副騎士団長アンブロワーズ・ベイリス/テオドール
「油断するなよ! 訓練の通りに隊列を組め! そこ前に出過ぎだ! 足並みを揃えろ!」
郊外に増えた魔物の討伐任務。我々の部隊に割り当てられた区画は林のそばで死角が多く、特に慎重な行動が求められる。
今回対象の魔物は小さく、一匹ではさして脅威ではない種類だが、土の中に潜るのと群れで行動するのが面倒なのだ。
先頭を行く団長は今日もピンと張り詰めた雰囲気で、油断なく周囲を警戒している。本来は副団長である自分があの位置を取るべきなのだろうが、主要攻撃が火魔法であり剣技では団長に劣る自分では前衛は務まらない。とはいえ部下たちにはまだまだ負けるつもりもないが。
団長は強い。魔法騎士として入団し、稀代の天才などともてはやされて調子に乗っていたあの頃の私を片手間で負かしてしまえるほどに。ましてや当時彼はまだ、入団したての若い平騎士だったのだ。平民出身故に最も危険な位置に配属されており、同じ平民出身者からはその強さを妬まれ、貴族出身者からは下賎の身と蔑まれていた。そんな環境にも腐らずに淡々と訓練を積み、技を磨き、成すべき時に成すべきことを確実にこなしていた。いつだって彼はそうだ。愛想が良いとは言えないが、他人を拒絶しているわけではない。野生の獣のような鋭さを持ちつつも、きっと基本的には人が好きなのだろうと思う。ふにゃりと力が抜けたような暖かい笑みを見せるのは、今のところ調薬師である彼女の前だけのようだけれど。
平騎士のうちはそんな風に、普通に強いだけだった彼が変わったのは、やはり団長に指名されてからのことだ。出自故に部下たちの指導は一筋縄ではいかず、己の強さと部下への指導ではまた勝手が違うのだろう。無理もないと思う。
「何度も言わせるな! そこ前に出過ぎだぞ、持ち場に戻れ!」
「いやいや団長、こんなのそんなに大袈裟にするような魔物じゃないでしょう。なんですか〜? 天下の騎士団長様がひよってるんですかぁ〜?」
諫めようと俺が一歩前に足を出すと、こちらにちらりと視線をやった団長がひらりと手を振った。手助けはいらないと言うのだろう、こんなことくらいは頼ってもらいたいのだが。
せめて他の団員たちまで追随しないよう視線を巡らせ隊列を整えにかかる。こんな時にだけ効果を発揮する貴族の身分は、この若い獅子のような団長の前に立つとなんだか滑稽に思えた。妬みこそしないが、純粋に羨ましくはある。もう自分も中堅だし、色々なものを飲み込んで使えるものは使うと開き直れた点に関しては、自らの数少ない誇れる部分だろうか。
「──っ、お、わ……っ!」
ふと前方からざわめきが聞こえた。この声は先ほど騒いでいた騎士だろう、以前から団長にしつこく絡んで問題ばかり起こす貴族家出身の三男坊。名は何と言ったろうか──大した実力もないくせに、下手に実家の地位が高いものだから傲慢な態度が目立っていた。
「──っ、屈め!」
誰よりも早く動いた団長が鋭い声で指示を出し、滑らかな手つきですらりと腰の剣を抜く。
「うぎゃ! な、なんだっ、あっちに行けっ!」
足元から次々と飛び出て来た魔物に足を取られて転んだ騎士は、湧き出てくるそれらにあっという間に囲まれてもみくちゃにされている。
大袈裟に騒ぐような魔物ではないと自ら大口を叩いていたくせに、手も足も出ない今何を思うのだろう──実際は思考する余裕も無さそうだが。
一方団長は素早く動き回る魔物をサクサクと確実に仕留めている。土の中と地上を激しく出入りするそれらの総数は予想もできず、更には血の匂いに惹かれてか林の方からもざわざわと不穏な気配が漂って来た。部下たちもようやく落ち着いて陣形を整え討伐に参加しているけれど、最初に足を取られて転んだ奴だけが未だ地面に転がったまま、周囲の戦闘の邪魔になっているようだ。戦えもしないのなら、這いずってでもさっさと退けばいいものを。日頃の訓練も真面目にこなしていなかったに違いない。
ふいに地面がズズ……と揺れた。これは今までに出て来たものとは格が違うと、背筋が本能的に震えた。
「──退避っ! 何か来るぞ!」
咄嗟に叫ぶと、団員たちは皆素早くその場から距離を取る。が、その中でただひとり、転がったままの者が残されていた。
──ズジャア! と周囲の土を巻き上げ、地中から飛び出して来たのはワームと呼ばれる大蛇のような姿をした魔物だ。足はないためさほど素早い移動はしないが、五メートルもあろうかという体長に胴回りは大人が三人手を繋いでも回るかどうか。振り回される尻尾は鞭のようにしなる薙ぎ払いを放ち、大口を開けたそこにはズラリと鋭い牙が並ぶ。たしかあの牙には毒効果もあったはずだ。
ひとまず退避中に払い飛ばされた団員を安全な場所まで下がらせてから、その巨体に向けて火魔法を飛ばす。さっきまでの小物相手では命中させるのが難しく、周囲の木々に延焼させては困るため使うことが出来なかったのだ。しかしこれほど的が大きければ話は別だ。尻尾こそ激しく振り回されているけれど、胴体はほぼ動いていない。パシュンパシュンと風を切り飛んでいく火矢は、確実にその醜悪な魔物の命を削っていった。
もう少し──あともう少しで敵も倒れるだろうというところまで追い詰めた、その時。
「ぅゃあっ! なっ、やめっ──痛っ! は、放せ……っ!」
ワームの間近で放心していた男が不意に大声を上げ暴れ出したのだ。何が起きたかと思えば、地面から顔を出した小さな魔物に足を齧られている。あんなもの踏み潰すだけで離れるだろうに、この状況で暴れ騒いだら当然──。
ブワリと周囲の土埃を巻き上げながら、ワームの尻尾が振り上げられた。風が舞い、飛び散る礫が騎士達の頬を掠めて傷を残していく。
「──あ、あ……ぁっ……」
情けなくも放心した男の尻は、失禁したのであろう水たまりに浸かっている。
ワームは地中に暮らすが故、視力が弱い。騒がなければ良かったのだ。臭いを撒き散らさなければ気付かれなかったかもしれないのだ。
全てにおいて愚策を取った男は、最後まで期待を外さなかった。当然、悪い方に。たまたま間近に転がっていた木箱から手当たり次第に小瓶をいくつか引っ掴んだかと思えば、薄紫色のそれを思い切りワームにぶつけたのだ。がしゃんと大きな音を立て、回復薬の瓶が割れる。ばしゃりと液体を浴びたワームは耳障りな喚き声をあげながら、激しくびちびちとのたうった。
「──デジャルダン!!」
団長が声を上げながら走る。
そうか、あいつはそんな名であった。
平民出であることを蔑まれ続けて来た団長は、その事を風に吹かれる柳の様に受け流しつつ、団員達の名をひとりひとりちゃんと覚えている。そんな彼だからこそ、私はついて行きたいと思えるのだ。つまらないプライドに惑わされている部下たちのなんと愚かなことか。
そんな愚かな筆頭である男──デジャルダンに迫るワームの前に、団長が滑り込む。振り上げた剣が尻尾に弾かれ、体がぐらりと揺れた。詠唱を済ませた火魔法を咄嗟に飛ばす。激しく動く的に狙いは甘かったが、注意を逸らすことには成功したらしい。タイミングを逃さず体勢を整えた団長はしっかりと剣を構え直し、のたうつワームの尻尾を確実にいなす。硬い表皮が故に一撃で切り落とすのは難しいが、ダメージ自体はしっかりと蓄積されているようだ。
「おい、早く下がれ! 今のうちに!」
デジャルダンに声をかけると、ハッとした様に我に返り無様な四つん這いの姿で後退してきた。本当にこいつは騎士なのかと今更ながらに情けなく思う。握りしめた手には剣ではなく、薄紫色の回復薬が握られていた。
「──お前、何故それを投げた?」
「……っ、咄嗟に! 近くにあっただけで……」
「馬鹿野郎! 回復薬に含まれる調薬師の魔力は魔物も活性化させるなんて常識だろうが! 死にたかったのなら周りを巻き込まずにひとりでやれ!!」
背に守るものがいなくなった団長は危なげなくワームと対峙し、一箇所傷の付いた体表面に集中して剣撃を与えている。私も隙を見てはそこを狙って魔法を飛ばし、また暴れるワームから逃げんとして飛び出す小物を駆逐していった。
せっかく順調にダメージを与えていたワームも回復薬を浴びて再び戦闘意欲を増してしまったかもしれない。そうなればまた一から戦線を整えなければならないし、団員たちは既にかなりの数が傷を負ってもいる。私の魔力だってそれなりの量を消費しているのだ。ひとりの馬鹿のせいで難しさを増した戦場に頭を抱えたくなった。
──が。
「グギャァァァァァアアアアアアア」
耳をつんざくような悲鳴をあげて周囲の土砂を巻き上げ、地面を揺らしながらその巨大な魔物は倒れ伏した。その急所にはしっかりと団長の剣が刺さっており、仕上げとばかりにもうひと押しぐっと力を込めたそこからはぬめる血がぶしゃっと噴き上がった。
「なぜ……」
回復薬を浴びたはずの魔物が活性化しなかったのか。
「当たり前だろう、あれは俺だけのための回復薬だ。──よこせ、これ以上他人にくれてやるものか」
団長は引き抜いた剣の血を払いながらつかつかとこちらへ歩み寄ると、未だデジャルダンの手に握られていた薄紫色の瓶をぶん取った。
きゅぽ、と軽い音を立てて栓を飛ばすと一気に中身を喉へ流し込む。泥や返り血に塗れて分からなかったが、回復薬を飲んだということはどこかしらに怪我を負っていたのだろう。喉がごくりと上下して、眉間の皺がわずかに緩んだ。
◇
初めは実際、気付いていなかったのだ。
必要に迫られて何本も飲み干した回復薬がやたらと不味くて、体内の魔力も不快感に襲われるし、どんどんと効きも悪くなるばかり。どこか身体をおかしくしたかと考えていたところ、白衣を着た小柄な女性が怒鳴り込んできて。俺の回復薬の消費がおかしいというから怪我を負った場面を説明すると、「……それはどうしたって避けられるわけがないわ」と難しい顔をして頬を膨らませている。小動物じみたその仕草に、なんだか妙に庇護欲をそそられた。
まだこんなに小さいのに立派に仕事をしているのだから偉いなと褒めれば、年齢的には既に成人を迎えていたようでさらにその柔らかそうな頬を膨れさせてしまったのだが。
ちょうど良い位置にある形のいい頭にポンと手を乗せてやれば、小さな身体をびくりと跳ねさせた後に白い頬を赤く染め、上目遣いに丸い瞳でこちらを見つめてきて。多分あの時に、彼女が子供ではなくひとりの女性なのだと意識してしまったように思う。そのくせその自分の心の揺れが男女のそれに関することだとは最近まで気付けなかったあたり、我ながらポンコツだなと苦笑いしか出ない。
そう、俺がポンコツだったから。
あの日ああして彼女が乗り込んできて以降、回復薬の瓶の色が変わったことがどういう意味だったのか、深く考えてこなかったのだ。
何本目かの瓶を空けて、気持ちが悪くなることが減ったなとは思う。以前なら治りきらず傷だらけだった身体が、最後の瓶でしっかり治るようになって。他の団員たちは何故か手を伸ばさないその紫色の回復薬の瓶は、俺のための──俺だけのための回復薬だったのだ。
何かと俺に突っかかってくる部下──デジャルダンが俺の回復薬を魔物に投げつけた時、猛烈な怒りを抱いた。
それは回復薬が魔物を活性化するからとか、戦えもしないくせに余計なことをするなとか、そういうことではなくて。
ただ単純に、あの子の回復薬を──俺の回復薬を無駄にされたことに対する怒りであった。
通常回復薬などどれも同じようなものだ。実際瓶だって同じだし、名前がついているわけでもない。王家に雇われた調薬師達は皆優秀で、街の調薬師とは段違いの性能の回復薬を作れるのだそうだ。部下達は箱に詰められたそれを無造作に取って飲み干すし、それが一体誰によって作られたかなど気にすることもない。
でも、俺だけは違う。
俺は特別に用意された薄紫色の瓶の回復薬しか手に取らないし、他の団員たちもそれを当然のことと思っている。最初はそう指示されたからそうなのだろう、くらいにしか考えていなかったし、妙に己の魔力と馴染むそれが気に入ったから文句も何もなかった。
廊下で出くわすたびに頬を赤く染め、しかし俺に向かってぴょんぴょんと跳ねながら怒ったり拗ねたりくるくると表情を変える彼女を好ましく思っていた。そんな彼女が妙に疲れている様子を見せるようになり、また他の調薬師と比べてやたらと休日が少ないことにも気が付いて。
確かに俺はポンコツだ。そのことの本当の意味に気付くのがこんなに遅くなってしまったのだから。