いがある。人間、完全に何方かに傾く事はなく、その都度、天秤の揺らぎによって意図も容易く裏返る。
決して完璧じゃない。何処まで行っても不完全。けれどもそんな二面性が愛おしい。其れでもどうにか前を向いて生きるのが愛おしい。
もしも俺が何か生命体を生み出す事があれば、今の人間と同じ様に作るだろう。そして幾度か試練を課すだろう。そして決して盲信させないだろう。
旧約聖書の神々がそうした様に。
聖書についてはよく知らない。そこまで神に信仰がある訳ではないから。教会の装飾物に対しては美しさを感じる故に、眺める事を好むが、その程度である。
故に世の中には神を盲信し、自分の意思決定さえ神に委ねる狂信者の気持ちを理解出来ない。どれだけ信仰を重ねたとしても、救えないものだってあるのだから。
そんなことを考えていたら、思わずポロリと口に出していた。
「人を従えたいからなんだろうな。善行積めば救われる。なんて聖書のオチを付けたがるのは」
「え、信者は全て救われる。其れが聖書だ。なんて事はないよ? ヨブ記知ってる? 私も最近知ったんだけど……」
話によると、義人であるヨブが家族、財産、健康までも失う。けれども神は其れに対して答える事無く、力を示す事で納得させるという話だった。
余りにも理不尽で、そして余りにも現実的な話だった。だがそれと同時に上位の存在に一種の親近感を覚えたのもまた事実であった。
人間賛歌が好きだ。苦難を乗り越えた先に、光を掴む話が好きだ。葛藤の果てに決断する事に意味があると思っている。人間しか出来ない事だと思っている。
だからこそ、俺は自分の言う事を全て鵜呑みにして、忠実に聞くような輩は好きじゃない。創作の為にその様な人材を求める事はある。最終的には俺の言う事を聞いてもらう。
けれども肯定するまでの心の動きが知りたい。疑問を感じ、知恵を絞り、其れで肯定なら従えば良い。否定なら俺が腕づくになれば良い。お前が足掻いた様に、俺も無様にあがけば良い。
「俺が神ならきっとそうする。仮にそんな聖書を残さなかったとしても、必ず俺の行いに疑問を持たせる様に人間を作る」
試練に当たらねば、人間は何一つ成長しないのだから。果てなき成長こそ、人間の醍醐味なのだから。
何度言ったか分かりませんが、瑠衣は人間大好きです。
完璧じゃない。だからよく転ぶ。間違える。
でも目的の為に死ぬ程頑張るし、故に自分の予想を超えた可能性を出せる。完璧さえも越えられる。
そう思ってるから。
言われた事だけ全部鵜呑みにする。
自分で録に考えず、ただ盲信を繰り返す。
そんな思考停止、現状維持大正解、多分、死ぬ程嫌い。
お前ら人形以下かよ。
※人を模してる分だけ、人に近付こうとしている。それ故に、発展を続けてきた此奴ら以下か?
という皮肉を飛ばしそう。
以下は聖書に全く詳しくない人間の話です。
大目に見てください。
だから宗教の教えとかもきっと懐疑的に思っていたと思います。
その考えに光を入れたのが『ヨブ記』。
良い事し続けても、救いとかない。回答もない。納得もない。全然上手くいかない。
今までの聖書とは違う事が書いてあるんですよ。
でもだからこそ良い。
『善行したって報われない事もある。だからこれ読んで、今までの聖書のオチに疑問を持て。そして考えろ』
『其れを紛れもない聖書で行ったから』
この聖書でやったというところがミソ。
二次創作じゃなくて、語り継いだ原作でやってるところがミソ。
言い方が悪いですが、『他が勝手に言ってる』って訳じゃないんですよ。
原点でやってるんです。
その点、やっぱり瑠衣の生き方と似てる。
肯定もするし、否定もする。
鏡花に対する扱いも正にそれ。
相反する問を多角的に投げ掛けて、惑わして、其れで俯瞰的に判断したいから。
その視線が『裁定者』と似ていたから、どっちにも付かない、公平な視点で見たい。そんな神様の視点と似ていたから、このタイトル。
人間相手には、愛ゆえに神にも悪魔にもなれるよ。瑠衣たん。