表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽園の果実を巡る小さな戦い  作者: シャルル
6/8

5章 一寸光陰にして功成し難し

サブタイ考えるのが苦しくなってきました。

 光太郎の脈が途切れたのを確認してから、香澄はしばらく動かなかった。洋はどう声をかけたものかと迷っていたが、なかなか良いものが思いつかない。

 そうして幾らか停滞した時間が流れた後、香澄がぼそりと言った。

「洋君、お兄ちゃんは、どうして私なんかを守ろうと思ったのかな?」

「それは、お兄さんにとって香澄さんが大事なものだったからだよ」

「それは、洋君にとっても?」

 洋は先ほどの光太郎への誓いを思いだし、頷いた。

「そうだよ」

「なら、洋君も、私に何かあったら死んじゃうかもしれないの?」

「・・・・・・そうだよ」

 酷だとは思うが、洋としてはそれは絶対に譲れない一線だ。もう二度と、香澄を傷つけさせない。それは洋の決意であり、光太郎との契りだ。

「そっか・・・・・・」

 香澄は小さく息を吐いて、それから勢いよく立ち上がった。そしてまっすぐ洋を見据える。

「なら私は、自分の身は自分で守れるような強さを身につける。絶対に洋君一人で戦わせたりしない」

 洋は香澄の視線にたじろぐ。

「でも・・・・・・」

 しかし、洋は反論できなかった。香澄が人差し指をたてて、それを洋の唇に押し当ててきたのだ。

「でももだってもないわ。もうこんな思いをするのは嫌だもの」

 こうまで言われてしまっては、洋は二の句が継げない。人差し指を唇から離して、洋は言った。

「・・・・・・分かった。でも、無理はしないでね」

「もちろんよ。したら、洋君が怒って無理するからね」

 そうして、香澄は小さく笑う。明らかに作り笑いだと分かる笑い方だったが、洋はそれでもよかった。

 願わくは、この笑顔がいつもの明るいものに戻る日まで一緒にいたい。洋はそんなことを考えるのだった。


 サラの対策方を考える前に、二人にはやらねばならないことがあった。基樹と光太郎(の体)の処分だ。二人とも『知恵者』に殺されているため、リンゴを奪って元の人間にすれば、その死体は消える。

 気持ち悪さをこらえて基樹の体をまさぐると、三個のリンゴが出てきた。しかもそのうち二個は未使用のようで、残る一つもまだ半分以上残っている。

 光太郎からは半分ほどなくなったリンゴが一つ。実働部隊とはいえ、監視が主な任務だったらしいから、妥当といえば妥当だろう。

「三枝君のリンゴは全部洋君のでいいよ」

 香澄はそう分配した。

「えっ? でも三個もあるよ。香澄さんだって『知恵者』なんだから、リンゴは必要だよ」

「でも、今回は洋君に無理させちゃったし。それに、お兄ちゃんのリンゴは私が持っていたいの。これは私のわがままだから、ね?」

 ひとまずはそれで納得し、香澄のリンゴが少ない時は洋のリンゴを使うことをためらわないように約束させて、その場は収まった。

 リンゴを失った死体が見る間に消えていく。

「さようなら、お兄ちゃん・・・・・・」

 香澄が小さくそう呟くのを聞きながら、洋も静かに黙祷した。

 完全に死体が消えるのを見てから、洋と香澄は向かい合う。

「さて、これからのことだ。サラは後一時間くらいで来るって言ってたね」

「ええ、でも、その・・・・・・」

「どうしたの、香澄さん?」

「洋君は、いいの? サラさんとは全く知らない仲じゃないんでしょう?」

 香澄にそう言われるも、洋の中にはもう迷いはなかった。

「いいんだ。僕は香澄さんを守るって決めたんだから。それに、暴走状態になってるなんて、サラが可哀想だ。僕はやるよ」

 洋の決意を受けて、香澄も表情を引き締めた。

「実はね、洋君。私に一つ作戦があるの。多分、今できるのはこれしかないと思う」

「・・・・・・まさか!」

 洋にも思い当たる節がある。そして、香澄はそれをやりかねない。

「私の『天啓』を使うの。『全知全能(アカシックレコード)』だっけ? それを使えば、サラさんに勝てる可能性はグンと上がるわ」

「でも、それじゃ意味がない!」

 洋は必死で香澄を止める。

「僕も、それからお兄さんも、香澄さんがそんなことをしないように守ってきたんだ。香澄さんが傷つくんじゃ、意味がないんだよ」

「でも、私もただ守られているだけなんてもう嫌よ」

 香澄は残酷なまでにきっぱりと、洋の言葉をはね除けた。

「私は何も知らないままだった。だけど、もうそれだけじゃ嫌なのよ。私のために誰も傷ついて欲しくない。それでも、洋君はきっとお兄ちゃんみたいに、ボロボロになっても戦い続けるんでしょ?」

「それは・・・・・・」

「だったらせめて、その手助けくらいはさせて、お願いよ・・・・・・」

 それはもう希望を通り越して懇願の域だった。流石の洋も、これにはたじろぐ。

 そして香澄はその隙を見逃さなかった。素早くリンゴを取り出し、大きく一口、囓りとった。

「あっ!」

 声を上げたのは洋だったのか、香澄だったのか。あるいは同時だったかもしれない。リンゴを食べた瞬間、香澄の雰囲気が大きく変わった。

 存在感が希薄なようで、その実かなり大きい。まるで大きな山の麓にいるようだ。目に見える範囲を大きく超えて、香澄が大きくなっていく。

「すごい・・・・・・。これが『全知全能(アカシックレコード)』・・・・・・」

 香澄が呆然として呟く。洋は慌てて香澄に駆け寄った。

「香澄さん、大丈夫?」

「ええ、大丈夫。むしろ気分が良いくらい。すごい量の情報が入ってくるのに、私はそれを最初から知っていたみたいな感じ」

 洋には全く想像がつかなかったが、ひとまずは香澄が無事なようでほっと息を吐く。と、その瞬間、香澄が大きくよろけた。洋は急いで香澄に手を貸し、ベッドに座らせる。

「ああ、ありがとう、洋君。何だか、自分の体が自分のものじゃないみたいに動かなくって・・・・・・」

「香澄さん、もう喋らないで」

「そうはいかないわ。私は洋君に大事なことを言わなきゃならない」

 そして香澄は語り出す。今まで洋達が生きてきた世界の裏側で起きていた事実を。香澄の口から紡がれる言葉を洋は静かに、ただし、確かな驚きとともに聞いていた。

 やがて、香澄が口を閉じる。その目はトロンとしていて、今にも眠ってしまいそうだ。

「ありがとう、香澄さん」

 洋の言葉に、香澄は小さく頷き返す。それから消え入りそうな声で言った。

「これで、私は洋君のこと忘れちゃうんだね」

「・・・・・・うん」

 分かっていたことだ。でも、それが洋には辛くてならない。洋が香澄と過ごしたこの五日間は、洋にとって実にかけがえのないものだった。それが香澄から消えてしまうのだ。悲しくないわけがない。

「嫌だなあ・・・・・・」

 俯く洋の耳に、そんな声が響いてきた。

「嫌だなあ、洋君のこと忘れちゃうなんて。せっかく知り合えたのに・・・・・・」

「香澄さん・・・・・・」

「ねえ、洋君。今ね、私、洋君が何考えてるのかもわかるんだよ。洋君がどれぐらい私のこと想ってくれてるのかも伝わってるんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「だからね、私が洋君のこと忘れちゃっても、ずっとそのままでいてね」

「・・・・・・・・・・・・」

「忘れちゃっても、すぐに洋君だってわかるようにいてね」

「・・・・・・分かった。香澄さん」

「そう、よかった」

 それだけ言い残して、香澄は力尽きたように寝入った。洋は静かに香澄の髪をなでる。

 次に香澄が目覚めた時には、香澄は自分のことを忘れているだろう。それでも、洋は香澄を守る。誰の意思でもなく、洋が決めたことだ。たとえ神様が相手でも、洋の意思は変わらない。

 洋は時計を確認する。そろそろ光太郎が予言した時間だ。洋は立ち上がり、病室を出る。

 扉を閉じる寸前に、洋は小さく言った。

「お休みなさい、香澄さん」


 洋は病室を出て、何とはなしにエントランスの方へ向かう。途中、いくつかの病室を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。ナースステーションにも人がいない辺り、これは明らかに人為的なものだ。恐らく基樹が、ここが戦場になると予想して手を打ったのだろう。抜かりのない奴だ、と洋は感心した。

 そのまま暫く歩くと、向こうからカツカツと足音が響いてきた。この病院に他に人はいない。相手は、やはり予想した通りの人間だった。

 蛍光灯に照らされて、サラが現れた。

「やあ、サラ」

 洋は気さくに声をかける。これでサラが本当に暴走状態なのか確かめようとしたのだ。

「こんばんは、仇村さん。そして、ごめんなさい」

 サラは小さく頭を下げてきた。

「何を謝るんだい?」

「私にはどうしても守らなくてはならない人がいるのです。あなたはその人の敵です。だから、私はあなたを殺さなくてはならないのです」

「それは奇遇だね。僕にも守らなきゃならない人がいるんだ。僕が死ねば君の次の狙いはその人になる。そうだね?」

 洋は言いながら、両手を前に突き出す。サラも体を半身に構えた。

「ええ、伊吹香澄は私の守る人――伊吹香澄の敵ですから」

 次の瞬間、サラの右手から光の剣が伸びる。サラはそれを素早く横に振った。

 その攻撃を予想していた洋は一歩後ろへ跳ぶ。皮一枚でそれを躱すと、『万有引力(グラビドン)』を発動させる。サラの体は勢いよく後方へ吹き飛び、廊下の端のドアに当たった。サラが体勢を立て直すまえに洋は接近し更に『万有引力(グラビドン)』を発動。サラは鉄の扉を壊して外へ飛び出した。

 扉の向こうは非常階段になっている。サラは壊れた扉を桟の向こうへ蹴り飛ばし、その反動を利用して室内に戻ってきた。そのタイミングを見計らっての洋の拳がサラの顔に突き刺さる。サラは再び踊り場まで飛ばされた。

 洋がサラに馬乗りになって追撃を仕掛けようとしたとき、一条の光線がサラの胴体から放たれ、それを阻んだ。間一髪でそれを躱した洋も、一定の距離をとる。

「私の光線が手からしか出せないと、誰が決めました?」

 サラは言いながら立ち上がる。無論洋はそれぐらい予想していた。いや、知っていたのだ。香澄に教えられて。

「僕はサラの『天啓』については知ってることが少ないからね」

 これはブラフだ。今や洋は恐らく使い手のサラ以上にサラの『天啓』を知っている。だが、それでも一筋縄でいく相手ではない。

「では、参ります」

 サラの両手に光の剣が装備される。サラはそれをその場で振った。

 剣はとても洋に届くほどの大きさはない。洋の気が一瞬緩む。

 その時、サラの剣が二倍以上にも伸長し洋のいる場所を切り裂いた。

「これを躱しますか」

 感心したようにサラが呟くが、避けた洋にも余裕はない。実際、服の胸には剣がかすったことを示す焦げ跡がついていた。

「では、これならどうでしょう?」

 サラはその場で複雑に二本の剣を振るう。そしてその剣は、洋の体に届く瞬間だけ伸びるのだ。安心することはできない。

「くっ!」

 洋は光の剣を避けながら、掌をサラに向けようとする。サラはそれを見て、剣舞を止めることなく、もう一つの『天啓』の使い方をした。

「何だって!」

 サラの体が全く見えなくなったのだ。合わせて、剣による攻撃も止んだが、これでは狙いのつけようがない。

「光の能力でどうやって消えるんだ・・・・・・」

「光の屈折を利用しているのです」

 洋の呟きにサラの答えがあった。声は洋の右後ろから聞こえるが、音源は移動しているようだ。

万有引力(グラビドン)』は射程こそ長いが、効果範囲はそう広くはない。もっと正確な位置を知らなければ、洋の方から攻撃を仕掛けることはできないのだ。

「光の屈折?」

 洋は聞きながら、サラのいる場所を探る。声が聞こえる以上、足音などの音に関することは消せないはずだ。そもそも洋はどうしてサラが消えるのかを知っているが、ここは時間稼ぎに徹する。

「ええ。私の『光芒千里(スペクトル)』は身の周りの光を集め、歪め、自在に操る『天啓』です。光を屈折させて、自分を見えなくすることは容易くできます」

「なるほど、それは便利な『天啓』だ」

「そうでもありません。便利過ぎるというのは制御の難しさも意味します」

「そういえば、サラが学校に通えなくなったのも、『天啓』の制御に関係してるんだっけ?」

 サラの言葉が止まった。今のは失言だった。自分から手がかりを消してどうする! 普段から人と話していないことが悔やまれた。

 幸いにも、サラはしばらくすると再び話し始めた。

「そうですね。だから私は、組織にはいってから『天啓』の制限に重きを置くよう支部長に言われました。万能性を抑えることで、十全に使えるようにしようとしたのですよ」

「『天啓』の制限か。香澄さんにもできた方がよさそうだな。具体的には何を?」

「『天啓』の使い道を三つに絞りました。射程無視の光の剣を作り出す『(ソード)』、光を打ち出す『(レイ)』、そして光を屈折させて姿を消す『(ライト)』の三つに」

 ここまでの会話で、大雑把なサラの位置は特定できた。洋がそこから絞り込もうとしたとき、サラが意外な発言をした。

「仇村さん。どうして私がこんなに自分の『天啓』について話すか分かりますか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 そういえばそれは大きな疑問だ。サラがこんなに素直に自分の『天啓』について話してくれるのならば、わざわざ香澄に『全知全能(アカシックレコード)』で探ってもらう必要もなかった。そもそも基樹がサラの『天啓』を探ろうとしていた以上、これはおかしいことなのだろう。

 いや、洋はほんの数日前、同じような質問を別の人間から投げかけられている。その相手は種明かしをしてくれた。それは確か――

「あなたを仲間にしたいからです、仇村さん」

 スティーブンと同じことをサラは言った。

「あなたはリンゴの危険性をよく知っている。そして、それがどんなにくだらないものかも。落合善治への啖呵には皮肉ではなく感心しているのですよ」

「・・・・・・僕は組織の一員なんだろ? 仲間にしていいのかい?」

「あなたが組織に入ったのは最近のはずです。支部長にどう唆されたのかは分かりませんが、私に協力した方があなたにとっても有益だと主張させて頂きます」

「なるほど。仮に僕がサラの仲間になった場合、香澄さんはどうなる?」

 サラは一拍置いてから答えた。

「あなたは人を疑い、信じない人間です。その点、伊吹香澄は頭は切れますが、少し直情的過ぎる嫌いがあります。そこにつけ込まれて、組織の仲間にならないとも限りません。だから、彼女は殺します」

「そうか・・・・・・」

 洋は息を吐いて、それからサラがいるであろう位置を睨んだ。

「なら交渉決裂だ。僕は君を倒して香澄さんを守る」

「そうですか。残念です」

 サラが姿を表し、光線を放つ。洋はそれを躱して、反撃に出ようとする。その時、洋の後方から光線が洋の脇腹を貫いた。

「何っ!」

 洋は慌てて後ろを振り向く。事前の情報では、光線はサラの体からしか放たれないはずだ。

 そして洋は見つけた。先ほどの光線の軌道上の壁に、手鏡がテープで留めてある。恐らくは洋がサラを見つけようと耳を澄ませている時に細工したのだろう。その鏡が光線を反射して洋を攻撃したのだ。

「ぐっ!」

 洋はサラから距離をとる。傷は痛むが、動けないほどではない。

「『光芒千里・(スペクトル・ソード)』」

 サラの振るう剣はあっさりと洋との距離を埋め、切り刻まんと襲いかかる。光には実体がない以上、『万有引力(グラビドン)』では防御できない。

「それなら、こうするまでだ!」

 洋は両手を床へと向ける。斥力は床を砕き、生まれた穴へと洋は落ちていった。目標を失った光の剣をサラは引っ込める。そして自分も洋を追って穴へ飛び込む。

 しかし、彼女が地面に着地することはなかった。

 穴の中心で待ち構えていた洋が斥力でサラの体を押しあげたのだ。サラはそのまま天井に激突する。それでも、洋が支えているため、落ちることはない。

 洋は空いている方の手で落ちている拳大のがれきを引き寄せると、それを斥力でサラ目がけて発射した。

「『光芒千里・(スペクトル・レイ)』多重掃射」

 サラの体から幾本もの光線が放たれる。光の雨にがれきはあっさりと撃ち落とされ、さらにそれらは洋を攻撃する。

 洋はたまらず穴の真下から抜け出す。同時にサラを支えていた斥力も消えた。サラは猫のごとく空中で一回転して着地する。光線で上がった土煙など気にせずに洋の走り去った方向へ光線を放った。

 もっとも、そんな適当な狙いでは洋には当たらない。サラもそれは百も承知だ。これは牽制である。

 洋は見事にそれに嵌まった。土煙の中からでも自分のことが見えているのではないかと思い、その場で立ち止まって後ろを振り向いたのだ。

「『光芒千里・(スペクトル・ライト)』」

 サラは土煙の中で体を不可視化して、手近にあったがれきを拾い、放り投げた。同時に自分は反対方向から飛び出し、洋との距離を詰める。

 洋はとっさにがれきの方に反応してしまう。慌てて逆を見るが、そこにサラの姿が見えない。状況が整理できずに、洋は固まってしまう。その隙にサラは洋の首筋に蹴りを入れた。

 ダメージを受けたというより、攻撃されたという事実の方に驚いて、洋は地面に転がってしまう。サラは足下の洋に向けて光線を放つ。洋は横に転がりながらそれを避ける。

 光線を撃った時点で自分の居場所はばれていると判断したのだろう。サラは透明化を解くと、光の剣を伸ばして、それで洋を切り裂こうとする。

「『万有引力(グラビドン)』!」

 洋はとっさに『天啓』でサラの振り下ろそうとしていた腕を弾く。無理な力を加えられたサラの肩からゴキリ、という鈍い音がした。

「っ! もう一本!」

 サラが光の剣をもう一本伸ばすが、その時には洋は立ち上がり、病院の外へと逃げ出していた。

 流石に射程範囲外だと見て取って、サラは剣を納める。それから洋を追って駆け出した。


「はあ、はあ・・・・・・」

 病院を抜け出した洋は、しかし病院の敷地からは出ていなかった。当然だ。香澄から離れてしまっては、サラがそちらに標的を変えてしまうかもしれない。あくまでつかず離れずでいる必要がある。

「でも、それだけじゃ根本的な解決にはならない・・・・・・」

 サラを排除できなければ、やがてサラは香澄を攻撃しにいくだろう。『全知全能(アカシックレコード)』の反動で動けない香澄に身を守る手段はない。

「つまり、僕がなんとかするしかない」

 自分の中の決意を改めて口にすることで、洋は自分を奮い立たせる。そうでもしなければ、今すぐにここを逃げ出したくてたまらなくなりそうだった。

 洋が知っているサラの『天啓』の弱点は二つ。一つ目は、効果範囲だ。単純に自分のところへ光を集めるだけならばかなり広い範囲を対象にできるが、それらを束ねて放つとなると自分のすぐ近くで操作しなければならない。

 二つ目は、放つまでに一瞬だがタイムラグがあることだ。『(ソード)』にせよ『(レイ)』にせよ、光を放つ時はその起点に小さな光の玉ができる。その直後に攻撃がくるのだ。光球がでるのは僅かコンマ数秒とはいえ、『知恵者』ならばギリギリ回避できる。洋は全宇宙最速の攻撃を先ほどからそうやって躱していたのだ。

 しかし、洋にも予想外の事態が起こっている。サラの『光芒千里・(スペクトル・ライト)』だ。姿を隠すだけのこの使用法を洋はあまり脅威としていなかったが、それは誤りだったと痛感させられている。むしろ、これが一番厄介だ。

 この使用法なら自らのそばに光を集める必要はないため、どちらの弱点も潰れる。『天啓』で攻撃しようとすれば光球ができるから居場所がわかるが、サラは格闘術も一流だ。わざわざ『天啓』を使わずとも近接格闘で洋を圧倒できる。

 つまり、『光芒千里・(スペクトル・ライト)』を攻略しないことには、洋に勝ち目はない。

「よし、いくぞ」

 洋は物陰を伝い、様子をうかがいながら病院の内部へ戻っていく。そして慎重にサラを探す。二階に上がると、相手はすぐに見つかった。洋は角に素早く身を隠す。どうやら悟られてはいないようだ。

 サラは静かな足取りで辺りを見回しながら歩いている。右腕が力なく垂れているのは先ほどの洋の攻撃が効いているからだろう。だが、『知恵者』の回復力は侮れない。すぐに動かせるようになるはずだ。

 しかも、この階には香澄がいる。なるべく早めに決着をつけるか、最低でもここから引き離したい。

 そのためには不意打ちによる攻撃が有効だ。洋はじっと息を殺してチャンスを待つ。

 サラがゆっくりと洋に近づいてくる。ゆっくり、ゆっくりと。実際にはそこまでではないのであろうが、今の洋には一秒が一時間にも感じられる。

 ゴクリ、と生唾を飲み込む。この音を聞かれていないだろうか。この音でばれていないだろうか。頭の中を様々な不安がよぎる。

 そして、サラが洋の隠れている角の前を通り過ぎる。サラが背を向けた瞬間、洋は角を飛び出した。

「『万有引力(グラビドン)』!」

 洋は全力で『天啓』を発動させる。それは基樹の、人間の腕を引きちぎるほどの力でサラを襲う。サラは意表を突かれて動けない。

 勝った。洋はそう思った。

「『光芒千里・(スペクトル・ソード)』」

 しかし直後にそれは間違いだったと悟る。サラの両手から光の剣が伸びる。それは泥の中に釘を突き立てるように抵抗なく床に刺さる。サラは手首を少し返して円形に床を切り取った。そこからサラは落下していく。それは洋がサラの攻撃を避けるために行った策と同じものだった。

「くそっ!」

 慌てて洋も穴から飛び込む。一階に着地して、辺りを見回すも、そこにサラの姿はない。

「やられた……」

 洋は思わず呻く。恐らく『光芒千里・(スペクトル・ライト)』で姿を隠したのだ。

「どこだ……。どこにいるんだ……」

 洋は焦りながらひたすら視線を巡らせる。その最中に首筋に激しい衝撃が走った。

「ぐあっ!」

 洋は叫びながらも、なんとか倒れることだけは堪える。攻撃のきた方向へ『万有引力(グラビドン)』を発動させるも、なんの変化もない。洋を攻撃してからすぐに移動したのだろう。

 今度は後方からの攻撃。洋はガードもできずにまともに食らってしまう。

 光を屈折させて姿を消しているのならば、音はするはずだ。洋は目を閉じて耳に神経を集中させる。

 僅かな靴音。

 その瞬間、洋の左側頭部に衝撃。右拳による攻撃だ。洋はよろめきながらも目を見開き、『天啓』で迎え撃とうとする。

 洋が手を掲げた瞬間、今度は右後ろで物音がする。洋は素早く攻撃の方向を修正する。

「え?」

 しかし、攻撃が決まった様子はない。洋が足下を見ると、石ころ大の、前の攻防で洋が壊した床のがれきの一つが落ちていた。

 洋がその意味を理解できずに困惑している間に、二撃三撃と後ろから攻撃される。これにはたまらず、流石に床に倒れ伏す。

 ことここに至って、洋は何が起こったのかを理解した。サラは洋を攻撃した後、がれきを放って音をさせたのだ。洋が音を基準に自分の位置を探ってくると見越した上での策。洋はそれに見事に嵌まったというわけだ。

 暗闇に光球が浮かび上がる。その数、数十。下に逃げようにも、ここはもう一階。これ以上の下は無い。

「くそっ!」

 洋は素早く腕を上に向けた。

 直後、引力により天井が崩れ、がれきが洋へと降り注ぐ。サラは自分も危ういと見て取って、攻撃を中断し、その場から離脱した。


 土煙が収まり、サラはがれきの山の前に戻った。あまりに高く積み重なったそれに押しつぶされた以上、洋はもう生きてはいないだろう。

「どうか安らかに、仇村さん」

 サラは素早く十字を切ると、がれきの山に背を向ける。

 その瞬間、ドカン、という激しい音とともにがれきの山が吹き飛んだ。大きながれきの一つがサラに当たり、体が吹き飛ぶ。そのまま勢いよく壁に激突した。

「く、はぁっ!」

 サラの肺から空気が全て抜け、体が酸素を求めて必死で呼吸しようとする。しかし、何が起きたのか分からず混乱が大きいため、うまくいかない。

 攻撃はそれだけでは終わらない。拳大のつぶてがいくつもサラの体を貫く。いくつかは光線で迎撃したものの、とても全てはさばききれない。サラの口から血がこぼれ出た。

 ゆがむ視界が、土煙の中から立ち上がる影を捕らえた。左足を引きずりながら現れたのは、洋だった。

 まさしく満身創痍。顔は血で汚れ、右腕は明らかに異常な方向を向いている。左足に至っては完全に潰れている。流石の『知恵者』といえど、完治はあり得ないだろう。そんな有様でも、洋の目からは戦意が消えていない。

 逃げなければならない。

 サラの本能がそう告げていた。経験上、捨て身になった人間ほど怖いものはない。

 恐らく洋は、自ら崩落を引き起こし、あえてその中心に身を置くことで、自分の周囲をがれきという砲弾で囲んだのだ。そしてそれを斥力で一斉に放つ。三百六十度、逃げ場のないこの攻撃ならばサラが姿を消していようと関係がない。

 もちろん、そんなことをするためには大きな力が必要だ。リンゴ一個ではとても足りない。二個か三個か、それだけのリンゴを消費しているのだろう。見かけ以上に今の洋は瀕死だ。

 洋がズルズルとサラへ近づいてくる。そして、サラの手前で止まった。

「『万有引力(グラビドン)』」

 洋が、ほとんど掠れて聞き取れない声で呟いて、左手をサラに向ける。

 ゴキリ。

「あ、ああああああああああああああ!」

 嫌な音とともにサラの右腕がねじ曲がった。続いて左腕、右足、左足。

 四肢を潰されたサラはもはや身動きすることすらできない。サラは全身を襲う痛みに必死で耐える。サラの絶叫が辺りに響き渡った。

 それらが一段落するまで、洋はじっとサラを見つめていた。ゼエゼエと息を荒くしながら、サラが問う。

「どうして、ひと思いに、殺してくれないのですか?」

「僕も、サラを殺すのが嫌だからだよ。サラにだってこの気持ちは分かるだろう?」

 確かに、サラは洋に、殺人は辛い、と言った。しかし、サラはだからこそ一瞬で相手を殺す。相手が苦しみにのたうつ様を見ないように。それによってもっと辛くなるのを避けるために。

 しかし、洋はサラの四肢を奪いながらも。殺さない。サラは洋が全く異質の存在になってしまったように思えた。

「そんな姿になっても、伊吹香澄を守りたいですか?」

「うん。香澄さんを守りたい。そのためだったらこれぐらいはやるよ」

 それから洋は、ゆっくり息を吐く。

「サラ、降伏してくれないか? さっきも言ったけれど、僕は君を殺したくはない」

 この後に及んで、何を甘いことを。サラはそう思うが、もはやそれを口に出すことも億劫だ。

 代わりに、サラは別のことを言うことにした。

「まさか、私が、もう戦えないとでも?」

 周りにある光を集めて、目の前に小さな光球を作る。それを見て、洋が右腕をサラに向けた。

 実際には、今のサラにできるのは精々光球を作りだすくらいのものだったが、洋に決心をさせるにはそれで十分だったようだ。

 サラの胸を力の奔流が襲う。メキメキと音を立てて肋骨がへし折れ、心臓が押しつぶされた。

 サラ――大島沙羅の歪んだ人生はこうして終わりを告げた。死に際の彼女の顔は、かつて彼女が学校に通っていた時にはよく見せていたという、満面の笑みだった。

ひとまず諸々決着がつきました。書いていた当時、作者はサラがこんなに活躍してくれるとは全く思っていなかったです。

投稿するにあたって読み返したらめっちゃサラが好きになりました。自分のキャラに惚れるとは・・・・・・。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ