プロローグ
明暗も濃淡もない真っ白な部屋はさながら法廷のようで、ただし法壇の高さは6mほどもある。
その場には2つの人影が存在し、一人は白銀の髪に紫水晶の瞳で、整い過ぎていっそ無機質な印象を与える美人の女性であり威圧的に法壇から見下ろしている。
もう一人は俯いていて表情は見えないが、肩より少し長い髪で華奢な身体つきの少女であるようだった。見えない力で押さえ付けられたように跪かされていた。
「あなたの命は言葉ほどあなたのもではない。さればあなたの罪は一つの命を奪ったことに相違なく、罪には罰を。あなたには安易な死ではなく、今一度苦しみの生を。輪廻転生!」
澄みきったどこか厳かな声が頭上から響くと、少女の身体は光の泡となって溶けていく。
身体にかかる力に抗い、少女は顔を上げ、見下ろしていた女性も驚きを隠しきれなかった。
それも刹那のことで、少女は跡形もなく消え去った。
「……次の生が充実したものであることを」
少女が元とは違う世界へと転移していくのを見ながら祝福の言葉をかける。自然と自分の口角が上がっていた。
「ねぇ、アニマ。どうしてあの子にあんなに優遇したのさ」
部屋に満ちた光が静まった頃そんな声がアニマの隣から聞こえた。
「あらルナ、おかしなことを言うのね。あなたが呼んだ通り、私の名はアニマ。魂の裁定を司りし神々が一柱。我らにとってどんな人間も……いえ、あらゆる生物は絶対的に公平。すなわちすべて同様に愛しており、つまり特別な存在などありえない」
ルナと呼ばれたのは額に黒い丸の模様がある白ねこであった。背中にある天使の翼を折りたたみ、けだるげに横になっている。
加えて会話をしていることからわかるとおりただのねこではない。ルナは納得出来ていないようでどこか不機嫌そうだ。
アニマは指でルナの耳の間を撫でながら、
「そんな顔をしないの。私たちの中には生み出したのが自分たちだからって人間たちを下に見る者たちが多いわ。でも私はね、彼らの作るものには敬意を表するものも多いと思っているのよ」
と言う。ルナは頭を縦に揺らしながら目を細めている。
「彼らは自らの世界のルールを“真理“と呼んでいるけれど、中には私たちの“神世“でも通じるものもあるのよ。言わば“神理“ね」
「へぇー、それは確かにスゴイね。例えばどんなの」
ルナも興味をもったらしくアニマへと顔を向ける。
「それはね、“可愛いは正義“よ」
「は?」
自慢気に言ったアニマへルナはひどく間の抜けた声で応えた。
「“正義“なんて要は自分の主張の押し付け合いに過ぎないわ。共感できるできないはともかく絶対に正しい正義なんて有りはしない。だけど“可愛い“は比較的多者に通ずる正義と言ってもいいと思うわ。創造神も私たちには甘いしね」
ルナの表情は完全に呆れていた。
「“神童“とか、“奇跡の子“とか人間たちは言うけれど、私たちはさっきも言ったように特定の子に肩入れしたりしないわ。もし特別優れた子が生まれたならそれはただの神の戯れに過ぎないわ」
「つまり、さっきの子もたまたまに過ぎないってこと?」
「ま・さ・か。ああ、伊織ちゃん可愛いわ~。緊張して噛んでしまった時なんて可愛すぎて鼻血が出そうで焦ったわ」
ルナは完全に疲れきった表情であった。
「とは言え、ここから先は他の神々と同じく基本見ていることしかできないわね」
真っ白だった法廷はその様子を変えていく。10畳の畳敷きの部屋にファミリーサイズの炬燵が置かれている。炬燵の上のリモコンを手に取り電源ボタンを押すと、60インチを超えるテレビがとある風景を映し出す。草原に一人の少女が横になっており、その周囲を円状に白い花が覆っている。
「この際さーアニマたちのテキトーなルールとかはどうでもいいとして、もしあの子が新しい世界で変わってしまったらどうするのさ」
もはやどうでもよさ気に体を横たえながら聞いたルナに、アニマは不敵に、妖しく笑いながら答える。
「愚問ね。例えば伊織が悪意に狂うならその時は……それすらも愛してこその女神でしょうよ」