表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一年三組物語

作者: エチュード

 

               (一)

 その年の新入生は八つのクラスに分かれていた。元気な生徒が多かったが、中でも三組は群を抜いていた。それぞれの出身小学校で予めメンバーを分けられて入学してくるので、当たるも八卦当たらぬも八卦的にクラスの構成は運を天に任される。大人しい生徒ばかりだと活気に乏しいこともあるし、かと思えばその年の三組のようにどうしてこんなに猛者が集まった?と驚愕するような面々が集合することもある。三組の彼らがどのように元気であったかを端的に表すと、教室に面している廊下を歩いているだけで中から圧を感じるほどだった。窓は全て閉められているというのに。というのも小学生気分が抜けない男子が多く、大声で叫んだり走り回ったりする。それを埋め合わせるように女子生徒の方はしっかり者揃いで、男子に対してやんちゃな弟を扱う姉のように振舞う者もいた。それで何とかクラスが成り立っている部分もあった。担任は五十代のAという女性教員で、元気なことは良いことだとやんちゃな生徒たちを大目に見ていた。一方、各教科担当の教員達は、このクラスでは自らに少し気合を入れて授業に臨む必要があった。

 チャイムが鳴って教室に入っても、時には手が付けられないほどの騒ぎの真っ最中だったりすることもあった。そんな時に声で収めようとするには大変なエネルギーが必要だ。しかもそれはあまり効果がない。目の前の事に夢中になっている彼らの耳には届かないからだ。逆に一番効果があるのは黙っていることだった。毎日、国語の授業をしていた私の場合、教壇の端に黒板の方を向いて静かに立っている方法が良かった。暫くすると誰からともなくその姿に気が付き、やがてみんな席に着く。何度かそんなことがあると、時には少し小言を言ってみたりもする。ネットがようやく普及し始めた頃の話なのだが、時代錯誤のようにありのままに振る舞う彼らの様子は、有り余っているエネルギーを放出しているかのように思えたのだった。

               (二) 

 五月にはバス遠足があった。生徒たちは準備の段階から既に楽しくてたまらないようで、しおりを作る際の意見もいつになくまとまっていた。

 当日はクラスごとに分かれてバスに乗り、片道二時間ほどの観光地へ行くことになっていた。私は担任Aと共に三組のバスに乗り込んだ。我々教員二人の胸中には、平生あれだけ元気な彼らが、学校という場所から解放されたらどんな暴れ方をするのだろう、という不安が少なからずあった。現地について広い場所での喧噪なら少しは大目に見ることもできるが、せめてバスの中では静かにして欲しいと願っていた。せっかくの楽しいはずの行事なのだから、できればあまり小言など言いたくはないと考えて。

 そんな心配とは裏腹に、全員乗車してバスが出発しても車内はそれほどうるさくなかった。というより、むしろ静かだった。まあ、まだまだこれからだろうと、A教員と話し合ったものだった。しかし、時間が過ぎてもちっともうるさくならない。シーンとしているわけではないが、あちこちからひそひそ話は聞こえるものの大声を出す者はいなかった。班ごとに前後左右の席にまとまって座っていたのでゲームなどをしているグループもあったが、そんな時にありがちな奇声が聞こえてくることもなかった。それは我々にとって予想外のことだった。顔を見合わせては、どちらからともなく「静かですねえ。」と言い合うのだった。その状態はずっと変わることなく続き、一時間ほど走るとバスは休憩場所に着いた。

 生徒が全員下車してから、私たちも続いて降りることにした。バスの昇降口まで来ると、「先生!」と運転手さんに呼び止められた。何事かと運転席の方を見ると、運転手さんの口から信じられない言葉が飛び出したのだ。四十、五十代と思われるその男性運転手さんは「ちょっとは静かにさせてくださいよ。うるさいじゃないですか。」と確かに言ったのだ。鳩に豆鉄砲とは、その時の私たちの様子を言い表すのにピッタリの言葉だっただろう。全く予期していなかったことに、お互いが目を白黒している様子を認めるばかりだった。返事としてどんな言葉を発すれば良いのか全く頭に浮かばなかったが、取り敢えず「すみません。」と言って、その場を収めることだけはかろうじてできた。それ以上何も言われることはなかったので、急いでその場を離れたのだった。

 しかし、バスから降りても釈然としなかった。どう考えても不思議でしかたがない。学校を出発してからの車内の様子を何度思い出してみても、注意しなければいけないほどうるさいと感じたことはなかった。それは、A教員も同じだった。全く腑に落ちない。過去には別の生徒たちともっと騒がしい場面を経験し、何度も注意をしなければならないこともあったが、今日とは比べ物にならないほど酷かった。というより、むしろあんなに静かだったのに。それとも、自分たちの感覚が麻痺しているのだろうか。いくら考えても、また話し合ってもわからなかった。

 休憩を終えて私達は再びバスに乗り込み、ほどなく生徒も全員戻ってきた。私達の頭の中には、先ほどの運転手さんの「注意して」という言葉が引っかかっていた。生徒に何かを言うとしたらこの瞬間だと思ったが、どちらも口を開く気になれない。自分の目で耳で見聞きした結果が指摘された内容と全く違うのに、相手は子どもだとはいえどうして苦言など呈することができるだろう。騒がしくもない子ども達に、騒ぐなとなど言えるはずがない。注意をするどころか、あの静かなままでこの遠足を終えることができたら、褒めてやらなければとさえ考えていたのに。

 結局、注意はしないままにバスは動き出したが、その後運転手さんから何かを言われることもなかった。また、不思議なことに生徒たちはその後もずっと同じように「良い子」にしていたのだった。

              (三) 

 また、5月下旬の放課後、三組の男子BとCの二人が喧嘩をしていると、同じクラスの子が知らせにきたことがあった。BとCの二人は普段はとても仲が良く、登下校も毎日一緒にしているほどなのだが。その時職員室に居合わせた三組の担任と私は、四階にある教室へと急いだのだった。階段を上りきって数歩進んだ時に、床にポタポタと落ちている血痕を見つけた。それは洗面所の方へと続いていた。その血の量からするとかなりのケガをしているのではないかと、背筋が寒くなりながら洗面所が見える場所まで来た。目に入ってきたのは件の二人が仲良く並んで、血で汚れた制服のポロシャツを洗っている姿だった。ケガは何処かと慌てて探している大人二人をよそに、当人たちは何もなかったかのように話しながら手を動かしていた。呼びかけた担任の声に、振り返ったBの顔の鼻の辺りが血で汚れていた。話を聴いてみると、他愛のないことでお互いにちょっと手が出てしまい、それが運悪く顔に当たって鼻血が出てしまったらしい。そして、あまりの血の量に二人ともびっくりして、ケンカどころではなくなったらしい。担任と共に保健室へ行った後、体操服に着替えた二人は、いつものように仲良く連れだって帰って行ったのだった。

               (四) 

 梅雨時のある日、私は体調が悪くとても授業ができそうになかったので、問題のドリルを用意して生徒に自習をさせ、教室の隅の机に顔を伏せて休んでいた。そんなことは滅多になかったので、時間の経過とともに良くなるかと思ったが一向に変わらず、とにかく体を休めるしかなかった。生徒はというと、三組の彼らにしては珍しく大きな声を出す者もいなかった。途中で女子生徒の声で「Dくん、何してるの!?」と注意をしているらしい声が聞こえたが、顔を上げて確かめる元気もなかったのでそのままにしていた。幸いそれっきり物音もせず静かになった。自習をしていたかどうかはともかく、とても静かに一時間を過ごせただけでも、普段の彼らからすれば上出来だった。その時は考えが至らなかったが、困っている人や弱っている人におかまいなしに騒ぎ立てることなどは、できない子ども達であることが後々分かってきた。


 三組だけでなくどの生徒にも言えることだが、道徳的な考え方や行動についての小学校での教育がどの程度身についているか普段から気になるところだった。その頃はまだ、中学校では道徳の時間はあっても他のことに費やされることが多かった。大きな行事の前ならその準備に時間が割かれるし、そうでない時にでも班替えや席替えなどに回されることもあった。

 私は国語担当であるのを良いことに、教材に関連した道徳的な話を時々するようにしていた。大切なことは何度か繰り返さなければと思い、日にちをおいて同じ話を二、三回聞かせると、誰からともなく「耳にタコができます。」という声が聞こえてくる。ということは聞いて頭に残っているということなので、心の中でシメシメと思うのだった。

               (五)

 それは午前の最後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴る頃だった。教科書など必要な物を携えて三組の教室へと階段を上っていると、上から降りてくるそのクラスの二人の女子生徒とばったり会った。二人の内の髪の長い子が私の顔を見るなり「先生、教室へ入る時には上の方を見た方が良いですよ。」と言ったと思うと、二人とも今降りてきた階段をバタバタと駆け上がって行った。咄嗟のことで何が何だかわからなかったが、それについて考えている暇もなく目当ての教室に着いた。

 夏休み前の暑い時期だったので、教室の窓は開け放たれていた。窓際の生徒の顔が全員こちらを向いていて、その様子がいつもと違う。何をか言いたそうにしている。どの顔も。何処かを指さしている者もいる。訝りながらドアに近づいていくと、窓際最前列の男子が「上、上。」と訴えるように言ってくる。他のクラスよりも珍しいことを体験させられることの多い三組だが、いつもと少し様子が違っていた。

 ドアは完全に閉まっていなくて、少しだけ開いていた。そこへ手を掛けようとした瞬間、視線がふと上の方へいくことに。そして、見つけてしまった。ドアの隙間に挟まれている黒板消しの姿を。その時になって初めて、女子生徒が言った「上を見て」という言葉や、窓際の生徒が口にしていた「上」の意味がようやくわかってきた。これはひょっとしてあれではないのか?学校を舞台にした漫画によく登場する、あの伝説のいたずらではないのか?子どもの頃からマンガが好きだった私は、幾度となく見た記憶がある。その光景を目の当たりにして、教師としてあるまじきことだがフッと笑いそうになった。ほんの一瞬だが。でも、笑いはしなかった。いたずらがバレたことがわかったので、Eという名前の男子生徒が、急いでその黒板消しを取りに来た。ドアの内と外で目が合った際には、彼は照れたような誤魔化し笑いのような表情を見せていた。固唾をのんで見守っていた生徒たちからは安堵の声が漏れた。さてこの場にどう決着をつけようかと思案しながら、私も教室の中へ入って行った。

 世の中では既にブラックと言われている、教員という仕事には嫌なことも多い。でも、大勢の子どもが相手ということで、大人ばかりの仕事場では味わえないような醍醐味もある。大人として生徒に接しなければいけないが、時には彼らの目線まで姿勢を下げて物事を考えてみる必要もある。幼い頃からマンガに親しんで育った私は物事を面白く考えがちで、それは一面子どもの感性に通じるものでもあると勝手に思い込んでいた。できれば無味乾燥な授業はしたくないと考え、生徒が眠たくなりがちな午後の授業などでは、笑いに結び付けようと無駄な努力をしていた。生憎、世代の違いのせいなのか、生徒からはあまり共感を得られず冷たくあしらわれていたが。例えば教材研究の際に思いついた渾身のセリフを授業で披露しても爆笑とはならず、クラスのあちこちから「さぶっ。」などという声が聞こえたりする。でも、それは意識して聞いているからこその彼らのリアクションであって、無関心で聞いていないよりは良いと自分に都合の良い解釈をしたりしていた。

 彼らと私は日頃からそんな間柄なので、今回のいたずらに対する対処の仕方もそれなりでなければならないだろうなどと考えを巡らせていると、いたずらの主犯らしい男子生徒の視線が気になった。問題の黒板消しを取りに来たEだ。後方の席で、彼は「こんないたずらはどうですか?」とでも言いたそうなどこか自慢げな表情をしていた。良いことだとは思わないだろうが、結果からしてもそれほど悪いことをしたとも思っていなさそうに感じられた。その顔を見るまでは、一度くらい騙されてやっても良かったかな?などと、血迷ったことも脳裏を過ったが、いやいやそんなことをしたら一度では済まなくなると思い直し、少し間をおいてひとこと言い放ったものだ。「こういうのは好きではないなあ。」と。それを聞いた時のEのガッカリした何とも言えない表情は、可愛そうにさえ映ったものだ。でも、だからといってチョークの粉塗れになるのは嫌だ。

 その日の国語の授業の前の、彼らの様子を想像してみると面白い。何人かがそのいたずらを思いつき、それがクラスで話題になったのだろう。一連の彼らの行動から推して反対意見の生徒も多かったはずだが、思いついた生徒たちは、いつもユーモアのある先生のことだから、怒られはしないような気がしたのかも知れない。反応が見たかったというのが本音のような気がする。止めておこうという意見もあったはずだが、結果として実行することになったので、女子生徒が二人で告げに来たのだろう。後になってみると、私がそれを見つけるまで殆どの生徒がネタバラシをしていたのだった。

 未遂に終わったことでもあるし、多数の生徒に阻止しようという意思が見えたので、その件に関してはお咎めなしということにした。それに何より主犯の生徒の意気消沈した様子を見ていたら、今後はいたずらといういたずらを一切できそうもないような気がしたから。勿論、彼は未遂に終わったことが残念だった訳ではない。自分が考えたいたずらを否定されたことがショックだったのだ。きつい言葉で叱られるよりもはるかに堪えたようだ。その後は黒板消しがドアに挟まれることはなかったし、これといっていたずらのようなこともなくなった。

               (六)

 一年間に一時間だけ、平和教育という名目の授業をすることになっていた。その年、私は一年三組でそれをやることになった。教科とは全く関係がなく教材を与えられる訳でもないので、自分で授業の組み立てを考え時間配分に合うようにと教材を探すことにした。まず、戦争を題材にした短編小説を読み聞かせて、その感想を何人かの生徒に発表させる。戦争の悲惨さを感じさせ、そこから平和の大切さに考えが及ぶように導いていく。そして、世の中の平和が続く為にはどうすれば良いか?自分たちに何ができるか?を考えさせる。とにかく一時間で完結しなければならないので走る走るの授業になるだろうが、そんな内容で進めていくことにしていた。

 そして、その日になった。普段の授業とは違うし、小説を読み聞かせてもらえるというのでクラス全員リラックスして楽しそうな雰囲気だった。用意したのはあまり有名な作品ではなかったので、読んだことがある生徒はいなかった。私も実は授業の準備で読んだのが初めてだった。戦争の様子を描写したものではあったが、それほど悲惨ではないものを選んだつもりだった。それに、小説そのものを鑑賞する為のものではないので、できるだけ抑揚をつけないで淡々と読み進めていった。

 ところが半分ほどまで読み終えた頃に、クラス中にかつてなかったような雰囲気が漂ってきた。シーンと静まり返ったと思うと、いつもの元気な彼らの様子と全く違う。やがて鼻を啜る音があちこちから聞こえ、気づかれないようにそっと手の甲で顔を撫でる者、ついにはハンカチを出して目頭を押さえる女子の様子も見られた。想像していなかった状況に戸惑いながら、益々感情を入れないように心がけて読み進めていった。

 読み終えた本から視線を移した時には、クラス中がお通夜のようになっていた。誰もが下に向けたままの顔を上げようとしない。涙ぐんでいることを悟られたくないことがよくわかった。こちらとしては困惑するばかり。まさかこんなことになるとは思わなかった。読み聞かせている最中にも、ひとりふたりよそ見をしたり落ち着きがなかったりするものだと、いつものように考えていた。ちょっと薬が効きすぎたようだ。

 それでもまあ、感想などを聞いているうちに落ち着いてくるだろうと考え、ひとりの女子生徒を指名してみた。大人しくいつも真面目なその生徒は、起立したものの言葉を発しようとすると嗚咽のようになってしまう。何度か試みるが言葉にならず、その内に大声で泣き出すのではないかと心配になった。もういいからと制して着席させ、別の生徒に聞いてみることにした。今度は平素から活発で元気そのものの男子を指名した。彼なら応えてくれるだろうと考えて。しかし、意外にその彼もまた何かを言おうとするのだが、これも途中で泣きそうになり、それっきり口を閉ざしてしまった。質問に対する答えではなく感想を聞いているので、応えられないということはない。というより二人の態度から察するに、言いたいことはあるのだ。でも、言葉にしようとすると込み上げてくるものがそれを阻止してしまう。いつものあの元気な彼・彼女等は何処へ行ったのだろう?また別の生徒にと思いクラス中を見回してみても、皆が下を向いてしまいその様子に困り果ててしまった。

 そうこうしているうちに、時間はどんどん過ぎていく。時計を見てみると、既にまとめをしなければいけない時刻になっている。そこで、もう腹を決めた。感想を聞かなくても作品が彼らの心を打ったということは眼前の様子で明らかである。だから、今回何故その作品を選んだかということについて改めて考えさせ、平和の大切さへと導くことにした。それから、平和を守る為に自分たちにできることは何か?大人になった時に、平和な世の中を守る為に何をすれば良いのか、何ができるのかを考えさせて発表をと思ったのだが…。その後も何を言っても何を聞いても黙ったままで言葉が出て来ない。相変わらず下を向いて涙を堪えているようだ。結局、意図せずに全てが自問自答形式になってしまった。授業の最悪のパターンとでも言おうか。でも、単なる失敗ではなく、どこかに救いはあるはずだと自分に言い聞かせた。

               (七)

 教育実習でお世話になった中学校で、担当した生徒たちとの関係をとても良好に保てたことがずっと思い出になっている。最後の日に、クラスのひとりひとりが書いてくれた手紙を長い間大切にしていたものだ。そんな経験があったので、実際に教員として仕事をすることになった時にも、生徒との関係性においての不安は持っていなかった。

 ところが、教員として教壇に立つのが一か月後と迫った時、書店で何となく手にした本の一文を読んだことで、それまでの考えが一新されたのだった。そこには「好かれる先生より、信頼される先生になりなさい」と書いてあった。なるほどと思った。信頼できるから好きにはなっても、好きだから信頼できるとは必ずしもならないだろう。実習という限られた期間だから、良好な関係でいられたのかも知れない。あの短い時間で、生徒から信頼されるほどの関係性が築けていたとは思えない。あれこれ指図をされてそのとおりに行動しなければならない生徒にとって、教師との間に信頼関係がなければ学校生活は成り立たない。逆に信頼関係さえできていれば、保護者の横槍が入りそうになっても生徒の側でそれを許さないだろう。

 本から学んだ一文は、その後の教員人生においていつも道標として頭の片隅にあった。


 





 


 





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ