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三部目です。
「「はあ……」」
また、二人の間に重苦しい空気が流れる。
ダンスの息は合わないのに、ため息はしっかり重なることがまた実に皮肉の効いた話だ。
「まったく……どうしてそうノロマな訳……?」
「だから、そっちが早いんだって……」
そしてまたどうしようもない会話が始まる。
実にもうこの下りは本日だけでも三回目である。そしてこのインターバルがまたとてつもなく長い。
正直無駄な時間を過ごしているだけだし、さっさと帰って別のことをしたいのだが……。
「こらぁ! そこ! さっきから休みすぎ!」
と、この通り。帰れそうにない。
クラスのダンスリーダーに一喝を入れられれば、ぼくも花子も立ち上がらない訳には行かない。
そしてまたカウントを取りながら合わせていくが……。
「うっ!」
突然の呻き声を発して花子が転んだ。
「大丈夫ー?」
「大丈夫!」
ダンスリーダーからの声にノータイムで返す花子。
そしてぼくの出した手を握ると、それを支えに立ち上がり……顔を上げてぼくを見て固まった。
次いで手元に視線を落とし……。
「ちょ……ア、アンタ何やって……!」
手を振り払うように離した。
そして顔を真っ赤に染めていく。そんなに嫌だったのか。
「つってもそっちが握ったんじゃん……」
「そ、そこに手があったらうっ!?」
ぼくのボヤきに反論しながら詰め寄ろうとしたところで、意外と重症なのか、バランスを崩した花子はぼくへもたれかかるようによろめく。
しかしまたすぐさま離れようとするが、その手がぼくの肩から離れない。表情も結構歪んでいる。
だがその状況が屈辱的なのか、フーっと威嚇中の猫のように荒い息を零しながらぼくの顔を睨みつけてくる。
「……せ、背負うよ」
「……ふん」
やっぱり相当痛かったらしく、そっぽは向いたものの明確な拒絶はない。
そんな花子を見たぼくは肩を貸したまま背を向ける。そして姿勢を低くしてやると、花子の体重を背に感じたのでそのまま持ち上げた。
そして保健室へ向かおうとすると……慎吾と桜木さんがやってきた。
「コトちゃん大丈夫?」
「うん。ちょっと挫いただけ……」
「修也、大丈夫か? 変わろうか?」
「……?」
何か肩を掴む手に僅かに力が入った気がした。また足が痛んだのだろうか。
「いや、いいよ。慎吾は練習しててよ」
なんとなく不思議な感覚を抱きながらもそう返すと、慎吾は「そうか」と言って一歩下がった。
そして少し歩いたあたりで、花子は本格的に脱力して完全に俺の背に体重を預けてきた。
寝てしまったかと思ったほどだったが、さすがにそんなことはなかった。
◇
「軽い捻挫ね。三日は安静にしなさい」
というのが保健室の先生からのお達しだった。
幸いにもそこまで酷くはなさそうだという。
「まあ今日は帰りなさい。お家の人も来てくれるみたいだし。明日の朝になっても歩けないなら病院へ行った方がいいと思うわ」
花子の顔もいくばくか落ちいてきていた。確かにそこまで大事ではなさそうだ。
「じゃあ、ぼくは帰りますね」
「うん。来栖くんありがとうね」
保健室の先生ににこやかに手を振られながら部屋を出る。
相方が居なくなったので仕方がない、という大義名分を得たぼくはもう帰る気満々だ。
そういう意味では心のどこかで花子のケガを喜んでいるぼくが居る。
「待って!」
やや上機嫌気味に、ダンスリーダーへ報告するべく歩いていると、後ろから呼び止めるその言葉にドキッとした。
声の発信源は花子だった。
ケガをした右足だけソックスを脱ぎ、その足を浮かせて代わりに壁に手をついて身体を支えている。
そんな花子に歩かせるほどぼくも鬼ではないので、ぼくの方から近寄っていく。
「なに?」
問いながら、どうにも普段と様子の違う花子に首を傾げる。
「えっ、と……」
口を結んで、何かを言うか言わまいか迷っているようだ。
しかし全く意味が分からず、お互い黙って変な空気が流れ出した。
さすがにぼくもどんどん気まずくなるこの空気に耐えかね、何とかしようと口を開くが。
「……してあげる」
そんな、やっぱり訳の分からない言葉が聞こえたのが先だった。
「……え?」
「このあいだのこと……なかったことにしてあげる……」
「……え?」
やっぱり訳が分からない。
しかし花子はもう何も言わず、そのまま背を向け、保健室の中へと帰っていった。
なんともモヤモヤが残るが、ぼくも一人で練習するために裏庭に戻ることにした。
……それにしても花子、意外と胸大きいな。
あれから三日後、花子の足は無事全快して。
「遅い! 三日間何してたの!?」
「ちゃんとやってたさ!」
「さっきからここミスしてばっかり!」
「分かってるってのに」
「ああ! あと少しだったのに!」
「ごめん。よし、次は大丈夫」
体育祭当日を迎えた。
◇
『次は三年二組のダンスです!『みんなで今日の日のために……』
「三回目のハイタッチと二回目の移動、分かってる?」
「大丈夫だって。この前もできたし」
「……ちゃんと通せたのたった三回で、どうしたらそんな自慢げに言えるのよ……」
「だぁぁ……だから大丈夫だって!」
「こらそこ! ペラペラ喋らない!」
この期に及んでも言い合っていると、ダンスリーダーに叱責されてしまった。
それ以後は何の言葉も交わさずに入場する。そして位置につく。
──曲が始まった。
ダンス部の選んできた曲。
全く聴いたこともなく、それどころか欠片の興味も湧かないジャンルのものだったのに、今やリズムを口ずさめるほどに聴き飽きたそれを聴き、それに合わせて身体を動かしていく。
個人のダンスを主に、たまに相方と手を叩いたり。
……そして第一関門の三回目のハイタッチ……力強く手が打ち合う音を響かせる。
さらに踊る、踊る。花子もまた、踊る、踊る。
クライマックス間近。二回目の移動……バッチリ。
そのまま曲も盛り上がる。ダンスも盛り上がる。
そしていよいよフィナーレ……全員が集まって観客席の方を向く。
今まで頑張ったことが思いっきり弾けたようだった。
そして花子も……横からでも分かるほど、とても清々しい笑顔をしていた。
「お疲れ様。良かったじゃない」
買ってきてもらった冷えたスポーツドリンクを飲みながら、母からの労いの言葉を身に染み込ませていた。
「色々報われた?」
「何さ、その言い方」
おそらく「練習頑張ってよかったわね」ということを言いたいんだろうけど、どうにも妙な母の言い方に少し笑ってしまった。
「修也、今日の朝の占い見てないでしょ?」
「……ああ、そういうこと? 『報われる日』みたいなことが書いてあったの?」
「そうよ。あ、あと『ラッキームーブは労い』って言ってあったから、あのかわいい子にも労っときなさいよ」
「かわいい子?」
「あなたとペアだった子よ。すごくかわいいじゃない?」
ああ、花子のことか。
あまり考えたことはなかったが……確かに言われてみれば、さっきの笑顔はかわいかったのかもしれない。
「そろそろ戻るよ」
「残りも楽しんでね」
背後に移った母に手を振りながら自分の席へと戻っていく。
その途中、誰かを待つように立っていた花子を見かけた。
……ラッキームーブ、ね。
「や。お疲れ様」
「お、お疲れ様」
そんな短いやりとり。
やることを終えたぼくはそれで席に戻ろうとしたけど、「さっきのダンス……」というボソッとした花子の呟きが聞こえてビクリと足を止めた。
なんだろう。もしかして実はどこか失敗していたのだろうか。
今日まで散々ダメ押しされ続けたぼくは自然と身構える、が。
「……やるじゃん」
緩ませた表情で花子はそう言うと、友達を見つけたのか、手を振りながら別の方へ歩いていった。
……なんか。
……報われた、か。
◇
ペアダンス、と言う割にはたかだか一割くらいしかないペアらしい動き。
しかし、されど一割のそのダンスは、ぼくと花子の間のわだかまりをすっかり取り除いていた。
「さっきの授業寝てたでしょ。寝息聞こえてたよ」
「……は? アンタ先生の話より私の寝息聞いてたわけ……?」
すっかり、は言い過ぎたかもしれない。
無茶苦茶な結びつけで軽蔑の視線を向けてくる花子。心が痛い。
しかしまあぼくもこう堂々と話せるあたり、やっぱり関係は良好化したんじゃないだろうか。
「おい修也、ちょっと俺先生に用事あるからそれだけ待っててくれ」
「おっけー、じゃあ教室に居るよ」
ドアから出ていく間際に一声かけてくれる慎吾。返事をしたぼくは花子からスマホに興味を移そうとしたが、珍しく花子から話を切り出され、再び花子に視線を移すことになった。
「アンタ、橋本くんとはどういう関係なの?」
「どういう関係って……」
なんか、いかがわしい関係みたいじゃないか。
「いいから」
「ただの幼馴染みだよ。家が近くて、幼稚園から一緒でさ。小中高も同じ」
「……そう」
ぼくの返事を聞いた花子は納得したように下がった。が、しかしすぐにまた机に乗り出すようにぼくとの距離を詰める。
「……文化祭のグループ、決めた?」
「グループ?」
「仕事のグループ」
ああ、そういうことか。
ぼくの学校では九月の頭……つまり夏休みが終わってすぐに文化祭が開かれる。
その為夏休み前の体育祭後から、割とすぐにやることや分担が決められる。
それでぼくのクラスではカジノをやると決まった。
後は当日、カジノのディーラーを順にやるのだが、その順を決めればいいわけである。
そしてこれが一つの時間グループで四人なのだ。
花子はおそらくこのことを言っているのだろう。
ちなみに「男四人でディーラーはしんどい」などとほざき出した人によって男女二人ずつという規定が組まれ、それで難航してしまっているのだ。
「それにしても、なんでぼく?」
素直に出た疑問だった。花子が自主的にぼくを誘うなんて、意外中の意外だったからだ。
「なんでもいいでしょ。アンタにとっても悪い話じゃない」
「なに、その取引チックな言い方」
「私、もう早苗と組むって決まってるの」
……? 全く話が噛み合っていない。
そりゃまあ君ら二人は仲がいいし組むんだろう。しかしそれがぼくに何の関係があると言うんだ。
……ん。待てよ。桜木さんと花子が組む? つまり花子と組めば桜木さんと……。
「……って、だ、だから何さ」
「顔を赤くしながらシラを切られてもね……」
訳知り顔で言う花子。どうやらカマじゃないらしい。観念しよう。
「……いつから知ってたの?」
「疑ったのは初めて来た時、確信したのは体育祭。……結構分かりやすいわよ?」
なんと。あの嫌悪感丸出しの時から薄々感じていたらしい。
……そ、そんなに分かりやすいのか?
「え、じゃあもしかして」
「早苗は知らないわよ。鈍感だから。それで、どうするの? 組むの? 組まないの?」
逸れていた話を元に戻され、選択を迫られる。
といっても、ハッキリ言って一択だ。が、このトイレ女に完全敗北することになってしまう……。
しかしここでつまらない意地を張って突っぱねたら一生後悔しそうだ……。
落ち着け。今少しの屈辱を味わうだけだから……。それにここで突っぱねてよう分からん人と組まされるよりはいいはず……多分。
「組みます……」
「ようし、決まり。橋本くんにはそっちからヨロシク。あと貸しってことで」
ぼくの返事を聞いた花子は目的を果たしたといった笑顔で立ち上がる。
そしてドアの方へ数歩進み……振り返った。まだ、何かあるのだろうか。
「念のため聞くけど、橋本くんよね? アンタのペア」
「そうだけど……?」
「そう。……一応の確認だから」
……何だったのだろうか、とぼくは首を傾げながら外へ歩いていく花子の背中を見つめていた。
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