3話 棒アイス
ひめゆり野球部は部員寮を持っている。
3学年で30人ほど、部員の半数近くが寮生である。
学校から徒歩7分の好立地で、走れば教室まで5分とかからないため、始業10分前に起きても間に合う。もちろん遅刻は厳禁である。
門限は21時。
また、寮の外で素振りなどの簡単な練習もできるが、近所に迷惑をかけないように、22時までとなっている。
これらを破ると、三日に1回の掃除当番が一週間に限り毎日になる。
風呂上がりのひなが部屋で棒アイスを食べているとレイラがやってきた。
ちなみに、凍らせて2つに折るやつではなく、棒にささったアイスのことである。
「ひなさん、素振り行きますよ」
「いや、おふろ上がったばっかりなんだけど」
「見ればわかりますよ」
「わかってるなら誘わないでよ〜。行くわけないでしょ〜」
「関係ないです。ほら行きますよ」
レイラはそう言ってひなの食べかけアイスを取り上げる。
「ええ〜」
「こんなもん食ってるから太るんですよ。摂ったカロリーは消費してください」
「やだなぁレイラちゃん。アイスの2本や3本食べたって太らないよ〜?」
ひなはやれやれといった様子でレイラを説きにかかる。
「なんで」
レイラは平静に聞き返す。
「レイラちゃんはおバカさんだなぁ。野球しすぎで頭の中エラーになっちゃってるんじゃない?」
「それはこっちのセリフですよ」
「いい? アイスを1個食べたって太らないでしょ? ということは、そこからさらに1個食べたって太らないんだよ。つまり何個食べても太らないということが証明されるんだよ」
「その帰納法は脂肪の空論ですよ」
レイラは持っているアイスをひなの口に押し込み、その手で襟首をつかんで外に引きずっていった。
「あっついよぉ〜」
「だったら離れてくださいよ」
冷房の効いた部屋から外に出ると、ジメジメとした空気が身を包む。
ひなはレイラの足にまとわりつくように溶けている。
「あれ、アリア?」
玄関脇の花壇に腰掛けてバットを磨く人影がある。
蛍光灯のおかげで、暗がりながらも顔が見えた。
「あん?」
[小川アリア] 2年 右投げ右打ち 三塁手 162センチ Eカップ
バンドタイプのスポブラ派 お団子
「んだよ。ひなとレイラか」
「アリアさん、バット磨くの好きですよね。珍しいですよ」
「道具を大事にするのなんて当たり前だろ」
「その割にはグローブを磨いてるところ、見たことないですけどね」
「あいつはいいんだよ」
「でも、アリアのグローブいつもキレイだよね」
「……」
ひなとレイラはアリアがバットを磨いている横に立ち、バッティンググローブをつけている。
マジックテープの音が夜道に響く。
「バットなんてそんなに磨くところないじゃないですか」
「スキンシップだよ。信頼関係が大事なんだよ。な?」
アリアはバットに視線を落とす。
優しい笑みを浮かべている。
「バットに話しかけないでくださいよ」
「相棒に嫌われちまったら打てねえんだよ。……ほら」
「ほら、と言われても私にバットの声は聞こえませんよ。だいいち、それ、素振り用じゃないですか」
アリアが磨いているバットは木製のマスコットバットである。
当然、試合では使わない。
「そういえば、アリアの部屋に振動するバットあるよね。ベッドに立てかけてるゴムみたいな素材のやつ。あれなに?」
「……っ‼︎」
急にアリアの顔が赤くなり、体がこわばる。
「ねえ」
「……あの、言えない」
「なんで?」
「いや、えと、その……」
すこし動揺している様子で言いよどんでいる。
すると、準備を終えたレイラがひなの手を引く。
「ひなさん、素振りしますよ」
「えー。レイラちゃん気にならないの? あの赤と白のやつ」
「立ち話するために外出たんじゃないんですから」
「む〜」
「じ、じゃあ、オレはそろそろ」
アリアは道具を片付け、寮に戻ろうとする。
「そういえば、アリアさん」
レイラが呼びかける。
「ん、なんだ?」
「そのバット、なんていうんですか?」
「は?」
「名前」
「バットに名前なんてあんのか? バットはバットだろ?」
「……そうですよね」