2.マニュアル式臨機応変対応の手段について(5)
「あーもー、やってくれたのぉ」
「何やってんだお前は」
「観測は完璧だ」
ぶっ倒れたまま言うエルンストに、ンダバとエルンストは呆れきった目を向ける。
不明の原因により削られた断崖は、いまはもう見る影も残ってはいない。
あるのは、水蒸気爆発によって作られた真新しい岩場ばかりである。
「なんとまあ。やってくれたモンよのぉ」
陽光に晒された崖下には、未だボコボコと泡を吹く水面。
もうもうと立ち込める水蒸気の向こう側に、<探知>の余波で吹き飛ばされた【魔物】のドロップ品がそこかしこに落ちていた。
「攻撃魔法で全部ぶっ飛ばせとは言ってねえんだが」
「攻撃魔法ではない。<探知>魔法だ」
ただし、出力と有効範囲が通常のものではないだけなのだから、エルンストとしては自分の正しさに疑いは無い。
「<探知>でこんな事になるのは初めて見たが」
「当職も観測したのは初めての事だ」
<探知>は通常、星に手が届く程の上空から地中を捜索するための魔法だ。
これほど近くの目標に対して<探知>を使用したのは、おそらく史上でも初めての事である。
「予想出来た事ではあるが、実に興味深い観測結果になった」
やはり実地の観測に勝るものはないなと、地面に寝たまま頷くエルンスト。
「……殴りたい」
ンダバは眉間に皺を寄せる。
殴らないのは、単に殴った所で意味が無いからでしかない。
こういうタイプは殴った所で、殴られた理由を理解しないのだから仕方ない。
「まあ、行き道の露払いをしてもらったと思えばよかろ」
「……お前は混ぜっ返す側だと思ったんだがな」
「妾もそう思っておったんじゃがのぉ」
眼下に広がる常識はずれの破壊跡を見ると、エウエリアすら冷静になってしまうと言う事だろう。
「まあ、上り下りは楽になったか」
「すまんが背負ってくれ。魔力が充填するまでしばらくの間は動けないのだ」
「仕方ねえなぁ」
「仕方ないのう。お前は」
「お前が言うな」
倒れ伏したままのエルンストを拾い上げ、ンダバは岩場を滑り降りる。
砕かれたばかりの角張った岩壁は、いまだ安定せずボロボロと崩れ落ちたり、巨大な岩塊が転がり落ちたり。
視界を覆う水蒸気はようやく収まりつつあって、霧雨のように落ちる水滴が岩肌を濡らしている。
足元には、岩石ばかりか【魔物】のドロップ品も歩みの邪魔になる程に転がっている。
安定しない足場を掴むかのように、ンダバは慎重に進んでいく。
「この数の【魔物】どもを相手にするのとこっち。どっちが良かったかの」
「終わった事は考えない事にしている」
ンダバはそう言うが、転がるドロップ品はかなりの量になる。
崖の影に隠れていた魔物の数は100以上に達するだろう。
それをすべて殲滅するのは、ンダバであっても手に余る。
何より、ラッパ銃の弾数が足りなくなる。
潤沢に弾数を用意出来るほど、冒険者にカネは無いのだ。
結果的には、エルンストの魔法でまとめて倒して良かったのかもしれない。
「ダンジョンの【魔物】というのは自由に出入りするものなのか?」
「そこは分からん」
「調べた者もいないな」
「うむ。マニュアルに書いていないわけだな」
それならば仕方ないと頷くエルンスト。
ンダバは顎を撫でて俯いて。
「お前はどうなんだ?」
エウエリアに訪ねた。
「妾かえ? ふーむ、考えた事も無かったがの……。そうさな、外はなんというかな。居心地が悪い」
「それだけか」
「それだけじゃ」
「具体的に」
「なんとなくじゃ」
「具体的に。どう、なんとなく?」
「なんとなくはなんとなくじゃ」
めんどうなヤツじゃなと、箱の中で呟くエウエリア。
傾国の吸血姫もエルンストの前では型なしである。
「まあ、なんじゃ。妾ですら居心地が悪いと感じるのじゃ。知能の低い下等な【魔物】は自発的には外には出んじゃろな」
「現に出ているだろ」
「そこが疑問点だ。【魔物】が外界に出る必然性が無い」
「その辺は色々じゃ。ダンジョンマスターの命令だったり、中が手狭になって仕方なくだったり、一定の割合で外に出たがる変わり者が生まれるという話もあるの」
「何のために?」
「知らん。妾は楽しそうだから出ただけじゃしな」
しみじみと言うエウエリア。
自身が、『一定の割合で出る変わり者』そのものである事は、完全に棚に上げている。
「まあ、楽しい人生じゃよ」
「人間じゃねえだろ、お前」
「【吸血鬼】生だと語呂が悪いんじゃよ」
「【魔物】がダンジョンから出てくる機序について、一度研究する必要性がありそうだな……」
ンダバに背負われたまま、エルンストは顎に手を当てうむむと唸る。
その程度には魔力は回復したらしい。
「もう元気じゃねえか」
「<探知>については事前に十分な準備をしてきたからな」
なお、戦略級と頭につく<探知>の魔法を単身で起動出来ただけでも尋常の話ではない。
ましてや、この短時間で回復するのだから、さすがエルンストは大魔法使いと言っていいだろう。
「じゃあ、もう自力で歩いてくれ」
そんな事は、ンダバにとっては知りえぬ事ではあったが。
「ダンジョンの入口についたぞ」
「おお、この流れ出る深淵の空気よ」
「本当に感じてるのか?」
「感じるワケなかろ。気分の問題じゃ」
ともあれ、3人の前には異界の扉が開いていた。
入口と言っても扉のような構造はない。
靄がかった黒い『穴』としか言いようのない何かがそこにある。
その裏側には何もなく、いずれもどこかに続いている様子も無い。
この『穴』こそが、ダンジョンという異世界に続くゲートなのである。
「興味深い構造だ」
「学者先生は色々仮説を立てているみたいだがな」
「ま、妾らには関係ない話じゃがの。さ、ゆくぞゆくぞ」
エウエリアに急かされるようにンダバはダンジョンの中へと入っていく。
迷いの無いその様子は、いかにも歴戦の冒険者と言った風情。
「うむ」
その間も、前後左右からゲートを眺めるエルンスト。
前後の見え方の違いから、その全幅や厚み。ゲート付近の空気の流れまで。
しばらく計測と観察を続けた後、ようやく満足いったのか、観察結果をメモに残して懐に大事にしまう。
「ヨシ!」
そして周囲を指差し確認した後に、ダンジョンのゲートに飛び込んだ。