リラ
「……おう、戻ったぞ」
「あっ、団長様! また回復薬を沢山消費してましたね?! お怪我はっ? もう良いのですか?!」
「ああ、お前の回復薬のおかげでな」
「良かった……って、いや良くないですよっ! 毎回言ってますけどね、回復薬だって万能じゃないんですから──っ!」
討伐から戻り報告に来たらしい団長様と王城の廊下でばったりと出くわした。薬の使用本数は記録で先に確認しているから、今回も数本減っているのは知っている。
見たところもう服装も整っているし、動きに不自然なところもないから、治りきらなかった箇所はなさそうだ。
その割にどこか憂いを帯びたような、緊張しているような、違和感のある表情に疑問を抱いてついじっと団長様の顔を見つめていると。
「……お前の方が疲れているだろ?」
すっと伸ばされた大きな手が私の目の下を優しく撫でた。
「ひゃんっ!」
自分の口から飛び出た甘い声に頬が熱くなる。咄嗟に口元を抑えるが、恥ずかしくて視線が上げられない。
「……可愛いな」
ぽそりとこぼされた団長様の言葉。
嘘だ、きっと、たぶんそれは、子供とか愛玩動物とか、そういうあれで……。
「……リラ」
「ひゃいっ!」
なんでそんな風に、甘く優しい声で私の名前を呼ぶのだろう? 団長様はいつも私のことをちびっこと呼び、髪をぐしゃぐしゃにして頭を撫でて、偉いなって、小さいのにって、そう言っていたはずで──
「リラ」
なんでそんな、大事なものを見るような目で。
「お前いつから休んでない?」
「……っ、え……と」
目を逸らした私の顔を、団長様の手が引き上げる。剣だこのある硬い掌が顎を包むようにして、優しいのにどうしたって逃げられそうにもない。
はぁ、と小さなため息が額に当たる。怒らせてしまっただろうか。子供扱いであっても、団長様の特別であれるならそれだけでよかったのに。
団長様の回復薬を作らせてもらえるだけで、幸せだったのに。
「……俺のせいだったんだよな。何も知らなくて、馬鹿みたいだろ。これだから部下たちにも認められないんだよな……。お前みたいなちっさいやつに無理させて、負担かけてさ……情けねえ」
「違いますっ!!」
私の顔を離れ、力無くぱたりと落ちた団長様の手を握る。いくら私が強く強く握ろうとも、絶対に敵わない大きな手。いつだって全力で誰かを守ろうとするヒーローの手だ。
「団長様は、情けなくなんてないっ! 団長様は、いつだって全力で誰かのことを守ろうとしているから! 責任から逃げずに、その時自分に出来ることを必死でやろうとしているから! そんな団長様のことを、私が守りたかっただけなんです! 負担だなんて思ったことない! 私は、私は戦えなくて……私に出来るのは、薬を作ることだけだから。団長様の回復薬を作れるのは、私の誇りなんです。私が、あの最強の騎士団長様の傷を治してるんだぞって。私の回復薬が、騎士団長様の命を繋ぐんだって。そのためなら、なんだって出来るんです。寝なくても平気。休みなんて、いりません。ふふ、どうせ休んだって団長様の回復薬の新しい調合のことしか考えないんですから、もう趣味と言っても良いですよね! ……確かに私は小さいですけど。でも、でもね? 団長様。私、子供じゃないんです。団長様が、団長様の立場に責任を持って務めてらっしゃるのと同じように、私は調薬師として誇りを持って務めているつもりです。だからこれからも安心して、任務に就いて下さいね。みんなの命を守る団長様の命は、私が守ります。これは団長様がなんと言おうと、私が決めた私の覚悟なんですから。良いですか? ……負担だなんて、言わないで。情けないなんて、思わないで欲しいんです」
私から、団長様をとったらもう何も残らないのだから。
握った手にきゅっと力を込めて、大きな身体の、私よりずっと高いところにある顔を見上げる。
口角を上げて、出来る限り大人に見えていたらいいなと願いながら微笑んでみる。愛でなくても良い、信頼を下さいと。
私を見下ろす団長様の顔は、見たこともないくらい不安げで、瞳がゆらゆらと揺れている。
下がった眉が情けなくて、胸がきゅんと締め付けられる。
思わず、精一杯背伸びをした私は手を高く伸ばして団長様の頭をポンポンと撫でた。ちくちくと短く整えた髪を無造作に後ろへ流し、形の良い額が見えている。そして爪先立ちをした私の足が限界を迎えようとしたその瞬間。
「リラ……!」
「ひゃっ……!」
団長様は私の腰をぎゅうと引くと、肩に頭を埋めるようにして強く抱きしめたのだ。
足先がぷらりと宙に浮く。不安定な体勢に、思わず腕を団長様の首へと回した。密着した身体に熱が上がる。慌てる私の耳に、ドクドクと速い鼓動が聞こえてきた。団長様のものだ。
「……ありがとう、リラ。俺は平民だし、まだまだ団長として未熟者だ。部下たちを引っ張る力が不足してるのも分かってる。もう、自分が強いだけじゃ駄目なんだってことも。正直、なんで俺がって思ったことだってあるよ。もっとふさわしい奴がいるだろって。けど……だけどな、お前が……リラが俺のことを団長様って。そう呼んでくれるのが、好きなんだ。他の奴らが呼ぶ『団長』と、リラの『団長』は違うんだ。俺は馬鹿だからさ、それがなんでなのか分からなかった。いや……考えようとしてこなかったんだ。でも、リラの話を聞いて分かったよ。リラは俺の立場も負った責任も、その重さ全部理解してくれてたからなんだな」
「それは……そう、だと嬉しい、ですけれど」
「うん、そうだ。だから俺は、団長でいるよ。リラが俺のために回復薬を作ってくれるから、強くなれる。いつも支えてくれて、ありがとうな」
私たちは今抱きしめあっている形だから、団長様の顔は見えない。私の顔も、見えていない。だけど今のこの気持ちを伝えたくて、首に回した手にぎゅうっと力を込めた。
「……回復薬なんて、使わないならそれが一番良いんですよ」
「分かってる。でも、お前が守ってくれていることが嬉しいんだ。俺は、お前が良い」
私の腰に回っている団長様の手にも、ぎゅうっと力がこもる。少しだけ苦しいほどに。
「そう……ですね! 団長様の回復薬は、これからも私が作りますから! 安心して下さい! 専属調薬師として、頑張りますよ!」
団長様の広い背中をポンポンと叩く。宙に浮いていた身体がすとん、と降ろされた。
「でも、嫌なんだ」
「え?」
「リラに俺の薬を作って欲しい。でも、そのためにリラが身体を壊すのは、嫌なんだよ」
再びその大きな手が私の目の下を撫でる。こちらをじっと見つめる瞳は悲しげだ。
「どうすればいい? 俺のための回復薬だ。何か協力すれば変わるか? 楽になるか? 材料の採集、あとは力仕事なら手伝えるか? 調薬が駄目なら、マッサージでもなんでもするぞ」
急に団長様が子犬のように見えてきて、ずるいな、と思う。そうやって私の心を揺さぶるのだから。
「いえ、本当に……調薬はわたしの仕事であり趣味でもありますから。ちょっと興が乗って頑張りすぎちゃう日もありますけれど、大丈夫ですよ。無理はしていませんから」
期待させないで欲しい。特別な、専属の調薬師だというだけで満足だから。
「でも、お前はこんなに小さい身体で……」
「──っ、小さくても子供じゃないの!!」
だから、お願い。
「子供じゃないから、そんな風にされると団長様のこと──好きになってしまうんです……!」
「──っ」
ぽろりと涙が落ちた。
言うつもりなんてなかったのに。薬を作らせて貰うだけで満足していたはずなのに。
そうやって団長様が、そんな目で私を見るから。我慢できなくなってしまうんだよ。
「──悪かった」
ほら、やっぱり。
団長様から見たら私なんて、きっとずっと小さな子供のままで。
噛み締めた唇から僅かに血の味が滲む。
「悪かった、お前に言わせるつもりじゃなかったんだ。──俺から、言うべきだった」
「……え?」
「リラの身体が俺よりずっと小さいのは本当だろう? でもな、お前のこと子供だなんて、これっぽっちも思ってねえよ」
「で、でも……いつも」
「そうだよな。俺がポンコツだったからさ。ずっと辛い思いさせてたか? ──ごめんな、リラ。こんなふうに誰かを想ったことなんてなかったんだ。だから気付けなかった。俺は……俺も、お前のことが好きなんだ。好きなんだよ、リラ」
伸ばされた大きな手の長い指が、私の唇を撫でる。
「ちい、さくても……?」
「ああ、俺の腕の中に収まるのが可愛いな」
「口うるさくて、も……?」
「ああ、いつも心配してくれてありがとうな」
「子供、みたいでも……?」
「子供にこんなことしたいとは、思わねえよ」
そう言うと団長様はその大きな背を屈め、私の唇にキスをした。
「んっ」
「……血の味がするな」
最後にぺろりと下唇を舐められて、身体がふるりと震える。
「リラ。お前が俺を守ろうとしてくれるのと同じように、俺もお前のことを守りたいんだよ」
その広い胸の中にそっと抱き寄せられて、強張った肩の力がふわりと抜けた。ここは、どこよりも安心できる場所。
「……団長様が協力して下さったら、きっともっと良い薬が作れます。だから、私が無理をしないうちに……必ず私の元へ、帰ってきて下さい」
「ああ、約束するよ」
「絶対ですよ?」
「絶対だ」
顔を見合わせて、互いにふふっと笑う。
「──良いんですか? 私、団長様を好きになっても」
「俺はもうとっくに好きだ」
「だっ、──あ……りがとう、ございます?」
「ははっ、なんだそれは。それとな、リラに団長様って呼ばれるのは好きだけど。──恋人として過ごす時には、名前で呼んでくれよ?」
わざわざ屈んで、耳元で囁くように言うなんて。悪戯っぽく笑うその顔がたまらなく、好きだ。
「──恋人……」
「嫌とは言わせないぞ」
「嫌なわけないっ! です……テオドール、様」
いつも大声で呼んでいた、団長様と。
それを名前で呼ぶだけで、なぜこんなにも恥ずかしいのだろうか?
熱を帯びた頬をぱたぱたと仰いでみても、なかなか火照りは引いてくれそうにない。
ちらりと見上げてみれば、彼の顔もわたしと同じように真っ赤になっていた。
「俺は、平民だし。様なんて付けなくていいよ」
「えっ、でも……」
「なんならテオでもいいんだぞ?」
「っテオ、テオドール」
「ははっ、どっちだよ」
「──っ、もう……!」
なんだかわたしばかりが翻弄されているようで悔しい。団長様……テオドールのがっしりとした腰に手を回し、ぐりっと顔を擦り付けてやった。
「おっ! おう、よしよし」
「うう……!」
と、その時。
「おやおや、仲がよろしいことで」
聞き慣れない声が響く。
「アンブロワーズか」
「ああ、やっとくっついたのですか? 待ちくたびれましたよ」
「「え」」
現れたのは、テオドールと同じ騎士服を着た三十代半ばくらいの男性だ。回復薬を届ける際に何度か見たこともある。優しげな顔でいつも微笑んでくれていたから、穏やかな方なのかなと思っていたけれど──今はなんだか、纏う空気が違っていた。
「団長はあんなに強いのに、恋愛方面となると本当にポンコツですからねぇ。騎士団も、多分そちらの調薬師たちも皆ヤキモキしていたんじゃないですか? はぁ〜やっとこれで落ち着きますね」
「え、お、アンブロワーズ。皆って……」
「ははは! 団長、お互いそんなに想い合ってるのになぜ気付かないんだと、周囲の者は全員思っておりましたよ! そのくせ若い者がリラさんにちょっかいを出すと獅子のように唸り声を上げて牽制するんですから、だったらさっさとモノにしてしまえよと鬱陶しく──失礼、嬉しい知らせを待ち侘びておりましたよ」
私が団長様のことを好いているのは、正直言ってみんなにバレていたとは思う。
でも、団長様はずっと私のことを子供扱いしていたから、そんなふうに見られていたなんて知らなくて──
「……恥ずかしい」
「おい、リラのこんな可愛い顔──見るなよ? 詳しい話は後で聞くからな」
「ははは! まるで生まれたての仔を守る母獣のようですな! ご安心下さい、私には最愛の妻も子供も既におります故。──きちんとご挨拶をするのは初めてになりますか、リラさん。私は副騎士団長を仰せつかっているアンブロワーズ・ベイリスと申します。いつもあなたたちの薬にはお世話になっています……そしてこれからも、団長様のこと、よろしくお願いいたしますね」
隠れていたテオドールの腕の中から抜け出して、副団長様と対面すると。
さっきまでの腹黒そうな微笑みとは一転、心から嬉しそうな笑顔でこちらを見ている。そうか、この方もテオドールのことをちゃんと分かってくれているんだな、と思うと嬉しくなった。
「ベイリス副団長様、改めまして調薬師のリラと申します。いつも危険な最前線で戦っていただき、心から感謝します。これからも、皆様の身体は私たち調薬師が守ります。それと、えっと……テオドールのこと、よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げれば、副団長様は貴族らしからぬ満面の笑顔で首肯してくれた。またテオドールは私の横で慌てつつも、そっと手を握ってくれる。
「ええ、団長様は男女のあれこれはポンコツですが、騎士としては本当に優秀ですから。私も体力の保つ限り、お支えしていきたいと思っていますよ」
「アンブロワーズ……」
「さて、そろそろ油を売っていないで戻りますよ。団長様?」
そうであった。私たちは今職場である城にいて、仕事中だったのだ。
「リラ、また連絡するから。しっかり休める時に休むんだぞ!」
「はい、団長様。お気をつけて」
私の頭を、団長様の手がポンポンと撫でる。髪をぐしゃぐしゃにしないよう、優しくだ。
嬉しくてへにゃりと笑い見上げると、彼の目も柔らかく細められた。遠ざかる副団長様の背中をちらりと確認すると、唇にちゅっと可愛らしいキスが落とされる。
私も咄嗟に背伸びをすると、テオドールの頬にキスをした。少々背が足りずに、顎のあたりになってしまったけれど。
◇
その後私はテオドールの手を借りて新薬の開発に取り組んだ。基本的に回復薬というものは、調薬師の魔力を混ぜ込んで作られる。誰もが使える効果の高い回復薬を作れる者こそ腕のいい調薬師だ。
しかし私が作るのは、テオドールただひとりのためだけの回復薬だ。であれば、そもそも最初から本人の魔力を使えば良いのではないか。思いついたは良いものの、調薬師ではないテオドールには繊細な魔力の操作など出来るわけもなく。休みのたびに二人揃って、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返した。
結果行き着いたのは、テオドールが私に直接魔力を送り込み、そして私がその魔力を調薬釜に混ぜ込むという方法だ。
結果としてそれはとても上手くいき、作り出した回復薬は騎士団長として活躍するテオドールの命を何度も救うことになる。
どのようにして直接魔力を送り込んだのかを知っているのは私たち二人だけの秘密だ。
ただひとつ言えるとしたら、本当に互いを思いやる恋人同士にしか出来ない方法だ、ということ。
仕事と趣味を兼ねた休日の研究で、どんどん私たちの仲は深まって。
今では職場で徹夜し朝を迎えることはなくなったけれど、寝不足の日々は何故だか減らないのであった。
お読みいただきありがとうございました