第5話 とうもろこし
ちょうど真上にかかりそうな太陽がじりじりと肌を焼く。
日焼けしたというほど黒くはない肌には吹き出した汗が滲んでいる。今にも溶けそうな心持ちで優は帰路についていた。
「わざわざ夏休みに出る必要なんてあるのかしらね」
「ほんとそれ」
陽光に焼かれながらも涼しい顔をしている紀依へ、力なく同意する。
二人は部活の帰りだった。
所属しているのは美術部。好きな絵を描いて、だらだらと喋って、部活動必須の中学校の抜け道とも言うべき、ゆるい部活。
絵を描くのが好きだったのと、オタクが多いという理由から所属した部活だ。
「体裁ってのは面倒よね」
夏休みにまで活動する必要のない部活。
けれども、ちゃんと活動していますというアピールは必要なのである。
幽霊部員が多い部活なだけにこういう細かいアピールは大事なのかもしれない。
滲む汗をタオルで拭きながら、しかめっ面で空を仰ぐ。もう少し力を制限してもいいんだよ、と訴えかけるように。
「じゃ」
「あ、うん。ばいばい」
簡素な挨拶で紀依と別れ、優は一人で道を進む。といっても、目的地はすぐそこだ。
優の家である上川家、の横にある玉木家。そこ玄関扉を当たり前のように開けた。
「ただいま〜」
今にも溶けそうな面持ちで、目的地へと辿り着いた優を仄かな香りが迎える。
昼食時より少し早い時間。藤が料理を始めているであろう頃合で、そこは問題はないわけだが。
「甘い、匂い……とうもろこしか」
お菓子とは違う甘い匂いが鼻腔を擽り、すぐに答えに辿り着く。
醤油を塗られた屋台特有の匂いとは違う、とうもろこし本来の甘さ引き立つ匂い。
すんすんと鼻を鳴らしながら、優は玉木家のリビングへ足を踏み入れた。
「あ、優お姉ちゃん! おかえりなさい」
とうもろこしを片手に無邪気な笑顔を向けるのは愛すべき玉木家の末っ子。
高学年に差し掛かる年齢でありながら消えない無垢さを家宝とも言うべきものだろう。
「とうもころし、おいしいよ! お姉ちゃんも食べて」
「真宏くん、真宏くん、もう一回」
「とうもころし、おいしいよ?」
「ふぐっ、かわいい」
二回目は不思議そうに傾げた首が可愛さを加速させている。
かわいいは正義。ショタは正義。
己に刻み込んだ呪文を復唱する優である。
「……ショタコン」
呆れた呟きを聞き咎めて視線をやれば、気だるげにとうもろこしを食べる人物がいる。
玉木家三男、音葉。優とは同い年の厨二病ゲーマーだ。
「"ころし"ってちょっと物騒だよな」
「確かに。そういう殺し方あったりしてな……必殺『とうも殺し』!!」
「普通にダサいな」
微妙な部分に引っ掛かりを覚えている和と中身のない会話を重ねる音葉。
隣の席に座る二人は無駄に距離が近い。意識的なのか、無意識的なのか、見慣れた光景は優の心に高揚をもたらす。
和×音は今日も大変おいしゅうございます。心中で、神様にお礼を捧げる。きっとどこかにいるであろう、腐女子の神様に。
「おい、腐女子。また変なこと考えてないだろうな?」
「えぇー? ナンノコトカナ。……さてさて、さーて、私もとうもろこし食べよっかなあ」
不審の目を白々しく躱しつつ、優も自分の席に座る。
テーブルの上には茹でたてのとうもろこしが山のように置かれている。漂う湯気が甘い香りを届け、惹かれるように手を伸ばす。
「はむっ……ん、めっちゃ甘っ」
「おばあちゃんのとうもろこしはすっごく甘いんだよ」
得意げに語る真宏も可愛らしい。
愛すべきショタと、傍らでいちゃつく推しカプをおかずに二口目を齧る。
口の中で広がる甘さは程よく、空きっ腹にちょうどいい刺激を与えてくれる。
「もうそろそろご飯できるから、程々にね」
台所から飛んでくる声は調理中の藤のものだ。
仕事が忙しい親の代わりに家事を担う彼は年々、母親みが増してきている。
「てか、和は食べないの? おいしいのに」
「とうもろこしって歯に引っかかるだろ。あれ、苦手」
「あー、ね。わかる」
実際、空腹を埋めるように食べていた優は今まさに歯の隙間に引っかかった皮と格闘している。
おいしいけれど油断するとすぐに引っかかるのがとうもろこしの難点だ。
和は好き嫌いというより、こういう細かいところで食べ物の好みがあることが多い。
「そこで一粒ずつ食べてる人に食べさせてもらったら?」
皮が歯に引っかかるのを嫌ってか、ちまちまと一粒ずつ運んでいる音葉。
口が悪いわりにこういうところでお上品な厨二病が音葉である。四兄弟の中で、不意に出る育ちのよさでは随一だ。
「……いいかも」
「よくねーんだわ」
逡巡ののち、肯定を示す和に音葉はすぐさま否定を返す。隙がない。
「いいじゃん。公式の供給が欲しいんだよ、こっちは!」
「お前の妄想に付き合わせんな、腐女子」
「和は乗り気なのにねー」
首を傾げて同意を求めれば、和は無言の頷きで答えてくれる。
対する、音葉は深く息を吐き出した。吐き出したついでに絆されてくれればいいのだが、世の中そう上手くはいかない。
ガードが固い受け。それはそれでおいしいし。
「――そういえば、とうもろこしを簡単に外す裏技とかあるよね。割り箸のやつ」
出来た料理をテーブルに並べる藤が、腐女子と推しカプの争いに終止符を打つ。
中身のないやり取りは何気なく振られた話題であっさりと終焉を迎えた。
「最初に一列外すやつね」
流石の和はその裏技とやらも知っているらしい。
「料理のときとかにするやつ?」
「料理のときは包丁で削ぎ落としちゃうかなあ。面倒だから」
そりゃそうか、と頷く。
店で出すわけでもないのだから、手間をかけても仕方がない。
「んじゃ、ご飯もできたことだし」
とうもろこしで空腹が満たされたかと思えば、むしろ程よい刺激が更なる食事を求めている。
「「「「「いただきます」」」」」
こういうところで息がぴったりな四兄弟とともに優の昼食は始まる。