5話
「ここまで来れば大丈夫かしら」
「何から逃げてるんだ、お前」
ディアナは自分の後ろに立つ男をじろりと見詰める。
人影のない路地裏まで、半ば振り切るつもりで走ってきたせいで、ディアナが息がきれていた。そんな自分と違い、男は息ひとつ乱していない。
「貴方こそ、なぜ付いてくるのですか?」
「面白そうだったからだな」
(本当に何なのこの人・・・!!)
大きく息を吐いたディアナを、男はやはり楽しそうな目で見ている。楽しそうとはいえ、平均的に見れば不愛想な表情だ。
(さっきといい、昨夜といい・・・気配というより、あれは・・・)
「ねぇ、貴方は・・・」
ディアナが先程の問いかけを再度しようと思ったときだった。
「―――殿下!!」
聞こえた声に、男は盛大に舌打ちをした。不愛想な顔が心底嫌そうに歪んでいる。
駆け寄ってきたのは昨夜の従者らしき男性だった。
「いつもいつも・・・どうして貴方はそう勝手ばかりするんですか!!」
「別についてこいと言った覚えはない」
「貴方を他国で一人にできるわけがないでしょうが!!」
(・・・殿下・・・?)
ディアナは呆気にとられた表情で、目の前の男の顔を再度見る。
「言ったらつまらないだろう?」
男は整った目を細め、口元を引き上げる。
(本当に何なのこの人―――――!!)
口には出さず、心の中でディアナは叫んだ。
*
「ディアナ=ウォレスと申します。度重なる無礼、心よりお詫び申し上げます」
ディアナは自分にできる最大級の淑女の礼を目の前の男に向ける。
「こちらこそ失礼した。このような令嬢がいるとは思わなかったものでな」
揶揄めいた口調で男が言う。
「何分、淑女としてまだまだ未熟なもので。お恥ずかしい限りです」
ディアナは内心の怒りを押し殺しながら、謝罪の礼を取る。
「いや。良いものを見せてもらった。淑女の回し蹴りなどそう見られるものではないからな」
「いやですわ。どうぞお忘れくださいませ」
(今ここで披露してやろうかしら)
引きつりそうになる口元を無理やりに吊り上げ、ディアナは顔を上げて男の顔を見返す。
「アルヴァ=フェアフィールドだ」
「?!」
男が告げたその名にディアナは息を呑む。
アルヴァ=フェアフィールド。
隣の大国、アランガルドの皇太子の名だ。
(この人が?!)
アランガルドは“前回”の革命で、貴族側に手を貸し、この国を亡ぼす一因となった国だ。その国の第一皇位継承者。“前回”の戦争の指揮をとった人物だ。
“前回”も今回も、その知力、軍略、政治手腕、剣の腕前は、ファランドールにも噂として届いていた。
「それで、侯爵家の令嬢が供もつけずにこのような場所で何をしているんだ?」
アルヴァの言葉にディアナはハッとする。
(そうだったわ!!いけない!!)
「申し訳ありません。先を急ぎますので、これで」
ディアナは慌てながらアルヴァに再度礼を取る。
「答えになっていないが」
(しつこい!!)
「申し訳ございません。所用のため、市街に赴く必要がございまして。先を急ぎますのでこれで失礼させて頂きます」
ディアナは礼をとったままの形で、改めてそう告げる。
「ならば、俺も行こう」
「「は??」」
思いがけない提案に、ディアナと従者らしき人物の声が重なった。
「侯爵家令嬢を一人で歩かせるわけにはいかないだろう」
「・・・お言葉ですが。我が国の治安はそれほど悪くございませんので」
「先程の男のような例もあるだろう」
「問題ありません」
「まぁ、お前ならそうだろうな」
愉快そうに眼を細めるアルヴァに向けて、従者が大きくため息をつく。
「・・・殿下。貴方様も同様です。他国を一人で闊歩するなど・・・」
「お前も来たらいいだろう」
従者はがっくりと肩を落とし、片手で顔を覆う。
そんな従者には目もくれず、アルヴァはディアナに向き合う。
「並んで歩くわけにはいかないからな。俺はお前の後ろに控えていよう」
「はぁ」
(何を言ってもムダ、って感じね)
どうせ、目的地はすぐそこだ。荷物さえ引き取れば、あとは振り切ってしまえばいい。半ば諦めた心地で、ディアナは歩き出した。