12話
「終わり・・・かしら?」
ディアナは小首を傾げながら、後ろに横たわる男たちを見やる。
その辺の破落戸だったのが幸いだ。訓練を積んだ軍隊相手だったら、こうも順調に行かなかっただろう。
幸いなことに通路に狭めの一角があったので、そこに誘いこんで相対することができた。正直、まんまと誘いこまれてくれたお陰で助かった。力では敵わない上に、多勢で向かって来られたのなら自分一人では一溜りもなかったと思う。
さすがに怠くなった手首を軽く振りながら、足首も回しておく。動かしながら全身を確認していく。小さい切り傷や擦り傷はあるものの、大きなケガはない。
騒がしい声も聞こえてこないので、恐らく大方は切り伏せられたのだろう。と、なれば残るのは隊長格のみだ。
しばらく歩くと、少し広めの空間に出た。
木で作られたテーブルや椅子が並べられ、タンカードが転がっている。酒の匂いが充満しているあたり、どうやら仕事終わりの一杯をディアナが盛大に邪魔してしまったらしい。
更に奥には、重厚な扉が設えられている。
意外としっかりとした作りの隠れ家だとディアナは思う。自分が見ていないだけで、どこかにキッチンや寝室もあったのかもしれない。長年ここで暮らしてきたのかと思うと、荒らしてしまって申し訳ない気もするが、人攫いは人攫いだ。
ディアナは大きな扉をゆっくりと開く。
「・・・なんだぁ?てめぇは」
大きな椅子に腰掛けていたのは、大きな体躯の男だった。
先程よりもかなり大きな空間だった。
この男の私室といったところだろうか。隅の方にテーブルや寝台などが設えられている。
男の座る椅子の横には、女性が一人、自分の身体を抱くようにして座り込んでいた。
「さっきから騒がしかったのはテメェが原因か」
そう言いながら男がゆっくりと立ち上がる。立ち上がるとその身体は更に大きく見えた。7ftほどもありそうな身長と、隆起した筋肉。はだけた服の間から覗く胸筋は分厚く、大きな体躯を支える脚は、ディアナの腰回り程ありそうな太さだ。
「まぁ・・・素晴らしい鍛え具合ね。悪党にその筋肉は勿体ないわ」
「はぁ?」
唖然とした男は気を取り直すように大声を出す。
「おい!何してやがる!!とっととこの女を摘まみ出せ!!」
男がそう叫んでみるものの、返ってくる返事はない。
男はディアナをぎろりと睨みつけた。
「来る途中に出会った方々には、眠って頂いていますわ」
ディアナはにっこりと笑って男に告げる。
男の頬の筋肉を痙攣させ、大きく舌打ちを打つ。
「役に立たねぇ愚図共が!!」
男は怒り任せに傍にいた女性の髪を掴み上げる。
女性が叫びを上げるのと同時に、男の鼻先を何かが掠め、トン、という音を立てて土壁に突き刺さった。先程ディアナが仲間の男から奪った短剣だ。
「その手を離せ」
「テメェ・・・」
男は傷ついた鼻筋に手を当てながら、血走った目でディアナを睨む。
投げ捨てるように女性から手を離すと、ゆっくりとディアナに向かって歩き出した。壁に凭れるように置かれていた鋭いスパイクのついた棍棒をずるずると引き摺りながら。
ディアナは一度女性の方を見やり、無事を確認してから剣を構える。
その様子に男は下卑た嗤いを浮かべながら、棍棒を振りかぶった。
ディアナは後ろに飛んで振り下ろされるそれを躱す。
ズンという低い音を立てて、棍棒が地面にめり込んだ。
間髪入れずに再度振り下ろされた棍棒を、ディアナは剣で受け止める。一瞬の鍔迫り合いの後、剣がパキリと音を立てて折れた。
目の前でにやりと嗤う男に不快さが募り、ディアナは軽く舌打ちしながら後ろに飛んで距離を取る。
予備に腰に差していた剣に持ち替え、大振りになった隙を狙って男の腕を斬りつける。男は一瞬顔を顰めたものの、大した傷にはなっていない。
(本当に勿体ないわ、あの筋肉)
鍛え抜かれた筋肉は防護服のような役割も果たしているようだ。そして、大柄な体格のわりに、男の動きは俊敏だった。瞬発力を発揮するための筋肉がしっかりと両脚には付けられているのだろう。
ディアナは腱や筋を狙って斬りつける。
しかし、男も棍棒で防御したり、身を翻したりしながら躱していくため、深手には至らない。
ならばと、ディアナは男が棍棒を振り下ろした隙を狙って顔面を蹴りつける。
男は一瞬は怯んだものの、すぐに視線を戻し、地面に着地したままのディアナに向かって棍棒を振り下ろした。
布を切り裂く音と共に、赤い鮮血が舞った。
離れた場所から見ていた女性の小さな悲鳴が上がる。
棍棒のスパイクがディアナの左腕を切り裂いていた。
(やっぱり動きにくい)
横に飛んで躱そうにも、ドレスの裾が脚に絡んで動ききれなかった。
思っていたより深手だったらしく、左腕からはダラダラと血が流れている。
ディアナは破れたせいで余計に邪魔になった袖を引きちぎり、再度剣を構え直す。
男はにやにやと嗤いながらディアナを見下ろしている。
「まだやる気か?今ならまだ泣いて謝れば許してやるぜ」
薄く嗤いを浮かべる男をディアナは見上げる。
部下はやられてほぼ壊滅状態、このアジトもズタボロだ。それでも謝罪で許すとはなんと寛容なのか。ディアナはそう考えながら少しだけ男を見直してしまう。
けれど。
「残念だが、私の方は泣いて謝っても許す気はない」
ディアナは再度男に向かって斬りつける。
それもやはり、浅い。
いくら日頃鍛錬をしていても、剣技もそれを繰り出すための筋力も“前回”の自分には到底及ばない。
(鍛え直しだわ)
アランガルドに着いたら、軍の鍛錬に混ぜてもらおうか。
そんなことを考えながら、ディアナは何度も何度も男に向かって剣を振るう。重い棍棒より剣の方が早い。手数だけならディアナの方が上だった。
男もその剣を受けながら、怯んだように少しずつ後退していく。後退するのを防ぐように、後ろに回り込んで更に斬りつけていく。
「いい加減にしろ・・・!!」
焦れたように男が大声を上げ、大きく棍棒を振り回した。
それがぶつかった剣が、カラカラと音を立てながら地面を滑っていく。反動でディアナの身体も後ろへと飛ばされた。
倒れないように堪えはしたが、既にディアナの体力と握力は限界だった。
ディアナは片膝をついたまま、大きく息を吐く。
「手こずらせやがって・・・」
地面のあちこちに血が飛び散っていた。
深手を負ったディアナの左腕からは、今もぼたぼたと血が流れ落ちている。
息を荒くした男が、ゆっくりとディアナに近づく。
男の靴の先が、パキリと音を立てた。
魔法は、特定の手段を用いることでその力を増強できる。
基本は魔方陣を用いるが、中には金属や宝石などを媒介にすることもある。
男が戸惑うような声を上げる。
バキバキと音を立てながら、男の足先から段々と氷が這いあがっていく。
ディアナの場合、魔法増強の媒介となるのは自分の血だった。
そのため、“前回”の騎士時代には、『氷血の騎士』という言うのも聞くのも恥ずかしい渾名まで付けられていた。
氷を割ろうと試みた男が棍棒で自らの足元を叩く。しかし、その程度で割れるはずもない。
それすら絡めとるように氷が迫っていく。
やめろ、と男の小さな呟きが聞こえたのは一瞬だった。
パキン、と甲高い音が辺りに響いた。
「・・・制圧、完了」
ディアナは立ち上がって、氷で出来上がった塊をガツンと蹴飛ばす。
少々、苛立っていた。