第6話 8月13日
上手いのか下手なのか評価しづらい藤の鼻歌が台所から聞こえている。とともに甘い香りが優のお腹を刺激する。
焼きたての生地の匂い。ふんわり生地と同じく、ふんわりと甘い香りを味わうように鼻を鳴らす。
「ケーキ作れるとか、ポイント高いだろうになんであんなに残念なんだろーなあ」
玉木藤最大の謎である。優良物件……優良物件のはずだ。
けれども、性格のせいなのか、もっと他に理由があるのか優はちっとも魅力的に感じない。
「昔は藤お兄ちゃんと結婚するー!って言ってたのにな」
「うるさいうるさい。黒歴史だから!」
藤のことを「お兄ちゃん」呼びしていたことも含めて優の黒歴史である。
幼い頃は優しくて、少し年が上なだけの人間が大人っぽく見えて、ついつい血迷ってしまったのである。
「いや、でも……養ってくれそうって意味では藤にするのもありなのかも?」
「告るなら早くしろよ。藤兄、ああ見えてモテるから」
「嘘でしょ!?」
「凌君情報だから正確だぜ」
それこそ保育園の頃から藤と友人関係である田島凌からのタレコミ。信じ難いという思いはありながらも、凌がそんな嘘を言うわけがないという信用の方が勝る。
「学校と家じゃ違ったりするもんねぇ」
「さすが、内弁慶腐女子が言うと説得力があるな」
ゲーム片手間に言葉を返す音葉を「うるさい」と睨みつける。
こちとら好きで内弁慶になっているわけではないのだ。
俗にいう人見知り。親しくない人相手だともれなくコミュ障を発動してしまうだけなのだ。
「優お姉ちゃん、生地できたって! 一緒に飾りつけしよっ」
台所からひょっこりと顔を覗かせるのはMyエンジェル真宏。今日も今日とて可愛らしいショタのショタらしい姿に緩む頬とともに頷く。
「音葉もちゃんと仕事してよ」
「ケーキの飾りつけに三人もいらねぇだろ」
「違いますぅ。本日の主役を引き止めといてってこと」
さて、説明が遅くなったが、本日八月十三日。世間的にはお盆の入りであるこの日は玉木家三男、玉木和の誕生日なのである。
そして今は毎年恒例の『なーくん、誕生日おめでとう会』の準備中なのである。
藤は料理、真宏と優は飾りつけを担当。残す音葉の役目は当然のことながら和の引き止めである。何故か、今はまったりゲームをしているが。
「毎年のことなんだから和も分かってるだろ」
「それはそれ」
頑として譲らない姿勢で音葉に立ちはだかる。優には譲れない理由があるのだ。
「私は和×音が見たいんだよ!」
「知らねぇよ!」
玉木家ではお馴染みのやりとりに紛れるようにして真宏が呼ぶ声が聞こえる。
「ちゃんと引き止めてよ」
最後の最後に念押しつつ、意気揚々と天使との戯れに興じる。
真宏とともにケーキを飾りつけた後、『和×音』の話を聞く。これほど素晴らしい一日はないと言いたい。
横目で見れば、音葉は大きな溜め息を吐きながらも役目を果たしてくれるようだ。ああやって最後には絆されてしまうところも、受けの素質が高くて大変よろしいと思いますまる。
「さて、なーくん。誕生日おめでとう」
「和お兄ちゃん、おめでとう!!」
藤の音頭に真宏の声が重なり、『なーくん、誕生日おめでとう会』が始まった。
大仰に言っていても、要はいつもよりちょっと豪勢でなおかつ和の好きなものが揃った夕食である。
「でも、夏休みに誕生日ってなんかあれだよね。友達とかにも祝ってもらえないし」
「まあ、祝ってくれるような友達もいないから平気」
「……。なんかごめん」
「別に。気にしてない」
本当に気にしていないとでもいうように藤の料理に舌鼓を打つ和である。
ちなみに和の好きなもの、ということで食卓に並ぶのはマヨネーズを使った料理たちである。
和クラスになるとマヨネーズを使った料理に追いマヨネーズを加えるというマヨマヨづくしだ。見ているこっちが胸焼けする。
「音葉はさー、なんか言うことないわけ? おめでとうとか」
普段の夕食と変わりないといった様子で黙々と食事を進める音葉。
うきうきるんるんの藤、真宏とは大違いの冷たさっぷりである。
「朝言ったしな」
「言われた、一番に」
淡白な言葉。そこに含まれている旨味に気付かない優ではない。
「ははーん、最初と最後は俺がいただく的な余裕ですか。そうですか」
「飛躍すんな、腐女子」
素晴らしくおいしい供給をいただいたので満足です、と優は箸を動かす。推しのお陰で今日もご飯が美味い。
「ご飯終わったらケーキもあるからね」
「僕と優お姉ちゃんで作ったんだよ」
兄弟の誕生日ということで妙にテンションの高い二人。邪気のない笑顔は心から和をお祝いしていることが伝わってくる。
「ん、ありがとー。楽しみ」
受け取る和はいつも通り。特別喜ぶ素振りを見せず、かといって迷惑と思っているわけでもない。
和なりに喜んでいることは兄弟たちには伝わっており、テンション高めコンビは満足そうに頷いている。
「……また一つ年をとったな」
兄弟+α主催の誕生日会の最中、感慨を込めて和が呟いた。すぐに食事を再開させる姿には妙な哀愁が漂っている。無駄に似合っている姿ではあるが、
「中学生が言う台詞じゃないからそれ」
本来のツッコミ役がスルーしたそれを優が代わりにつっこむのであった。
やはり主役の色を纏うのか、独特な空気が流れる誕生日会はまだまだ続いていく。