18話
名前が読み上げられ、会場の扉が開かれる。
ディアナは人の視線が一斉に集まるこの瞬間が一番苦手だった。アルヴァの腕に添えた手に、思わず力が入ってしまったらしく、視線が自分に向けられた。
「緊張してるのか?」
「・・・うぅ・・・」
周囲に気づかれないぐらいの声量で、アルヴァがディアナに問いかける。図星をつかれたディアナは小さくうめき声をあげてしまった。
それが可笑しかったのか、アルヴァはディアナを見て表情を崩す。
「招待客を野盗にでも見立ててみたらどうだ」
「なんですかそれ」
アルヴァの言葉に、ディアナも肩の力が抜けて小さく笑う。
(そうよね。気負っても仕方ないわ。どう考えても殿下に見劣りするのは確かなのだし)
ディアナは気持ちを切り替えて前を向く。
(戦場に赴くときの気分ね・・・)
そう思うと、自然に背筋が伸びる。不思議と周囲の様子は気にならない。そんなディアナの表情を見て、アルヴァの口元が綻んだ。
*
謁見は、想像以上に恙無く終わった。
アルヴァの婚約は両陛下にとっては突然の話だったはず。そのため、不審がられているのではないかとディアナは考えていたが、どうやらそうでもなかったらしい。むしろ非常に歓迎されている様子で正直驚いてしまった。ただ、『野盗退治の話を今度詳しくきかせてほしい』と皇后に言われたときはさすがに肝が冷えたが。
「疲れたか?」
隣に立つアルヴァが静かに声をかけてきた。
謁見のあとは多くの貴族との挨拶が続いた。非常に好意的な人、値踏みするような目線をする人、見下すような視線を向ける人、態度は様々だ。
特に、女性陣からの視線は厳しい。それも相手がアルヴァである以上、仕方のないことなのだろうけれど。
「・・・少し。でも問題ありません」
アルヴァの問いかけに、ディアナは素直にそう口にした。
すると、すっと腰に手が回され、そのまま人の輪から連れ出される。そうして、会場の端に置かれているソファのひとつに座らされた。
「夜会はまだ続くからな。少し休んでいろ」
「・・・でも」
そう返したディアナの頭をアルヴァは優しく撫でる。
「休んで回復したら戦線復帰してこい」
その言葉にディアナは思わず笑う。そんなディアナを見遣って、アルヴァはまた輪の中に戻っていった。
ディアナは小さくため息をつく。
少し、と言いつつ、かなり疲れていたようだ。やはり、ドレスも夜会もどうにも馴れない。立場上、もうそんなことは言ってはいられないが。
そんなことを考えながら、軽く背もたれに身体を預ける。
大きなホールだった。
ファランドールの王宮の比ではない。アランガルドは大国なのだと実感させられる。来ている貴族の名前も一応は目を通しておいたが、正直なところ覚えきれてはいない。他国からの賓客が来ていないだけ、これでもまだ小さい規模なのだろう。
マナーや教養、ダンスや刺繍など、ファランドールでは婚約者候補として一通り学んできてはいるが、国が違えば異なることも多い。これから覚えなければいけないことはたくさんあると思うと、また気が滅入ってくる。
ふと視線を動かすと、こちらに向かって歩いてくる数人の令嬢たちの姿が目に入った。
これからは、こういったことへの対応も覚えていかないといけないだろう。そう思うと少しだけ、眩暈がした。
*
先刻、挨拶を交わした令嬢が自分の横に立つ令嬢を順に紹介していく。互いにやりとりをしたのち、他愛のない会話になる。
同年代の女性同士の場合、この他愛ない会話が曲者だ。
流行の話や美容の話。その端々に感じる嫌味と、不躾な目線。話の内容から察するに、並びの中心に立つ公爵令嬢とそのお取り巻き、といった様子だった。
要は、とてもとても遠回しな、『どちらがより皇太子殿下に相応しいか』というお話だ。その身分や年頃からしても、この公爵令嬢はアルヴァの婚約者候補でもあったのだろう。
(まぁ・・・流行に疎いのは確かだし、容姿に関しても仕方のないことだわ)
何せ、鍛錬にばかり目を向けて、自分磨きはすっかり怠ってきたのだ。むしろ図星をつかれている感が否めない。はぁ、とか、はい、とか曖昧な返事を繰り返しているうちに、令嬢たちは不機嫌な表情のまま去っていった。
そんなやりとりを数組と繰り返した後。
ひとりの令嬢が、ディアナの元に近づいてきた。
取り巻きもなく、単身でやってきた令嬢は、紹介もなしに声を掛けたことを詫び、お手本のような美しい礼をとる。
「リリー・ストレーシーと申します。どうぞ、お見知りおきを」
波打つような豊かな金の髪に、切れ長の青い瞳。非常に整った顔立ちは、一見すれば冷たそうな印象を受ける。先程までの令嬢たちと違い、微笑みを浮かべるでもなくディアナの顔をじっと見詰めていた。
「言い返さなくてよろしいのですか?」
「なにが・・・でしょう?」
ハスキーな声と、淡々とした話し方が、意外と耳に心地よい。
「先刻からのやりとりです。失礼かと思いつつも、聞こえてしまいましたので」
「いいえ。私が至らないのは事実ですから。お恥ずかしい限りですわ」
リリーは扇で口元を覆いながら、周囲に聞こえないほどの音量でディアナに告げる。
「・・・アルヴァ皇太子殿下の婚約者は、国内の令嬢たちから選ばれるものと考えられておりました。国外から、それも突然のことでしたから。皆、驚きましたのよ」
「私も、こうしてここにいられることが夢のようだと思っております」
おっとりとした返事を返すディアナに、リリーの厳しい視線が向けられる。
澄んだ青い瞳の奥は、どこか仄暗い。
「今回のご婚約に、納得している者ばかりではありませんわ」
先刻よりもやや低い声でリリーが告げる。感情の揺らぎが、そこに見える。
それはその通りだろう。
令嬢たちはもちろん、皇家との繋がりを画策していた貴族もいたはずだ。それを見知らぬ女に横から搔っ攫われて、良い気がするわけもない。
内心でそう思いつつ、ディアナは何も告げずにゆったりと微笑みだけを返す。
リリーは眉根を寄せて、正面からディアナを見る。
「どうぞ、お気を付けくださいませ」
「・・・お気遣い、ありがとうございます」
最後にそれだけ告げると深々と一礼して、リリーは人ごみの中へと消えていく。
(・・・戦線離脱どころから、敵主力部隊に遭遇してるわ)
そろそろアルヴァの元に戻ろうかと足を進めたとき、後ろから数人の令嬢に声を掛けられる。少しだけ苦々しい思いで、ディアナはまた令嬢たちと挨拶を交わす。
ディアナより少し年下らしい令嬢たちは、特にギスギスした雰囲気もなく、どちらかというと好意が伝わってくる。
少しだけ弾んだ会話がふと途切れたとき、令嬢の一人が口元を扇で隠しながら、小声でディアナに切り出した。
「先程・・・リリー様とお話されていましたでしょう?」
「ええ。ご挨拶させて頂きましたわ。とてもお綺麗な方ですね」
「その・・・大丈夫、でしたか?」
「大丈夫、とは?」
令嬢たちの真意がわからず、そう尋ねると令嬢たちは困ったように顔を見合わせる。
そうすると、端にいた令嬢が、意を決したように切り出した。
「あの・・・姉は誤解を受けやすい人で・・・少し、言葉が厳しいのです。本当は優しい人のなのですけれど・・・」
「まぁ。リリー様とクレア様は姉妹でいらっしゃったのね」
ディアナはクレアという令嬢を見る。
リリーとは異なるまっすぐな金の髪に、青灰色の瞳。庇護欲を掻き立てられるような、小柄で線の細い美少女だ。
「まぁクレアったら。そんなに庇わなくったっていいのに」
「そうよ。優しいのはクレアだわ」
きっと、気の置けない友人たちなのだろう。そう言い出した令嬢たちを、クレアは困った顔で微笑みながら宥める。
リリー・ストレーシーと、クレア・ストレーシー。二人の姉妹には、血の繋がりはないらしい。リリーはストレーシー公爵の前妻の娘。3年前に前妻が亡くなり、クレアの母は、クレアを連れて後妻となったそうだ。
「元々は、私も母も平民でしたから・・・礼儀や立ち振る舞いがわからず、お姉さまにも迷惑ばかりかけてしまって」
困ったように微笑むクレアに、令嬢たちは労わるような声をかける。
令嬢たちの話では、リリーはクレアに対してきつく当たることが多いらしい。それだけでなく、どうやらリリーは他の令嬢たちからも距離を置かれているらしかった。令嬢たちは、リリーと話すディアナを見て、ディアナのことを心配してくれていたようだ。
「・・・お姉さまも、アルヴァ皇太子殿下の婚約者候補の一人でしたので・・・」
「まぁ・・・そうでしたのね」
眉根を寄せて、言い出しにくそうにしながらクレアが呟いた。そうであるなら、リリーがディアナに対して憤りを抱くのも仕方のないことだろう。
ディアナはそう考えながら、どこか困った様子のクレアに微笑みかける。それに応えるように返された笑顔は、人を安らかな気持ちにさせるような、ひどく整った微笑みだった。