9話
絆されたわけではない。
そう、決して絆されたわけではないのだ。
ディアナは心の中でそう呟きながら、アランガルドへ向かう馬車に揺られていた。
アルヴァと出かけてから3週間後。
怒涛の勢いで準備を整えて、ディアナは侍女のジーンを伴って、隣国へと向かっていた。
自国の皇族、親族への挨拶、アランガルド側とのやり取り、身の回りの物品の準備・・・。この3週間、ディアナだけでなく、父や兄、使用人たちまでさすがにげっそりとしていた。ディアナがいなくなることも相俟って、父はこの期間に大分老け込んだような気もする。
「さすがは皇族の馬車ですね」
侍女のジーンが革張りの座面に手を置きながらそう呟いた。
ディアナの家の馬車よりも数段座り心地が良く、揺れも少ない。
本来ならアルヴァが迎えに来る予定だったらしい。
しかし、急な仕事が入ったらしく、迎えがないことを詫びる丁寧な手紙と青いバラが届けられていた。せめても、ということで手配されたのが、この馬車だった。
ディアナは車窓から外の景色を眺める。
こんな形でアランガルドに向かうことになるなど、夢にも思わなかったし、戸惑いがないわけでもない。
それでも、アランガルドにいることが利点となる可能性もある。
5年後に起きるであろう、ファランドールでの反乱。
ただの侯爵令嬢の自分にできることなど、嘆くことくらいだろう。
しかし、反乱軍に手を貸し、ファランドールを攻め込んだアルヴァの傍にいれば、何かわかることもできることもあるかもしれない。
もちろん、単なる侯爵令嬢の自分が他国の皇族からの求婚を断れるわけもないという理由もあるが。
隣国アランガルドまでの道のりは馬車で7日ほどかかる。
ディアナはゆったりと進んでいく馬車からの景色を見詰めながら、先の見えない未来を憂い小さくため息をついた。
*
馬車に揺られること4日。
アランガルドの国境沿いの宿場町で馬車は停まった。
他国からの玄関口となるこの宿場町は、想像以上に賑やかな街だった。
大小様々な規模の宿があり、街の中心部では活気のある露店が並んでいる。
ディアナは護衛の騎士たちに案内されながら、賑やかな雰囲気に心が湧きたつのを感じる。
「いけませんよ、お嬢様」
「まだ何も言っていないじゃない・・・」
露店に目をやりながら歩く自分に、後ろに控えたジーンが釘をさす。今まで自由気ままに街中を散策していたせいか、自分の気持ちなどジーンにはお見通しなんだろう。
唇を尖らせて抗議すると、『淑女らしくない』と更に諫められる。
名残惜しい気持ちを感じながら、ディアナは案内された宿に入る。
通された部屋は、とても広く高級感のある部屋だった。
ここまで立ち寄ってきたファランドールの宿も決して質素だったわけではないが、設えられている家具の高級感がまったく違う。
「素敵なお部屋ですね」
「本当に。一泊いくらするのかしら」
「淑女が気にするものではありませんよ」
ジーンに窘められてもどうしても気になってしまう。
ディアナは日当たりの良いバルコニーに出て、大きく両手を伸ばす。ジーンの小さな抗議が聞こえたが、いくら乗り心地の良い馬車でもさすがに身体が凝り固まっていた。
「・・・お嬢様、せめて着替えてからにしてくださいませ」
ディアナが軽く屈伸を始めたところで、ジーンがため息混じりに呟いた。
*
ガサリ、と草木を踏みつけるような音でディアナは目を覚ます。
足音を立てないように窓際に寄り、カーテンを少し開けて窓の外を見る。暗闇の中、複数の人間が動くような気配がした。
ディアナは静かにクローゼットに向かい、その中から簡素なドレスを引っ張り出す。手早くそれに着替えて、着ていた夜着をベッドの上に軽く放っておく。
バルコニーの扉を静かに開け、姿勢を低くしたまま、息を殺して再度外の様子を窺う。
数人の男たちの急かすような声。
月のない暗闇の中では、その様子はほとんど見えない。
(夜目を鍛える訓練もしておくんだったわ)
そう考えながら、耳を欹て目を凝らす。
(いけない!)
そう思うのとほぼ同時に、身体が動いた。