17話
青々とした木々の向こうに、美しい街並みが見える。
車窓から見える景色に、ディアナは思わず声を漏らした。
街に近づくにつれて、馬車の速度が段々と緩められていく。
(なんだか、緊張してきた・・・)
顔が強張っているような気がして、自分の両頬を少しだけつねった。
「ディアナ」
「は、はい!」
外から掛けられた声に、ディアナは慌てて手を離して車窓から顔を覗かせる。
馬車の速度に合わせ、馬を横付けしてきたアルヴァがディアナに声を掛けた。
「これから街中に入る。街の様子を見たいだろうが、できるだけ顔を出さないようにしておいてくれ」
「わかりました」
たったそれだけの会話なのに、頬が熱くなるのがわかった。少しだけ上ずってしまった声に気づかれていないだろうか。ディアナはちらりと目線だけでアルヴァの様子を窺う。
アルヴァはそれには気づかず、少し離れたところにいた従者に何らかの指示を出している。
ディアナはその様子を見詰めて、小さくため息をついた。
顔を見ると、昨夜のことがどうしても頭に浮かんできてしまう。
ベッドに入ってからも何度も思い出して枕に顔をうずめた。それを繰り返すうちに、いつの間にか眠ってしまっていたが。しかも、心臓を酷使したせいでよっぽど疲れたのか、思いのほかぐっすり眠れてしまった。
ディアナがそんなことを考えているうちに、ゆっくりと馬車が停まった。
ややしばらくしてから扉が開けられ、ディアナは御者の手を借りながら馬車から降りる。
少しだけ小高い丘にある王城からは、通り過ぎてきた街が一望できた。先程とはまた違った景色にディアナは目を奪われる。
(他国に嫁ぐことになるなんて思いもしなかったわ)
騎士の道を選ばなかった。それだけで、こうも違うものだろうか。
“今回”選んだ道は、“前回”の未来とどう交差していくんだろう。ディアナは漠然とした不安を抱えながら、王城に足を向けた。
*
(なっ・・・なにこの高級感・・・!!)
ディアナは与えられた部屋に入るなり、軽い眩暈に襲われた。
だだっ広い空間に、大きな天蓋付きの寝台。設えられた布張りのソファは、きっと座った瞬間身体が沈み込むだろう。揃えておかれたテーブルは、可愛らしい猫脚に相反する重厚感がある。クローゼットや本棚だって、繊細で上品な木彫りの細工が施された如何にもな高級品、化粧台だって同様だ。ふかふかの絨毯は、足を踏み入れるのも申し訳ない気持ちにさせる。
ディアナは完全に気圧されつつも、一応、部屋の中を見て回る。
入口の他に、扉が二つ。
「あちらの扉は?」
「殿下がディアナ様のご趣味のためにとご用意したお部屋でございます」
ディアナが尋ねると、案内してくれた侍女がにっこりと微笑んでそう告げた。ディアナとジーンは思わず顔を見合わせる。ディアナの背中を妙な汗が伝う。
「み・・・見ても構わないかしら」
「どうぞご覧になってくださいませ」
微笑む侍女に促されて、恐る恐る扉を開ける。素朴な棚が幾つか置かれた広い部屋だった。素朴といいつつも、造りはかなりしっかりしたものだ。床も、絨毯ではなく歩きやすい木製の床になっている。特にこれといった物が置かれていないことでホッとしたが、きっと、ここがアルヴァが言っていた「鍛錬用の部屋」なのだろう。
趣味がバレてしまっていることは恥ずかしいが、本当に用意してくれたことがちょっと嬉しい。いや、かなり嬉しい。
少しだけ上向きになった気持ちで、もう一方の扉について聞いてみる。
「あちらは、殿下の寝室に繋がっております」
「・・・・・・寝室」
「ええ。こんなにもお美しい婚約者様ですもの。殿下も喜んでお渡りになりますわ」
「――――っ!!!」
知っていた。解っていたはずなのに、そこまで思い浮かばなかった。というより、自分と繋がらなかったのだ。嫁ぐということはそういうことだ。
そして、ファランドールと違い、アランガルドはそういう面での厳格さはないと聞く。
真っ赤になった頬を抑えて蹲ってしまったディアナは、侍女たちに微笑ましい、というような表情を向けられてしまった。
*
3日後。
ディアナは朝から夜会の準備に追われていた。
王城に入ってからはアルヴァとは顔を合わせていない。よほど忙しいのか、深夜に寝室に戻っている気配はあるものの、繋がれた扉が開けられることはなかった。
ディアナも侍女や護衛との顔合わせや夜会の打ち合わせをしたり、城内の案内を受けたりとなかなかに忙しなく、気づけば夜、というような2日間だった。
今日の夜会で、皇帝・皇后へ謁見をし、婚約者としてお披露目されることとなる。緊張もあるが、少しだけ気が重い。
どうしても、夜会のような煌びやかな場所は気後れしてしまう。その上、自分がお披露目されるとなればもちろん逃げ場もない。できるだけ表情に出さないように努めてはいるが、長年過ごしてきたジーンにはしっかり気づかれているらしく、時折、気遣わし気な視線が送られる。
「・・・大丈夫、かしら?」
赤茶色の髪は、豪奢な髪留めでハーフアップに結われている。淡いベージュを基調にしたドレスは、大きく広がった袖や裾に銀糸で花の刺繍があしらわれ、身を翻す度に上品に輝る。鎖骨の辺りまで開いた胸元や袖の上部は、金糸で上品な刺繍がされ、小さな宝石が散りばめられていた。
王城の侍女やジーンは褒めてはくれるものの、やはりディアナは容姿に自信はもてない。せめて、輝くような金の髪であれば、もっとこの綺麗なドレスに映えただろうに。ディアナは自分の赤茶色の髪を一房持ち上げて、ため息をついた。
*
ディアナ夜会の控室に設えられたソファに腰掛け、アルヴァが来るのを待つ。
憂鬱な気分のまま、小さくため息をついたとき、カチャリと控室の扉が開けられた。
「なんだ。早かったな」
現れた人物を見て、ディアナは思わず息を呑む。
黒に金糸の刺繍をあしらった夜会服は至ってシンプルなのに、軽く整えられた髪のせいか必要以上に華やかに見える。
(顔がいいってこういうことなのね・・・!)
「なんだその顔」
ディアナは思わず開いてしまっていた口を慌てて閉じ、隣に腰掛けたアルヴァをできるだけ見ないように、そっと目を逸らす。
至高の顔も今のディアナにとっては目に毒でしかない。
ふ、と首元に触れられ、慌てて振り向こうとすると、制止する声が掛けられた。
背中に流していた髪が流され、首元にはひんやりした感覚。
「・・・これ」
「やる」
三日月のような金の意匠に黒い宝石がはめ込まれたシンプルなネックレスだった。シンプルではあるものの、絶対にお高いというのは見てわかる。
「でも・・・!」
「いいから。黙って受け取れ」
そう言い返されてしまえば、それ以上は言えない。
「・・・ありがとうございます」
「・・・ん」
ディアナはそれを手にとって眺める。漆黒の闇のような黒い宝石。
それなのにどこか温かみのある色合いに、思わず口元が綻んだ。
思えば、こんな風に男性から宝石を送られるのは初めてのことだ。
「嬉しい、です」
素直にそう口にしたとき、アルヴァの腕がディアナの腰に回された。
「殿下・・・!」
振り向く前に引き寄せられる。
首元に何かが触れる感覚。
「・・・っ!」
首筋をくすぐる、髪の感触。
一瞬かかった吐息で、口付けられていることがやっとわかった。
「で、殿下・・・!!」
唇が首元を辿る。
離れようとしても、回された腕の力が強くて抜け出せない。
それ以上に、口付けられるたびに身体の力が抜けていく。
「・・・んっ」
一瞬、ちくりと首元に痛みが走る。
逃げそうになる身体は更に引き寄せられて、耳元に吐息がかかる。
ぞくりと身体がしびれるような感覚に、ディアナは思わず声を上げた。
「で、殿下!!まってまってもうこれ以上はむり!!」
礼儀もなにもあったものではない。
そんなこと吹っ飛ぶぐらいに、ディアナは必死だった。
両腕の力が緩んだと当時に、ソファの上でできるだけ距離を取る。明らかに赤くなっている顔より、口付けられた場所の方が熱い気がして、ディアナは首元を抑えながらアルヴァを睨みつける。
アルヴァはこれ以上ないぐらい、意地の悪い笑顔を浮かべていた。
文句のひとつも言ってやりたくて、ディアナが口を開きかけたときに、扉の外から声がかけられた。
アルヴァは端的に答えを返して、ソファから立ち上がり、ディアナに手を差し出す。
「立てるか?」
「立てます!!」
差し出された手はさすがに無碍にはできない。片手をのせて立ち上がろうとすると、そのまま強く手を引かれ、勢いづいた身体がそのままアルヴァの腕の中に収まった。
「お前が悪い」
頭上で、アルヴァの楽しそうに笑う声が聞こえる。
どういう意味かわからず、ディアナは腕の中でアルヴァの顔を見上げる。
「そんなに綺麗になんだ。独占欲が沸いたって仕方ないだろ?」
その言葉に、ディアナは今度こそ腰が抜けそうになった。