2章 知恵者そろえば天啓を得る
説明パート。長い。
「わ、私家がこの辺で、通りかかったらへんな音がするから、何だろうって・・・・・・」
香澄は何か言っていたが、洋の耳には届いていない。
人殺しを伊吹さんに見られた!
洋の頭を占めたのはそんな考えだった。だが、状況はそこで終わらない。
「動かないでください」
更なる乱入者があった。一見するとどこにでもいそうなスーツの女性。洋と香澄の中間に立ち、二人の顔に掌を向けている。
「動かないで」
さっきと同じ命令をする。いつここに立っていたのか分からないほどの身体能力。恐らく彼女も能力者だ。そしてその掌がこちらへ向けられている以上、それは銃口を鼻面に突きつけられているのとかわらない。
「二人ともついてきてもらいます」
もちろん、抵抗のしようがないのだった。
謎の女に連れられて、洋と香澄は最寄りの駅から地下鉄に乗り込む。それから何回か乗り換えて、洋の町かなり離れた駅で降りた。途中で何度か同じ駅のアナウンスを聞いたので、わざと複雑になるように遠回りしているらしい。電車を降りてからも路地をいくつも曲がったが、何度も同じ場所を通っているようだ。偽装工作といったところだろう。
移動中、香澄は口をきかなかった。時々何かを聞きたそうに洋や女に目を向けるのだが、すぐに伏せてしまう。洋はといえば香澄にどうごまかすのか考えるのに必死だったし、女は常にポーカーフェイスで何を考えているのかさっぱり分からない。
そうして辿り着いたのは怪しげな地下への階段だった。地下にある店への入り口のようにも見えるが、看板が立っていないあたり、そうではないのだろう。女は、ついてこい、と言うように目配せしてきて、そしてすたすたと奥へ進んでいく。洋は一瞬躊躇したが、足を進める。後ろからも足音がするので、香澄もついて来ているのだろう。
「こちらです」
階段を下りた先には鉄製の扉があった。女はここで久しぶりに言葉を発し、ノブを回して扉を大きく開ける。隙間から洋と香澄も中に入った。
それは大して広くもない部屋だった。奥へ続く扉があったので、恐らくは玄関口といったところなのだろう。カウンターがあるのがその予想を補強する。そしてそのカウンターに寄りかかるようにして、一人の男が立っていた。
明らかに外国人と分かる高い鼻と自然な金髪。スーツ姿がすらっと伸びた腕と足を強調する。「かっこいい人・・・・・・」と後ろで香澄が呟くのが聞こえた。
「やあ、ご苦労様」
男が女に声をかける。女は男に一礼して奥の部屋へ行ってしまった。
「君たちもよく来てくれたね。うん? 君たち? どうして二人いるのかな?」
男が気さくに声をかけてくるが、二人とも声を出さない。まだこの男が信用できるかわからない。
「そんなに緊張しないで欲しいんだけどなあ・・・・・・。まあいいや。僕はスティーブン。偽名だけどね。君たちを案内した女の人はサラ。これも偽名だ。よろしくね」
そう言って握手を求めるスティーブン。しかし自分から偽名を名乗って、しかも偽名だと明かすような男は信じられない。
「このままでいてもしょうがないね」
スティーブンは苦笑を浮かべ、それから奥の扉を指差した。
「取りあえず座れる場所に行こうか。君たちも知りたいだろう? その能力のこととか、色々と」
能力という言葉を聞いて、香澄が意を決したように口を開いた。
「あの、能力って何ですか? 路地で根本君と仇村君が喧嘩してるのを見つけて、二人とも明らかに普通じゃなくて、それで――」
「ああ、君は巻き込まれた方か。ということはそちらが能力者かな、『神工鬼斧』君?」
幸太の能力名で呼ばれ、洋はこの男が誤解しているのだと気づく。
「・・・・・・いえ、僕は根本幸太じゃありません。彼は・・・・・・僕が殺しました」
殺した、とはっきり口にするのは勇気が必要だったが、ごまかしていても始まらない。香澄は怯んだようだが、スティーブンは少し難しい顔をしただけだった。
「ふむ、少し込み入っているようだな。やはり詳しい話を聞いた方が良さそうだ。こっちへ来てくれたまえ」
三人は奥へ移動した。
扉を開けると、細長い通路が横たわっていた。今出てきた扉と似たような扉が両側にいくつも並んでいる。扉を閉めて暫く進めばもうどの扉から出てきたのか分からなくなってしまった。
「ああ、ここだ」
スティーブンが一つの扉を開けると、玄関口よりもさらに小さな部屋だった。高級そうな二人掛けソファーが向かい合わせに二つ、その一つにはすでにサラが座っていた。ほとんど役に立たないような小さな机には湯気をたてる湯飲みが四つ、それから何枚かの書類をまとめたものが置いてあった。どうやら応接室のようだ。
スティーブンはサラの隣に腰を下ろすと、書類の束をぱらぱらとめくる。その間にサラが目配せで座るように言ってきた。何でも目で伝えられる人だ。
二人が座るのとほぼ同時に、スティーブンが書類を机の上に戻した。もう読み終えたのだろうか。
「大体何が起きたのかは分かった。まずは僕たちについて語ろうか」
にこやかに言ってから、スティーブンは語り出した。
「君たちは『原罪』という言葉を知っているかね?」
「えっと、創世神話のアダムとイブの、ですか?」
答えたのは香澄だ。優等生は何でも知っているらしい。
「そう、それだ。エデンで幸せに暮らしていたアダムとイブは、神様に食べてはいけないと言われていた知恵の実を食べてしまった。彼らの子孫である人間はみんな生まれた時からその罪を持っている、というものだね」
その話ならば洋も聞いたことがある。そして、確か知恵の実とは――
「一説によると、知恵の実とはリンゴのこととされている」
リンゴ! 思い出されるのは能力使用時に食べたリンゴだ。確かにあれは普通のものではなかった。
「能力者、僕らは『知恵者』と呼んでいるが、彼らは原罪を赦された者だと我々は考えている。なぜならば、『知恵者』達は能力に目覚める前に皆共通してある夢を見ている。ミスター仇村は知っているね?」
「とてつもなく大きな・・・・・・リンゴの・・・・・・木」
「そう、それだ。それこそが知恵の木――聖書におけるエデンに存在するはずの木だ。原罪故にエデンの果てへ追放されたのに、そのエデンに近づき、あまつさえ知恵の実を渡される。これは原罪が赦されたことの証左だろう」
焦れたように香澄が言った。
「そこまでは分かりましたが、それが能力者とどう関係があるんですか? 私はそんな夢みたことないので、ここまでの話は絵空事にしか聞こえないんですけれど。そもそもそれは神話の話で、現実のことじゃないでしょう?」
「ミスター伊吹、君は世界の作られた瞬間というのを見たことがあるのかね?」
「……ないですけど……」
「ならば真実は分からない。一説によれば、神は、世界が自然現象によって作られた、ようにみせるような証拠をも作ったらしい。神がどれほど万能だかは分からないけれど、そういうこともあるかもしれないだろう?」
「それは……そうでしょうが……」
尚も言い募る香澄をスティーブンが手で制する。
「さて、『知恵者』の話しに戻ろうか。まず『知恵者』は原罪を赦されることで、それまで制限されていた人間の能力のリミッターを解除できる。身体能力が強化されるのはそういうことだ。そして知恵の実によって新たな知識を得る。僕たちはこれを『天啓』と呼ぶが、今まで人類にはなかった知識だ、端から見れば魔法のようだろう。一人の人間が手に入れられる『天啓』は一つだけ。いくら強化されていても、それが人間の限界ということだね」
「なるほど、『知恵者』はその『天啓』を使っていると」
香澄はまだ納得がいっていないようだったが、とりあえず頷く。スティーブンはそれを見てから話を続けた。
「『天啓』は本能と同じレベルで体に刻みこまれる。人が『拳を握り振り下ろす』ことを知っていることも知らないでできるように能力を使えるんだ。『知恵者』の中には『天啓』のための器官を持っている者もいるくらいだ」
そこでスティーブンは湯飲みからズズッとお茶をすする。洋も口の中がカラカラになっているのに気が付き、湯飲みを手に取る。抹茶だった。外国人なのに渋い趣味だな、と変なところで感心する。
「さて、次は僕たちのことかな。僕らは『知恵者』達をまとめて管理、監視する組織だ。こういう風に言うと怖い所だと思われるかも知れないね。まあ『天啓』が悪用されないようにする組織だと思ってくれ。そしてここはその日本支部。僕ことスティーブンはその支部長さ。ああ、ちなみにサラはその一員だね」
今まで少しも動きを見せなかったサラが会釈をしてきた。どういう顔をしていいか分からず、曖昧に笑う。
「ようやく今回のことだ。僕らがミスター仇村、君の友達に目をつけたのは今から四ヶ月ほど前のことだ。君の学校に送り込んだ工作員のが、一人の生徒の容姿が全く変わってしまっているのに気が付いたんだ。しかも周りがそれを問題にしている様子はない。僕はサラを監視につけて、ミスター根本の『天啓』を探ろうとした」
なるほどそれでサラがあそこに出てきたのか。洋は納得する。彼女の『天啓』は監視に適したものなのだろうか。
「ミスター根本は実に巧妙だったが、『知恵者』である以上とある問題が必ずついて回る。それは『天啓』はリンゴを食べ続けないと維持できないということだ。個人差はあるが、一口につき一週間といったところかな。脳みそをいじるときに能力を強化するために随分沢山食べたみたいだから、減り方は普通よりも早かったね。それで、新しいリンゴを求めるようになった」
「それで、『知恵者』になった僕を襲ったということですね」
「ああ、そうだ。正直驚いたよ。ミスター根本の『天啓』は実に恐ろしいものだった。使い慣れていなかっただけで、やがては人間型以外にも変身していたかもしれない。最後に腹に主要器官を移した時にそれを確信したよ。彼は危険過ぎた。やがては僕らの方から彼を殺しに行っていただろう。だからミスター仇村、そんなに自分を責めるなよ」
そんなこと言われても、洋の気持ちが楽になることはなかった。それよりも、今の話が本当なら、この組織は平気で人を切り捨てるということだ。このスティーブンという男も見かけ通りの柔和な性格というわけではないのだろう。
「僕からはこんなものかな。他に聞きたいことは?」
「いえ、聞きたいことと言われても、何が何だか・・・・・・」
「この組織にはどの位の『知恵者』がいるのでしょうか?」
洋に代わって質問したのは香澄だった。どうしてこんなにも順応性が高いのだろうか。
「僕にも正確な数はわからないな。何しろ世界中に組織の支部があって、それぞれが百人ほどの『知恵者』を管理しているからね。大体一万人くらいじゃないかな」
「そうですか。では次は――」
「待った。こちらとしても時間があるわけじゃないんだ。何しろ君らを朝までに帰らせなければならないんだから」
「帰れるんですか!」
洋が驚いて声を上げた。スティーブンは心外そうな顔をする。
「もちろんだ。僕らは別に君らを拘束するつもりはないんだから。まあもうしばらくはここにいてもらうけどね。君の『天啓』のデータをとっておきたいから」
帰れると聞いて、少し安心する。それは香澄も同じだったようで、安堵の息を吐いている。
「ではミスター仇村はサラについていってくれ。僕はミス伊吹を送っていくから」
そう言ってスティーブンは立ち上がる。それを見て、他の面々も立ち上がった。扉を開けて通路に出たところで、スティーブン達に聞かれないように、香澄が洋の耳に顔を近づけてくる。
「明日学校で何があったか詳しく教えてね」
「う、うん」
ほのかに漂う女の子の香りにドギマギしつつ、洋は頷く。香澄もそれに頷き返すと、スティーブンについて去っていった。
「行きますよ」
サラに声をかけられ、香澄とは反対方向へ、洋も歩き出した。
香澄とスティーブンは通路を歩いている。
「君は賢い。飲み込みも早いみたいだから言っておくよ」
スティーブンはそう前置きしてから言った。
「ここで見たこと、聞いたこと、それからミスター仇村のことも、は他言無用だよ」
「ええ、分かっています」
香澄ははきはきと答えた。こういうところが、彼女が人好きされる由縁だ。しかしスティーブンにはそれは不可解なことだったらしい。
「おや、あれだけ興味を示していたんだ。もう少しごねるかと思ったが」
「そんなことしませんよ」
香澄は少し口の端を持ち上げて笑みを作る。
「貴重な機会をそんなことで失うのは惜しいですから」
「・・・・・・脅しのつもりかい?」
スティーブンの声音が変わった。優しげなそれから、緊張感をともなったものに。香澄は慌てて手を動かす。
「いえ、そんなつもりじゃないんです。ただ、超能力者については少し思うところがあってですね――」
「言っておくが、ここのことを外で言っても無駄だよ。僕ら『知恵者』がここを隠そうとしている以上、世界がここを隠す。君みたいに案内されるか、『知恵者』になるかしかない」
「そうですか・・・・・・。それは残念です」
本当に残念そうに香澄は言う。それを見て、スティーブンの声音が元に戻った。
「しかしね、ミス伊吹、君はどうしてそんなに特殊能力に拘るんだい?」
「いえ、大したことではないんです」
「ふむ、ならば根掘り葉掘り聞く、というのも野暮だね」
あっさりと引き下がるスティーブン。香澄はその態度に安堵と不審を覚えた。だが生来彼女は人を疑うことを得意としていない。
疑うよりもまず信じる質なのだ。
だからひとまずはこの組織のことも信じることにした。
それよりも気がかりなのは洋のことだ。
「ちゃんと説明してくれるかなあ」
どうにも分からないことがあるのはすっきりさせたい香澄なのであった。
一方で、洋もサラとともに通路を進んでいた。
「あ、あの・・・・・・僕はこれから何をするんですか」
洋が聞くと、サラはちらりと目をやってから、
「能力の具体的な限界値を測ります。あなたの場合、どれぐらいの大きさのものを、どれぐらいの力で、どれぐらいの範囲で動かせるのか、といったことですね」
自分の力を知られていることに少し驚いたが、よく考えてみれば当然だ。彼女は幸太を監視していたのだから、あの戦いも見ていたのだろう。
「だったら助けてくれればいいのに・・・・・・」
その呟きが聞こえていたらしい。サラは心なしムッとしたような顔をする。
「本当に危なかったら助けに入るつもりでした。それなのにあなたがリンゴを出すから、そのタイミングを失ってしまったのです」
「何だよ、それ・・・・・・」
また洋が呟くが、今度はサラはそれを無視して歩き始めてしまった。洋も慌ててそれに続く。
暫く歩いた頃に、洋に背中を向けたままで、サラが言った。
「ありがとうございました」
突然のお礼の言葉に、洋は怪訝そうな顔をする。
「何がですか?」
「根本氏のことです」
ますますわけが分からない。洋の混乱は深まるばかりだ。流石に言葉足らずだと思ったのか、サラが補足する。
「もしも根本氏があのままならば、彼を処理するのは私の仕事でした。しかしあなたが彼を倒してくれた。友人を殺す、という辛い役割を負わせてしまったとは思いますが、一方で私は安心してもいるのです。殺しというのは何回やっても慣れるものではない。やらないにこしたことはないのですよ。だから、ありがとうございました」
それでやっと事情を理解した洋は、少しだけ笑う。笑うことが、できた。
確かに洋は幸太を殺した。襲ってきたのは向こうにせよ、人を、親友を殺したのだ。
それでも、それが誰かの救いになったならば、ほんの少しだけ、気持ちが楽になった。今、自分はサラに救われたのだ。
もっとも、洋も高校生。そんなことを正面から言うのは気恥ずかしい。
「・・・・・・あなたがそんなに話す人だとは思いませんでした」
「人の誠実な感謝を茶化すなんて最低ですね」
まったくの正論でぐうの音もでない。だが、こんな風な会話ができるあたり、少しはうち解けて来たということだろうか。
「それから」
サラが、今度は立ち止まって振り返る。どんな表情をしているかと思いきや、相変わらずの鉄面皮だった。
「私に対して敬語は不要です。あなたの方が年上ですから」
「えっ?」
洋の口から間抜けな声が漏れる。改めてサラの全身を見直してみる。
タイトスカートからスラリとのびる黒いストッキングを纏った服。上は黒のスーツで、いかにもできる女といった風情だ。ボブカットの髪に小さめの顔。目も小さいがキリッと引き締まっていて、存在感がある。真一文字に引き締められた口元。どう見ても洋よりは年上だ。
「いやいや冗談はよしてくださいよ」
「冗談ではありません。女性の年齢を見間違うなんて、やっぱり最低ですね。それも年上になんて、最低も極まっています。私は十五ですよ」
「十五ぉ!」
あまりの驚きに叫びだす洋。サラは洋の動揺が収まるのを待ってから、一言。
「だから私に敬語は不要です」
「・・・・・・はい・・・・・・いや、うん」
もうどうにでもなれ、といった感じだった。
「では、分かっていただけたところで、こちらであなたの『天啓』を測ります」
サラが自分の隣にある扉を示す。どうやら立ち止まったのはじっくり話をするためではなく、単純に目的地に着いたかららしい。
「どうぞ」
サラが開けた扉に、洋は入っていった。
扉の向こうには、学校の体育館ほどの大きさの広間があった。
「いい加減、驚くのにも疲れてきたんだけどなあ・・・・・・」
洋はうなだれる。そんなに深くは潜っていないはずなのに、明らかに高すぎる天井。そこから視線を落としていくとすぐに巨大なクレーン車が目に入る。クレーンの先には、建築物解体用であろう巨大な鉄球がついている。そしてその鉄球をペチペチ叩くだけで大きく揺らしている浅黒い肌の巨漢。
「遅かったな、サラ! 随分扉の前で騒いでいたようだが・・・・・・」
「野暮用です、アレックス。それよりもこちらが――」
「ああ、話は聞いてるぜ。よろしくな」
アレックスと呼ばれた男が、太さが大木の幹ほどもある腕を差し出してくる。洋はどう対応すべきか分からず、アレックスを見上げることしかできない。
「おっとこりゃ失礼。どうにも先を急いじまう。俺の悪い癖だな」
はっはっは、と笑いながら禿頭をぺチリと叩く。どうにも調子が狂うなあ、と洋は思った。
「俺はアレックス。偽名だぜ。まあ俺もお前の名前は聞いてないからお互いさまってことで勘弁してくれ。ここでお前の能力測定の手伝いをする。よろしく」
笑顔とともに差し出された腕を、今度はしっかりと握る。
「よろしくお願します」
「おう、任されたぜ」
「挨拶が済んだなら始めて下さい。時間がないのです」
サラの言葉に鷹揚に頷いて、アレックスはクレーン車に乗り込んだ。
「では、仇村さん。あそこに立って、あの鉄球を引っ張ってください」
サラが指さしたのはクレーン車から十メートルほどの位置。洋はそこに移動し、左手を前に出す。そしてそこから物を引っ張るイメージをつくる。
相当重いはずの鉄球がゆっくりと洋の方へ動き出す。そう時間はかからずに掌の中心の延長線上まで持ち上がり、そこで静止した。
「どうやら掌の中心が力の発生源のようですね。ではそのまま後ろへ下がってください」
サラの指示に従い、左手を掲げたまま一歩ずつ下がっていく。背中が壁につくまで下がったが、それでも鉄球は僅かに下がっただけだった。
「ふむ、射程は三十メートル以上、しかし距離をとれば効果も落ちる、と」
サラがメモに何かを書きつけると、もういいですよ、と言った。
「ふう」
洋が集中を解くと、鉄球は勢いよく高度を落とした。元の高さまで戻っても、ふらふらと揺れている。
「では次は斥力の方を」
ラサが手を挙げて合図すると、アレックスがクレーン車のレバーを動かす。
「まさか!」
そのまさかだった。勢いよく鉄球が洋の方へ振られる。回避は間に合わない。必死に腕を伸ばし、斥力を発揮する。
飛んできたのと同じ、いや、それ以上の勢いで鉄球がクレーン車の運転席に突き刺さった。
ガチャンという大きな音。運転席は完全に潰れてしまった。これでは中にいたアレックスは――
「よっこいしょ」
気の抜けた声とともに、鉄球が押しのけられる。その陰からアレックスが出てきた。
「すげえな、坊主!」
クレーン車から飛び降りながら、アレックスが叫ぶ。洋はまた人を殺したのかと慌てたが、その姿を見て安心した。
「三トンの鉄球くらいなら余裕で跳ね返す。では次です」
サラが手招きで洋を呼び寄せる。急いでそちらへ向かう。
「あんなの聞いてないぞ!」
洋が肩を震わせてサラに詰め寄るが、サラは涼しい顔で、
「即応性もある、と」
メモしていた。
「まあそう怒るなや、坊主。今度は何するかちゃんと言うからよ」
アレックスが間に入って二人を引き離す。とてつもない力だった。
アレックスと向かい合うような形で立つ。
「いいか、今から俺がお前をぶん殴る。それをさっきので止めるんだ」
そのあまりに単純な説明に洋は少し安心する。それならなんとかなりそうだ。
「補足すると、彼の『天啓』は『地球割り(クラッシュ)』といって、力を強くするものです。元々の『知恵者』としての強化も相まって、本当に地球を割れるほどの力を発揮します」
その言葉に洋の背筋が凍りつく。
「心配するなあ! 手加減して、やっからよお!」
手加減しているとは思えないほど振りかぶり、ほとんど垂直に振り下ろす。狙いは洋の頭。洋もそこに手を構え、力を発動する。
衝撃を覚悟して目をつぶる洋。しかし予想していたそれはやってこなかった。
代わりにペタン、という感触が掌に伝わる。顔を上げると、アレックスが笑っていた。
「いやいや、こいつぁ驚いた。まさか相殺されるとはなあ」
大きな手でバンバンと背中を叩いてくる。
「痛い、痛いですって」
助けを求めてサラを見ると、彼女は何かを考え込んでいた。そしてボソッと呟く。
「・・・・・・グラビドン」
「は?」
「あなたの『天啓』名ですよ。『万有引力』です」
勝手に名前を付けられて呆然とする洋だが、サラ的には満足だったらしい。少し表情が和らいで見える。
「いつまでも『天啓』じゃ他のと区別がつかねえからなあ。良い名前もらったじゃねえか、坊主」
「よかった、のかなあ?」
まだ釈然としていない風の洋だったが、確かに分かりやすくて良いと思う。ありがたく頂戴することにした。
「ありがとう、サラ」
「お気になさらず。ここまでが任務でしたので」
平坦な声で言うサラ。だがその顔がほんの少し赤い気もした。
「ではこれで測定は終わりです。お疲れ様でした」
それから洋はスティーブンと合流し、彼に駅まで送ってもらって家へ帰った。香澄も同じように送ってもらったらしい。
家のベッドにどすんと倒れ込み、長いため息をこぼす。
思い出すのは幸太の腹を貫いたあの感覚。柔らかい肉に拳がくい込み、プチプチと音を立てながら脳をつぶしたあの時。
「うっ!」
思い出して吐き気がこみ上げてくる。それを必死で飲み込んで、今度は香澄のことを考える。
彼女を巻き込んだのは完全な事故だった。そう言えば、明日学校で詳細を話さなければならないのだった。今から気が重い。
学校といえば、幸太が突然学校に来なくなったのだから、どういうことになるのだろう。警察が動いたりするのだろうか。死体は残っていないのだからそう簡単に洋の元へ辿り着くことはないだろうが、それでも不安は残る。
思い出す度に悩みが増えていくが、それよりもこのとんでもない一日の疲れが勝った。
気が付けば、洋は深い眠りに落ちていた。
能力のネーミングは、作者的には『地球割り』が一番好きです。四字熟語じゃないけど。