16話
「・・・・・・」
「・・・・・・」
従者の二人は、お茶を準備するなり静かに部屋を出ていき、並んでソファに腰掛けたディアナとアルヴァは、互いに沈黙したままだった。
(なんでこうなってしまったのかしら・・・)
ディアナは半ば自分自身に呆れながら、小さくため息をつく。ちらりと隣を見れば、未だに眉根を寄せたまま、優雅に紅茶のカップを傾けるアルヴァがいた。
「さっきの話だが」
「は、はいっ!!」
静かにカップを置いたアルヴァが話を切り出した。ディアナはびしっと背筋を正して大きな声で返事をする。
「・・・そんなに怯えた顔をするな」
「えっ?!で、ですが・・・!!」
自分はそんなに怯えた顔をしていたのだろうか。ディアナが思わず自分の顔を両手で包むと同時に、ふ、と笑い声が聞こえた。
「悪い。あまりにも意外でな。・・・人攫いすら怖がらないくせに」
口元に手を当てながら、アルヴァが面白そうに笑っている。
さすがに揶揄われているのがわかり、ディアナはじろりと隣のアルヴァを睨む。
「私だって、殿下はもっと寡黙な方だと思っていました」
「・・・あぁ、まぁ・・・」
ディアナがそう告げると、アルヴァはばつの悪そうな顔をして小さく咳払いをする。
「悪い。感情が昂るとどうしても、な。普段は気を付けているんだが」
「気を付けて・・・?普段は寡黙な振りをされているんですか?」
「・・・振りってお前・・・そんなつもりではないが。立場上、余計なことは言わないに越したことないだろ?いらん火種になることもあるしな」
「確かに・・・そうですね」
アルヴァの皇太子という立場上、常に人の目に晒される。それならば、言葉少なめになるのも仕方のないことだろう。
「・・・だが、お前には言わないと伝わらないということがわかった」
アルヴァは少しだけ困ったように微笑んで、ディアナを見詰める。
ディアナの心臓がとくりと小さく音を立てた。
「まずは、今回の件だ。お前のお陰で攫われた娘たちを無事に保護することができた。・・・感謝する」
「え・・・」
思いがけない言葉にディアナは目を瞠る。
「それと・・・お前にあんな怪我を負わせてしまってすまなかった」
「それは、私が勝手にしたことですから・・・!」
「それでもだ。守ると言って連れてきた以上、お前が傷つくのは俺の責だろう」
「そんなこと・・・」
アルヴァは戸惑うディアナの髪を一房掬い上げる。
そうして、それに小さく口付けた。
「はしたないなど、思うわけがない」
「・・・え?」
「街で会ったときも、今回も。お前が誰かを守ろうとして行ったことだ。その想いは尊ばれるべきもので、そんな言葉で否定されるものではない。・・・こっちとしては肝が冷えるし、行き過ぎだとは思うけどな」
アルヴァの大きな手がディアナの頬に触れる。
心臓がせわしなく動いて、うまく息が継げない。
「・・・ディアナ」
ぞくりと背筋が震えた。
漆黒の双眼がディアナを射貫くように見詰める。
「俺は、お前がいい。他にどんな見目麗しくて聡明な令嬢がいようが関係ない。お前だから、欲しいと思った。お前だから求婚したんだ」
言葉が継げず、戸惑うだけのディアナの頬をアルヴァの手が優しく撫でる。
「・・・嫌か?」
以前、同じことをアルヴァにも問いかけられた。ジーンにも同じことを聞かれた。
「・・・いや、では・・・」
ディアナはやっとのことでそれだけ口にする。嫌だとは思わない。出会ったばかりで、まだ互いのことなどほとんど知らない。それでも、不快な感情が一切ないのは確かだった。
(・・・こんなの、知らない)
心臓の音が煩くて、耳を塞ぎたくなる。
こうして触れられているだけで身体が痺れるような感覚になる。手先に力が入らない。呼吸がままならなくて、苦しい。
「・・・嫌じゃないんだな?」
「は・・・はい」
“前回”も、“今回”もアンセルに対してこんな気持ちにはならなかった。一緒にいるだけで心が安らいだ。その笑顔を見るだけで安心できた。辛そうな顔を見ると自分も辛かった。その憂いを拭ってあげたいと思った。大切だった。守りたいと思っていた。その温かさが、恋だと、愛だと思っていたのに。
「ならば、さっきのお前の言葉は聞かなかったことにする」
「は・・・はい?」
思わず間の抜けた声が出た。
「だから、嫌じゃないんだろう?それなら、先程のお前の婚約破棄の申し出は却下だ」
「こんやく、はき・・・?」
ディアナは急な話の転換についていけず、目を瞬く。
「さっき、俺には自分よりもっと相応しい令嬢がいる・・・そう言っただろ」
「え?あ・・・はい、言いました」
「どう聞いても、求婚への断りの台詞だろうが」
「・・・えっ!?」
(い・・・言われてみれば!!私、なんてことを・・・!!)
「そ・・・そういうつもりではなくて・・・!!」
自分は断って良い立場ではないのだ。それなのにも関わらずなんてことを言ってしまったのか。ディアナはそんなことを考えながら慌てて両手を振る。
そんなディアナを見ながら、アルヴァは愉快そうに笑う。
「そうだろうとは思ってたけどな」
「も、申し訳ありません・・・」
一頻り笑ったあと、アルヴァがディアナの身体を引き寄せた。
両腕を腰に回され、コツンと互いの額が触れた。
(ち、近い近い近い・・・!!)
互いの呼気すら届きそうな距離にディアナは思い切り目を瞑る。
「・・・嫌じゃないんだな?」
確認するように、アルヴァに問いかけられる。
さっきよりも少しだけ低い声に、また心臓が騒ぎ立てる。
「いやじゃ、ないです」
「俺の求婚を受けたのは、断れなかったからか?」
「それは・・・あります、けど」
「・・・けど?」
けど、なんだ。
そう聞かれたら、なんて答えたらいいのかがディアナにはわからない。
確かに自分の立場では求婚は断れなかったし、突然の求婚に戸惑いもした。
これから訪れる祖国の未来を変えるため、そのための選択。
だから、自分はアルヴァに嫁ぐ。そう考えて、そう決めて。
でも、それ以前に。
断ろうとは、思わなかった。
「ディアナ」
促すように名前を呼ばれて、ディアナは一言だけ絞り出す。
「・・・いやじゃ、なかったから・・・です」
「・・・うん」
どこか満足したようなその幼い返答に、少しだけディアナはほっとする。
するりとアルヴァの両手が離れる。同時に、額に何か柔らかいものが触れた。
それが何かわからずに、ディアナは少し離れたアルヴァの顔を見上げる。
「今はそれでいい」
アルヴァは満足そうにディアナに向けて微笑む。
その優しい微笑みに促されるように、ディアナは呟く。
「どうして・・・殿下は、どうして私を・・・?」
それが、聞きたかった。
どうしてこんな自分が選ばれたのか。ただ、それが聞きたかった。
「・・・以前、お前に渡したバラ」
「は、はい」
あの時だけでなく、婚約申し込みのときも、謝罪の手紙が来た時も、常に一緒に届けられていたバラ。
「花言葉、わかったか?」
「え・・・?」
(そういえばそんなことを言われたような・・・)
ふ、とアルヴァの顔が近づく。
「――――――」
耳元で囁かれた言葉に、一気に顔が赤くなるのがわかった。
アルヴァはそんなディアナを楽しそうに見やると、ソファにかけていたジャケットをもって立ち上がる。
「明日の道程について、護衛との打ち合わせがある」
惚けたままのディアナを置いて、アルヴァは扉に向かって歩き出す。
「俺は出るが、お前はゆっくりしていけ。その顔で部屋から出るなよ」
揶揄うようなその言葉に、ディアナは一言も言い返せず両手で顔を抑えて俯く。
「ディアナさま・・・大丈夫ですか?」
入れ替わりに部屋に入ってきたジーンにそう尋ねられるが、首を振ることでしか答えられない。
大丈夫ではない。まったくもって大丈夫ではない。
―――― 一目惚れだ
耳に残るその言葉が、なぜか零れていってしまうような気がして、ディアナはそっと耳を抑えた。