第30話 間違いを認めて人は成長する
俺の名前は笹野川正彦
普通の中学3年生と言いたいところだが、家がとても貧乏だ。
「なんかこの辺り匂わない?」
「正彦のせいじゃないのかな?」
耳についたその言葉で俺は自分の制服の匂いを嗅ぐ。
確かに貧乏だが、お風呂や洗濯はきちんとしている。
「ああ、正彦の貧乏臭ね。貧乏臭さは洗っても取れないから困りものよね~」
「まじそれ~」
「早く中学卒業したいわ~、そうすれば貧乏正彦の顔を見なくて済むのに~」
俺はクラスの一部の女子生徒に日頃から聞こえるように悪口を言われていた。
それを一番先導して来るのが、宝来小燕さんである。
家がお金持ちでいつも取り巻きにちやほやされている。俺とは住む世界が違うタイプの人だ。
だったらせめてほっといてほしいのだが、毎日のように俺を悪くいってくる。
髪こそ黒髪だが、いかにもお金持ちのような縦ロールと態度は別として気品のある表情である。
俺もはやく中学を卒業して逃げてしまいたい。でも宝来さんがいなくなるとしても、俺は貧乏のままだから、高校に行ってもこんな扱いをうけるのかな……。
俺の父さんは俺が小さい頃に心身の調子を壊して長時間働けなくなった。母さんもあまり体が強くないので、稼がる仕事はできない。そのため、ずっと俺の家は貧乏である。
お金がないので修学旅行にも行くことはできなかった。そんな俺をからかうことは小燕さんにはとても楽しいことらしい。そして、これが生徒間以外でも起こるものだった。
授業参観の母が来てくれた時にそれは起こった。
「大丈夫ですか。寝起きなんですか?」
小燕さんのお母さんが俺の母さんにそう声をかけていた。
「え、違いますけど……」
「え~、でもその服装は部屋着ですわよね。寝起きでもないのにそんな恰好で来るなんて、常識を疑ってしまいますわ。授業参観は親も見られるのをご理解なさってるのかしら」
「ママ、その人の家は貧乏だから仕方ないよ~子供も貧乏だから、今更恥なんてわからないって~」
「あらそうなの。ごめんなさいね。人生の負け組さんって大変ね。もう子供も敗北確定ですもの」
その日に帰宅した後、母さんに涙ながらに謝られたことはずっと忘れていない。俺は貧乏だが、父さんと母さんは俺に愛情を向けてくれた人で嫌うことなど絶対にない。
ただ、悲しい気持ちは我慢できても、悔しい気持ちはずっと抑えることができなかった。
「はぁ……、気持ちが落ち着かないな」
俺は今日みたいに悔しい気持ちを抑え込めなくなったときは近所の公園に来る。俺が負の感情を出しそうになる時は、それを家族には見せたくない。
公園にいても気分が晴れるわけではない。ただ、カラオケやゲームセンターに行くお金もない。
ただ時間が消化されるだけの状態だ。
「ん? お前笹野川か?」
「しかし今日の公園にはもう1人時間を過ごしている人間がいた。
「あ、川上か……」
川上一徹。クラスメイトでとても頭もよく、運動もできて学校でも天才、秀才と言われている。
そんな彼は独特の世界観があり、明確な友人はいないのだが、俺とはなぜか話してくれたりする。
「どうしたんだよこんな夜に」
「俺は日課のランニングだ。むしろこんな公園で夜に用事もなく座ってる笹野川こそどうした」
「まぁ俺はちょっと気分転換だ」
「……もしかして宝来にまた言われたこときにしてるのか」
「……まぁな。なあ川上。ちょっと聞きたいんだけどさ、人生の負け組ってもう靴がらえないのかな」
「何の話だ」
「つまり、俺にもう勝ち組になる方法がないのかなって」
「逆に聞いて悪いけどさ、人生の勝ち組っていつ決まると思う」
「え?」
「学生時代に順風満帆でも、受験に失敗してダメになるかもしれない。学校で目立ってても、社会に出てうまくいかないかもしれない。いつどこで何が起こるかなんてわからないのに、いつ勝ち組負け組か決まるんだ」
「なるほど」
「むしろ今厳しくても、どこかで逆転することもあるかもしれない。今お前に重要なのは、目先のことよりも10年後とかにどうなってるかを考えた方がいい」
「10年後って……」
「今や明日をすぐに帰ることはできない。でも10年後の自分のために、今から努力することはできる」
「10年後……父さんと母さんに不自由ない生活をさせてあげたい」
「いい目標だな。じゃあまずは手始めに高井高校にはいれ」
「え、高井高校って」
高井高校とはこの辺りでトップであり、全国でも名を知られる有名高校だ
「無理か…?」
「……無理とかじゃないね。いい高校に入って、奨学金でいい大学に通えるようになる……そのための努力をすることが大事なんだね」
「そうだ。いい目になったな。俺も協力してやるよ」
そしてその日から川上は俺に勉強を教えてくれるようになった。
川上の勉強の教え方は本当に上手でめきめき吸収されていくようだった。
「本当に川上はすごいな。これなら塾も必要ない」
「そりゃよかったな」
「でもなんで俺にここまでしてくれるんだ」
川上とは確かに割と話すが、それでも親友というほど仲がいいわけでもない。
「俺さ、将来自分の会社を作るつもりがあって、その会社をやるときの右腕にお前をしようと思ってる」
「俺を?」
「これだけ面倒見てるんだから恩は返せよ」
「いやいや、恩は返すけどさ。なんで俺が右腕なの?」
「お前は中学で唯一話しやすいしな。それにお前の目標はとてもきれいで立派だ。そういうやつの向上心は信用できる。そして学生時代の親友と何かを成し遂げるシュツエーションにあこがれてる」
「なんだそれ」
「いいだろ。1回の人生はやりたいことをやるに限るんだよ」
「ごめんごめん、笑っちゃって」
「で、お前はやる気はあるのかないのか?」
「やる気あるよ!」
こうして俺は川上の応援もあって無事高井高校に川上と一緒に合格した。この年に高井高校に合格できたのは俺たちだけだった。
俺の合格祝いに今日は寿司屋さんに来ていた。回らないタイプのやつだ。
「こんな高そうなお店大丈夫なの」
「ああ、本当に合格おめでとう。ずっと頑張りを見てて本当にすごかった」
「そのために今日はきちんと準備してたのよ。だから今日は気にしないで」
本当に大丈夫なのかという不安と、高級寿司店の空気にドキドキしていた。
ガラガラ。
「あー、貧乏家族の正彦が来てる~」
「高級店の空気だけでも味わいに来たのかしら? 貧乏人の考えることは卑しいですわね」
しかしまさかの宝来一家がが来店してまたからかってきた。
「ふふ、正彦、今日は本当に何でも頼んでいいから、気にしないでね」
「う、うん」
しかし母さんに全くの動揺がない。本当に大丈夫なんだろうという空気を感じた。
「ではまずは、大トロとウニとのどぐろをお願いします」
父さんが注文を始めた。なんか無茶苦茶高そうな名前だ。
「お母さん、なんかあっち高そうなもの頼んでない?」
「こっちも同じものを!」
すると宝来一家も張り合って同じものを頼む。
「私は、白子と霜降り和牛をお願いします」
「それうちも!」
余裕の笑みを浮かべて高そうなものを頼みまくる両親。両親があれだけ余裕の表情なので、別に心配することもないのだが、張り合って宝来一家も注文をしているので、値段のことが妙に気になっていた。
ただそれでも寿司は本当においしかった。
そして、先に宝来一家のお会計となった。
「大将、おあいそで」
「はい、30万円です」
「……、30……」
「何それ……高すぎない……」
「お前らが調子に乗って高い物ばかり頼むからだろ!」
「あなただって食べたじゃない!」
「ね。ねぇ。高いけどうちお金持ちだし払えるよね」
「お前たちがリボ払いで散財ばかりするから今借金がかなり膨れ上がってるんだぞ! 寿司だけで30万とかあほか!」
「ちょっと、今日は小燕の合格祝いなんだから、その話はしないって!」
横から修羅場が聞こえてくる。
「うちも同じくらい食べたよね。30万円とか大丈夫なの」
「大丈夫です。お会計はすでに坊ちゃんからいただいております」
大将らしき人が不安そうにする俺に声をかけてくる。
「坊ちゃん?」
「正彦、今日ここを予約してくれたのは川上君なの。それで正彦の合格を祝いたいから、好きなだけ注文をしてほしいって……」
「え、川上と知り合いなの!」
「ああ、頑張ってる正彦を応援したいってうちに来てそういう話をしてくれた。後父さんな、川上君のお父さんの会社で働かせてもらえることになった。まずは短時間で体を慣らしていってくれていいって。本当に彼はいい友人だな」
川上……。俺を右腕にしたいからってここまでするか……。本当に恩を返さないとな。
「ちょっとお客さん、お会計がまだですが」
俺が大将と話していると、入り口近くで小燕さんの一家が揉めていた。
「こんなに高いなんて詐欺よ! 警察を呼ぶわよ」
「……お客さん、時価ってご存じないですかね。今日はマグロは1貫5000円、ウニは8,000円です。いいでしょう、こちらからむしろ警察を呼びましょうか」
「正彦……正彦くん! 助けてよ。なんかわからないけど、お金あるんでしょ! なんでもしてあげるからおごってよ」
するとまさかの宝来さんが俺に助けを求めてきた。
「はぁ、俺別に宝来さん、あすいません宝来さんだと全員になっちゃうので小燕さんですかね。小燕さんに全く興味がないし、さんざん俺のことをからかってきてよくそんなことが言えるね。自分のことは自分で何とかしなよ」
「そんなぁ」
そして後日話を聞くと、小燕さんの家族は結局お金を払うことができず、警察沙汰になったらしい。
その事件は当然あっという間に学校に広まった。
このことで彼女の取り巻きは手のひらを返したように小燕さんの悪口を言い、そのことでクラスからも孤立してしまった。
しかも少し聞いた話だが、リボ払いを含めて膨れ上がった借金が原因で夜逃げになって、その日から彼女を見ることはなくなった。
そして卒業式の日……、
「川上、本当にいろいろありがとうな、寿司のことも」
「ああ、うまかったか」
「値段やばすぎてビビってた。川上が絡んでるなら教えてくれてもよかったのに」
「サプライズのつもりだったが難しいな」
「これからもよろしくな、裏切るなよ」
「裏切らないって、このまま一緒に川上といるのが1番目標に近そうだ」
こうして俺は高井高校でも川上と一緒に勉強して大学に進学した。
大学在学中に川上が起業し、俺は約束通り右腕になった。
2人の夢がかなって、とてもいい関係を築けている。
そしてもう1つ大きな変化があった。
「正彦様! 資料の準備ができました! 次の指示をお願いします!」
俺は川上の右腕として重役として働いている。そして、その俺の秘書になっているのは、なんと小燕さんなのだ。
小燕さんとは15歳の時以来7年振りに出会った。
彼女とどこで会ったかというと、いわゆる夜の街のようなところである。
たまたま接待でそういう話を聞いて、そのリストに彼女の名前を見たのである。
小燕さんの家族は夜逃げしたが、借金取りに見つかり、最終的に小燕さんを捨てたらしい。
それで簡単に言えば小燕さんは体を売らされることになったらしい。
それを見て俺は彼女に会うことにした。今回のことは間違いなく彼女の自業自得ではある。
ただ、それは小燕さんの育った環境にも問題はあり、彼女もまた被害者であること。そして、あの日居合わせた寿司屋さんがきっかけで落ちていく彼女のことがどうしても気になったのだ。
そして、彼女が最初の仕事をするところを突き止めてそこに俺は行ったのである。
ガシャ。
ドアを開けると小燕さんと目がある。
7年振りに出会った彼女は少しだけ大人びてはいたが、当時と体格がほとんど変わっていなくて、かなり痩せていた。その苦労がにじみ出る姿に少し同情した。
「……久しぶりだね」
「あ、あんた……、もしかして正彦……」
「俺のことが分かるのか」
「……、そうなんだ。なに、私を笑いに来たの。ざまぁないわよね。あんたのことをあれだけ毎日バカにしてたのに。今じゃ私が超貧乏人よ。お父さんとお母さんに体売って稼げってここに売られてきて、だれも友人もいないし……、もう終わりよ。もしかしてあんたが私の初めての相手になるの」
「違うよ」
7年振りの小燕さんは、見た目以上に中身が変わってしまっていた。悪い意味ではあるが、あれだけ自信満々で生意気だったのに、すっかりしょげて元気がなかった。まるで当時の俺のようだ。
「はは、そんなわけないか……。でもあんたにあえて良かった……、どうしても言いたいことがあったの」
「何」
すると小燕さんは涙を流して、言葉に詰まりながらも俺に伝えてきた。
「ごめんなさい。私貧乏がこんなにつらいとは思わなくて、本当にあんたをバカにしたことを悪かったと思ってる。謝るなんて私の自己満足でしかないし、……許してもらえることでもないと思うけど、ずっとそれだけが心残りだったの」
彼女の言葉に嘘は感じなかった。会わない間に本当にいろいろ苦労をしたんだろう。それで人が、考え方が変わったのかもしれない。
「はぁ、そんなことを言われたらしょうがないな」
「ぐすぐす……へ」
「君の借金は俺が全部返しておくから、ここで働く必要はないよ。自由だよ」
そして俺は部屋の外にいた黒服の人に小切手を渡し、借用書をもらい、それを小燕さんの前で破った。
「え、え、うそでしょ。なんであんたが私を助けるの。私はあんたにひどいことをしてたのに」
「本当に小燕さんの反省してる気持ちが分かったから」
これで小燕さんが昔のままで俺に恨みでもぶつけてこようものなら、もう彼女のことは忘れようと思った。しかし彼女は反省をしていた。つまり彼女の本質はこちら側で、昔のことはあくまでも子供のころに受けた親からの悪影響でしかなかったのだ。
「それにさ、貧乏のつらさは知ってるつもりだし、それでも俺の周りには助けてくれる両親や友人がいたけど、小燕さんにはその人すらいなかったんだろ。ついでに言えば、俺が川上と一緒になって頑張れたのは、ある意味では小燕さんにバカにされたことの反骨心が元だし、ある意味恩返しみたいなことかな」
「何それ、意味わかんない……。あんたどれだけいいやつなのよ……、私世界から見捨てられたと思ってたのに……、まさかあんたが助けてくれるんなんて……、本当にごめんなさい。あんたみたいないいやつにひどいことしててごめんなさい」
「じゃあね。これで小燕さんの人生はこれから始めるから、応援してるよ。もし大変だったら協力は……」
「待って! 正彦! ううん、正彦様!」
「え? 様って」
「私に恩返しをさせてください!」
「え?」
そして彼女は俺の秘書になると押しかけてきた。
とりあえず、お金を少し課して身なりを整えてもらい、きちんとした手続きを踏んでもらう形にはなったが、正式に俺の秘書になってもらった。
最初は金持ちな俺にすり寄ってきてるだけかもしれないとちょっとだけ思ったが、厳しい試験を突破し、秘書になってからもどれだけ無理難題を言ってもこなす一生懸命な姿を見て、俺は小燕さんを信用した。
人は変われるんだなと俺は感心した。
実質身寄りのない彼女は俺が就職してから1人暮らしをしていた家に一緒に住むことになった。
そして彼女の献身的な姿に俺が惹かれていって、公私ともにパートナーになることになる。
俺はいろいろ未来を見据えて頑張ってきたが、一番予想できなかったのは小燕さんとの関係かもしれないね。




