2.マニュアル式臨機応変対応の手段について(6)
「おお、懐かしきかなダンジョン。夜の者の故郷よ」
「いいから【魔物】が出てくる前に準備しろ」
「唄で気分を高めるのも準備なのじゃがの」
ゲートを通ればそこはもうダンジョンの中。
独立した異世界であるダンジョンは、ゲート手前とは隔絶されて、空気の匂いすら違う。
そのはずだったが。
「ふむ」
エルンストは一声唸って付近を確認。
周囲は薄暗い程度には明るく、灯り無しでも周囲の様子は概ね分かる。
床と壁は均一な煉瓦が敷き詰められていて、通路は測ったような直線を描いている。
と、いうのが元の姿であろうと思われる、破壊され尽くされた廃墟。
それが目の前に広がるダンジョンの姿だった。
壁も床も無惨なくらいに倒壊し、ある所は天井が落ち、ある所は瓦礫が山と積まれている。
そして一番異様なのは、ゲート入口からまっすぐに、巨大な何かが削り取って通り抜けたような破壊の跡が伸びていた。
「これがダンジョンというものか」
「普通のダンジョンは、こんなにとっ散らかっちゃいねえが」
言いながらも、ンダバは準備を続けている。
ラッパ銃の装填をし直し、背負った背嚢から光り輝く短剣を取り出し腰に挟む。
銃床につけた幅広の斧に、魔力結晶をはめ込むと、刃に赤黒い光が宿る。
そして、腰に吊るした箱を外して蓋を開けると、ずるりと銀色の髪束が這い出して、ンダバの身体に絡みつく。
エウエリアの髪だった。
触手のように髪をうねらせて、エウエリアの生首が箱の中から這い出てくる。
見惚れるほどに美しい顔が、妖艶に微笑む。
両の目を太い革紐で乱雑に縫い付けられてなお、傾国と言って憚るところのない、美の結晶がそこにあった。
「ダンジョンには大抵、デザインコンセプトというものがあるんじゃが。なんというか、これは妙じゃな」
その美貌に似合わぬぞんざいな仕草で、エウエリアはこきこきと首を鳴らすかのように頭を振る。
首から下が無い身に、何の意味がある行為なのか。首を鳴らす音すら出ていない。
おそらく単なる気分の問題なのだろう。
「崩壊した通路がコンセプトという事もあるだろう」
エルンストは明晰に答える。
見たものあるがままに考えれば確かにそうだ。
「どう見ても、なんかがぶっ壊したんじゃろな、コレは」
「壊れるものなのか?」
「壊れるものじゃ」
ダンジョンの壁や床等の構造物は破壊不可能と言う訳ではない。
通常の煉瓦や岩よりも頑丈ではあるが、強力な魔法や【スキル】による攻撃。あるいは地道に掘削する事で破壊自体は可能ではある。
可能である以上、それを行おうとする連中は存在する。
「昔のう。迷宮破壊組合っつう連中がおっての。ダンジョンを片っ端から瓦礫に変えるのが趣味という酔狂な連中での」
「ウソつけ」
「ホントじゃぞぉ」
「お前の言う事はホントか嘘か分からん」
「妾は真実しか話さぬ美少女じゃぞぉ」
いかにもウソをついています、と言わんばかりの口調のエウエリア。
ともあれ、ダンジョン内のショートカットのために壁を破壊する者は珍しくなく存在するし、それを大規模に行う輩も存在する。
そのための工作を専門とする者たちもまた、事実として存在はしている。
だが、その需要はさほど高くはない。
「んな事をした所で、しばらくすりゃ元に戻るだろ。作業道具も置きっぱなしにしたら『食われ』るだろうが」
「まあほれ。そこは浪漫というやつじゃよ」
ダンジョンには、復元力と呼ばれる力が存在するからだ。
構造物の破損や損失は、不明の方法により目を離した間に修復される。
人の手を離れた物品は、しばらくすると消滅する。
ダンジョンで死亡した者の死体や遺留物、あるいは冒険者が垂れ流す排泄物やゴミの類もまた、いつの間にか消失する。
その仕組みや理由を知る者はいない。
一説では、ダンジョンは一つの巨大な生命体だと言う。
侵入者の置いていく物品や、侵入者そのものを取り込み吸収する事で生存する生命だと言うのだ。
それを信じる者たちは、ダンジョンの中に物品が消える事を『食われる』と表現する。
ダンジョンは、餌である冒険者を誘うため、内部を整備し宝物や【スキル】を生み出しているのだと信じている。
もちろん、真実の所は誰にも分からない。
「ふむ」
右ヨシ、左ヨシと、周囲を指差し確認するエルンスト。
壁と柱の損壊状況から、天井が落ちてくる可能性に思い至り、背嚢の中からヘルメットを取り出し頭にかぶる。
頭部の保護が最重要事項なのは、どのマニュアルにも書いてある。
「修復の速度というのはどの程度なのだ?」
「ダンジョンによるがの。まあ、壁の1枚くらいなら半日もすれば元通りじゃな」
「ならばこれは、最近の破損によるものという事になる」
言いつつ、エルンストは壁の亀裂に指を差し入れる。
その表面は粉吹いていて、時間の経過を感じさせる。
さらに背嚢から取り出した温度計を差し込んでその温度を測る。
「外気温よりやや低い、と」
「何をしておる」
「壁の温度を測っている」
「それは見りゃ分かるわ」
ンダバとエウエリアの質問に、エルンストはふむと頷いて。
「物体の熱量とは、極微小の運動エネルギーと言う事が出来る」
「長くなるか?」
「詳細に説明すれば長くなるが」
「短く頼む」
「ふむ。つまり、物体同士が衝突すると、そのエネルギーの一部は熱になる。よって、温度を測る事で衝突からの時間を推測する事が出来る」
エルンストは壁の亀裂に拳をぶつける素振りを見せつつ説明する。
「だが、この壁の温度は通常のものと変わらない。壁全体の質量と破壊の状況からして、この熱が冷め切るには相当の時間を必要とするだろう」
「つまり、このダンジョンばぶっ壊されてから結構な時間が経っておるはずじゃ、と」
「そうなるな」
頷き答えるエルンスト。
「で、それが分かってどうなるんだ?」
「現時点で分かるのはここまでだ。情報が揃わない以上、これ以上の考察は先入観を生み出すだけになる。引き続きの情報収集が必要だな」
「わからん事が分かった。ってヤツか」
「そうだ」
呆れ半分諦め半分のンダバの顔。それに真面目くさって答えるエルンスト。
「まあよかろ。分かる事は分かった。準備も終えた。後は先に進むのみじゃ。よいな?」
「うむ」
「オーライだ」
よく通るエウエリアの声が空気を変える。
やや弛緩していた空気が、瞬時に冒険の緊張感に包まれる。
「では征くぞ【傾注】!」
ダンジョンに、エウエリアの【スキル】の声が響いた。