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月のない夜空に捧げる花  作者: Revy
1章
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2話

「なんだったのかしら、あの人」



ディアナは昨夜のことを思い出し、独り言ちる。

自室のソファに腰掛け、手元の本のページを捲ってはいるものの、内容はまったく頭にはいってこなかった。

浮かんでくるのは、昨日の人物のことばかり。


あのあと、彼は従者らしき人に、半ば引きずられるように夜会の場に戻されていった。


「あの気配は、只者じゃないわよね・・・」


騎士であったころほどではないにしても、ディアナもそれなりに腕は立つ方だ。それなのに易々と間合いに入られ、完全に怯んでしまった。

“前回”の短い騎士人生を振り返ってみても、そんなことなどなかったというのに。



夕闇のような濃紺の髪と、長い睫毛に縁取られた漆黒の瞳。


「―――――っ!!」


その瞳が自分に向けられた瞬間を思い出すと、なぜが心臓が大きく跳ねてしまう。焼け付くような気配を思い出すと、背筋がしびれるような感覚に襲われる。

熱を持ってしまった頬を両手で抑えながら、ディアナは深くため息をついた。今朝から何度こんなことを繰り返しただろう。


(隙を見せた挙句に、あんなに怯んでしまうなんて・・・情けない上に、恥ずかしいわ)


自分の情けなさや不甲斐なさからくる、悔しさに似た複雑な感情。ディアナはそれを振り切るように、軽く頭を振って勢いよく立ち上がる。


今はとにかく、時間がない。得体のしれない男に囚われえている場合ではないのだ。今後の身の振り方を真剣に考えなければいけないのだから。



ディアナは立ち上がると、扉の横の壁に両手をつく。

両腕に重心が傾くように立ち、腕を曲げて壁に胸を押し付け、元の位置まで身体を戻す。

こうすることで肩や腕の筋肉が鍛えられる。本当なら床に這いつくばるようにして運動する方が効果的だが、さすがにドレスを着たままでは難しい。


おそらく、ディアナの父は早々に婚約者候補の選定に動き出すだろう。もしかしたら、こうなることを想定してすでに候補が決まっている可能性もある。


ディアナは小さい声で数を数えながら、鍛錬を続ける。やはりこうしていた方が考えごとには集中できる。



「普通に嫁いだら、やっぱりこんなことはできなくなるわよね・・・」



騎士のときには当たり前に行っていた鍛錬は、今のディアナにとって趣味の境地に至っていた。頭を使ったあとに身体を使うとすっきりする、そういった段階のものではない。どんな態勢で、どれだけの負荷を与えると、どこの筋肉が鍛えられるのか。筋力を保つために必要な食事は何なのか。負荷を与えすぎた筋肉を回復させるには、どの手段が有効なのか・・・それを考え実行することが、もはや趣味を通り越して生きがいのようになっていたのだ。

この趣味は家族と侍女ぐらいしか知らない。ディアナのことを理解している人たちでも、令嬢らしくないと渋い顔をするのだ。他人は到底理解してはくれないだろう。

王宮であれば自室は与えられる。果たすべき役割さえ果たしていれば、それ以外で何をしていようと問題ない。ただ、貴族の嫁となればそうはいかないだろう。

たかが趣味の話・・・ではあるが、ディアナにとっては大問題だった。


「違うお仕事を探す?・・・どこかの侍女くらいかしら」


幸い、家には跡継ぎの兄がいる。名のある家の令嬢が、王宮の侍女になることはこの国ではそう珍しい話でもない。むしろ、側室の立場を狙って進んで勤める者もいるくらいだ。自分が望めば、その道もあるかもしれない。



でも、それでは一番の大きな問題は解決しない。

壁に手をついた姿勢のまま、ディアナは天井を見上げる。



「おそらく、あと5年」



5年後、この国は戦火に巻き込まれる。

“前回”のディアナが命を落とした戦争だ。


地位の高いものばかりが特権を得、無辜の民が虐げられる。ありがちな体制はこの国でも見られ、それは“前回”から変わりはない。このままの状態が続けば、おそらく同じことが起きるだろう。


現体制に対する国民の反乱だ。


“前回”と同じなら、2年後に国王陛下が体調を崩されてアンセルが国王となる。


アンセルが無能だったわけではない。次期国王となるべく努力し、研鑽していたのも確かだ。そんな不幸な結果となったのは、おそらく時世というものなのだろう。


それと・・・


「・・・女癖が、悪いのよね」


少しだけ上がってきた息を吐ききるように、ディアナは呟く。

アンセルが甘い言葉を囁いた女性はどれほどいたことだろうか。婚約者候補たちも、自分が本命だと疑いもしなかっただろう。

“前回”、男女関係の機微のわからないディアナは、まったく気づいていなかった。

最初は愕然としたが、婚約者候補となり、アンセルを知るうちに、抱いていた恋慕は消え失せていった。“前回”の最期は、ディアナにとってもはや黒歴史に等しい。


『人は極限の状態になると種族を維持しようという本能が働く。戦場では命の危機だけでなく、女としての危機も常に意識しておけ』

先輩女騎士に常々言って聞かされた言葉が身に染みる。


そもそも、女の武器をちらつかせながら、男女の駆け引きをするような器用な真似はディアナにはできなかった。むしろ、あちらこちらで女性に声をかけるアンセルに白い眼を向けることが多かったように思う。アンセルはアンセルで、自分にまったく靡かないディアナとは距離を置いていたし、ディアナにとっても予想通りの結果ではある。



それでも、ディアナは婚約者になることを諦めてはいなかった。女性としては選ばれずとも、候補として優秀であれば引き立ててもらえることもある。その一点に望みをかけて、努力してきた。


皇太子妃になれば、この国を守ることができるのではないかと、そう思ったからだ。



自分は、この国の行く末を知っている。



王妃となったジェイニーは、その立場を良いことに贅の限りを尽くし、国庫を圧迫してしまう。女癖の悪い夫への当てつけもあったのかもしれない。

我儘な王妃にいいようにされる情けない国王・・・そんな陰口が横行し、王家の信頼はなくなっていく。そうして、国の将来を憂う貴族たちに、困窮していた民たちが呼応した。革命を目指した貴族たちは、隣国アランガルドの力を借りて、王家に反旗を翻す。

信頼を失っていた王家への助力は少なかった。騎士の中にも、反乱軍に力を貸すものもいた。圧迫された財政では、軍を起こし反乱軍と隣国に対抗するだけの力があるはずもなかった。


アンセルがどんな最期を遂げたのかは、ディアナにはわからない。ただ、結果は明らかだっただろう。


当時は、反乱軍は国を脅かすものだとばかり思っていた。血を流し、倒れていく仲間たちを思い、反乱軍を悪だと憎み、戦った。

でも、こうして今を生きていて気づいた。

王家を守ろうとした側も、反乱に組した側も、どちらもただ、この国を守りたかっただけだったのだ。

自分たちの生活を、自分たちの愛する人を、自分たちの暮らすこの国をひたすらに守ろうとしていた。


想いや理想がすれ違い、多くの血が流れる。

傷つき、倒れていく人たち。

悲しみ、涙する人たち。

そんな光景はもう見たくない。


今も昔も変わらず、ディアナはこの国を愛している。


少しだるくなった腕を軽く振りながら、ディアナはもう一度ため息をついた。


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