第11話 朝の通学時間は楽しい時間
俺の名前は根岸大成
大学2年生をしている普通の学生である。
今回の大学のコマが朝1番の授業に必要な授業が多く、せっかくの大学生なのに高校時代と同じくらいに起床して電車に乗らなければならない。
1年生の時は楽でよかったんだけどな。1日を除いて10時くらいに大学につけばいいのが本当に楽だった。
そんなこんなで毎日満員電車に揺られているわけである。
とにかく押されて本当につぶれそうな日々を送っている。
そんな日々が続いた日、思い切り押された先に女の子がいたため、つぶしてしまわないように踏ん張った。
なんか壁ドンみたいになってしまったが、女の子はにっこりとして会釈をしてくれた。
朝の憂鬱な満員電車が一瞬でいい時間に変わった瞬間となった。
特に会話を交わすわけでもない。ただ同じ時間に同じ場所から電車に乗ると、同じように毎回この女子がいるのである。俺はこの子がつぶれないように支える、女の子は俺に笑顔と会釈を返してくれる。ただそれだけで幸せな日々だった。
そんな日々が続いたある日、ちょっと違う出来事が起きた。
その日はいつも以上に混雑がひどくて、女の子が少し違う位置にいた。
女の子はまだ混雑する前の電車に乗るのか、いつも入口のすぐ横の場所にいて後ろに人がいない状態なのだが、今日は女の子の後ろに人がいる状態だった。
それのどこが違うかというと、女の子はいつも電車の壁を背にしていて、やや背中を丸めた状態でいるのだが、今日は後ろに人がいるので、背中を少し張っていた。
そのため、とある部分がすごく目立っていた。
そう、その女の子は高校生としてはとても胸が大きかったのである。
普段背中を丸めていたので本当に気づかなかった。
そして、事件が起こるのである。
「痛っ!」
俺の顔に急に軽い痛みが走った。
そして女の子のほうに向きなおすといつもとは違い照れた表情をしていた。というか真っ赤だ。
そして何事かと思うと、女子の胸元のボタンが1つなくなっていたのである。
先ほどの痛みと合わせるとなるほどそういうことか。ボタンが胸の圧力で跳んだのか。そんな漫画みたいなことが現実に起こるんだな。
そういうことかじゃない! どうするこの状況。まだほかの人は気づいてないようだけど、どうしてあげればいいのか。混雑しててしゃがめないからボタンを拾ってあげることもできないし、仮に拾えてもつけてあげられないしどうすれば。
「あの……」
ん? 聞き覚えのない声、ただそれが目の前の女の子の声というのはすぐに分かった。声は初めて聴いたな。
「見られたくない状態なので……抱き着いてもいいですか」
「え、あ、はい」
なんか決意を込めた質問だったので、つい普通に返事をしてしまったが、なんかすごいことを言われてなかったか?
「ありがとうございます……では失礼します」
ぎゅっ。
女の子に抱き着かれた。
ものすごくいい香りがする。そしてものすごくいろいろなところが柔らかい。同じタンパク質で生成されている同じ人間とは思えない。なんだこの柔らかさは。
とにかく落ち着こう、下手にドキドキしてたら不安にさせてしまう。深呼吸だ。
すぅ~
しまった、いい香りを大量に吸い込んでしまった! 頭がくらくらする……。
「ちっ」
なんか舌打ちが聞こえた。
そりゃほかの人から見たらいちゃいちゃしてるみたいに見えるもんな。いい気分にはならないだろう
次は~西駅前~西駅前~
「あ、次で降ります……一緒でしたね」
そう俺とこの子は降りる駅が一緒である。出口は東口と西口で真逆ではあるが。
さて、降りたのはいいが、もちろんまだこの子のボタン問題は何も解決していないわけで、降車したお客と電車が出て行って、ホームが静かになってもこの子は俺から離れることができない状態である。
「とにかくこのままじゃ不便だろうし、これを着ていきなよ」
俺は羽織っていた上着を女の子に渡す。
「そ、そこまでしてもらうわけには……」
「大丈夫だって、今日はちょっと暑いくらいだし、着てなくてもそんなに困らないしさ」
「で、ではお言葉に甘えます」
女の子は受け取ってくれた。これでお互いに大丈夫だな。
「あ、あの洗って返しますので……連絡先を教えていただけますか」
「別にそこまで気を使わなくていいよ。それも古いやつだし、捨ててくれてもいいくらいだしさ」
「そういうわけにはいきません!」
「でも電車で普通によく合うんだし、別に連絡先がなくても」
「いいですから!私は長峰三秋って言います。ラインの連絡先これですから登録してください!」
「あ、うん、えーとこうしてこうしてと、あ、俺の名前は根岸大成だ」
「大成さんですね。私のことも三秋と呼んでいただいて大丈夫です!」
なんか勢いに押されてしまっている。
電車でよく一緒になっててもそこまで話しかけてくる感じじゃなかったし、もっと控えめな子かと思ったが、割と押しが強い子だな。
「三秋ちゃんは高校生かな?」
「はい高校2年生です。大成さんは大学生ですか?」
「ああ。大学2年生で……、って遅刻するー! じゃあまた! 服本当に無理しなくていいから!」
そして俺は走って大学に向かった。
そして2日後、あの事件があった日が金曜日だったので、つまり日曜日。三秋ちゃんから連絡がきた。
『先日はありがとうございました。
貸していただいた服をお返ししたいので、
明日月曜日同じ電車のいつもの場所でお会いしたいと思いますので、
お願いします』
まぁ律儀な子だなと思ってしまいました。
そして次の日のいつもの電車のいつもの場所、三秋ちゃんがいた。
今日もいつもの体制である。
いつもと違うのは、笑顔の会釈だけではないということだ。
「先日はありがとうございました」
こうして深く頭を下げてくれた。
「い、いやいや、お礼なんて。むしろ俺が言わないと……いやなんでもないです」
「?」
いかんいかん、ちょっと本音が出てしまった。女子高生に抱き着いてもらうなんて正直ご褒美だもんな。
「本当にいつも私がつぶれないように守っていただいてありがとうございます。いつかお礼を言いたかったんですが……」
そういいながら俺の腕をさすってくれる。この子はいちいち全部柔らかいのでドキドキする。
「お借りした服は駅についたらお返ししますね」
「丁寧にありがとう」
「それであの……大成さん、今日もだきついてもいいですか?」
「へ? どど、どうして? 今日はボタンの問題はないよね?」
「り、理由はまたお話しします、お願いします」
「わ、分かった」
そういう風に言われて俺に断る義理がない。そもそも断るデメリットが存在しないので。
そして駅まで今日もドキドキしながら通学するのである。
「こちら服ありがとうございました」
駅について服を受け取る。
「丁寧にありがとう。なんかすごくきれいになってるね」
「アイロンもかけましたし、少し汚れも取りましたので。今日はお時間大丈夫なんですか? 前はすぐに急いで走って行かれましたけど」
「今日は二限目からだからね。火~金は朝一だけど月曜日だけちょっと遅いんだ」
「もしかして私のせいで余計なお手間を? そういえば月曜日だけは大成さんお見掛けしなかった気がします……」
「別にいいよ。月曜日も別に起きる時間は変えてないんだ。1年生の時は1限目が少なかったからだらだらしてたけど、2年になってからは1限目が増えたから逆に月曜だけだらだらしてるとむしろ体がだるくなるから。早めに行ったら行ったで大学はいくらでも時間がつぶせるし」
「それなら安心しました」
「そういえば今日は何で俺に抱きついてきたの?」
それを聞くと少し表情が曇る。
「実は私と同じ駅で降りる男性が1人いるんですけど……、その人に声をかけられたり食事に誘われてて、何度もお断りをしてるんですが、しつこくて少し怖くて……」
まぁ三秋さんはかわいいからな。そういうこともあるのか。
「それでちょっと男の人が怖くなってしまいまして、いつもお世話になってる大成さんにすぐにお礼が言えなかったのはそれもあります」
なるほどな。話してる感じは結構積極的なのに、話す前はおとなしさを感じてたのはそのせいか。
「でも、大成さんに抱きついた日はそれがなかったんです」
「ああ、そうなんだ。知り合いの男の人が一緒にいれば声がかけにくいのかな。今日もいないみたいだし」
「はい、なので、大成さんが嫌でなければ、お時間が合うときだけでいいので抱き着かせていただいてもいいでしょうか!」
「ええ、俺はもちろんいいんだけど」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「俺で力になれるなら。それに三秋さんくらいかわいくて美人な女の子に抱き着いてもらえるなら俺もうれしいしね」
「かわいくて……美人ですか……」
「あ、これはそういうナンパ的な奴じゃなくて……、変な意味に聞こえたらごめん」
「ふふ、大丈夫です。大成さんのことは信用してますから。ではこれで契約成立ですね」
「なんかよくないことをしてるみたいだ」
「そんなことはありませんよ。それに契約が満了したら、報酬もあると思います」
「? よく分からないけどよろしく」
その日から俺と三秋さんの契約が始まった。
元々通学時間が被っていたので、意識しなくても会えるのだが、多少時間の前後もあるし、月曜日は意識していないと会えないこともあるので、基本的に前日にラインで連絡を取り合って確実に一緒に通学できるようにしていた。
最初のころはお互い気恥ずかしかったが、だんだん慣れてきて、抱きつかれながら会話もできるようになてきた。
「へー、三秋さんってゲームしたり漫画よんだりするんだ」
「はい、大好きですよ」
「真面目な文学少女なイメージあったけど、そうでもないんだ」
「家事とかは苦手じゃありませんけど、運動大好きですね。勉強はさっぱりです。テストの点数を周りの人に見られるとびっくりされちゃいますね。むしろ大成さんは頭いいんですよね、あの大学結構難関大学って聞いてますし」
「勉強は嫌いじゃないかな。弟や妹に教えてたこともあるし」
「もしよかったら今度教えて欲しいです」
~次は西駅前~西駅前~
「あ、もう駅についちゃいましたね。大成さんと話すようになってから時間がたつのが早いです」
「俺もそう思うよ。通学時間が半分になったみたいだ」
「じゃあ今日もありがとうございました。またよろしくお願いします」
「ああ、またね」
~三秋サイド~
「ふふっ、大成さんも私といると時間が建つのが早いんだ」
最近毎日一緒にいる大学生の大成さん。
とても優しい頼れる大人っぽさと、どこか焦ってしまう落ち着きのないかわいらしさ。
ちょっと男の人が怖くなってたけど、私のことを毎日守ってくれている紳士的な大成さんのおかげでまた男の人と話せるようになってきた。
それに話せば話すほど趣味や考え方も合ってるみたいで、きっと相性いいんだろうなと思ってしまう。
電車以外でも会えるようになりたいな。
ガッ。
「えっ」
私の肩が乱暴につかまれる。大成さんのではない。もしかして
「ねぇ……あの男は誰……、最近一緒にいるけど彼氏じゃないよね。前に連絡先も教えてたよね。僕には何回やっても教えてくれなかったのに……」
あの人だ。私にしつこく連絡先を聞いてきた男の人だ。でも前まではしつこいだけで強引ではなかったのに、今回は目が常軌を逸していて、背筋が凍るような恐怖を感じた。
「あんなやつのどこがいいの、俺のほうが君を幸せにしてやれるのに」
グッと強い力で腕をつかまれる。
「た、助けて……大成さん」
私はそこにいるはずのない人の名前を呼ぶ。
「おい、何してんだよおっさん」
だけどその人は来てくれた。
私の心はそれだけですごく安心した。
~三秋サイド終わり
「いいおっさんが女子高生に無理やり近づくものじゃないぞ」
俺は駅を降りて三秋さんと別れた時、三秋さんの後ろを怪しい雰囲気でついていく男を見ていた。
その男は俺が始めて三秋さんに抱きつかれた日に俺に舌打ちをしてきた男であった。
それで俺の記憶におぼろげにあったので、余計な心配かと思ったがついていったら案の定だったのだ。
「くっ放せ」
俺がつかんでいる手を男が乱暴に振り払う。
「三秋さん、前に話してた男はこいつだよな」
「う、うん」
三秋さんは俺の後ろに隠れる。涙目で震えている、よほど怖かったのだろう。この男への怒りが静まらなかった。
「今回は失敗したが、僕はあきらめないぞ! お前だってずっと側にいるわけじゃないだろう。隙をついて付け回してやる」
「ふーん、そんなことを言っていいのか。身分のある人が、石橋都筑さん?」
俺はその男の社員証を掲げて見せる。さきほどおっさんといったが別にこの人は俺たちに比べて年をとっているというだけで、30代だと思う。それでなかなかいい会社の役職持ちなのだから、仕事は優秀なのだろう。
「なんでお前が僕の社員証を……」
「駅で拾ったんだよ。これは写真も撮ってあるし、この会話も録音してあるんだが、さてどうする」
「わ、分かった。もうその子に付きまとわない……、電車も変えて顔も合わせないようにする。だから会社にだけは言わないでくれ」
「三秋さん、それでいい?」
三秋さんは俺の腕をつかんだままコクコクと頷く。
「わかった、じゃあ今回だけは三秋さんが許すみたいだからさっさとどっかに行ってくれ」
「ひぃ~」
そう言って男は逃げて行った。
そこで俺は気が抜けて腰を落とす
ふぅ~、緊張した。これはさすがに怖かった。
相手が無敵の人じゃなくて、きちんと身分のある人だからこそなんとかなったな。
「大成さん! 本当にありがとうございました!」
俺に三秋さんが抱き着いてくる。
今回はドキドキとかではなく、親愛の気持ちで三秋さんが落ち着くまで頭をなでてあげた。
その後、俺は三秋さんを家まで送った。
「本当に三秋がお世話になりました」
三秋ちゃんのお母さんにもお礼を言われた。
「さて、じゃあ俺は大学に戻りますので」
「あの、大学が終わった後、うちに来ていただけませんか……、西前駅で待ってますので……お礼がしたいんです」
「ああ、分かったよ」
大学が終わった後、俺は三秋さんの家にお呼ばれして、もてなしてもらった。
「三秋さんは料理が上手なんだね」
「はい、家事は自信あるんですよ」
「両親もいい人だね」
「はい、自慢の両親です」
年頃の娘が男を連れてきたというのに、お母さんはともかく、お父さんにも歓迎されるとは、三秋ちゃんがいい子に育つのもよくわかる。
今は三秋さんの部屋にいるわけである。
三秋さんの香りに部屋が染まっている。
「では……、ぎゅっ!」
そして、三秋さんに抱きつかれた。
「あの、もうあいつの問題が解決したから抱き着きは必要ないよね」
「はい、ですからこれは契約ではありません。私が好きで抱きついてるんです。大成さん……好きです! これからもずっと一緒にいてください!」
「……ありがとう、とってもうれしい。俺も好きだよ。毎日楽しいもんね。話してても楽しいし」
「はい! 私どんどん修行して、頭のいい大成さんにふさわしい女性になりますからね!」
こうして通学の抱き着きの契約から、恋人の契約になったのである。