6話
「ああ、ディアナ様!ご無事でしたか?!」
先程の花屋の前にくると、慌てた様子の行商人がディアナに駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、おばさま。荷物を預けたままにしてしまって」
「とんでもない!そんなことより、お怪我などされていませんか?」
「ええ、平気です。・・・こちらの方が、助けて下さいましたから」
(不本意だけれど、そう言うしかないわよね)
「あら、まぁ。それはよかった」
行商人はアルヴァの方を見上げながら、にこりと微笑む。
「これはアランガルドのバラか?」
アルヴァは並べられていたバラに手を伸ばす。
「よくご存じで。今年、新たにできた品種ということでした」
行商人はにこにことアルヴァの応対をする。
(自分の国で栽培されたものだもの。ご存知に決まっているわよね)
ディアナは横目でその様子を見ながら、行商人に再度礼を告げて預けていた荷物を持ち上げる。
「お手伝い致しましょうか?」
「いえ、大丈夫です・・・ええと・・・」
「申し遅れました。エリック=カークランドと申します」
苦労が多そうな従者は、さわやかで人懐こい笑みを浮かべる。
「随分と重そうですが・・・本当にお手伝いなさらなくともよろしいですか?」
「え、ええ。見た目ほど重くはありませんから!」
ずっしりとした紙袋をディアナは隠すように胸に抱え直す。
「何が入っているんだ?」
「ひゃぁっ!!」
突然視界に飛び込んだ顔に、ディアナは思わず声を上げる。
「アルヴァ様。淑女の持ち物を確かめるなど失礼ですよ」
エリックが窘めるが、アルヴァはまったく気にした様子もなく、紙袋を凝視している。
そして、意地悪く口元を歪めた。
「俺が持とう」
「はっ?!」
「重いのだろう?そのような物、淑女に持たせるわけにはいかないしな」
「いえいえいえ!!大した重さではありませんから!!」
ディアナは大きく首を振ってそれに答える。
「遠慮するな。男として見過ごせないだけだ」
「ほっ・・・本当に大丈夫ですから!!」
(絶対優しさじゃないわこれ!!)
言動は紳士を装っているが、表情からは面白がっている様子が充分に見て取れた。
伸ばされてきた大きな手を躱すように、ディアナは一歩下がる。
その瞬間。
荷物を入れていた紙袋が音を立てて破れた。
転がるように落ちた物体は、ドンという音を立てて地面に落ちる。
(――――見られた・・・!!)
ディアナは慌てて手を伸ばすが、もう遅い。
転げ落ちた鉄の塊は、大きな手によってひょいと持ち上げられた。
「・・・重いな」
アルヴァはそれを片手で持ち上げながら、訝し気な顔で眺める。
(どうしよう!!なんて誤魔化せば・・・!!)
「撲殺にでも使うのか?」
「そんなわけないでしょう!!」
「ならば何に使うんだ?」
鉄の棒の両端に丸い鈴状の重しがつけられたそれは、腕の筋力を鍛えるための器具だった。ディアナは古代に使われていたというその器具に興味を持ち、古い文献を紐解き、モートン商会の力を借りて再現したのだ。
返答を待つように、アルヴァは首を傾げながらディアナを見る。
誤魔化そうにも、誤魔化しようがない。
見ようによっては本当に凶器だ。
重さにして5キロ。それが2つ。淑女がほいほい持ち上げるようなものではない。
「・・・鍛錬のための、器具です」
「鍛錬?」
「そうです!!腕や背中、胸元の筋肉を鍛えるために使う器具です!!」
ディアナはそう言いながら、顔が熱をもつのがわかった。
なぜか、とてつもなく恥ずかしい。
他言しないように家族に言いつけられていた趣味ではあったが、露呈することがこんなにも恥ずかしいとはディアナ自身思ってもみなかった。
「いつもそんなことをしてるのか?」
「わっ悪いですか?!」
礼儀も何もあったものではない。
が、ディアナとしてはそれどころではないのだ。
恥ずかしさのあまり、目に涙まで浮かんでくる。
「・・・くっ」
アルヴァは腕で顔を隠すようにして肩を震わせる。
隠してはいるが、笑っているのは明らかだ。
「わっ・・・笑わないでください!!」
ディアナは泣きたい気分になりながら、抗議の声を上げる。
「いや、すまない」
大きな手が、ディアナの頭をくしゃりと撫でる。
「変わったやつだな」
「・・・!!」
(は・・・反則だわその顔・・・!!)
ディアナから見て、いや、ごくごく一般的にみても嫌味なほどに整った顔なのだ。不愛想な顔でも様になっているというのに、柔らかく微笑まれるとさすがに心臓に悪い。
(し・・・しかも今、手が触れた・・・?!)
何よりディアナは男性に免疫がない。こんな風にディアナに触れるのは父か兄くらいのものだった。
他国の皇太子で。
驚くほどの美形で。
意地も口も悪くて、性格も絶対によくなさそうな上に、妙に威圧してくるし。
それなのに。
本能的なものなのだろうか。
なぜだか何もかもが敵わないと、そう思わされる。
淑女らしくしなければ、と思いながらもついつい恨みがましい眼を向けてしまう。
アルヴァはそんなことは意に介さずといった様子で、ディアナが抱えていたもうひとつの鉄の塊を取り上げる。
「他に用事は?」
「・・・特にありませんが」
「ならば、送り届けよう」
「必要ありません」
「こんな重いものを抱えて歩く気か?」
「問題ありません」
ディアナの頑なな様子に、アルヴァは笑いを零す。
「ならばせめて馬車に乗れ。近くに来ているそうだ」
エリックが手配していたのだろう。少し開けた場所に停まる馬車が見える。
「とっ・・・とんでもありません!!」
ディアナはまた首を大きく振って応える。
(皇族の馬車に乗るなんて・・・!!)
「お前、俺の身の上を分かった上で断りを入れるのか?」
「うっ・・・」
恐れ多いと言えど、他国の皇太子の恩情だ。それを断ることも、非礼にあたる。
「行先は御者に言え。それならいいだろう」
アルヴァはそう告げて、鉄の塊を抱えたままスタスタと馬車に向かって歩く。
ディアナも渋々ながらそれに従い、後ろについていく。
ディアナが馬車に乗り込もうとしたとき。
「ディアナ=ウォレス嬢」
そう呼び止められて、ディアナは振り向く。
「お前、俺の国に来る気はないか?」
「・・・アランガルドに?」
「ああ。お前、皇太子妃に選ばれなかったんだろう?」
「うっ・・・」
すっと1本バラが差し出される。先程の露店で売られていたものだった。
「いつの間に買われたんですか?」
「気にするところを間違ってるぞ」
深い青色のバラをディアナは受け取る。
そうして、それよりももっと深い青色を纏う人物を見詰める。
「・・・ありがとう、ございます」
「ああ」
アルヴァは目を細めて微笑む。
「俺は数日この国に滞在する。お前の家に使いを出そう。返事を考えておけ」
アルヴァはそう言い置いて、くるりと踵を返した。
ディアナは受け取った青いバラを抱えたまま、呆然としながらその後ろ姿を見送った。