第17話 尊敬する上司から
俺の名前は堀町次英
いわゆるサラリーマンである。
「お疲れ様です!」
「お、お疲れ様です。ずいぶん急いで帰るんだな」
俺は同僚が定時に帰るのを見届けた。ただ定時上がりにしてはずいぶん急いでいたので気になってしまった。
「これから彼女とバーでデートだからな。まぁお前にもわかる日が来るさ」
「まぁできればな」
というわけで、仕事はそこそこ順調だが恋愛はさっぱりな独身貴族である。
うちの会社はしっかりしているので、俺も別に大して長時間残業は必要ではない。だが、早く帰っても俺はすることがないので、時々早上がりする仲間の仕事を手伝うことも多い。
「お疲れ様、今日も張り切りで1番最後までね」
「あ、お疲れ様です」
俺に声をかけてくれたのは金田凜々花さん。俺の部署の部長、つまり上司である。とても仕事のできる尊敬できる上司だ。
「今日も1杯付き合ってくれない?」
「もちろんです」
そして俺の貴重な飲み仲間である。家族も友人も同僚もあまりお酒を飲める人がいなくて、この凜々花部長が一番の飲み仲間なのだ。
「店員さん、生2つと串盛り合わせね!」
そしてそのままいつもの居酒屋へ2人で来た。完全に常連である。
「あいつは今日はデートで早帰りらしいですよ。しかもバーで」
「へー優雅ね。堀町君はそういうのないの?」
「俺は彼女がいませんので、凜々花部長こそどうなんですか」
凜々花部長はきりっとした美人な女性である。そんな中で、金田という苗字より、凜々花という名前の方が可愛いから部下にそう呼ばせているかわいらしさもある。
「私は仕事が恋人よ。浮気も何も余計な事をしない最高の恋人ね」
しかしこういう人である。確かに浮ついた話も一切ない。
「俺はその域に達するにはまだまだですね」
「まぁまだ君は若いからね。いざとなったら最悪私がもらってあげるわよ」
「はは、その時はお願いしますね」
上司と部下という関係だが、このような冗談も言い合えるいい仲でいられていると思う。
そうはいっても本当に美人で仕事ができる人だし、さくっと結婚するんだろうと思う。
~凜々花サイド~
ほっ、まだ堀町君はフリーなのね。周りがどんどん結婚していって1人でいると不安になるんだけど、堀町君と飲んでるときはそのあたりの心配がなくなるわ。
私も彼氏がいなかったわけじゃないけど、結構よくない目にあってて臆病になってる面があるのよね。
でも堀町君はなんとなくそのあたりの裏切りをしなさそうなイメージがあるわ。
堀町君にまだそういう感情を明確には持ってないけど、でもそういう関係になってもいいかなくらいには思っているのよね。でもちょっと踏み出すのは怖い。これが今の状況ね。
「……まったく、向こうから誘ってきたくせに彼氏を優先してドタキャンするとは」
週末の土曜日、友人とお出かけする予定だったが、ドタキャンを食らって一気に予定がなくなってしまった。また彼氏持ちへのヘイトをためてしまいそうだ。
「しょうがないから映画でも見ようかな。でも1人で見るものな……、あ、あれは」
私の目線の先に、後輩の堀町君が入った。これはチャンスでは? ちょっと誘ってみようかしら。
落ち着け私、あくまでも自然に、自然に声をかけるのよ。
「奇遇ねほりま……ええ?」
堀町君一人かと思ったら、隣に女性がいた。とても美人だった。
「じゃあ行こうか」
「うん、元気に育ってるといいなぁ」
だ、誰あの美人さんは? しかもあそこは……産婦人科じゃない! 彼女がいないって言ってたけど、お嫁さんはいたってこと! もうすぐお父さんなの?
い、いいえ凜々花、冷静になりなさい。一般的にお嫁さんがいるなら彼女がいるいないの話になった異時点で言うわよね。デートするような相手もいないって言ってたし。
彼女でもお嫁さんでもデートするような相手でもないとすると……、産ませるだけ産ませてポイするような都合のいい女性? でも彼はそんなことをするような人じゃ……。
私がいろいろ考えているうちに2人を見失ってしまった。
~凜々花サイド終わり~
「はい、母子ともに健康そのものですね」
「そうですか。何よりです」
「それにしても身重なお姉さんを心配して付き添いをされるなんて、姉思いな弟さんですね」
彼女は俺の3つ年上の姉の三珠である。旦那さんが出張中のため、俺が定期検診に付き合っているのである。
「ええ、昔から私にべったりしてて」
「姉貴が俺にやたらかまってきたんだろ」
姉弟関係はめちゃくちゃ良好。旦那さんとも俺は趣味があって、3人で過ごすこともあるくらいだ。
「もう、私のこともそうだけど、あなたもいい人はいないの。あの上司の人とかいいんじゃない。頻繁に飲みに行くくらい仲はいいんでしょ」
「うーん、凜々花さんか。美人さんだし話も合うけど、俺を男としてみてる感じはしなくてな」
「ほんとに、思い込みじゃないの」
そういえばさっき一瞬凜々花さんが見えた気がしたな。このあたりに用事があったのかな。
「あ、凜々花さん。今日も一緒にどうですか」
別の日、俺はいつも通り凜々花さんを飲みに誘った。
「ええ、いいわよ。今日は私も話したい事があったから」
乗り気で来てくれたが、いつもより少し空気が重い感じがある。仕事で何かあったのかな。それなら猶更話を聞いてあげたいな。凜々花さんは同年代の女性がいなくて、頼る人もいないだろうし、話聞くくらいはしてあげたい。
「店員さん、生といかげそをください」
「それでお話というのは……」
「ちょっと待ってね、素面だと厳しいものがあるから……」
「あ、はい」
凜々花さんは結構裏表なく話す人なので、アルコールの有無で発言が変わるタイプでもないんだけど……、それだけ話しづらいことなのな。
「堀町君、君は女性に責任を押し付けるタイプじゃないわよね!」
30分後、生を4杯ほど行って完全に素面じゃなくなった凜々花さんにいきなりそういわれた。
飲まれるのは生ビール一辺倒ではあるが、凜々花さんの飲み方は上品で、一気などもってのほかだったが、最初の二杯が一気で俺は面食らった。
「ま、まぁそうですね」
「大人と子供の違いはなんだか分かるわよね」
「あ、はい、こうしてお酒を飲めるとか……」
「違う! 違わないけど違う! それはね、責任をとれるかどうかということよ」
「責任ですか」
「例えば、関係を持った相手に、子供ができたとして、それは責任を持たなくちゃいけないわけ。逃げるなんてもってのほか! わかる!」
「そ、それは当然のことで……」
なんか妙に迫力があるな。しかし独身な俺にこの話をして何を思えと……、まさか、凜々花部長男に捨てられたのか! 確かにそんな内容だったら素面じゃ話せないだろうし、でもいえる相手もいなくて俺に。
子供までできたのに逃げられたとすればひどい話だ。
いやちょっと待て、確か凜々花部長は恋人がいないって言ってた。いや、仕事が恋人だって言ってたな。つまりさっきの話は恋人と仕事の比喩関係な話で……、つまり仕事絡み……、もしかしてうちの会社何か契約をとるために、凜々花部長を差し出したとか! うちの会社はホワイトだと思ってたのに、違う意味でブラックなことをしてたってことか。
「凜々花部長、すいません。俺は何もわかっていませんでしたね」
「わかってくれてうれしいわ。じゃあ自分がどうすればいいかわかるわね」
「はい、会社を辞めます!」
「ん?」
こんな黒い会社は辞めて、すぐに凜々花部長のために証拠集めだ。
「ま、待ちなさい。辞めた後のお金はどうするの」
「それは考えてませんが」
「考えてないのに辞めるの! それはそれで最低よ!」
「俺間違ってます?」
「何もかも間違ってるわ!」
「……なるほど」
凜々花部長はあくまで仕事で決着をつけたいってことか。正々堂々と。そしてその戦いについて来いってことか。
「わかりました。仕事は辞めずにここで全力で頑張って出世していきます!」
「そうねそれならアリね」
「はい、目が覚めました」
「安心したわ……これであなたは……あの人と……う……」
「凜々花部長?」
なぜか話がついたはずなのに、凜々花部長が泣き出してしまった。
「私ね、堀町君のこととても買ってたわ……仕事の部下としても、一人の男性としても……」
「ひ、1人の男性としてもですか。でも急にどうして?」
「ただ聞いてほしいの……勇気を出せないままだった女の最後の泣き言を……」
「凜々花部長……」
やっぱり仕事の契約で何か良くないことがあったんだな。それで汚れてしまった自分が俺と付き合う資格が無い的なことを……。
でもそれは間違っている。悪いのは凜々花部長ではなく、社会であり会社だ。だったら俺が……。
「凜々花部長、いえ凜々花さん!」
「は、はい!」
「俺は全然気にしません! 俺と付き合ってください!」
「気にして!」
「え、気にした方がいいんですか!」
「当たり前でしょう! これ以上私を失望させないで!」
「難しい話ですね」
「全然難しくないわよ! はいこれを受け取って!」
するとなぜか祝儀袋を渡された。
「あの……、これは?」
「祝儀袋よ!」
「それはわかるんですが。なぜこれを俺に?」
「あなたに子供が生まれるからよ! そのお金を足しにしてちょうだい!」
「俺に子供?」
「先週あなたが女性と産婦人科に入っていくのを見たのよ!」
「産婦人科……、あああの時のですか!」
「お願いだからあの女性と子供にはきちんと義理を果たしてちょうだい……負け犬のせめてのお願いだから……」
「あれはですね……」
「やっほー、英次、奇遇ね!」
俺が凜々花さんに事情を説明しようとすると、姉が顔を出してきた。
「あれ、姉貴? ここに来てたのか」
「姉貴!?」
「うん、良太も一緒よ。今日帰ってきたからお疲れ様会なんだ」
「良太さん、こんばんわ。出張お疲れ様です」
「ありがと、おっと、そちらがよくお話に聞く金田凜々花さんかい?」
「はいそうです」
「じゃあご挨拶しないとね。はじめまして、英次の姉の三珠です~、いつも弟がお世話になってます!」
「ええ?」
「そしてこちらが旦那の良太です」
「どうも夫の良太です」
「ええ?」
「あの日の産婦人科は姉につきそっただけです……」
「ええ……」
凜々花さんがええしか言わなくなってる……。
「ちょうどつわりも落ち着いたから久々の外食よ、もちろん飲酒は我慢だけど、空気だけでもと思って」
「そ、それはそれは、ご懐妊おめでとうございます……」
「ありがとうございます~」
「ええと、つまり堀町君にとって都合のいい女やお腹の子は……」
「いませんが……、あのー、一応お聞きしますが、凜々花さんが会社のためによろしくないことになったとかは……」
「そんなわけないじゃない……、だから会社を辞めるみたいな話に……うちは超ホワイトよ……」
「すいません。とんだ勘違いを……」
「いえ、もともとこっちからだし……」
姉貴と良太さんは頭をかしげていた。本当になんのこっちゃわからないでしょうね。
「あのー、堀町君……今日のことはお酒の席ということでなかったことにならないかしら……」
「なりませんね」
「え……怒ってるってこと……」
「いえ、そういうことではなく、男が一度言った以上は覚悟を決めた方がいいと思いまして」
「え?」
「先ほども言いましたが改めて……、凜々花さん俺と付き合ってください!」
「……いいの……、私こんな感じで思い込み激しかったりしちゃうけど……」
「そんな凜々花さんがいいんです」
大きなすれ違いがきっかけになったことだけど、俺はこうして凜々花さんと付き合うことができた。
仕事が恋人だった凜々花さんは俺が恋人になったことで、仕事をより定時に上がることに意識するようになり、さらにうちの会社はホワイトになった。
今は姉貴と良太さんも併せて、二家族で楽しく過ごしている。