004話 空の旅~討伐~
「っ!」
直様姿の見えなくなった灰刄の未来に、軽い悲鳴を上げるCA。普通に考えるならば瞬く間に後方へ吹き飛ばされた…否、置き去りにされたと考えるだろう。
「あ、先輩。そういえば合流地点って何処ですか?」
「「は?」」
しかしそんな考えを余所に、灰刄はひょっこりと入り口の影から顔を出し、呑気な声で止水にそう問いかけた。
「ああ…B2地区376地点でいいだろ。今飛んでる地点からそう遠くないし。」
「え?あー…了解、じゃ行ってきます。」
するとまた灰刄の姿は視界から消える。機長が恐る恐るといった感じで止水に視線を向けると、その視線に気付いた止水は苦笑いで機長の言いたいことに先手を打ち答える。
「色々物理法則を無視しているのは今見られた通りですが、やつの魔断刀剣の能力はそれを可能にするものです。機密が絡むので詳細には語れません、そういうモノとして理解いただきたいですね。」
「…分かりました。」
機密が絡むと言われれば機長もそれ以上突っ込めない。刀剣師と同様に様々な職業には守秘義務というものがあるのは理解している。機長も航空パイロットという立場柄、当然といえば当然だが色々な守秘義務がつき纏うからだ。
何より今はこの飛行機を守るために動いてくれている刀剣師の秘密を探るなど、別に他国の諜報員やスパイでもない機長にはする意味はなかった…理性と興味は別問題だが。
「では私は操縦室に戻ります。今はオートとはいえ副機長一人に任せるのは酷ですから。我々に出来る事はありますか?」
「そうですね…では例えどんな事があろうとも安全運転でお願いします。露払いは新野塚がやりますので。」
「それは勿論ですが…分かりました。」
そう言うと機長はコックピットへと踵を返し、CAも当初言われた通り、ハッチを閉めて次の指示を仰ぐためコックピットへと向かう。
「…さて、俺も残り少ない空の旅を楽しむかね。」
その発言は、灰刄の腕を信用しているが故の言葉。空の戦闘…に関わらず系譜でもない魔物相手に、今更七刃の刀剣師が手こずるとは微塵も思っていないからこその余裕だった。
◆
そんな灰刄はというと、燕型の魔物と並走…否、同じ相対位置を保ちながら滑空していた。その光景は止水が言ったように色々と物理法則を無視している。
「キュィィィィィィ!!」
そんな珍客とも言える灰刄の登場に、燕型の魔物(以下、燕)は体当たりを繰り出そうとするが、近付いては離れ、離れれば近付いてくる灰刄に若干の苛立ち…の様なものを見せていた。
灰刄は別に飛行体制などは特段とっていない。ただ刀剣を携えそこに佇んでいる姿勢なのだが、燕と同じ速度・同じ距離間でひたすら燕に付いてくる。
「…『綿帽子』 おーおー、鳥頭なりに苛ついてるねぇ。」
『綿帽子』とは【仙幻境】の具現化能力の一つ。そもそも仙幻境とは日本に伝わる仙人をモチーフにした御伽噺に出てくる秘境の一つである。即ち、『綿帽子』とは仙人の使う仙術の一つであり、その効果は"付かず離れずの綿帽子"…現代風に言うならば、対象との相対位置を固定することで、無理やり同じ土俵に立つ術である。
「キュィィッ。」
「おっと、まずは僕を仕留めることにしたか。それ自体は正しい判断だけど悪手だね…『軽気功』…『天脚』」
燕は漸く飛び回るのをやめ、その場に留まり灰刄を射殺すが如く注視した。その間にも飛行機は見る見るうちにその場を離れ、飛行機の姿が豆粒程になった所で燕が仕掛けた。
翼を左右大きく後ろに引き絞り、羽ばたきの要領で高速で空気を前方に押し切った。そこから発生したのは鎌鼬。これは系譜所以の攻撃ではなく、自然現象で発生しうる現象だ。
「鳥頭の割に中々…だけど甘い。」
灰刄はまるで空中に足場があるかのように、半透明の鎌鼬を軽くステップを踏みながら避けきった。それは『軽気功』で身体を軽くし、『天脚』で空気を踏みしめる術を有しているからこその芸当だ。
そう【仙幻境】が司るのは御伽噺の『仙術』。マイナーと言えばそれまでだが、神や天使などの強力な虚像ではなく、元人間という枠組みであるものの、その能力は応用範囲が広い。強力な一撃がない代わりに、多様な手数、そして汎用性を有するのが灰刄の【仙幻境】なのである。
「ただでさえ憂鬱な追加任務に時間外労働、加えて現地まで自主移動…お前で憂さ晴らしさせてもらおうか。」
刀剣を斜め構えした灰刄の瞳は、先程止水と話していたときとは違い剣呑で、そして冷え切っていた。
◆
「ふぁ…ようやく着いたか。」
空港のロビー。そこは普段と同様多くの旅行客が行き交っており、喧騒とまではいかずとも中々に騒がしい。普段どおりといえば普段どおりだが、止水としては苦手と言わざる得ない。
灰刄のスカイダイビングを見送ったあとは、何食わぬ顔で寛いでいた止水。機内の騒ぎは機長による説明アナウンスやCA達の尽力により何とか沈静化した。
「さてと…お。」
止水はロビーに居るであろう待ち人を探す。
待ち人、と言ってもそれは灰刄ではない。
「お待ちしておりました、緋金一等官殿。今回の担当の阿木と申します。」
そう止水に話しかけてきたのは、茶色がかった髪を束ね肩に流した妙齢の女性。パンツスーツ姿も相まって、出来るキャリアウーマンといった感じである。
名を阿木と名乗ったこの女性は、今回の調査において止水達をサポートする『葦』という組織の人間…正確には、刀剣師を後方支援する陰陽師の流れを組む係累の人間である。
「ああ、よろしく頼む。もうひとりはちょっと遊覧飛行中でな、あとから合流するよ。」
「はい、新野塚一等官殿ですね?着地地点に迎えを向かわせております。」
「へぇ…阿木さんは予知?」
「いいえ、千里眼です。」
『葦』の人間は陰陽師の流れを組む係累の者たち。陰陽師と一口に言っても、それは表の人間から見た括りだ。代表的な五行思想に基づいて元素を生み出す様な者たちが陰陽師、悪霊や祟りなどを霊力によって対策・対応するのが退魔師、霊や神の係累と交信を行うことが可能なのが降霊師など様々なカテゴリーが実際には存在する。
しかし普通の人間から見ればどれも超常的な現象に変わりはなく、また判別も、それどころか素養がなければ知覚すら困難なため、広義の意味では総じて陰陽師、取り分け一括に能力者と称される事の方が多い。
「なるほどね、因みに何だけど場所は?」
「E2地区376地点ですね。」
「あいつガッツリ聞き間違えてんじゃねぇか。」
どうやら飛行機内外の風切り音などで場所を聞き間違えていた灰刄。恐らく母音が強調されて聞こえたのか、BがEに変わっていた。
実際に迎えに行くという面倒が掛かるのは葦の人間だが、灰刄が居なければ今後の活動方針さえ組めない。当然といえば当然だが止水も同様に足止めを食らう形になってしまう。調査任務という面倒事はとっとと片付けて休みたい止水にとっては到着早々に萎える事態だ。
「既にその地点には人を待機させていますので、支部には1時間程で合流出来るかと。表に車を待機させてますのでこちらにどうぞ。」
「ああ、ありがとう阿木さん。移動中に調査対象の範囲と系譜の予想を立てたいから資料を見せてくれる?」
「畏まりました。」
止水と阿木はそう言葉を交わしながらエントランスを抜け車に乗り込んだ。運転席には別の葦のドライバー、助手席には阿木が乗り込み、止水は後部座席。車が支部へ走り出したところで阿木より資料が渡された。
「現在、出現兆候があるのは事前資料の通り306地点。そこは魔物の出現が比較的多いので元々は要監視地点なのですが、ここ最近観測機器に系譜と思わしき波長を度々確認、しかし現着した刀剣師からは発見の報告がありません。それが一ヶ月以上続く事態な為、昨今の系譜関連の異常事態に鑑み、七刃へと緊急要請を送らせていただきました。まさか2人も応援が送られていることは支部の管理官も予想していなかったようですが。」
「まぁ…そこはうちの管理官の采配だな。理由はどうあれ用心に越したことはないと判断したんだろう。」
七刃の管理官…すなわち大鳥居がそう判断した。即ちきな臭いということ。止水と大鳥居は昨今の系譜の動向情報と周りの情報を共有している。その大鳥居が判断したということと、今回この任務に灰刄だけではなく止水も派遣したということは確実に何かあると踏んでいるのだ。
「あわよくば全て杞憂…となればいいのですが、それは無理でしょうし。そうなれば…っと、もうすぐ支部ですね。話の続きはそちらで。」
「ああ」
車は森林舗装道路を抜け、重厚な外壁に覆われた建物へと到着した。北海道の支部は全部で5つ、そのうちの函館支部である。