神経質なのか神経質じゃないのかよく分からない人
私は神経質といえば神経質だし、違うといえば違う。そして、たまによく分からないルールを自身に設けては発狂している。
私は細かいことが気になる。人のネクタイが完璧にピシッとしていないとむず痒くなる。かといってあまり人にそういうことを指摘するのも好きではない。ならばどうするか、私はそういう時はその人が視界に入らなくなるまで移動し、見たことを必死に忘れようとする。
私は常に、全てのことを出来るだけ左右対称にするように意識している。車道は本当は中央線の真上を走りたいのだが、さすがにそれは人としてダメなので、左車線の中で完全な真ん中を探し、走っている。左に寄れと習ったが、それをやると頭がおかしくなるのだ。
階段もそうだ。基本的に私はど真ん中を歩く。もちろん混雑時の駅などの、我を通すと人に迷惑がかかるような場面ではやらないが、それ以外では全て真ん中だ。
そのせいで小中高とガキ大将みたいな子に目をつけられたりもした。「なんやアイツ、態度デカすぎやろ」とか、「堂々としとるなぁ」とか言われたが、そうしないと階段から飛び降りたくなる衝動に駆られてしまうのだ。
当然鳥居もど真ん中をくぐる。神様の通り道だから真ん中は空けておかないとダメだよ、と教わったが、私にとって神社とは単なる観光地、または遊び場であり、神の存在すら信じていないのだ。
もし私が神の存在を信じていたとしても、真ん中を通ることはやめなかっただろう。神様は真ん中を通る。うん、そうかもしれない。でも、ずっとそこ通ってる訳でもないよね? 例えば5分前にそこを神様が通ったとして、今また神様が通るか? 答えは明白だろう。
とはいえ、私は神道には疎いもので、実はほとんど知らないのだ。もし鳥居の真ん中を1日に4000回通る、というような説があったら私の負けということでいい。恐らくその説では神様はジェットコースターのようなものに乗って神社中を走り回っているのだろう。
また、私は完璧主義なのではないかと思うことがある。小学生の頃、欲しかったカードが手に入って喜んでいたのだが、ある日そのカードの角が折れていることに気がついた。
気づいてしまったら最後、私の体はムズムズモードに入ってしまうのだ。こんな状態のカードを持っていたくない。そんなことを思ったのだろうか、私はそのカードをビリビリに破いてしまった。
子どもの頃の変な行動のようにも見えるが、私にはその気持ちが痛いほど分かる。もしその状況に陥れば、私は今でも同じ行動を取るだろう。
中学生の頃作った粘土細工もそう。ニスを塗って表面をツルツルにしたのだが、何かの拍子でニスが剥げてしまったのだ。この時点で私は内側から爆発しそうになっていたが、なんとか我慢した。
それからしばらく経ち、忘れていた頃にふと粘土細工を見ると、ニスが剥げたところにホコリのようなゴミのようなものが溜まっていた。
私は刷毛で頑張って払ったのだが、ニスと粘土の境目のところにどうしても取れない汚れが残ってしまった。もうダメだ、壊すしかない。そう思い、泣く泣く壊したのだ。
カードにしろ、この粘土にしろ、壊す時にはかなりの罪悪感と悔しさが生まれる。だが、壊さなかった場合の私の心を考えると、壊して正解だったと思うのだ。
これは物に限らず、人に対しても同じことが言える。私はこの世界を自分の物だと思っているところがある。自分の物だとしても、人に迷惑をかけることはしないし、自己中心的な人間ではないと思っている。
私の物であるこの世界にも亀裂が入ることがある。私の世界とは、家族、友人、知り合い、その他で構成される、つまり私の世界とは人の集まりなのだ。
私がある人のある部分を嫌いになった時、私の世界に小さな傷がついたように感じるのだ。逆も然りで、相手が私のことを嫌っているんじゃないかと思うと、すぐに絶交してしまいたくなる。許されるのなら、この世界から消してしまいたくもなる。
なぜこれほどまでに完璧ではないものを嫌うのか、特に理由は思いつかないが、強いて言うならば私がこういう人間だから、ということになるだろう。
また、私はその時の気分によって自分にルールを設けることがある。地面に模様があったなら、その模様に合わせて歩くし、痒いところは7回掻くとか、そんな細かいことまで決めている。これは異常なのだろうか。強迫障害の一種なのだろうか。
物心ついた頃からこんなことをしていた。小学校の宿題で、漢字を20回ずつ書いて覚えなさいというものがあった。私はなぜかトイレを我慢しながら正座をして、どこどこまで終わらせないとトイレに行けない、トイレに行くと確実に死ぬ、とまで思っていた。
自分が決めたところと違うところで足を崩したり、トイレに立ってしまった時は内なる何かが暴れ出して、部屋中を転げまわり、頭を壁に何度もぶつけていた。それで発散出来るかというとそうでもないが、何もしないとムズムズして爆発してしまうのだ。(肉片が飛び散る)
実は今もその衝動が心の奥にずっとある。先日アップルマンゴーを食べたのだが、あれは種のまわりが1番美味しくて、必死にしゃぶりついていた。
その結果、ほっそい無数の繊維が私の歯に挟まったのだ。私は歯並びがいい方なので、あまり物が挟まったという経験がなく、軽いパニックに陥った。歯に違和感が! ムズムズする! これは爆発の前兆に違いない! まだ肉片にはなりたくないよーっ!
と思い洗面所に飛んでいって歯ブラシを手に取った。だめだ、どれだけ磨いても半分までしか取れない。繊維もそんなに強いわけでもないので、爪などで取ろうとするとちぎれてしまうのだ。
そこで私は人生で初めて糸ようじというものを買った。夜9時半頃だったが、近所の薬局が開いていたのですぐに飛び込んだのだ。
しかしこの糸ようじも全く役に立たなかった。歯と歯の間に隙間がないのだ。歯並びがいいことが裏目に出るなんて、これ以上どうしろと言うのだ。
何も取れないまま糸ようじを捨てるのも嫌だったので、奥歯で試してみた。特に何も挟まっていないのだが、なんとなくやってみたのだ。
すると、スルンと隙間に入っていった。奥歯には隙間があるらしい。特に用事(ダジャレじゃないよ)もないのですぐに引き抜こうとしたが、取れない。なぜだ。このまま引っ張ると歯が抜ける気がする。いや、そこまではないか。いやでも、引っ張ってもビクともしないぞ?
糸ようじ挟みっぱなし生活と奥歯抜け生活を天秤にかけた結果、奥歯抜け生活を選ぶことにした。全力で糸ようじを引っ張る。私の歯が優秀すぎてやはりビクともしない。そこで私は思いついた。この糸を切ればなんとかなるのではないか、と。
家の中で1番小さなハサミを探し、口の中に入れる。錆みたいな味がしたが、そんなことにかまっているヨヌウはない。余裕はない。
なんとか切れた糸ようじを引っ張るが、まだ挟まっている。私は歯を押さえながら糸ようじを力いっぱい引っ張った。頑張った甲斐あって、ちゃんと取れてくれた。血も出ていない。やはり私の口は強いのだ。亀にも勝てるぞ。
正直これは神経質エピソードではないような気もするが、世の中には無数の繊維が挟まっていても気にせずそのまま生活する人もいるかもしれないので、その人と比べて神経質だったということにしておく。
ここまで散々語って来たが、実はわりと適当な人間でもある。掃除も適当にやるし、小説も適当に書いている。誤字の訂正すらほとんどしないくらい大雑把なのだ。もちろん見つけたらしているが。
後はまぁ⋯⋯そうだな、最近散歩をする時に歩数を決めなくなった。今まではどこに行くまで何歩で行く、ときっちり決めて歩いていたのだ。
また、あらゆることで100点を取れなくても発狂しないようになった。小学5年生くらいから100点を取るのが難しくなってくると思うが、最初の頃は私もちゃんと発狂していた。
しかし、100点が取れないことに慣れてくるにつれ、発狂の頻度も減って言った。この時私は気づいた。発狂しないためには理解することが必要なのだと。
かといってそれが全て治るわけではない。私は今でもずっと苦しんでいる。苦しむというほどではないかもしれないが、日々小さなストレスは溜まっている。
はい。これ以上書いても同じなので、このへんで締めにしたいと思います。こんなよく分からないエッセイを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2度見という言葉があるが、私は2度見した後、その首の形になった時の感覚が忘れられなくて、何度見もしてしまうことがある。伝わるかなぁ。もしかしてこれって病気なのでは? それか何かの障害だったりする?
こういうことを書いていると、「軽々しく病気とか障害とか言うな! 不謹慎だ!」と言う人が出てくるが、別に軽々しく言っていないし、精神的な病気や障害を早めに発見するためには、こうやって自分で疑ってみるのが大事なことだと思うのだ。不謹慎はなんだろう、私の存在が不謹慎ってことなら確かに当てはまるかも。
またひとつ気がついた。肩がやばい。小さく「コリッ、パキッ」となる感覚が気持ちよくなってしまい、最近よく肩をだらんとして少し外してみたり、それをはめてみたりして遊んでいる。1日中。
なので、最近よく心配されるようになった。肩痛くないの? それ、大丈夫なの? 病院行った方がいいんじゃないの? って。
肩痛いし、多分大丈夫じゃないし、病院に行った方がいいと思うけど、怖くて行けない。
このへんは癖と一括りにしてしまってもよいのだろうか。それともやりすぎだろうか。常人と違うのなら、病院に行くことも検討しないとなぁ。
私の気持ちが分かる方がいらっしゃったら感想いただけると嬉しいです。




