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楽園の果実を巡る小さな戦い  作者: シャルル
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3章 船頭多くして愚者街を駆ける

連投たーのしー。

 次の日、洋は学校に行くと、いの一番にクラスメイトに声をかけた。普段はそんなことしないが、幸太のことが気にかかっていたからだ。

「なあ、今日もう根本君来てる?」

 しかし彼らの返事は一様に同じだった。

「根本って誰だ?」

 これはどういうことだろう。香澄の方を見れば、彼女も同じことをして、同じことで混乱しているらしい。言葉を交わす余裕もないうちにホームルームが始まった。もちろん、出席確認の点呼に幸太の名前は入っていない。幸太の席は詰められて、そもそも存在していなかった。

 これが世界に愛されるということだろうか。洋にはまったく訳がわからない。

 ほとんど聞き流す形で午前の授業を終えて、昼休み。香澄が手招きで幸太を呼ぶ。それから人の寄りつかない屋上の入り口まで移動する。どうするのかと思ったら、香澄は制服のポケットから鍵束を取り出し、一つ一つ屋上の出入り口の扉に差し込んでいった。

「凄いでしょ。職員室からちょっと借りてきたんだ。おっ、開いた」

 自慢げな顔で扉を開ける香澄。二人はフェンスに寄りかかる。

「それで、昨日はどんなことをしたの?」

 興味津々といった具合に香澄が聞いてくる。洋は昨日の『能力測定』を思い出してげんなりした顔になった。

「クレーン車引っ張ったりとか鉄球ぶつけられそうになったりとか・・・・・・」

「何それ、面白そう」

 本当に楽しそうに香澄が笑う。花が咲いたような笑顔とはこのようなものなのだろう。思わず見惚れてしまう。

「ん? どうしたの?」

 反応のない洋に香澄が怪訝そうな顔をする。そんな仕草も可愛らしくて、彼女もある意味別世界の住人だと思わせた。

「それで? 他にはどんな能力者、じゃなくて『知恵者』だっけ? がいたの?」

「ええと、僕が会ったのはアレックスっていう男の人で、力を強くする『天啓』だったよ」

「へえ、単純だけど凄い能力だね」

 香澄とこんな風に話せる日がくるなんて、夢みたいだ。洋は嬉しく感じたが、同時に疑り深い彼が顔をだす。

「あの・・・・・・」

「何?」

 楽しそうな不思議顔という奇妙な状態で香澄が洋の方を向く。

「どうして伊吹さんはそんなに『知恵者』のことを気にするの?

普通は怖いとか思うと思うんだけど・・・・・・」

 香澄は少し考えて、そして決心したように顔を上げる。

「まあこっちから聞いてばっかりはずるいもんね。分かった、教えてあげよう!」

 おどけた仕草でそう言ってから、語り始めた。

「私ね、お兄ちゃんがいるの」

 洋は一つ頷く。しかしクラスにいれば自然と噂の聞こえてくる香澄ことだというのに、洋にはそんなこと聞いたこともなかった。

「お兄ちゃんはね、頭がよくて、優しくて、スポーツ万能の完璧超人だったんだよ。自慢のお兄ちゃんで、私はお兄ちゃんみたいになりたくて頑張ったの」

 その頑張りは実を結んだといえるだろう。彼女はすっかりクラスのヒロインだ。

「でも、ある日、お兄ちゃんはいなくなったの。殺されたんだと思う。逆光になってて誰だかは分からないけれど、その人がお兄ちゃんを殺すのを確かに見たわ」

「その殺した相手が『知恵者』なの?」

「そうだと思う。お兄ちゃんの心臓を貫いたのは光の剣みたいなものだった。そんなもの、普通の人は持ってないでしょう? それに、お兄ちゃんのこと、他のだれも覚えてないの。これって・・・・・・」

「・・・・・・うん、幸太といっしょだ。だけど、幸太は『知恵者』だったはずなのに・・・・・・」

「それについては仮説があるわ」

 香澄が指を一本立てる。

「まず、根本君の死体が消えたのはあなたがリンゴを持って、それをしまってからだったわよね」

「うん、そうだね」

 洋は右手にリンゴを実体化させる。一口囓ったリンゴと、ほとんど芯だけになっているリンゴの二つがでてきた。

「そうそう、そういう風に、今は根本君のリンゴは仇村君が持っているのよ。つまり、所有権は仇村君にあるの」

 確かにそういう言い方もできるだろう。だがそれが何の関係があるのか。

「でも、元々のリンゴの所有権は根本君にあった。でも、仇村君がリンゴを持った時に所有権が移った。その瞬間、根本君は『知恵者』じゃなくなったのよ」

「そうか。幸太が言ってた。能力者は世界に愛されてるから、行動の辻褄は世界が勝手に合わせるって。人を殺すという行為は、存在の抹消というかたちで処理されるんだ」

 そう考えると辻褄はあう。洋は納得すると同時に香澄の頭の良さに感心した。

 超能力者なんていう突飛な発想を受け入れる柔軟性と、持っている知識を組み合わせて考察を立てる能力。ただ単純に記憶力が良いというよりもよっぽど重要な能力だ。彼女はそれに優れている。

「まあ詳しいことはスティーブンさんに確認をとってみないとね」

「そうだね、またあの秘密基地へ行こうか」

「ああ、それなんだが、仇村はともかく伊吹は遠慮してもらいたいな」

 突然、聞き覚えのない声が響いた。声のした給水塔の方を見ると、一人の男子生徒がいた。

 ぼさぼさの髪に眠そうな目。いかにもやる気のなさそうな風体のせいか、存在感が酷く希薄だ。

「よお、俺は――どっちにするかな・・・・・・。あんたら、組織の偽名と学校で使ってる偽名とどっちがいい?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 あまりに急なことだったのと、相手が見知らぬ男だったことで、洋も香澄も反応できない。組織と言っているあたり、スティーブンの部下だろうか。

「まあどっちでもいいか。俺は三枝基樹。学校の方な。ああ、でも周りの目があるときは声かけんなよ。目立つからさあ」

 言いながら、ピョンと気楽そうに飛び降りる。かなり高さがあったのだが、膝をクッションにしたりせずに平気で立っている。この身体能力、彼も『知恵者』だ。

「・・・・・・三枝? 一組の三枝君?」

 香澄は思い当たることがあるようで、基樹に問いかける。基樹は意外そうな顔をした。

「へえ、あんた俺を知ってるのか。まいったな、こりゃ。なるべく目立たないようにしてたんだけどなあ」

「いや、私一組にも友達いるから、一組の教室に遊びに行ったときに目について覚えていただけなんだけど・・・・・・」

 どうやら交友関係の広さがなせる技らしい。流石というべきかなんというか、やはり彼女は別格だ。

「ふん? 『知恵者』が目立たないようにしている以上目につくなんて考えられんのだがなあ・・・・・・。『知恵者』と関わったことで今まで改変されてた『知恵者』の記憶も一時的に解放されたとかそんなところかねえ・・・・・・」

 顎に手をあててブツブツ呟く基樹。どうやら彼の興味は香澄の方にあるらしい。慌てて自分の存在をアピールするように洋が言った。

「お前はどうして『知恵者』のことを知っているんだ、三枝」

「察しが悪いねえ、仇村。スティーブンさんが言ってただろ。学校に工作員がいるって。それが俺ってわけよ」

 へらへらととんでもないことを言う。だが納得できる説明でもあった。香澄はそんなことはどうでもいい、という様子で更に問う。

「それで、三枝君、どうして私は秘密基地に行っちゃいけないの?」

 基樹は照れくさそうに頬をかく。

「やめてくれ、君付けはこそばゆい。まあ理由として、伊吹は『知恵者』じゃないからだな。今は覚えてるだろうが、そのうちあんたは『知恵者』に関することを忘れる。そういうもんだし、そっちの方がいいんだ。こんな世界と好きこのんで関わる必要はないしな」

「そんな・・・・・・」

 香澄は驚きの声を上げる。構わずに基樹は続けた。

「あんたは直接『知恵者』の力を見た。だから人より世界の改変力に抵抗があるだけで、やがてはそれに負ける。これは統計的にデータがとれてるんだが、平均三日ってとこらしい。もちろんその間に新たに『知恵者』と関係をもつなら話は別だがね」

 そして基樹はちらりと洋を見る。現在一番香澄の近くにいる『知恵者』は恐らく洋だが、普段の生活で洋と香澄が関わる機会はまずない。このまま放っておけば香澄は全てを忘れるだろう。

 ほんの数時間身を置いただけでも分かる。『知恵者』の世界は殺し殺され、リンゴを奪い奪われの世界だ。そんな中に香澄を巻き込むのは洋の望むところではない。

「・・・・・・伊吹さん、その・・・・・・」

「何? 仇村君まで関わるなって言うの!」

 香澄がギロリと洋を睨み付ける。洋は一瞬体を震わせるが、思い切って言う。

「そうだよ・・・・・・。僕みたいに不可抗力的に巻き込まれたならともかく、わざわざ自分からこんなことに首をつっこむことないよ」

 まさか反論してくるとは思わなかったのか、香澄がたじろぐ。それでも尚言いつのる。

「私はお兄ちゃんを殺した奴を――」

「それは僕が探す」

 洋はそれすらもバッサリ切り捨てる。

「探して、敵を討つ。それでいいでしょ」

 敵を討つ、とはその相手を殺す、ということだ。もちろん、人殺しなんてまっぴらだ、という気持ちもあるが、香澄を引き下がらせるためにはこう言うしかない。

「だから、伊吹さんはもう関わらない方がいい」

 もう一度、はっきりと拒絶の意思を口にする。香澄は愕然とした表情で屋上から走り去っていった。

「よかったのかよ?」

 後ろからも基樹が声をかけてくる。洋は小さく頷いた。

「いいんだよ。こんな途方もないところにいるのは僕だけで」

「まあお前の選択だ、止めはしない。だが、後悔することになっても知らんぜ。そういう時は慰めてくれる相手がいた方が楽なもんだ」

 それぐらいは洋とて知っている。幸太がどれだけ洋の救いになったことかわからない。

「さて、酷なようだが、本題に入らせてもらうぜ。スーさんからの伝言がある」

 三枝が先ほどまでの軽い口調から一転、重々しく言う。スーさんというのはスティーブンのことだろう。洋はどうにでもなれという気分で聞いた。

「君もこの組織に属してもらう以上、『知恵者』の世界を知ってもらう必要がある。ついては今日の深夜零時に君の家の最寄り駅に来てほしい。これは命令ではなくお願いだ。どうするかは君次第だが、今後のためにも、来ることをお勧めする」

 見事な声真似でスティーブンの言葉を伝えた基樹は、更に念を押す。

「繰り返すが、これは強制じゃない。ここで『知恵者』との縁を一切切ることも可能だぜ。もちろん、『天啓』を使わないことが前提だがな」

「いや、行くよ」

 即答した洋を冷やかすように基樹は口笛を吹く。

「即断即決実に結構。でも軽い気持ちだと後悔するぜ」

「行くって言ってるだろ!」

 香澄の兄の敵を探すためにも、組織に属していた方が都合がいい。そんな建前を頭の中で反芻する。そうでもしていなければおかしくなってしまいそうだった。

「・・・・・・分かったよ。零時に、駅だからな」

 そう言い残して基樹は屋上から出て行く。洋は大切な人を傷つけてしまった悲しみにうちひしがれながら、その場に蹲った。


 午後の授業はさぼった。今の状態で授業を聞いても身に入るとも思えないし、何より香澄と顔を合わせる勇気がない。

 ふらふらと帰宅し、十一時半まで何も考えずにぐっすり眠った。携帯のアラームで起きてから、簡単に身支度を調えて駅へ向かう。

「よう、来たか」

 そこでは基樹とサラが待っていた。

「お久しぶりです、仇村さん」

 サラが頭を下げてくる。洋も会釈で返した。

「それじゃあ今回の任務を確認するぜ」

 基樹が説明を始める。

「目標はA市の『知恵者』だ。ニュースにはなっていないが、こいつはもうすでに三人の一般人を殺している。こいつを『処理』するわけだ」

「三人も・・・・・・」

 洋は少し怖じ気づくが、基樹とサラは冷静に分析を始めている。

「三人。少ないですね。戦闘に使える『天啓』の場合大量虐殺があってもおかしくないのですが」

「だったらそういう『天啓』じゃないってことだろ。そもそもそんなもんなくたって人は人を殺せるんだぜ。そして連続で人を殺めるというのはそれを自覚していることの証左」

「では危険ですね。『天啓』は望んだ分だけ力を与えるから、自分の力に傲る人物ほど大きな力を有している傾向にあります。もっともその分リンゴの消費も早まりますが」

「かといって、放っておくわけにもいかんだろう。奴が『天啓』を失うまでにどれだけの人間が殺されるか分かったもんじゃない」

 どこまでも冷静に殺人の相談を続ける二人は、洋にはまるで別世界の人間のように見えた。いや、洋も『知恵者』の世界に生きるのならばこのぐらいできるようにならなければならないのだ。

「相手の『天啓』は具体的にはどんなものなの?」

 洋も話に入ろうと口を開く。基樹は不思議な顔をした。

「なんだ、言ってなかったっけ?」

「事前の連絡を怠らないでください」

 サラが基樹に釘をさす。基樹はへらへらしながら、すまんすまんと謝った。

「ええと、目標の『天啓』だったな。名前は『多重(ドッペル)人格(ゲンガー)』。詳細は俺たちもよく知らんのだよなあ」

「分かっていないが正確です。そもそも、組織の人間が目標の殺人現場を目撃。その場では取り逃がしてしまいました。そのうち公的機関に捕まるだろうと思っていましたが、一向にその様子がありません。捜査に動いているわけでもないようなので、彼は『知恵者』である、という結論がでたわけです」

「そうだったのか・・・・・・」

 二人の説明に、洋は驚愕する。平和だと思っていた世界の裏でそんなことが起こっていたとは。まさしく薄氷の平穏だったというわけだ。

「『天啓』名っていうのはどうやって決まるの?」

 もう一つ洋が聞く。基樹は少し笑って答えた。

「全部サラの一存さ。支部長が気に入っててね」

「今回に関しては、殺人現場で目撃されたのと同時刻に別の場所でもその姿が確認されていたことからつけました。きっと分裂か認識改ざんの『天啓』です」

 自慢げにサラが言う。心なし胸を張っているようにも見える。こういうところが、サラが十五歳だと実感させられる数少ない場面だ。

「認識改ざんしてどうやって殺しができるんだよ。多分分裂だろ」

 基樹はどうでもよさそうに言った。そうですねとサラが同意する。

「どんな『天啓』かってのはあんまり問題じゃない。今回は戦闘系の『知恵者』が二人もいるんだからな」

「誰と誰?」

 基樹は洋とサラを指差す。

「これで勝てなきゃどうしようもない。要観察って感じになるだろうな」

「それはこれからも被害者が増えるってこと?」

「止められないんだからそうなるな」

 これは一層油断ができない。洋は気を引き締めた。

「さて、あとはぶっつけってことで、行こうか」

 基樹は改札へ向かう。サラも後に続く。

「ちょっと待ってよ。まだ相手の性格とかそういうの聞いてないんだけど」

 基樹はちらりと振り返る。そこには普段の軽薄な雰囲気は存在しなかった。

「お前、これからすることの意味わかってるか?」

「え?『知恵者』を倒して――」

「その『倒す』って意味だよ。まさか気絶させるとか甘いこと考えてんじゃないよな?」

 基樹の言葉でハッとする。いや、分かっていた。分かってはいたが、自覚が足りなかった。

「お前はこれから殺す奴の性格やらを知りたがるのかよ。だとしたら悪趣味極まりないぜ」

 吐き捨てるようにそう言ってから、基樹は再び前を向いて歩き出した。洋は歩き出せなかった。

 みるみる開いていく距離は、実際のそれ以上に感じられた。


 慌てて二人に追いついてから、電車に乗って移動する。その間、会話は一切なかった。サラと基樹は自分からペラペラしゃべる性格ではないし、洋はなにか話をするような気分ではなかった。

『知恵者』の世界で生きると決めたというのに、ただ話をしただけでこの様だ。自分は本当にやっていけるのか、そんな不安が頭をめぐる。

「降りるぞ」

 基樹の号令で電車を降りる。洋の家から離れてはいるが、遠いというほどの距離ではない。こんなところに殺人鬼がいると知って、洋は薄ら寒くなった。

「さて、これから現地に待機してるやつらと合流して目標の現在地を探る。お前らは俺が連絡するまで駅で待機だ」

 そう言い残して基樹は去って行った。サラはスマートフォンを取り出して何やら操作している。

「サラはいつからこんなことしてるの?」

 彼女なりに思うところがあったのだろうか。手を止めて洋の方を向く。

「私の話など参考になるかわかりませんが、少しでも助けになるならば話しましょう。これで貸し借りはなしということで」

 そう前置きする。洋は一つ頷いた。

「私が『知恵者』になったのは三年前。例の夢を見てからリンゴを出せるようになったことに気が付きました。私の『天啓』は感情の高低で威力が変わるもので、そのせいで学校に大きな被害を出してしまいました」

 当時を思い出してか、サラは悲しそうな顔をする。そのきっかけを作ったことを少し後悔するが、洋は話を止めない。

「そのせいで組織に引き取られましたが、以降同様の『事故』が起こらないように、私は学校へ通っていません。現在在籍している中学校はありますが、私は校門をくぐったことすらありませんね。教育は組織で支部長がして下さいます。すでに高校課程は修了していますから能力的には仇村さんと変わりないかと。これで十分ですか?」

「あ、ああ。ありがとう」

 思ったよりもずっと酷い人生を送っていた。いかに自分が幸運だったかを思い知る。

 両者の間に重い沈黙が流れる。いよいよ洋の自身はなくなっていった。

 その時、サラのスマホが振動する。サラ手早くがそれを操作した。

「おい、聞いてるか」

 どうやらスピーカーモードになっているらしい。基樹の声が洋にも聞こえる。

「状況はかなりやばいらしい。目標は外出し、しかも足取りが分からない」

 それは殺人鬼が野に放たれたということだ。

「どうして止めなかったんだ!」

 洋が叫ぶと、基樹も叫び返してくる。

「監視してたやつは戦闘系の『知恵者』じゃないんだよ! 監視も戦闘もなんて無茶だ! とにかく、お前らも奴の足取りを追え!」

 そして通話が途切れる。サラは駆け出していた。急いで追いかける。

「どこへ向かってるの?」

 走りながら洋が聞く。

「目標の住居です。ここから近いので。闇雲に探すよりも少しは情報が集まるかもしれません」

 数分走ったところで、目標の住まいだという木造のアパートについた。随分年季の入った建物で、二階へ続く階段はボロボロに錆びてところどころ落ちていた。

「おい、こっちだ」

 踊り場から身をのりだして基樹が叫んでいた。急いで階段を上る。

「考えることは同じか。流石だな」

 サラに向けて基樹が言う。彼にそのつもりがないのは分かるが、それでもその言葉の裏に、それに比べてお前は、と言われているように感じた。

「俺が中に入って鍵を開ける。ちょっと待ってろ」

 そう言った時、ドン、という何かがぶつかる音が中からする。

「おい、中は無人だよな・・・・・・」

「はい、そのはずです」

 サラと基樹が確認しあう。こんなアパートに家族連れで住むとは考えにくい。だというのに、中に誰かいる。

 基樹は扉に向けて一歩踏み出した。当然、扉に阻まれると思ったが――

「えっ!」

 彼は扉をすり抜けた。洋は驚きの声を上げる。

「『天衣無縫(バリアクラック)』。透過能力です」

 サラが短く説明する。鍵の掛かった屋上にどうやって入りこんだのかと思っていたが、一つ疑問が解消される。

 そして、中で何かしら音がする。それが収まると、扉が開いた。

「おう、入れ」

 基樹が中を示す。恐る恐る足を踏み入れた。

「ひい、殺さないでくれ、殺さないでくれ」

 ブツブツ呟きながら、恐怖に目を見開いた男が壁に寄りかかっていた。

「殺さないで・・・・・・くれ」

 洋の見ている前で、その男は崩れ落ちる。隣のサラも驚きを隠せないでいる。

「落合善治。今回の目標だ」

 基樹の言葉に、洋は思う。

 どういうことだ、と。


「つまり、分裂したのは体だけじゃなかったってことだ」

 一通り落合善治を拷問した基樹が言った。その後ろには爪を全てはがされて気絶した落合。時々ビクンビクンと痙攣するあたり、まだ生きてはいるらしい。あまりに見るに堪えない光景に、洋は目をそらす。

 基樹は洋に構わず続けた。

「目標の『天啓』、『多重(ドッペル)人格(ゲンガー)』だったか? は予想通り体を複数作り出すものだった。予想外だったのは、一つの体に一つの性格が分裂して入るってところだ」

 基樹は倒れている落合を指差す。

「あっちが主人格だ。もっとも、性格のほとんどは『多重(ドッペル)人格(ゲンガー)』で分裂しているがな。主に殺人をしていたのは分身の方。出て行ったのもそっちだな。そいつは主人格の方もかなり攻撃していたらしい。もうむしろそっちが主人格と言っていいほど人格を奪っているみたいだぜ」

 ということは、やはり殺人鬼は町にいるのだ。状況は何も変わっていない。

「だったら早くそいつを捜した方が――」

「まあ話は最後まで聞け。どうやら残った分身は一人ではないらしい。リンゴを持っているのは凶暴性をベースにした個体だが、他にも数人存在している。分身も本体も合わせて一人と判断されるから、リンゴを持っていない個体を攻撃しても死体が残ってしまう。他人の目に見える形でだ。それはまずい」

 直接目で見られたものは改変力が及ぶまで時間がかかる。香澄が一日経ってもその記憶を保持していたように。その間に警察にでも駈け込まれたら厄介なことになるだろう。

「つまり、リンゴを持った個体だけを処理して、あとは攻撃することがあっても殺さないように、ということですね」

「その通り。本当に注意してくれ。何かあったらすぐ連絡だ」

 基樹の携帯に連絡が入った。基樹はそれを首に挟みつつ地図を広げて次々にマーカーで点を打っていく。やがて通話を切ると、サラに地図を差し出した。

「来る途中にコンビニあっただろ。そこでコピーして仇村に渡せ。俺はここで分身が帰ってくるのを待つ」

 サラは頷くと、地図と洋の手を取って走り出した。『知恵者』の脚力に任せてコンビニへ駆け込み、手早くコピーを済ませる。出力されたそれを洋に渡した。

 見ると、点は十二個。全て市街地だ。

「こんなにいるのか・・・・・・」

「恐らくは背格好が似通った他人も混じっているのでしょう。一つ一つ確認する必要がありますね。仇村さんは東から、私は西側からいきましょう」

 サラと相談して、捜索が始まる。洋は最初の点へ向かった。サラは洋とは逆向きに走り出す。

 夜の町は煌びやかだが、思いの外人は少なかった。出歩いている人間全ての顔は充分確認できる。

「点の位置はこの辺だな」

 地図を見た後、周りの人物の顔を記憶の中の落合と照合する。どうやらいないようだ。

 戦闘にならずに一息つくが、それではいけないのだと思い直す。はやくリンゴを持った落合を見つけなければならない。ここは悔しがる場面だろう。

 そもそもまだここの調査は終わっていない。地図の黒点がいつの時点の情報なのかは分からないが、今より過去のデータなのは確かだ。この時間差分、目標は移動していると考えるのが自然だろう。そこまで調査してやっと次のポイントへ移動だ。

 とりあえず近場の店に入ろうとしたとき、意外な声がかかった。

「やっと追いついた。走るの速いのも『知恵者』だから?」

 伊吹香澄。洋が守るために遠ざけたはずの彼女が洋の目の前にいる。

「・・・・・・何で・・・・・・ここに・・・・・・」

「ずっとつけてきたのよ。やっと仇村君一人になったからでてきたの。人捜しでしょ? 手伝うわ」

 とんでもないことをさらりという香澄。洋の動揺は収まらない。

「ここは危険なんだ。こんなところにいちゃいけない。早く逃げて」

「大丈夫。自分の身ぐらい自分で守れるわ」

 香澄は真剣な顔で言う。

「私、やっぱり自分のことは自分で知りたい。お願い。絶対に迷惑はかけないから」

 ここまで言われては洋も断れない。それに人手がいる状況なのも事実なのだ。

「頬のこけた、無精ひげの中年。赤いパーカーを着てる」

「え?」

「探してる目標の特徴。それっぽい人がいたら僕に確認とって」

「・・・・・・分かった」

 香澄は少し笑って、それから近くの店へ駆けていった。

「よし、僕も」

 洋も手近の店に入る。基樹に連絡しようかと思ったが、そんなに大したことではないと思い直す。今は一分一秒が惜しい。

 それを後悔するのはそんなに後のことではなかった。


 二人で探すと、単純に効率は二倍。素早く確認作業を終わらせていった。もっとも、移動中も目標がいないか気を配る必要があるため気は抜けない。細心の注意を払いながら進んでいく。

 そして三カ所目。遂に落合を発見した。

「仇村君、あれじゃない」

 香澄が指差した先、五十メートルほど離れたところには、赤いパーカーの男。

「そうかも知れない。背格好は同じくらいだ」

 洋も同意を示す。その瞬間、止める間もなく香澄は男のところへ向かっていた。同時に、洋の携帯が振動する。見れば、香澄からの着信だった。

「危ないから戻ってきて」

 通話ボタンを押して携帯に出る。そして早口で香澄に言うが、返事はない。代わりに布ずれのようなカサカサした音が聞こえてくる。

 洋が不審に思いながらも携帯に耳を当てていると、遠くの方から香澄の声が聞こえてきた。ここにきて洋はやっと香澄の意図を理解した。どうやら自分と落合との会話を聞かせて目標かどうかを確認させようとするらしい。

 確かに良い策だ。こういう役目は会話があまり得意でない洋よりも香澄の方が適任ではあるし、顔を知られないにこしたことはない。だが、あまりに香澄が危険すぎる。今から止めるわけにもいかず、洋はハラハラしながら耳をすます。

「あの、すいません」

「お嬢ちゃん、どうしたんだい」

 香澄に答える声には聞き覚えがあった。落合の声だが、その口調は酷く優しげだ。目標とは別の人格なのだろうか。

「あの、知り合いとはぐれてしまって・・・・・・。私、帰りの電車賃も持ってないんです。ほんの少しでいいんです、お金を貸して下さりませんか? 後日ちゃんとお返ししますから」

「そうか、それはかわいそうに。いくらだい?」

 落合は鞄をごそごそ探しているようだ。そして何かを取り出す。

「ああ、あんまりお金を受け渡すところを見られたくない。危ないからね。すまないけど、あっちの方へ行かないか?」

 話の流れから、取り出したものは財布らしい。落合は香澄を道の端へ誘導していく。洋も物陰から様子を伺いながらゆっくり二人に近づいていく。

 そろそろ止めなくてはいけないのに、今ひとつこの落合が目標でないという確証がもてない。いつでも飛び出せるように警戒を強める。

「ああ、お金だったね。ええと・・・・・・」

 その時、落合が財布を地面に落とした。思わず洋も香澄も落ちた財布を見る。だから、反応が遅れた。落合は鞄から包丁を引き抜き香澄を斬りつけた。狙いは香澄の首元、喉だ。下を向いたことでわずかに前屈みになっていたことが災いした。そこまでが落合の狙いだったのだ。

「っぁぁ!」

 香澄は叫び声を上げたが、喉がつぶれているせいでろくに声が聞こえない。

「くそっ!」

 洋は物陰からとびだして『万有引力(グラビドン)』を発動させる。斥力が落合の手から包丁を弾き飛ばした。続けて逆の手で引力を発動させて、倒れている香澄を引き寄せた。そしてがっしりと受け止める。その間に落合は逃げてしまった。

 洋はぐったりとして動かない香澄を寝かして、それからどうするか考える。

 喉を裂かれているのは致命傷だ。まずはこれを何とかしなければならない。ではどうする? 消毒? 包帯で巻く? それでは根本的な解決になっていない。では病院へ行くか? 事情はどう説明するんだ。相手は常人の認識の外にいる殺人鬼だぞ。

 迷った挙げ句に洋は基樹に連絡した。

「バカかお前は! 目標を取り逃がした上に協力者を無断で増やして怪我させただと!」

 とにかく基樹は滅茶苦茶に怒鳴った。洋もそれに反論しようとして、何かをわめいた気はする。自分の体が酷く遠く感じた。どうにも足下がふらふらして立っていられない。その場にへたり込んでしまった。

「とにかく、そこからだと協力者が一番近い。すぐに向かわせるから待ってろ! いいか、決して余計なことするなよ!」

 念入りに釘を刺す基樹の声も聞こえていなかった。腕を投げ出して、力なく天を仰ぐ。

 基樹の言うとおり、すぐに痩せぎすの男がやってきた。元々落合を監視していた『知恵者』だろう。

「コードネーム、マイケル。まずは協力者の状態を見せろ」

 淡々と紡がれる言葉に洋は従う。香澄の容態を素早く確認したマイケルは洋の方を向いて言った。

「良い状態とはいえない。性急に病院へ運ぶ必要がある。私の『天啓』なら一瞬だ。私が運ぶ。お前は目標を追え」

「で、でも・・・・・・」

「口答えするな。ここで戦闘員を失う方が問題だ。自分の失態は自分で補え」

 それだけ言うと、マイケルは香澄を担いで立ち上がる。

「『無影霧幻(フェードアウト)』」

 能力名であろう一言を呟いてマイケルは消えた。比喩ではなく本当に消えたのだ。これが彼の能力なのだろう。

「自分の失態は・・・・・・」

 マイケルの言葉を思い出しながら洋は立ち上がる。このままここにいてもしょうがない。これ以上の被害者を出さないように落合を追う。

 洋は再び走り出した。


 すぐにサラから連絡が入った。

「仇村さん、今どちらにいますか?」

 洋は手近にあった店の名前を告げる。

「丁度良いです。そちらに目標が向かいました。あなたで処理して下さい」

 それだけ伝えて通話が途切れる。早速汚名返上のチャンスだ。

 数分後、道の向こうから落合が走ってきた。まだ距離は離れているが、十分『万有引力(グラビドン)』の射程圏内だ。

 引力で落合を引っ張る。幸太にとどめをさした時のようにカウンター気味に拳を繰り出そうとした。

 しかし感情が大きく乱れたあとだったせいで力が上手く制御できない。中途半端に引力を使ったせいで逆に落合に勢いを与えてしまった。落合はそれを利用して右ラリアートを洋の首に見舞った。

「ぐげっ!」

 その勢いに洋は尻餅をつく。顎を打たれたせいで視界が歪む。上手く立てない。

「はっは、お前の能力は知ってたからな。利用させてもらったぜ」

 落合は勝ち誇った笑みを浮かべる。

「全く、苦労させやがる。やっと自由になれたのによ」

「・・・・・・自由に?」

「そうさ。俺はずっと落合善治という人間の中で眠っていた。このご時世、暴力なんぞ使ったらそれだけで迫害されるからなあ」

 勝利を確信しているからか、落合は酷く饒舌だ。

「でもよ、このリンゴを手に入れてからは凄いぜ」

 落合の手にリンゴが握られる。それを見せびらかすように洋の顔の前まで持ってきた。

「こいつがあれば何をしても良い。何をしても許される。例えばこんなことでもなあ!」

 落合は立ち上がろうとした洋の横っ面を殴りつけた。抵抗のしようもなく吹き飛ばされ、うつぶせに地面に倒れ伏す。

「どうだ! この力! 圧倒的だ、俺は神になったんだ!」

「バカか・・・・・・お前は」

 洋がぼそりと呟く。耳ざとくそれを聞きつけた落合は洋を睨め付けた。

「何だと、この野郎!」

 洋は全身の力を振り絞って上体を起こす。

「こんな力、ただ弱い自分を隠す為の仮面じゃないか。本質的には何も変わらない。それなのにそんなちっぽけな力に溺れて、本当に滑稽だよ!」

 落合の顔がみるみる憤怒に染まっていった。

「そうかよ。ご高説ご苦労様。じゃあ死ねえ!」

 落合は右手で手刀をつくり、洋の顔めがけて抜き手を放った。洋の『天啓』は掌からしか出せないが、今は手を持ち上げることすらできない。眼前に迫る死に、洋は不思議と安心感を覚えた。

「何しているんですか! 避けて下さいよ!」

 左側からの強い衝撃が再び洋の体を吹き飛ばす。必死で首を回すと、サラが立っていた。抜き手があたる寸前に洋を蹴り飛ばしたらしい。

「ちっ!」

 短い舌打ちをして、落合が逃げ出す。その先には一人の男が立っていた。

「まったく、どいつもこいつも使えねえ」

 男――基樹は右手に小さな折り畳み式のナイフを握っている。とてもではないがあんなもので戦えるとは思えない。

 その判断は落合も同じだったようだ。肩を入れて、タックルの体制に入る。基樹はつまらなそうにナイフを腰だめに構えた。

 両者が交錯する。落合は苦悶の表情を浮かべていた。その体には基樹の体が埋まっている。

「『天衣無縫(バリアクラック)』・・・・・・。こんな使い方もできるのですか・・・・・・」

 サラも知らなかったことのようで、声には驚愕の色がある。基樹は落合の体をすり抜けて、体の内部の急所に直接ナイフを突き立てたのだ。

 そのまま落合の中を通り抜けて、基樹が洋の方へ近づいてくる。

「俺は過ぎたことをどうこう言うつもりはねえ。言ってもしょうがねえしな。だからお前の今回の失態についてもどうでもいい。ただ、今後お前と組むのはごめん被るってだけだよ」

 そして洋の横を通り過ぎていった。洋は自分の無力感に打ちのめされる。

 サラが近づいてきて肩を貸してくれた。

「仇村さん、落合への啖呵は見事でした」

 サラがフォローしてくれるのが一層辛い。逆に言えば洋に出来たのはそれだけだったのだ。益を生むどころか、香澄という犠牲者を出している。むしろ害しか与えていない。

「まだだぞ、ガキィ・・・・・・」

 その時、後ろから声が響いた。恐る恐る振り返ると、落合が立ち上がって、鬼の形相で洋を睨み付けていた。

「とどめを刺し切れていなかったようですね」

 サラの言葉も耳には届かない。洋には、ただただ、一人の人間から向けられる純粋な悪意に体を震わせることしかできないでいた。

 落合が腕を振り上げ、殴りかかろうとする。思わず身を縮めた。

 その瞬間、一筋の光が走った。そして、思い出したかのようにゆっくりと、落合の首が落ちるという現象が続く。

「どうか安らかに」

 サラの声だった。洋を支えるのと逆の手にあるのは、洋が聞き覚えのあり、かつサラとは結びつかなかったものだった。

 すなわちそれは、光の剣だった。

マイケルは端役・・・・・・のつもりだったんだけどなあ・・・・・・。

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