2.マニュアル式臨機応変対応の手段について(4)
「ふむ、なかなかじゃの」
小箱の中からエウエリアが鼻を鳴らす。
なるほど眼下に広がる光景は、中々のものと言っていい。
浜辺は強力な衝撃により崩壊していた。
ある所はえぐれ、ある所は押し出されてせり出して、元の姿を留めていない。
そして、異変の発生地点であろう崩壊が顕著な地点は、地面を2つに割くような崖がまっすぐに、数キロメートルにわたって続いている。
一目で尋常ではないと分かる光景だった。
「地形が発生したのは、ごく最近だ」
まるで巨大な回転ノコギリが地面を削ったような崖を見下ろしエルンストは言う。
「岩の表面は、硬質の物体で削り取られているように見える。当職の知る限りではあるが。このような地形を発生させる自然現象は確認されていない」
「つまり、人為的なものって事か」
「未発見の自然現象の可能性もある」
「どっちじゃ?」
「現時点は保留としたい。ただ……」
ふんむ、と首を傾げるエルンスト。
「ただ、なんじゃ?」
「似たような被害を発生させる兵器を知っている」
「じゃ、それじゃろ」
あっけらかんと言うエウエリアに、しかしエルンストは首をひねり続ける。
「しかしそれは、”南”の兵器なのだ」
かつてあった大戦で、ムンドゥス大陸には世界を破壊しつくせる終末兵器が幾つも配備されていた。
それらの兵器は内海を飛び越えて、遠く南方ヴィラステイル大陸を直接攻撃出来るものだった。
そして当然の帰結として、同じくヴィラステイル大陸側にも同様の兵器群は存在する。
それらの内で、大地をまっすぐに削る破壊痕を残す兵器をエルンストは知っている。
もっとも、威力も規模も桁違いではあるが、より小規模、小型のものであれば、あるいは……とも思える。
「じゃあ違うの」
「違うな」
「当職も同意する」
しかし、常識的にその線はあり得ない。
大戦は有耶無耶の内に終結して、ヴィラステイル大陸軍はすでに撤退を終えている。
そして情勢はムンドゥス大陸と同じく、群雄割拠の分裂状態。
とても北の大陸に手を出す余裕などありはしない。
下手な手出しをする国や組織があったとしても、周辺から袋叩きにされる事だろう。
それくらいの事は子供でも知っていることだ。
それ故に。
「その可能性は極めて低いと判断出来る」
と、エルンストは結論付けた。
「ない。でええじゃろが」
「絶対という言葉は数式の上にしか存在しないものだ」
「そういうモンかの。まあよい。箱の中身は開けてみれば分かるというものよ。ささっとゆくぞ」
一転わくわくした声でエウエリアが言う。
【吸血鬼】だけあって、ダンジョンには思い入れもあるという事だろうか。
「待て。索敵が先だ。いるか?」
崖の奥へと目を向けるンダバ。
妙に薄暗い崖下には海水が流れ込んでいて、なんとも不気味な水音を立てている。
その暗闇に向けて、エウエリアはチチチチチ、と甲高い舌打ちの音を響かせる。
「……ん、おるわおるわ。岩壁にはびっしり【ジャージーデビル】。水面は浅いが【ギルマン】がウロウロしておって。お、【フラットジョーズ】もおるの」
眼球を失っているエウエリアには視力はない。
変わりに自分の発した音の反響で周囲を視ている。
通常ならば自らの声で。
詳細に視るには舌打ちの音を使用する。
その精度は、コウモリの比では無く、レーダーじみた探索力を発揮する。
「他はともかく、【フラットジョーズ】が数いると厄介だな。数は分かるか?」
「あやつらは平たいから分かり辛いんじゃがの。まあ、2、3の数ではないの」
【フラットジョーズ】は、言ってしまえば水平線の厚さの鮫だ。
水がある場所ならば、どれほどの浅瀬でも泳いで入り、手当たり次第に生き物を襲う水辺の【魔物】だ。
体長は4~5メートルほどもあり、鋭い牙は革鎧程度は容易く噛み砕く。
1体でも危険性の高い【魔物】である上に、尋常の鮫と同じく血の匂いを感知して集まってくる危険な【魔物】である。
「水面に脚を入れないように対処する必要があるな」
暗記したマニュアルの一節を思い出しつつエルンストが言う。
平面体である【フラットジョーズ】は水面から顔を出す事は得意ではない。
そのため、戦う時には水の上の足場から攻撃するのがセオリーとなる。
「そう上手くやれりゃいいがな。中の地形、分かるか?」
「もうちょい近くに行くか、この箱から顔出せればいくらか良く視えるんじゃがの」
「日中で顔を出したら死ぬだろお前」
「じゃから、影の中に入ってのお楽しみ。という事じゃな」
【吸血鬼】は日光に弱い。
エウエリアほどの存在となれば、日中で活動する事も可能であろうが、今は生首一つの体たらくである。
彼女を捕らえる箱はまた、彼女を日光から護ってもいるのだった。
「仕方ない。銃にモノを言わせにゃならんのなら、そうするまでだ」
ンダバはそう言って、背嚢から獲物を取り出し弾を込める。
冒険者の間でも骨董品扱いされそうな、先込め式のラッパ銃だった。
銃床下部には斧刃を取り付けてある。
近接時には逆に持って大鉞として使う。
先込め式の散弾銃故、雑に扱っても問題はない。そういう意味では冒険者向けの銃ではあった。
「というか、お主の方には何か無いのかの? 魔法使いじゃろ? <探知>の魔法かなんか」
そういえば、といった風情でエウエリアは尋ねる。
あまり期待している様子も無い。
冒険者における魔法使いというのものは、限りなく詐欺師に近いという認識が一般的だ。
「うむ」
エルンストは憤慨した様子も無く答える。
彼は間違いなく魔法使いであるのだから、憤慨する必要などどこにも無い。
それも戦略級と頭につく魔法使いだ。
当然の如く<探知>の魔法は用途の必要性から習得を終えている。
極めていると言っても良い。
「ある」
実のところ、今回の任務で<探知>が必要になるであろう事は想定済みであったし、そのための準備を怠るエルンストではない。
魔法の素材と魔導具の準備は万端整った状態で、綺麗にまとめられて背嚢の中で出番を待っている。
「やってみよう」
「頼むぞ」
「期待しておるからの」
さほど期待する様子も無いンダバとエウエリア。
組んで仕事をする以上、実力の程も試しておきたい。そういう思いもそこにはある。
エルンストの方もそれは了解済みだ。
「術式の準備をする。巻き込まれると危険だ。下がってくれ」
「……こんなもんか?」
少し訝しみながら、ンダバは半歩後ろに下がる。
魔法使いは幾人と見てきたが、<探知>の魔法に巻き込まれる事を危惧する者はいなかった。
「いや、もっとだ。十分な距離をとって欲しい」
「……こんなところか?」
さらに数歩、ンダバは後ずさる。
以前、仲間の魔法使いが<火球>の魔法を使った時も、ここまで距離をとれとは言われなかった。
「足りないな。当職の姿が見えなくなる程度には距離を取ってくれ」
「そこまで必要なのか?」
「そんな話、聞いたことが無いがの」
「必要だから言っている」
訝しむンダバとエウエリア。
エルンストはテキパキと魔法の準備をしながら答える。
何を当然の事を、と言わんばかりのその態度は、むしろンダバやエウエリアが間違っているような気にさせられる。
「安全基準は守られなければならんのだ」
「……まあ、アンタの気が済むならそうしよう」
言葉に従って、ンダバはエルンストに背を向け歩き出す。
その姿が十分に離れた事を見計らい、エルンストは準備した術式を開放する。
「魔素粒子充填よろし。指向性調整良し。反応盤展開良し……」
呪文を唱え魔力を集める。
エルンストの周囲にぼんやりと、青い光の靄が立つ。
「目標設定よろし。観測準備よし。計測データ逆算準備よし……」
エルンストは正真正銘の魔法使いである。
戦略級、と頭につく大魔法使いである。
その扱う魔法はすべてにおいて『戦略級』で。
つまり、彼の<探知>魔法はと言うと、数万キロメートル上空から地下の様子を探るとか、そういう用途で使われる。
具体的には、大出力かつ貫通力の高い魔素粒子を放出し、その減衰、反射状況を観測する事で、地形や隠された施設を探るというものになる。
そしてその魔素粒子の技術はと言うと、<探知>の魔法とは別の用途でも使われている。
水分が魔素粒子を吸収しやすい性質を利用して、冷凍物の解凍や、冷えた食事を温める魔素レンジである。
つまりはまあ。
エルンストの<探知>魔法はそういうものだった。
「最終確認よろし。……<探 知>」
そして魔法は発動する。
瞬間、鋭く硬い青い光が世界を包む。
凄まじい爆音と共に崖が崩れる。白い湯気が吹き上がり、そこかしこから地面を揺るがし爆発する
崖の下に流れる海水が、瞬時に泡立ち蒸発し、水蒸気爆発を起こして地形を破壊していた。
崖の影を這い回る【魔物】達は、ある物は魔素粒子を直接受けて爆発し、ある物は爆発をまともに食らって消滅する。
地面を抉ったような崖は見る間に崩壊し。
その余波で起こった地震は、ニースの街まで届いたと記録されている。
「どうした! 何があった!?」
泡を食って駆け寄るンダバ。
吹き荒れる爆発と蒸気と破壊がそこにはあって。
一人、何事も無いように立ちつくすエルンストが、首だけを向けて見せ。
「地形解析……完了」
それだけ言って、魔力を使い果たしてぶっ倒れた。