4章 待ち人来たりて骨を遺す
説明パート2!
落合の一件から明けて一晩。洋は学校をさぼって秘密基地にいた。少し罪悪感はあったが、未だに登校してこない香澄の席を見るとどうにも心が落ち着かないのだ。
そんな洋の正面にはスティーブン。場所は最初に説明を聞いた応接室だ。
「昨日はご苦労だったね。まあ色々話は聞いているよ。失敗は誰にでもある。あまり気にしないことだね」
「いえ、でも・・・・・・」
「ミス伊吹は一命を取り留めたそうだ。病院の場所を教えるからお見舞いに行くといい」
スティーブンが一枚の紙を差し出してきた。そこには住所と地図が載っている。香澄の入院している病院のものだろう。
「マイケルの『天啓』、『無影霧幻』は自分の存在を希釈して『どこにでもいるけれどどこにもいない』という状態を作り出すものだからね。そのまま自分の存在を病院の前で濃くすれば一瞬で病院まで運べるというわけだ」
スティーブンの説明など洋の耳に入っていなかった。ただ、香澄が無事だったことに対する安堵だけが洋を包み込む。
一通り洋の反応が収まるまで待ってから、スティーブンは真面目な顔でこう言った。
「ところでミスター仇村。どうして僕がこんな風に味方の力を君に明かすのかわかるかね?」
「・・・・・・分かりません」
そういえば疑問だ。洋はまだ正式にこの組織の一員になったわけではない。それなのにこんなにペラペラと重要な情報をしゃべっていいものなのだろうか?
「それはね、君に仲間になってほしいからだ。君の『天啓』は汎用性の高い強力なものだ。僕たちはそういう力を常に欲している。そうでなくとも『知恵者』は貴重だ。一人でも仲間は多い方がいい」
「でも・・・・・・僕は・・・・・・」
「ミス伊吹のことなら気にするな。あれは詳細を伝えなかった僕の責任でもある。それに、入りたては皆そうさ。マイケルも昔大きな失敗をしたが、その後は組織に確実な成果をもたらしてくれている」
香澄を運んでいく際にマイケルが言い遺した言葉が思い出される。あれは自分の経験からでた言葉だったらしい。
「無理強いすることは出来ないが、僕としてはそう考えている、ということだけわかってくれ。ところで、君の要件は何だい? わざわざ学校をさぼってまでここへ来て、挙げ句僕と二人で話がしたいなんて、何かあったのかい?」
「いえ、ちょっと気になることがあったので。あの・・・・・・サラは今まで何人ぐらい『処理』してきたんですか?」
スティーブンは難しい顔をする。
「そうだな・・・・・・彼女はもう何年もここにいるから、正直覚えていないな」
つまり、彼女は覚えていられないほど沢山の人間を殺してきたということだ。幼いは大げさにしても、まだ年若いサラにとってそれはどれほどの苦痛だったか、洋にはうかがい知ることもできない。
「そういうデータとかって、とってありますかね?」
額に流れる脂汗をぬぐいながら、洋が聞く。スティーブンは頷くと、ソファーから立ち上がり、応接室を出て行った。数秒で一つのファインダーをもって戻ってくる。
「これだよ。彼女のデータは多いが、こなした任務というならここにあるはずだ」
スティーブンが差し出したファインダーを洋は受け取り、適当なページを開く。並んでいるのは人の名前とその『天啓』名だ。
一つ一つの名前を確認しながらページを捲っていくと、ある名前が目にとまった。
伊吹光太郎 『偶像布教』
「ああ、その人物か」
洋が見ているページを見て、スティーブンが言った。
「彼は自分に都合の良い感情を他者に埋め込む能力があったんだ。それで、学校内では人気者だったようだね。ただ、僕らの組織の人間に自分の思想を植え付けて支配しようとした。だからサラが『処理』したんだ」
スティーブンの説明に半ば確信を持つ洋。この伊吹光太郎という人物は香澄の兄だ。彼は『知恵者』だったのだ。
考えてみれば、完璧な人間などそうそういるはずもない。であれば、その偽物たちは何らかの裏技を使っているのだ。幸太の場合それは『天啓』だった。伊吹幸太郎もそれと同じだったのだ。
もっとも、香澄のような本物もまれにいるので必ずしも、というわけではないが。
「そういえば彼はミス伊吹と同じ名字だな。まあ伊吹なんて決して多くはないが、珍しい名字でもない。偶然だね。それに彼には両親以外に身内はいなかったはずだし」
「え? それは本当ですか?」
予想外の言葉に洋は面食らう。では洋の予想は外れているのか。
「どういうことかね?」
スティーブンが怪訝そうな顔で尋ねてくる。洋は愛想笑いを浮かべながら、いえなんでもないです、と言うしかできなかった。
秘密基地から出た足で、香澄の病院へ向かう。道中、新たに浮上した謎について考える。
まず、伊吹香澄の兄は光の剣を使う『知恵者』に殺された。『知恵者』の犯行は世界に歪められ、消え去る。現に昨日学校を去る前に学校の図書室へ寄ってここ数年の卒業者名簿を調べたが、伊吹性は一人もいなかった。
光の剣の『天啓』はサラが持っている。サラの任務のリストから彼女が過去に伊吹性をもつ人間を殺しているのも分かったが、その人物には妹などいないという。
ここまでで更に疑問が生じる。それは、香澄の持っていた情報の出所だ。仮に伊吹光太郎が香澄の兄だったとしても、『知恵者』であるサラに殺されたならばその記憶は香澄から失われるはずである。それはたとえ目の前で殺されていたとしてもだ。
香澄の目の前で『処理』が行われたとしても不審な点は残る。洋と幸太の戦いを香澄に目撃された件から、組織は目撃者も含めて自分の管理下に置こうとする。だのに、スティーブンら組織の人間は香澄と初対面のようだった。
もちろん彼らがそういう演技をしている可能性も無くは無いが、香澄についてはそれはない。彼女は良くも悪くも正直な性格だ。演技が得意とも思えない。
それにここまでの大前提が崩れるが、伊吹光太郎は香澄の兄ではない可能性もあるのだ。サラの任務リストに他の伊吹性はなかった。そうなると、サラの他に香澄の兄の敵がいるということになる。
「複雑になってきたなあ」
呟くと同時に、憂鬱な気分になる。香澄の兄の件もだが、そもそも香澄にどんな顔をして会えばいいのだろう。昨日の事件は未だに洋の中に強い悔恨の念と共に刻まれている。
「はあ」
洋は大きなため息をついた。
「仇村君! 来てくれたんだ!」
かなりの重傷――それも喉に――だったはずなのに、香澄は大きな声で出迎えてくれた。個室に入院している人間とは思えない元気さだ。
「何か出血の割に大した傷じゃなくて、それでも気絶までしてるからってことでここに放りこまれたの。こんなに元気なのにねえ」
そう言って力こぶを作ってみせる香澄。自分より幾分細い腕だが、力強い山が大きくそびえたっている。
「あの、伊吹さん・・・・・・本当にごめん。巻き込むつもりはなかったんだけど・・・・・・」
こんな時、はっきりものをしゃべれない自分が嫌になる。謝罪の言葉すらまともに言えないのか。そう自分を叱咤するも、うつむいた顔は上がらない。
「・・・・・・それについては、仇村君が謝ることじゃないよ」
香澄は優しい口調で言った。
「私が無理矢理頼み込んで、勝手に危険なことした結果がこれだもん。自業自得だよ。自分の身は自分で守るなんて偉そうなこと言っておいて、恥ずかしいったらありゃしない」
本当に恥ずかしそうに顔を赤らめる香澄。それを見た洋は、ああやっぱり伊吹さんは可愛いな、と思った。
「もういい、この話やめやめ! それより学校はいいの、仇村君?」
「あ、うん。さぼった」
「どこがいいのよ!」
「で、秘密基地に行ってきたんだ」
洋はベッドの脇にあった丸椅子に座る。今度は香澄の目を真っ直ぐ見ながら言った。
「いくつか確認するよ。まず、君のお兄さんの名前は伊吹光太郎で合ってる?」
「合ってるわ」
洋の表情を見て香澄も真剣なまなざしを向けてくる。
「次、光太郎さんの周りにいる人はどんな感じだった?」
「どんな感じって・・・・・・。そうね、お兄ちゃんの言うことに割とほいほい従ってた」
恐らくは『偶像布教』の力だろう。これで伊吹光太郎が香澄の言う『お兄ちゃん』であることは確定した。
「じゃあこれが最後の確認だよ。その『お兄ちゃん』は本当にいた?」
香澄の目が、何を妙なことを、と告げている。
「はい、確かにいたわ。これで何が分かったの?」
「どちらかといえばむしろ分からなくなったよ・・・・・・」
最大の疑問であった、伊吹光太郎には妹はいないというものが解消されていない。
「いや・・・・・・待てよ」
洋は伊吹光太郎の『天啓』の力を思い出す。確か――
「自分の都合のよい感情を他人に植え付ける・・・・・・」
この力が今も香澄に働いているとすれば、辻褄は合う。だがそんなことがありえるのだろうか。
『知恵者』が人を殺した場合、殺された人間の存在は『知恵者』を除く人間から排除される。たとえ殺されたのが『知恵者』であったとしても、死後にリンゴを盗られていた場合、この流れから逃れることはできない。
殺した『知恵者』がサラであった以上、リンゴは回収しているであろうし、洋は学校で伊吹光太郎なる人物について見たことも聞いたこともない。そんなに凄い人ならば、たとえ学年が違っても耳にはいりそうなものなのに。ということは、彼の存在は消去されていると見るべきだろう。
いよいよわけが分からなくなってき洋だが、その思考を携帯の着信音が遮った。見れば、スティーブンからだ。
「もしもし」
「やあ、さっきのいまですまないねえ。今、病院かい?」
「はい、そうですよ」
「では、そちらにマイケルが行っていないかい?」
「マイケルさん?」
洋の呟きを聞き取ったのだろう。香澄を見ると、首を横に振った。
「今日はお母さんと仇村君以外は誰も来てないわ」
「来てないそうです」
「ふむ、そうか。どうもありがとう」
そして、電話は切れた。洋と香澄は顔を見合わせる。どちらも不思議そうな表情だった。そして、お互い同時に吹き出す。
「あっはっは、仇村君変な顔!」
「伊吹さんこそ!」
こうして声を上げて笑ったのはいつ以来だろうか。実際にはそんなに経っていないはずなのだが、なにせここ二日はあまりにも色々ありすぎた。それこそ、人生観が百八十度変わってしまうほどに。
「ねえ、洋君って呼んでいい?」
香澄が聞いてきた。
「なんか名字で呼ぶのって他人行儀で落ち着かないの。代わりに私のことも名前でいいからさ」
「えっ!」
洋は驚いた。まさかあこがれの伊吹香澄と名前で呼び合う日が来るなんて!
「じゃ、じゃあ・・・・・・香澄・・・・・・さん」
「洋君」
「香澄、さん」
「洋君?」
「香澄さんっ!」
その後十回以上も呼び合った。最後の方、香澄はドン引きだったが、洋はホクホク顔であった。
翌々日、香澄が登校してきた。
彼女が教室に入って来た瞬間、教室がにわかに色めき立つ。洋はその喜びを分かち合う友人が今やいないことに一抹の寂しさを覚えつつも、彼女の帰還を喜ばしく思う。
と、彼女がちらりと目配せしてきた。洋は彼女の言わんとするところを読み取り、小さく頷く。
こういうやりとりも、香澄と通じ合っているようで、洋には心地よく感じられるのだった。
放課後になると、また香澄が職員室から鍵を盗み出し、二人で屋上に行った。
「何か、こうして会うのも久しぶりって気がするね。実際は二日ぶりなのに」
「そうだね。僕としては久しぶりどころか夢みたいな気もしているんだけど・・・・・・」
「夢みたい? どうして?」
「いや、だって・・・・・・香澄さんみたいなすごい人と僕みたいな奴じゃ釣り合わないでしょ?」
それを聞いて、香澄は少し不機嫌になる。
「そういうの、よくないと思うんだ」
「え?」
「だから、釣り合うとか釣り合わないとか。人はみんな平等でしょ?」
「・・・・・・うん、そうだね」
そんなことはない、と洋は言いたかった。実際幸太がいなければ友達の一人もいなくなってしまう自分と、数日のブランクなどものともせずにクラスに溶け込む香澄とでは大きな差がある。
だが洋はあえてそれを言わない。優しい香澄はそれだけで悲しくなるだろうし、そんなことは洋も望んでいない。それに、彼女の意識の中でだけでも平等に扱ってもらった方が、洋としても嬉しい。
「おうおう、青春してるねえ」
突然声がした。給水タンクの方を見れば、いつかのように、基樹がいた。
「いや、そんなに警戒すんなって。今日は別に任務があるわけじゃねえよ」
「・・・・・・じゃあ何しに来たんだ?」
洋が怪訝そうに問うと、基樹はガリガリと頭を掻きながら言った。
「マイケル知らねえか? 伊吹の見舞いに行くって言って出て行ったきり戻ってないんだよ」
「え?」
そういえばスティーブンがそんな電話をしてきたような気もする。だが、マイケルがいないというのはどういうことだろうか。
「マイケルは伊吹、お前のことを随分心配しててな。まああいつの『天啓』なら移動も一瞬だから、スーさんも許可したんだ。だけど、一向に戻ってこない。連絡もつかないから困ってるんだ」
「それはまさか・・・・・・」
洋は状況を整理しようとしたが、それより早く香澄が答えた。
「未知の『知恵者』に襲われた可能性があるってことね」
基樹は満足げに香澄を指さす。
「そう、その通り。理解が早くて助かるぜ」
そして洋の方を向いた。
「仇村には今回の調査につきあってもらう必要はない。ただ十分に注意してくれと、そう言いに行けってスーさんが言うから来ただけだ。じゃあな」
基樹はそれだけ言い残すと、地面のコンクリートに沈み込んでいった。『天衣無縫』を使ったのだろう。
基樹が完全に見えなくなってから、香澄が口を開いた。
「あいつが探してる『知恵者』、私たちで見つけよう」
それを聞いて洋は驚く。
「どうして? 任務じゃないって――」
「だって悔しいじゃない!」
香澄が洋の言葉を遮って言う。
「私のせいで洋君が無能みたいな扱いされて、あったま来た! 絶対に一泡吹かせてやるんだから」
「でも・・・・・・」
香澄のせいなどではない。この前の失態はすべて洋が不甲斐ないから起こったことだ。そしてそれを通じて、洋はいかに自分が無能なのかを思い知った。あんな思いをするのはもうごめんだ。
「とりあえず、今から病院まで行くわよ。マイケルさんが最後に行くって言ったのがそこだから、何か手がかりが残っているかもしれない」
「・・・・・・僕には・・・・・・」
「洋君が行かないなら私だけで行くわ。これは私が起こした問題なんだから」
香澄は力強く言い切った。
「・・・・・・分かった」
確かにつらい思いをするのは嫌だが、香澄が危ないことに巻き込まれるのはもっと嫌だ。洋は覚悟を決めた。
病院に着いたのは日がそろそろ沈もうかという時間だった。
「まずはこの辺りを確かめましょう。洋君はあっちで、私は――」
「待って、離ればなれにはならない方がいい。敵の『知恵者』がどんな『天啓』をもっているかわからないんだから」
香澄は少し考えてから頷いた。
「そうね。分かったわ。私も、もうあんな目には遭いたくないしね」
そして二人で病院の付近を見て回る。しかし何も見つからない。空が真っ暗になったあたりで、香澄が誰に聞かせるともなく呟いた。
「いないわね」
「うん・・・・・・。やっぱりマイケルさんは病院に向かう途中で何か事件に巻き込まれたんじゃ・・・・・・」
「でもあの人の『天啓』は瞬間移動みたいなものなんでしょう? だったら道中で何かあるとかあり得ないんじゃないの?」
議論が煮詰まってしまった。こうなれば、残る可能性は限られてくる。
「ということは、病院に着いた時になにかあったか――」
「あるいは、そもそも病院に向かわなかったか、ね」
洋の言葉を香澄が引き取る。そして二人して頭を捻った。
「せめて何かしら痕跡があるといいんだけれど・・・・・・」
当然、そんなものは思いつかない。
「とにかく、病院の受付で話を聞いてみましょう。もしマイケルさんが来ていたら、きっと何か分かるはずよ」
二人はもと来た道を引き返し始める。
道中、洋は香澄の横顔を見つめていた。今回のように右も左も分からないようなとき、香澄の積極性が洋にはまぶしく映る。
逆立ちしてもこうはなれないと洋は思うのだった。
日も暮れて病院が深夜営業に入る直前の時間に、洋と香澄は病院の中に入った。そして一直線に受け付けへと向かう。
「あの、すいません」
「あら伊吹さん。確かちょっと前に退院したはずじゃ・・・・・・」
病院の受付の人にまで名前を覚えられていた。香澄の顔の広さはってつもないと洋は思った。
「そうなんですよ。ただ、その日に私にお見舞いに来てくれたって人がいるって聞いたんです」
「ああ、いたよ。スラッとしたかっこいいお兄さんだね。伊吹さんを運んできたのも彼だったね」
「そうですか」
香澄がチラリとアイコンタクトをとってくる。あのときは気が動転していてマイケルの顔をはっきり覚えていたわけではなかったが、香澄を運んできたならばほぼ間違いないだろう。
洋は香澄に小さく頷き返す。香澄はすぐに受付の人に視線を戻した。
「その人、何か言っていませんでしたか?」
「そうねえ。特には何も」
「そうですか・・・・・・」
手がかりはなかった。これでいよいよ当てがなくなってしまう。
そう思った時、受付の人がポンと手を打った。
「そういえば、妙なことは言ってたねえ。伊吹さんの病室は二〇八号室だ、とかって」
「え? でも私の病室って三〇五号室でしたよね?」
「そうよ。そもそも彼もあなたをその部屋に運ぶのに協力してくれたのにねえ」
「今、二○八号室には入院患者はいますか?」
洋が聞いた。見覚えのない顔に困惑しながらも、受付の人は答えてくれる。
「いいえ。珍しく今は一人もいないわ」
「それだ!」
洋は香澄の手を取って階段へ向かう。受付の人が制止する声も耳に入らない。
二階へ着くと、今度は香澄が先を歩き出した。
「こっちよ。私は元入院患者だから、洋君よりも詳しいわ」
歩きながら、香澄が洋に聞いてくる。
「どうして二○八号室へ行こうと思うの?」
「明らかに不自然な行動だからだよ」
香澄が静かに先を促す。
「三枝やスティーブンさんたちがマイケルさんを探している以上、マイケルさんは今組織を離れて行動しているとみるべきだ」
「そうね。たぶん私のお見舞いに行くって組織から出たときには離反していたと考えるのが普通ね」
「でも、それが方便だったとしたら、マイケルさんが香澄さんのお見舞いに来る意味はない。むしろ、最初に探されることが高い場所だから、近寄らないはずなんだ」
「でも、マイケルさんは来た」
そこまで聞いて、香澄は洋の言わんとするところを理解したようだ。
「つまり、マイケルさんは何か意味があってここに来たってことね。そして、二○八号室を示唆した。そこに何かがあるってことね」
「そう。これは、受付の人と親しい伊吹さんじゃなきゃ聞き出せなかった。つまり、マイケルさんは僕らに用があるんだ」
そして、二○八号室に到着した。なんとなく、扉が重苦しいオーラを放っている気がする。
「開けるよ」
洋が緊張した面持ちで扉を開ける。中は真っ暗だった。
二人は警戒しながら、暗闇の中を見回す。人影は、ない。
「どういうことだ?」
洋が声を発した時、
「よくきたな。我が妹と新参の『知恵者』よ」
声のした方を見ると、カーテンからこぼれる月明かりに照らされながら、マイケルが立っていた。
「我が・・・・・・妹?」
不思議そうな声で言ったのは香澄だ。マイケルは頷くと、目で洋を示した。
「お前はもう知っているのだろう?」
言われて、洋は思い出す。
「そうか、『偶像布教』」
「そう。私――いや、もうこんなしゃべり方をする必要はないな――俺こと伊吹光太郎は『天啓』でこのコードネームマイケル、本名牧野健一の体を乗っ取ったのさ」
マイケル、いや、光太郎は自分の洋は驚く。そんなことまでできるのか。しかも、伊吹光太郎はすでに死んでいる。死後までこの『天啓』は残るのだ。
「・・・・・・一体いつから・・・・・・?」
光太郎はニヤリと歯を見せて笑う。
「だいたい一年くらい前かな? もっとも、最近まで俺は牧野の体の中で眠ってたみたいなもんだから、実質的には三日ってとこだな」
三日前、それは洋がとてつもない失敗をした日であり、またマイケルがその尻ぬぐいのために動いた日でもある。その際、マイケルは香澄と出会っている。それがきっかけで伊吹光太郎の人格が目覚めたのだろうか。
「その通り。なかなか勘がいいな。流石俺の妹が認めた男ってところかな」
それを聞いて、洋は警戒を強める。それはつまり、香澄に用があって現れたということだからだ。
「ちょっと待って、二人とも」
ピリピリとした緊張感の中で、一人取り残されている香澄が間に入る。
「洋君、これどういうこと? 死んだはずのお兄ちゃんがマイケルさんってこと? でも外見とか全然違うんだけど・・・・・・」
混乱した様子の香澄を見て、光太郎が意外そうな顔をした。
「なんだ。お前、まだ香澄に何も話してなかったのか」
それを聞いて、香澄が洋を睨み付ける。
「やっぱり洋君何か知ってたのね!」
「う、うん。でも、何が何だか分からないのは僕も一緒で・・・・・・」
「その辺は俺がこれから説明してやるよ」
光太郎が部屋の灯りをつける。それから椅子を二つ並べて座るように指示して、自分はベッドに腰掛けた。
説明してくれるというなら聞こうじゃないか。洋はいっそ開き直って椅子に座った、素早くそれに香澄が続く。
「さて、どこから話したもんかな」
光太郎が暢気に言った。
「私、何も知らないんだけど」
「そうか。じゃあそこからだな。もっともお前――仇村だっけか――は一度聞いた話になるかもしれないけどな」
そう前置きしてから、光太郎は語り始めた。
「さすがに『知恵者』とかの説明は省くぞ。二年前、俺はその『知恵者』になった。その瞬間は世界征服とかも考えたけど、すぐに面倒になってやめた。まあ生来小市民気質なんだな、俺は」
「その割には、学校では人気者だったらしいですが」
洋の鎌かけに、光太郎はあっさり乗ってきた。
「そうだ。俺は自分の『天啓』、『偶像布教』を学校の人気取りに使った。というか、それぐらいにしか使い道が思いつかなかったんだな。『偶像布教』は自分の思想を相手に与えたり、対象の記憶をいじったりできる『天啓』だが、日常の中ではあんまり使えなかったしなあ」
とんでもない『天啓』だと洋は思う。記憶を操作できるということはすなわち、全ての失敗をなかったことにできるのと同義だ。先日の大きな失敗を、いや、できるなら幸太との戦いからの全てをなかったことにしたいと願っている身からすれば、あまりにも魅力的過ぎる。
そしてそれを『使いどころがない』と切って捨てられるということはすなわち――
「あなたは・・・・・・『知恵者』になる前から優秀な人物だったんですね」
「まあ自分でこんなこと言うのもこそばゆいが、そうだったんだろうよ」
光太郎は少し照れながらも肯定した。洋はショックを受ける。まさか、裏技を使わなくても優秀な人間がいるとは!
「洋君、私の言うこと信じてなかったの!」
香澄が洋を責めるが、光太郎がそれを制した。
「まあまあ。実際そう思うのが普通だぜ。寧ろ、超能力者になってそういう考えに至らない方が異常だ。俺はそれよりも面倒くさがりが先行したってだけさ。でも、仇村の周りにはそういう奴がいた。違うか?」
「・・・・・・はい」
洋が思い出すのは親友のこと。彼が一度見せた本来の姿だ。幸太は『天啓』を自分を大きく見せるために使っていた。たとえそれが虚像だと分かっていても、最後までそれにしがみつかざるをえなかったのだ。
それを目の前のこの男はあっさりと超える。洋には光太郎が全くの異世界人のように見えた。
「さて、俺の話に戻ろうか。俺は少し派手に動きすぎたみたいでな、すぐに組織から監視が送られてきた。それがこの牧野健一、ある意味最強の監視能力を持った『知恵者』だ」
光太郎は自分の体を指さす。
「俺は『天啓』の関係で、どこに誰がいるのかをなんとなく感じることができる。意思を感じるって言えば分かりやすいか。それのおかげで『どこにでもいてどこにもいない』牧野の存在をおぼろげながら把握できたんだ」
マイケルほどの『天啓』を看破するとは、光太郎の『天啓』以上に彼の存在そのものが恐ろしい。
「もっとも俺はそんなに気にしていなかった。組織としては俺が何か異常な動きを見せたら干渉するつもりだったみたいだが、俺にはそんな気更々なかったしな。牧野自身に戦闘能力はないから、襲われる心配もない。俺はリンゴをチビチビ食べながら、一年を過ごした。ここで、状況が大きく変わったんだ」
光太郎の声のトーンが低くなった。洋と香澄は身を乗り出して耳を澄ませる。
果たして、彼が語ったのは一つの事実だった。
「香澄が『知恵者』になった」
「え?」
思わず声を上げたのは当の香澄だ。
「どういうこと、お兄ちゃん? 私、リンゴをもらう夢なんて見たことないし・・・・・・」
香澄は目に見えて動揺していた。光太郎は厳かに頷く。
「そうだろうな。お前の『天啓』はあまりにも強力だ。使用したお前の記憶さえも奪ってしまうほどにな」
そして、彼は香澄の手を指さす。
「だけどお前は『知恵者』だ。出せると思えばリンゴはそこにあるはずなんだよ」
光太郎の言葉に、香澄はゆっくりと視線を自らの右手に移す。そこには、真っ赤なリンゴがあった。
「っ!」
「嘘っ!」
洋と香澄が短く叫び声を上げる。同時に、洋の中で今まで不可解だった点が静かにつながっていった。
どうして『知恵者』と接触した記憶が消えないのか。どうして首を切り裂かれてたいした怪我を負わなかったのか。
それらの疑問全てが、香澄が『知恵者』であれば解決できる。
更に突き詰めれば、彼女の高い身体能力や聡明さまでそれに由来するのかもしれない。そうなると、伊吹香澄という人間のステータス全てが疑わしくなってくる。
「で、でも・・・・・・『知恵者』になるには夢を見なきゃいけないんでしょ? 私にはそんなの見た覚えがないわ」
「見たかどうか分からないことよりも目の前の真実を見ろ。現にお前の手にはリンゴがある。それで十分だろう?」
光太郎に諭されて、香澄は俯く。洋は香澄を励まそうと手を伸ばしかけたが、何を言っていいか分からない。悩んでいるうちに、光太郎が話し始めてしまった。
「香澄、よく聞け。お前は『知恵者』だ。それはもう否定できない事実だということはわかったな」
香澄が力なく頷く。
「俺はまだ香澄が『知恵者』になったばかりのころに『天啓』を発動させてみた。当時から香澄は俺にベッタリだったからうまく利用すれば今度こそ何かでかいことができるんじゃないかと思ってな。だが、お前の『天啓』はあまりにも危険すぎた」
よく見れば、香澄のリンゴにも洋のものと同じく、小さく囓った後がある。香澄が『天啓』を使った証拠だ。それが一年前だというから、もうその『天啓』は香澄から消えているだろうが、あまりにも危険な『天啓』という言葉が不安をかき立てる。
洋はゴクリと生唾を飲みこんだ。
「どういう・・・・・・『天啓』だったんですか?」
光太郎は真剣な面持ちで答えた。
「この世界のありとあらゆる情報を読み取る『天啓』。世界の総人口の正確な値、各国の総資産、果ては宇宙の寿命まで答えることができた。流石に俺の頭の中で考えていることまで全部当てられた時は鳥肌がたったよ」
そのときのことを思い出してか、光太郎は少し肩をさする。洋も、そして香澄も、それを聞いて何も言えなかった。
「で、でも、今の私はそんなの知らないわ!」
香澄が震える声でなんとか声を出す。
「だろうな」
光太郎は静かに同意を示した。
「香澄の『天啓』――俺は『全知全能』と呼んでいるが、これは大量の情報を一気に取得するものだ。そして、そのあまりに膨大な情報量には、たとえ『知恵者』の脳であっても耐えられない。すると、脳はどうすると思う?」
光太郎の問いかけに、洋はなんとなくその続きを察した。
「そう、他の情報を忘れるんだ。香澄は一ヶ月分の記憶を失い、それと引き替えにその当時の全ての情報と、起こりうる近未来の情報を得たんだ」
これで、香澄が光太郎が光の剣に斬殺されるのを目撃していた理由も分かった。未来の情報として見ていたのだ。そしてそれを知ったせいで自身が『知恵者』であるという記憶も失った。
「リンゴを食べて俺と五分ほど会話をしてから、香澄は意識を失った。恐らくはその辺りが脳の容量的に限界なんだろうぜ。それから三日間眠り続けて目を覚ました時には全てを忘れていた。もっともそのときには俺も死んでたんだけどな」
それを聞いて洋は思い出す。そういえば、何故光太郎がマイケルの体にいるのかを聞いていない。
「本当に今更だな」
洋が聞くと、光太郎はあきれたようにそう言った。
「まあ直近で迫ってる問題と無関係って訳でもない。順を追って話そう。香澄が『知恵者』になってから、俺は妹を組織から守ることにした。何しろ大事な家族だからな。怪しい連中とは関わって欲しくはない。それに、牧野に監視されていることに気づいた頃から組織の情報を集めていたんだが、どうにもきな臭かったしな」
洋は頷いた。同じ立場だったら、自分もそうしようと思うだろう。初めて、伊吹光太郎という男に親近感が湧いた。
「まず、俺は『香澄が知恵者になった』という情報を組織に与えないための策を打った。最初に行ったのが、牧野の制圧だ。だけど牧野は『天啓』が『天啓』だけになかなか捕まらない。それまでも何度か試したが、失敗してたんだ」
「じゃあ、どうやって・・・・・・」
「仇村、お前、リンゴを食べた量に『天啓』の強さが比例することは知ってるな?」
そういえば、スティーブンがそんなことを言っていたような気もする。確か幸太が主要機関をいじる時に沢山リンゴを食べたとかなんとか・・・・・・
「そう、それだ。そいつはリンゴを大量に摂取することでより微細な形質変化を実現したんだな。俺の『天啓』の場合、強化されるのは精神への干渉能力。俺は自分のリンゴの大半を使って、『どこにでもいる』牧野へ精神攻撃を仕掛けたんだ」
またしてもとんでもない発言が飛び出してきた。『無影霧幻』は確かに『どこにでもいる』状態を作り出す『天啓』だが、同時に『どこにもいない』状態を作り出す『天啓』でもあったはずだ。
「そこは、俺の干渉力が勝ったってことだな。かなりの賭けだったが、俺は牧野を洗脳することに成功した。そして牧野の体に自分の人格のバックアップを植え付けた。そのバックアップが俺さ」
「バックアップ? どうしてそんなものが必要だったんですか?」
そんなことをせずとも、操り人形にしてしまった方が簡単で手っ取り早い。『偶像布教』ならそれも可能だったはずだ。
光太郎は指を二本立てて、逆の手の指でそのうちの一本を示した。
「一つは、今のように不測の事態に備えてだ。牧野の『天啓』は役に立ちそうだったからな」
そしてもう一方の指を折った。
「もう一つ、というかこっちが本当の理由だな。それは、全てが終わった後に元の俺に戻れるようにさ」
全く意味が分からない。洋の顔を見てそれを悟った光太郎は補足を加え始めた。
「ちょっと言葉が足りなかったか。いいか、牧野が俺の監視についたってことは、俺の存在はすでに組織に知られてるってことだ。そうなると、俺から香澄について調べられるかもしれない。ここまではいいか?」
洋は頷く。では、どうすればいいのか。友人という関係なら別れればいいだけだが、香澄と光太郎は兄妹だ。そう簡単になんとかできるとは思えない。
「そう。その通りだ。困ったことに俺と香澄は兄妹なんだ。だから俺は『偶像布教』で俺自身の記憶を改ざんした。その瞬間、俺にとって――本当の俺にとって香澄は赤の他人になったのさ」
「っ!」
反応したのは、ずっとふさぎ込んでいた香澄だった。体を一瞬震わせた後、ゆっくりと顔を上げる。
「・・・・・・何それ・・・・・・。何よ、それっ!」
香澄が声を荒らげて立ち上がる。
「お兄ちゃんにとって私はそんなに簡単に忘れられる程度の存在だったの? 馬鹿にしないでよっ!」
「落ち着け、香澄!」
光太郎の低い声が響いた。今まで一貫して感情を表に出さなかった光太郎のその態度に、洋は、そして香澄も動きを止める。
「これが俺にとってどれだけ苦渋の決断だったと思ってる? そもそも組織に悟られないようにするならバックアップだってとらない方が安全だった。でも俺は自分が完全に香澄のことを忘れてしまうのが怖かった。俺の存在はいわば伊吹光太郎のエゴによってできてるんだよ!」
重い沈黙が流れる。洋は立ち上がり、香澄の肩に手を置いた。香澄は驚いたように洋の方を振り向き、それからゆっくりと席に戻った。
洋も再び腰掛ける。香澄が消え入りそうな声で言った。
「・・・・・・ごめんなさい。ひどいこと言って」
「・・・・・・いや、お前にも辛い思いをさせているのは分かっている。ただ、今お前達はかなり危険な状態にあるってことは伝えなくちゃならない。長々と話したが、いよいよそれについてだ」
ふぅ、と光太郎は息を吐く。
「さて、かくして俺の組織への反抗は始まったわけだが、流石に相手も一流だ。いくつか用意した策もほとんどがつぶされた。成功したものも決定打とはならなかったが、組織はそれを危険視したんだろう。奴らは俺の暗殺に、一人の刺客を送り出した」
暗殺、という言葉に、洋はその刺客が誰かを悟った。サラだ。
「若い女だったが、『天啓』がやばかった。組織内部ではサラと呼ばれるこの女は光を自在に操るんだ」
光なんてどこにでもある。つまりどこであっても戦闘を行えるということだ。決して戦い向きとはいえない光太郎の『天啓』では結果は火を見るより明らかだろう。
「俺はサラに殺された。光の剣で胸を刺し抜かれてな。だが、ただでは死ななかった。俺は絶命間際でサラに暗示をかけたんだ。『伊吹香澄を守れ』ってな。それがまずかった」
何がまずかったのか、洋にはさっぱり分からない。ことここに至っても、光太郎が何を言いたいのか理解できない。
「あの、それのどこが問題なんですか? 寧ろいいことじゃ・・・・・・」
「そうだ。俺もそう思ったからこそそういう対応をしたんだしな。ただ、計算外がいくつかあった。その最たるものが、サラが若いどころか幼いといってもいいような年齢だったことだな」
確かに、サラの年齢は外見からはあまり想像できない。だが、それがどうしたというのだろう?
「香澄には特に覚えがあるんじゃないか? 子供の頃ってのは常に正しくあろうって思うだろう? 信号は律儀に守るし、いじめられている奴を見れば助けたくなる。若気の至りっちゃそうだが、まあ即得の正義感ってのがあるもんだ」
洋にも覚えがあった。親の言うことを正しいと信じて、それをかっちり守っていた時期も確かにあったが、高校に上がるあたりで多少手を抜くことも覚えたのだ。
「俺の暗示はそんなに強いもんじゃなかったが、そういうあの年頃の若者特有の正義感と合致して、想定よりも深く暗示にかかってしまった。まあ誰かを守るなんて正しくて格好いいことだから、当然ではあったんだ。それは予想してしかるべきだった」
思い出すのは洋が幸太と戦った日の夜。サラは人を殺すのが嫌だと言っていた。正しくて格好いいことをサラはしたいのに、殺人はそれに反するからだ。
「それで、暗示が深くかかったならいいじゃないですか。香澄さんをしっかり守ってくれるはずですよね?」
「いや、何事もほどほどが大事ってな。結果から言えば、サラは今、暴走状態にある」
「は?」
思わず、洋の口から変な声が漏れた。サラが暴走状態? 洋は最後に会った四日前のサラを思い出す。特に不審な様子はなかったように思える。
「当たり前だ。四日前の時点で暗示は深層心理の奥深くだ。そこからサラの意識に影響が及ぶまで更に数日かかる。暗示が発動したのは四日前、香澄が怪我を負ったことをサラが知ってからだから、仇村の知っているサラに異常はない」
香澄の怪我はマイケルに眠る光太郎の人格を呼び起こしていたばかりでなく、サラの中の暗示も発動させていたらしい。いや、両者が同じ人間によって施されたものならば、それほど不思議でもないのか。
「それで、サラはどういう風に暴走しているんです?」
「ああ、まず彼女は、組織は香澄の敵だと認識している。まあこれは俺のかけた暗示だから妥当なところだろう。そして、仇村、お前も組織の一員だと考えている」
光太郎は洋をじっと見つめた。洋は狼狽する。自分には組織に入った覚えなど全くない。
「だがお前は組織の日本支部に出入りし、任務にも参加した。極めつけに、この間スティーブンと二人で話をしただろ? あそこで組織に入ったとサラは考えてるみたいだぜ」
ただの調べ物のつもりが、とんでもない誤解を招いていた。
「でも、それで僕が危険になるのはともかく、どうして香澄さんまで?」
「それはな、サラの中では組織に属する者全てを倒すべし。それと関わる者にも容赦はしない、ってことになってるんだよ。つまり、組織に属する仇村と関わりのある香澄も危ないってことだ」
「そんなの矛盾してるじゃないですか! 『伊吹香澄を守る』のがサラの目的なんでしょう?」
「その矛盾を飲み込めるから暴走状態って言ってるんだ。サラは今組織の『知恵者』を殺して回ってる。その標的にはお前らも入ってるんだよ。この病院にも遠からず来るだろう」
「そんな・・・・・・」
サラが人を殺している。人殺しを嫌だと言った彼女が。目の前の男のせいで。洋の頭に血が上る。洋は光太郎の胸ぐらを掴みあげた。
「よくもサラを・・・・・・!」
渾身の怒りを込めて睨み付けるが、光太郎は冷めた目で洋を見つめている。
「激高している暇があるのか? 放っておけばお前と香澄は確実に殺されるぞ。一度殺された俺が言うんだから間違いない」
「ぐっ・・・・・・」
悔しいが、光太郎の言うことは事実だ。組織の一員として沢山の『知恵者』を『処理』してきたサラと、ほんの数日前に『知恵者』になったばかりの洋では雲泥の差だ。元々『知恵者』だったという香澄にしても、その記憶を失っていた以上、洋と条件はそう変わらない。
「さあ、どうするんだ」
光太郎の試すような問いに洋はたじろぐ。襟から手を離して、必死で考える。
「それは・・・・・・もう一度『偶像布教』で能力を解除するとか・・・・・・」
「それぐらい、できたらやってるよ」
光太郎は自分の体を示す。
「スティーブンは言ってなかったか?『天啓』は一人一個だ。俺は牧野の体を間借りしてるだけの存在だから、使えるのは『無影霧幻』だけ。それも限定的だがな」
「いいや、それで十分さ」
突然、第三者の声が響いた。入り口を見れば、当然のように基樹が立っている。
「おいおい、聞き耳を立てるとは、いい趣味してるじゃねえか。鍵はかけといたはずだがな」
「人の体乗っ取る方が趣味悪いと思うけどな。それに、俺にとってこの世の全てのものは障害たり得ないんでね」
基樹と光太郎の間で見えない火花が飛び交う。先に引いたのは光太郎だった。
「で、何が十分なのか、聞かせてもらおうか」
「ああ、その話だった。って言っても、そちらさんはもう気づいているみたいだけど」
基樹の言葉に、光太郎はぐっ、と口ごもる。洋はその態度に不審を覚えた。
「どういうことですか、光太郎さん?」
「簡単だよ、仇村」
答えたのは光太郎ではなく基樹だった。
「このお兄さんは恐らくサラを今この瞬間も監視している。そうじゃなけりゃここでのうのうと話なんてできないからな。つまり、それぐらいにはマイケルの能力を使えるってことだ。そしてもう一つのピースは、お前だ」
基樹が指さした先に立っている人物。それは、香澄だった。
「・・・・・・私?」
「そうだ。お前の『天啓』なら、サラの『天啓』の弱点とかも分かるんだろ? あるいは、倒すまでの道筋まで。現在位置と、退治法。それさえ分かってれば、どんな猛獣だって恐るるに足らないぜ」
基樹の説明に、洋は納得しかける。実際、隙のない作戦にも見えるが、洋には、そして光太郎にも、決して譲れない一線をこの方法は犯していた。
「そんな、香澄さんを危険に晒すような策がとれるか!」
洋が叫ぶ。光太郎も同意を示した。
「仇村の言うとおりだ。『全知全能』は危険すぎる。前は記憶一ヶ月で済んだが、今度はどういう影響がでるか予想がつかない。元々俺は香澄を守りたい一心でここにいるんだぜ。そんな方法認めるわけにはいかないな」
「まったく、強情っ張りどもが」
基樹は舌打ちをした。
「でも、力尽くでも参加してもらうぜ。なんせかかってるのが俺の命なんでな!」
基樹は香澄の方へ駆け寄る。あまりに自然かつ素早い動きだったため、洋の反応が遅れた。香澄の後ろへ回り込んだ基樹は香澄の首に折りたたみナイフを突き立てる。
「俺の『天啓』は知ってるよな? こんなちゃちな獲物でも、大動脈を直接傷つけるには十分だぜ」
「くっ!」
洋も光太郎もいつでも動けるように身構える。が、それ以上は動けない。何せ人質が香澄なのだ。下手なことをして傷つけられてはもともこもない。
「さて、まずはマイケル――じゃなくて今は伊吹光太郎だったか?」
「どっちでも違いはないぜ。俺は牧野の人格に寄生してるから、牧野の記憶も持ってるしな」
「そうか。じゃあ呼び慣れた方で呼ばせてもらうぜ。マイケル、サラの居場所はどこだ?」
「お前らの秘密基地にいた『知恵者』を皆殺しにして、今ここへ向かってるところだ。後一時間もしたら来るだろう」
「そうか。ならそれまでにどうにかする策を聞き出さなきゃな」
基樹は薄く笑いながら、香澄に突きつけたナイフを持つ手に力を込める。
「次はお前だ、伊吹。その手のリンゴを食べて、俺にサラの弱点を晒せ」
しかし、香澄は小さく震えるだけで、リンゴを口に運ぼうとはしない。
「おい、どうした」
基樹がナイフの腹で香澄の首筋をペチペチ叩く。それでも香澄は動かない。
「はあ、どうしたもんかね」
基樹が気の抜けた声を出し、そしてナイフを持っているのと逆の手で、ポケットからもう一本の折りたたみナイフを取り出す。素早く刃を出すと、それを香澄の太ももに突き刺した。
「っ!」
基樹を除く、その場の全員に衝撃が走る。太ももにも大きな血管は存在する。そこを刺されれば、無事では済まない。
しかし、刺し傷からは血が出ていなかった。香澄も、痛みを感じている様子はない。
「ナイフの刃は透過させた。俺の『天啓』は身につけているものまで自分の一部と見なすから、こんなこともできるのさ」
するりと香澄の太ももからナイフを抜く。そこに傷跡はなかった。
「でも、これで分かっただろ? 俺はいざとなったら容赦はしないぜ。最悪、サラの一人ぐらい俺だけでもなんとかできる。だったら今のうちに足手まといを消しておくのが上策だろ?」
抜いたナイフをくるりと回し、今度は腕を刺す。抜く。やはりそこに傷はない。
「くそっ、遊びやがって」
光太郎は悪態をつきながら、チラリと洋に視線を送ってきた。洋はその目に、彼が何かをしようとしているのを見て取る。
「さて、次はほんとに刺すかもしれない。死んだら何にもなんねえぞ。それに比べれば記憶を失うくらい――」
「どうってことあるわよ」
基樹の言葉を遮って、香澄が言う。
「私は自分の記憶を失うのが怖い。お兄ちゃんみたいに洋君のことも忘れちゃうのが怖い。せっかく再会できたお兄ちゃんのことを忘れるのが怖い。だから、それに比べればあなたなんて、怖くもなんともないわ」
「よく言った、香澄!」
その瞬間、香澄に意識を奪われていた基樹の顔に光太郎の拳がめり込んだ。基樹は予想外の一撃に動揺し、香澄の拘束を解いてしまう。
「香澄さん!」
その香澄を洋が『万有引力』で手元へ引き寄せる。
「形勢逆転だな」
基樹と向かい合いながら、光太郎が言った。基樹は体勢を低くし、今にも飛びかからんばかりの形相で光太郎を睨み付ける。
「やってくれたな。だがまだ終わらんぞ」
基樹が右手のナイフを突き出した。半身を引いてそれをかわす光太郎。そのまま伸びきった基樹の手を取ろうとして――
「何っ!」
光太郎の手は基樹の腕をすり抜けた。その隙を突いて、基樹が左のナイフを光太郎の腹めがけて繰り出す。
しかし、そのナイフは空を切る。基樹が攻撃した場所には、誰もいなかった。直後、光太郎が基樹の真後ろに出現し、その頭に拳を叩きつける。拳は文字通り基樹の顔を突き抜けたが、基樹はそれを意にも介さず体を回転させる。そしてその遠心力でナイフを横薙ぎに振るった。
だがその時にはもう光太郎はそこにはおらず、基樹から少し距離を置いた位置に移動していた。
「『天衣無縫』。思った以上に厄介だな。物理攻撃は不意打ちじゃなきゃ効果なしか」
「そっちこそ、擬似瞬間移動として『無影霧幻』を使うとはな。全然戦えるじゃねえか」
「奥の手は最後にとっておくものだからな」
そう言って、光太郎が勢いよく基樹に殴りかかる。基樹はそれを躱そうともしない。逆に拳の方へ自分から飛び込んでいき、それを自分の体に貫通させる。そうして無理矢理自分のナイフの届くレンジまで光太郎を誘い込み、切りつけるが、そのときには光太郎はもう別の箇所からの攻撃に移っている。
洋は目の前で繰り広げられるハイレベルな攻防を目で追うのがやっとだった。
「お兄ちゃん・・・・・・」
隣で香澄が不安そうな声を出す。
悔しいが、今の洋ではとても戦いに入ることができない。洋は音が鳴るほど強く奥歯を噛みしめた。
「ねえ、洋君・・・・・・。酷いこと、思いついたの・・・・・・」
その時、香澄がか細い声で言った。洋はゆっくりと香澄に聞き返す。
「・・・・・・酷いこと?」
「お兄ちゃんを助けて欲しいの。でもこれをすると洋君は・・・・・・」
洋は一瞬たりとも迷わなかった。
「分かった。何をすればいい?」
「それは――」
香澄から話を聞き、洋は納得した。なるほど確かにこれなら洋は戦いに割って入れるかもしれない。
「ぐっ!」
洋が覚悟を決めた時、戦いの方でも動きがあった。
基樹のナイフが光太郎をとらえたのだ。光太郎の左胸にはナイフの柄が生えていて、刃は全体が体に刺さっている。そこからはダラダラと血が際限なく流れ出ていた。一目で致命傷だとわかる。ほんの僅かに、光太郎の反応が遅れてのことだった。
「そりゃそうだ。お前は純粋にここでの戦いに集中するわけにはいかない。サラの監視もしなきゃならんのだからな。まあよくやった方だよ」
基樹は膝をついた光太郎の前まで歩いてくる。光太郎は『無影霧幻』を使おうとするが、どうにも集中できずにいるようだった。
「さて、これでとどめ、と」
基樹が残った左手にナイフを光太郎の頭に振り下ろそうとして――
「あ?」
彼はその腕がなくなっていることに気がついた。
傷口は粗く、まるで何か強い力でねじ切られたようになっている。真っ赤な肉の間から顔をのぞかせている白いものは骨だろう。これも折れた木の枝のように尖っている。明らかに、切断されたわけではない。
「ぐああああ! いってえええええ!」
基樹があまりの痛みに傷口を押さえて絶叫した。慌てて自分の腕を探し、そして見つけた。
それは、洋の手の中にあった。鮮血の滴る手は、未だナイフを握ったままだ。洋の服はその血で赤く染まっているが、洋には動揺した様子はない。まっすぐに基樹を見つめている。それよりも、その隣にいる香澄の方が耐えがたいと言うように目を背けていた。
「おいおい・・・・・・冗談・・・・・・だろ? お前の・・・・・・『天啓』に・・・・・・そこまでの力は・・・・・・なかったはず・・・・・・」
そして基樹は、洋が右手にリンゴを握っていることに気がつく。彼が受けた報告では、洋が食べたのは一口分だけだったはずだ。
それが今、洋のリンゴは明らかに三口分以上欠けていた。
「そういう・・・・・・ことか」
基樹はそこで力尽きて、倒れ込む。傷口からは際限なく血が溢れ出していた。洋は手にあった基樹の腕をベッドに置いて、基樹のそばへ寄る。そして、右手を基樹の頭にかざした。
次の瞬間、ゴギリと鈍い音がして、基樹の頭が洋の手に飛び込んできた。洋はそれをしっかりと受け止め、基樹の体のそばに添えた。
「お兄ちゃん!」
一部始終を見ていた香澄が、はじかれたように光太郎の元へ駆け寄る。
「香澄、お前の入れ知恵か?」
光太郎が静かに問うた。香澄は頷く。
「お兄ちゃんを助けなきゃって思って、でも私には力がないから、こうするしかないんだって・・・・・・」
「全く、俺はもう死人だっていうのに。仇村、お前もよくこんな滅茶苦茶なことに乗ったな。リンゴを失えば、お前は世界から消えるんだぜ」
洋は、ついさっき人を殺したとは思えないほど落ち着いた声で言った。
「僕は香澄さんを守ると決めました。だから、これぐらいはやりますよ。それに、あなたは香澄さんを守ろうと、たった一人で奮戦してきたんだ。それを見殺しにはできません」
「そうかよ」
光太郎はすっきりした顔で、床に仰向けに横たわる。香澄が急いで胸の傷を確認して、そして顔色を変えた。
「こんな・・・・・・」
見かけ通り、いや、それ以上に、傷は深かった。いかに『知恵者』の回復力が優れていようと、これはどうしようもないだろう。
それなのに、光太郎の顔には曇りはなかった。
「はは、こんな状況なのに、こんなに晴れやかな気分になるとはな」
「そんな、お兄ちゃん・・・・・・。せっかく会えたのに・・・・・・」
涙を流す香澄の髪を、光太郎はゆっくりなでる。
「気にするなよ、香澄。お前の兄貴はお前を守って死んだんだ。最高に格好良いだろうが」
「でも、でも」
「そろそろ兄離れの時期だぜ。それに、お前には新しいナイト様がいるじゃねえか」
そして光太郎は僅かに首を動かし、洋の方を向いた。
「いいか、仇村。サラは後一時間ほどでここに来る。逃げてるだけじゃ香澄は守れない」
「分かっています」
だからこそ洋は基樹を殺した。思えば幸太の時も善治の時も、洋は能動的に戦闘を行っていない。だが、それだけではいけないと、光太郎の話を聞いて思ったのだ。
「当座の敵はサラだが、それを凌いでも、敵の『知恵者』は表れる。組織と敵対するってのはそういうことだぜ?」
「どんな敵が来たって、僕は香澄さんを守ります」
かつての洋では考えられないほどの強い台詞だ。
光太郎は満足げに笑った。
「頼んだぜ、仇村」
「はい」
そして光太郎は目を閉じる。死して尚戦い続けた一人の『知恵者』の旅は、ここで終わった。
その頃、組織の秘密基地の一室にスティーブンが佇んでいた。
「ああ、やっと願いが叶いそうだ」
そう言って彼は右手に握るリンゴを口に運ぶ。そのまま芯まで全て食べてしまった。
そして、スティーブンが小さく手を振る。すると辺りの風景が変わり始めた。
硬質な床は花々が咲き乱れる草原へ。そびえ立つ壁は全て消え去り、その向こうにも世界が広がる。
「ついに、ついに辿り着いた!」
普段では考えられないほど声を荒らげ、スティーブンは歓喜する。
その視線の先には、巨大な、あらゆる意味で大きな木があった。
これで大体張ってたフラグは回収しきってます。いざ、最終決戦!