2.マニュアル式臨機応変対応の手段について(2)
冒険者の朝は遅い。
特別な予定でも無い限り、大抵の冒険者が目を覚ますのは昼過ぎだ。
故に、エルンストにはテーブルを好き放題に占有する事が許されていた。
「ふぅむ。つまりここ……であると」
テーブルを4個並べた作業台には、特大の地図にメモと参考書類の覚書。
それらの上に用紙を重ねて、エルンストは筆を走らせる。
レポートを書くとなれば、彼の得意分野に相違ない。
ましてや地形とそれに影響される自然現象については、エルンストにとっては専門分野そのものである。
「ほほぉ。面白げな事をしておるのぉ」
ねっとりとした、声がした。
女の声だった。
古風ながら高貴さを感じさせる言葉遣い。
声色は甘いと言っていい。しかしどこか剣呑な、肉食の獣が牙を剥いている姿を幻視するような。
そんな雰囲気の混じる声だった。
「……ふむ?」
エルンストは顔を上げて目を向ける。
すぐ目の前に声の主らしき者はいた。
身長は2メートルを有に超えるだろう。
その長身をもってしても太く感じる程に幅広く、分厚い筋肉の塊。
生来暗緑色の肌は赤黒く、赤茶けた体毛がまばらに棘のように生えている。
はるか上にある厳つい顔には、鼻梁が無く、露出した鼻の穴から熱い息が漏れている。
いかにもといった、オークの男だった。
「……ふむ。ヒトというものには耳が2つある。これは、左右の耳に聞こえる音の僅かな差を感知する事で、周囲360度の音の発生位置を特定するための仕組みだ。それを式にするとこうなる」
「ほう」
見上げ、解説を始めるエルンスト。
応えるオークの声は、しわがれて、低い。
「当職もヒトである以上、同様の事が出来る。目視確認せずとも、声の位置は算定可能だ」
「だろうな」
「さて。そこで声というものの特性に移ろう。生物の声というものは、実際に音を聞くまでも無く、体格や体型、声帯の形状により推測が可能だ。この点は専門ではないが、このような式で説明可能だ」
「勉強になるな」
用紙の端に何やら図面と式を書き始めるエルンスト。
それを無表情で見下ろすオーク。
なんとも妙な事になってしまった。
「そこで疑問が発生する。先程、当職が覚知した声については、位置情報から貴君のいる位置から発声されたものと推測される」
「間違いないな」
「だが、計算上に推測される貴君の声も、現在私が耳にしている貴君の声も、その覚知した声とは異なるものだ。これは矛盾となる」
「……オレかもしれんぞ」」
「だとすると、間違いなく貴君の喉の硬度は鉄と同程度という事になる。計算上はそうだ」
エルンストの言葉に、オークは自分の喉に指を這わせる。
「鉄よか軟いな」
「ならば貴君ではないという事だ」
証明終了。とばかりに胸を張るエルンスト。
「で?」
しかし、それで何が解決したという訳でもない。
「矛盾がある。という事が確定した」
「それは……いい事なのか?」
「うむ。それでは数式で説明しよう。少し長くなるからそちらに座りたまえ」
空いた椅子を指差すエルンスト。
よく分からない顔をしながら、オークは音を立てずに椅子を引き、それから腰にくくりつけていた小箱をテーブルの上に置く。
「長くなるか」
「うむ」
エルンストの視線はもう、書き綴る数式にしか向いていない。
その様子をオークは呆れ顔で見下ろして。
「いやはや。奇矯な輩と思うておったが、まこと面白い男よの」
女の声がまた響く。
数式を並べるエルンストの手が止まる。
一度止まって、それから再び猛烈に、別の数式を書き始める。
「なるほど。箱から声がしていたという事だな。論理的にも矛盾点はない」
「ご明察」
小箱が艶っぽい声で答えた。
「通信機か?」
「さてな」
「当ててみせよ」
女の声はいかにも嬉しげで、顔を見ずとも表情が知れるようだった。
「では開けてみよう」
「ああ、やめんか。そういう風情の無い事はするでないわ」
「簡単な解決手段があるならば、まずはそこから行うのは当然では?」
「では、開けるのはダメじゃ。それがこの謎解きのルール。という事でどうか?」
ふうむ、とエルンストは小さく唸る。
小箱は大きめの鳥かご程の大きさ。底面が正方形の直方体で、上面には鉄輪がついている。おそらくロープにでも引っ掛けるためのものだろう。
角は鉄枠で補強された頑丈な作りをしていて、正面は左右に開く戸がついている。
ちょうど、そう。
大型の鳥でも無ければ、生首でも入っていそうな大きさだった。
「通信機ではないな」
「何故かの?」
「アンテナが無い。鉄輪も代用とするには短すぎる」
「電波ではなく、魔法的な何かかもしれぬぞ?」
「同じ事だ。アンテナは必須だ」
魔法通信においてアンテナや受信機は必ずしも必要ではない。
だが、高所に魔力波受信用の『アンテナ』がある事は効率を上げる効果がある。
効率が上がるのであれば、必然としてそれを付ける。
それがエルンストの認識であるし、多くの技術者もまた同じである。
「妾としては違和感があるがのぉ。アンテナは」
「そりゃ、お前の時代はな」
「ヒント禁止じゃぞ!」
「へいへい」
小箱の叱責に、オークは肩をすくめる。
両者の口調はいかにも気易い。
付き合いは、かなり長くなるのだろう。
「中に、喋るものが入っていると仮定する。箱に入るサイズの小型種族であるならば、声質はもっと甲高い。また、密閉空間での呼吸の問題もある。つまり……」
「つまり?」
女の声は、身を乗り出さんばかりの雰囲気で合いの手を入れる。
興味津々。
或いは、知ってしまった瞬間に、喰い付いてしまおうと。そう狙う獣のように。
「不死系の【魔物】の生首だ」
「ご明察」
キィ……。と妙に不穏な音を立て、小箱の戸が僅かに開く。
執拗な程に光を拒む小箱の中。微かに覗いた闇の向こうから、冷気にも似た気配が漏れてくる。
「妾こそ。【万夜の女主人】、【赤月の薔薇】、【針縫いの大公姫】……名乗る名などは数多く、人族如きに発音も難しき名もあろう。エウエリアと。吸血姫エウエリアと呼ぶ事を許してやろうぞ」
「まあ、その生首だけだがな」
「お前は黙っておれと言うておろうが」
「へいへい」
シャッと猫じみた威嚇音を発するエウエリア。
オークは気にする様子も無く、ぱたんと小箱の戸を閉める。
それだけで、周囲に漂っていた冷気は嘘のように消えていた。
「【吸血鬼】の首か。経緯を聞いて良いかな?」
「話せば長くなる」
「当職の説明も長くなるが」
珍しく冗談のような事を言うエルンスト。
当人としては真面目に言っているのかもしれないが。
「まあ、おいおいな。……オレはンダバと言う」
「エルンストだ。よろしく願う」
「軍人かえ?」
「現在は退職をして冒険者を職業としている。初クエストは昨日終えた」
「で、それか」
テーブルに広がる地図にンダバは目を下ろす。
「ここの海岸線か」
「4年前の測量結果だ」
「最近のものじゃな」
「本来なら毎年更新されるべきものだが」
エルンストは不服そうに口を尖らせる。
「だが、侵食の影響が大きく出る程の期間ではない。その上で、昨日当職が認知した地形との相違点がある」
「認知?」
「なんじゃ? 空でも飛んで見たというのか?」
「うむ」
間違いないと保障するエルンスト。
実際に、空を飛んで見たのだから、間違えようもない。
「そして昨日、当職はダンジョン外に【魔物】の出現を確認している。ここから導き出される事は一つだ」
「地形が違っている所に、未発見の甲種ダンジョンがある。か」
「これはまた、早起きには得があるというものじゃ。その話、妾達も一つ噛ませてもらおうかの」
甘い毒のようなエウエリアのささやき声。
エルンストも否は無かった。
元より単独で達成出来る内容でも無い。仲間を募る手間が省けたと言っていい。
実に効率的でよろしいと、エルンストは内心思う。
「願っても無い事だ。よろしく頼みたい」
「報酬は折半だ」
「三分の一ずつじゃろ」
「お前はオレの備品だろうが」
「欲のない男じゃのう、貴様は」
箱の中で吸血姫が笑う。
声色の甘さとは裏腹な、呆れたような声だった。