第八話 レール
俺にとって、この世界は単純で凡庸で、
まるで一方通行の電車みたいで、
そこからはみ出さないように
生きているだけでよかったし、それは
造作もない事だった。
「壮馬!生徒会の会議って今日?」
「あぁ、そうだよ!放課後あるから、
忘れずに参加するようにね!」
中学二年の時、俺は生徒会長を務めていた。
能動的な選択ではなく、周囲の期待にあてられた
受動的な選択。候補者は他に3名いたが、
その中で、俺は自身の役割を勝ち取った。
やった事といえば、候補者演説の際、
生徒にとって耳障りの良い言葉を羅列し、
独自のスローガンを作った事くらいだ。
「では、生徒会会議を行いましょう」
生徒会のメンバーは会長である俺の他に、
副会長1名、書記1名、平の役員が2名だ。
月1の会議で、司会進行は俺が担当する。
「それでは書記の○○さん。
以前設置した目安箱
(生徒のアイディアが書かれた紙を入れる箱)
の集計結果をお願いします」
「はい!やはり目立つ意見として
新たな行事として文化祭を加えること
女子のネクタイ着用の認可
他にも髪染めの認可、自販機の設営などがありますね」
「なるほど。これについて生徒会内での
感想を聞きたいです。まぁ、個人的には、
文化祭を加えるのはアリだと思いますね。
ほら、この学校って体育祭と合唱祭だけですし、
学校生活の質の向上にも繋がるんじゃないですか?」
「会長!俺も良いと思います!
文化祭って、体育会系の行事じゃないから
人を選ばないし、買い出しとか作業を
通じて、あわよくば彼女が..」
「全く、××はそれが目的でしょ....。
はぁ、でも私も同意見ね」
「ちょっと待ってくれよ!」
言い忘れていたが、俺の通う中学で、
生徒会含む委員会は、顧問として教職員が一名
つく決まりになっている。
そして生徒会の顧問は、非常に言いにくいのだが、
この学校に就任してから日が長いためか、
保守的で、変化を嫌う性質だった。
「確かに文化祭の追加っていう案は良いと思うよ。
でも出し物を作るのにはそれなりに費用もかかるし、
食事の提供とかで生徒が怪我してしまう危険性もある。
やっぱり生徒の安全を考えると、ね?」
「..........」
「そうですね、では次に....」
嘘だ。あの教師は生徒の事など心配しちゃいない。
心配しているのはPTAからの苦情と、
教育委員会のお偉いさん方の顔色。
仮に、文化祭で何か問題が生じた際、
それを認可した事への責任を取るのが嫌なだけだ。
はっきり言って、俺はもう生徒会という
責務に飽き飽きしていた。
生徒の意見は反映されず、
学校主催のイベントには都合よく狩り出されるだけ。
これでは学校の駒といって差し支えない。
「はぁ。明日は校旗(学校の校章の入った旗)を
あげる日か〜。あれ朝早いし、面倒臭いんだよな〜」
「はは、慣れだよ慣れ。
もう生徒会に来て長いのもあるけど、
朝の空気が気持ち良くて、今では
中々悪くないとは思っているよ」
「えぇ??桂木先輩偉すぎませんか?
やっぱり会長は違いますね!」
「はは..」
俺は今日も嘘をつく。
そして多分、明日も嘘をつく。
引かれたレールの上を外れないように、
普通という仮面を被って生きていく。
「ねぇ会長さん。今日私と帰ってくれない?」
「え??どうしてですか??」
その日の放課後は、冬空と空気は乾燥していて、
クリスマスシーズンの接近もあり、一部の男女間では
暖かなオーラが出来始めていた。
「うーん。何となく..かな?」
彼女は俺の一個上の先輩、
秋草胡桃。
俺が一年の時、生徒会長を務めていた人物だ。
当時から俺は生徒会メンバーだったから、
新参者の俺は、よく彼女のお世話になっていた。
「先輩。何で今日俺と帰ろうと思ったんですか?」
校門を出て、もう一度真意を探りたくなった。
「へへ。実は私、壮馬の事が、ずっと好きだったんだ〜」
「え???」
「あはは!冗談に決まってんじゃん!!
でもそんなに顔赤くしてくれてるって事は、
少なくとも嫌われてはいないみたいで良かったよ!」
「はぁ。からかうのはやめて下さいょ....」
本心だ。あれが嘘じゃなかったら、OKしていた..と思う。
「ふふ。じゃあ本当の事言うとね、少し壮馬が心配だったんだ〜。
生徒会長はどう?上手くやれてる?」
「まぁ。ぼちぼちですね。後輩もついて来てくれてますし」
「現状維持が一番。よね?」
「ちょっと!俺のセリフを奪んないで下さいよ!」
「あれ?当たってた!?やっぱり私と壮馬の
考えている事は似てるね..。
生徒会に入った理由だって....ププ」
そう。秋草先輩と初めて出会った日、
何故生徒会に入ったのかを聞かれた事がある。
俺は迷わず、生徒一人一人の学校生活の質の向上のため。
と答えたし、それが正解だと思っていた。
でも、先輩は全く異なる解を出してきたのだ。
「教師に媚び売って、内申点を上げるため。ですよね?」
「そうそう!私がそれを言った時、
壮馬は多分無意識だろうけど、頷いてた。
あれは面白かったな〜..」
そんな事も、あった気がする。
風化し錆びついた記憶が研磨されていく。
「懐かしいですね。あっ!そういえば先輩は
結局どこの高校に行くんですか??
先輩三年の中ではトップクラスに優秀ですし、
やっぱあの超進学校の○○高校ですか?」
「....えっとね..」
そう言って、先輩は少し言いづらそうな顔をした。
照れ隠しのような、ほんの僅かな微笑みを浮かべていた。
「実は..私高校に進学するつもりはないんだ。
絵を専門的に学ぼうと思っていてね....」
「絵....ですか」
それは俺とは全く無縁の世界。
考えもしなかった領域だった。
「どうして?ってなる気持ちは分かる。
現にこの選択をした時は、親にも友達にも反対されてね。
でも、中三の春。海外研修でイタリアに行った時、
とある美術館に展示されていた一枚の油絵に心を奪われたんだ。
多分、あれは恋に落ちたと言っても変わりない、
とにかく、私はその絵だけを1時間ぶっ通しで見ていた。
それで思ったの、私もこれを書いてみたい。
自分の世界を、額縁の中に投影させたいって」
「そうですか....でも」
「はは。やっぱそうだよね。
画家として食っていくなんて本当に狭き門なのは分かってるよ。
でも私は、この情熱が抑えられないんだ!」
そう言う先輩の笑顔を見ると、先程までの否定の言葉は
とうに消え失せていた。本気で何かを目指している人は
綺麗だった。
「大丈夫!!先輩ならやれますって!」
と同時に、ありきたりな生き方、全てをそつなく
こなし人生を歩んできた自分が、酷く惨めで、情けなくなった。
「あら壮ちゃん!今日は遅かったけど生徒会の会議?」
「そうだよ母さん。じゃ、勉強するから」
俺の未来は見えている。県内トップの高校に進学して、
大学も同じようなレベル帯のところに行く。
大手企業に就職して、結婚して、子供が出来て、
老後は平穏に過ごしながら、死んでいく。
それが俺のレール。レール。レール。レール。
「つまらない....」
俺のレールは、単純で凡庸で、他者に押し付けられた
主体性のないもので、俺の半端な覚悟では、
路線変更は到底敵わないと、その時悟った。