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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第四章『全てを救う者』
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空白の日(2)


世界が白い闇に包まれた世界の中、しかしそれでも確かに残る物はあった。

天空を突き抜けて聳え立つ塔、ラ・フィリア――。シャングリラと呼ばれたその街は世界全てが破壊し尽くされ様と言うこの時代において確かに原型を留めていた。

何者も生きる事の出来なくなった氷河の世界の中、シャングリラへと足を踏み入れる一つの影があった。その人物は全身をすっぽりとマントで覆い、吹雪の中身を震わせながら街を歩いて行く。

混乱により崩壊した秩序は世界を飲み込んで行く。すべての街が無残な終わりを迎える中、まるで時さえも白き冷気に居て尽くされたかのようにその街だけはありのまま、二年前から何一つ変わらぬままでそこに存在していた。


「……天使がここを攻撃しない理由ってなんなのかしら?」


この学園に居た頃は何度も何度も上り下りを繰り返した恨めしい坂道を昇り、嘗ては彼女たちが学び舎としていたディアノイアへと辿り着く。

要塞形態のままで停止する学園の中へと足を踏み入れる。不気味な程に静かだった。そこに人の気配は一つも――否、人だけではない。命の気配は全て無かった。

白い雪に掻き消され、吹雪の風に晒され、視界さえも覆われて行く。何とか建造物の中に入りフードを外し、凍りついた前髪に眉を潜めた。

ベルヴェール・コンコルディアはそうして望まぬ形での帰還を果たした。白いマントを羽織ったまま、振り返ってエントランスを見渡す。

嘗ては生徒で賑わったディアノイアにも今は何の音も響かない。溜息と共にベルヴェールの踏み込む靴の音が回廊に響き渡る。それはまるで異質な存在であるかのように……命ある物を憎むかのように反響する。

少女は眉を潜め、それから不安を掻き消すように靴音を鳴らしながら歩いた。勿論、この場所に天使が居ないことは事前に調査済みである。


「居るとしたら、亡霊って所かしらね」


彼女は幽霊や亡霊の類を基本的には信じて居ない。精霊になってしまった魂というものは存在するらしいが、それも自分の目で見て確かめたわけではない。

そう、彼女は自分の目で見た者だけを信じる性質であると言えた。わざわざ一人、仲間の反対も押し切ってこんな場所に足を踏み入れたのもそれが理由であると言える。

屋内だというのに吹き込む風は絶え間なく体温を奪い去って行く。凍りついた世界の中、白く息を吐き出す。体力の消耗は激しいが、この程度ならばまだ耐えられる。

命を迎え入れる事を拒むかのようなディアノイアの中、少女は一人靴音を鳴らす。氷を踏み砕き、吹き込み蓄積した雪に足跡を残し、凍てついた壁を蹴破って。

教室を。講堂を。倉庫を。食堂を。闘技場を。屋上を。学園の全てを。

全てを見て周り、生き残りや逃げ遅れが居ないことに安堵する。それは当然、既に二年前に破棄されて以来、ここに人が訪れた形跡はない。

それでもまだ誰かが戦っているのではないか? まだ誰かが踏みとどまっているのではないか? もしかしたら助けを求めているのではないか? 様々な思いが彼女をそう突き動かしたのだ。

御節介であると言えるであろうその感情。しかし、学園の中においてそれを発揮せずには居られなかった感傷も理解出来る。


「どっちにせよ馬鹿ね」


鼻で笑い飛ばす。最大の目的地を最後に回したのは――その感傷が原因だったのかも知れない。

目的は地下にあった。厳密には、地下のプロミネンスシステム――。今も動いているのかそれとも停止してしまっているのかは判らないが、兎に角その力が必要だった。

エントランスにまで戻り、螺旋階段を見上げる。靴音を鳴らしながら凍てついた階段を昇り、学園長室であった場所へと足を踏み入れた。

扉を開いたその先も当然のように凍てついていた。だが見ただけで直ぐに判る。プロミネンスシステムはまだ生きている。

稼動を続けている。魔力の胎動を感じる。奏操席と呼ばれた場所に歩み寄り、機械仕掛けのインターフェースに手を伸ばす。


「……プロミネンスシステムが生きているなら、まだ――」


指先を伸ばそうとしたその時。背後に存在しないはずの足音を察知し、ベルヴェールは振り返る。

そこにはつい先ほどまで姿を見せることの無かった番人が立っていた。全身に包帯をぐるぐると巻きつけ、素顔どころか地肌さえも全く見る事の出来ない謎の男――。

ベルヴェールは眉を潜める。まるでミイラ――成る程、亡霊の類である。無言で腰に折りたたんで格納してあった弓を取り出し、それを構える。


「アンタ何者? こんな所に居る時点で普通じゃないわよね」


男は答える事はしなかった。故にベルヴェールは問答無用で矢を放つ。

答えぬのならば敵。敵ならば倒す――。シンプルな思考と直感的な判断を理由に攻撃を開始する。放たれた矢は魔力を帯び螺旋を描きながら男に突き刺さる。

火を噴き燃え上がる魔矢。ベルヴェールは弓を下ろし、その効果の程を見詰める。男は燃え上がり、そのまま反撃するでもなく進むでも戻るでもなく、ただ立ち尽くす。

自殺志願者――? 無抵抗主義? そんな疑問が脳裏を過ぎる。もう一撃射れば判る事だ。それで判らなければもう一度――。それでハッキリさせる。

三つの矢を同時に束ねる。炎、雷、氷の魔力を込めた三種の矢を束ねて再び放つ。三色の光が渦巻きながら目標に直撃し、盛大な爆発を巻き起こす。

爆風の中、弓をゆっくりと降ろすベルヴェール。霧散した氷の結晶は霧のように室内を覆って行く。その派手な攻撃が失態であった事は直ぐに思い知らされる事となった。

光の粒を切り裂き、何かがベルヴェールに襲い掛かった。見切る事に失敗し、弓でそれを防ごうとする。しかし攻撃は容赦なく弓を両断し、ベルヴェールの肩口に深く突き刺さった。


「ぐ――っ!?」


後退する。危険な状態にあることは明らかだった。武器を失い、反撃の手段は無い。その上相手は正体不明――。最悪と称してなんら問題の無い状況。

背後に弾かれるようにして跳躍する。矢尻だけがストックされたポーチに手を伸ばし、魔力をこめた宝石同然のそれを盛大にばら撒いた。

炎、雷、風……。各々が勝って赴くままに役割を果たして魔力の嵐が巻き起こる。その騒動に乗じてベルヴェールは学園を見下ろす場所に在るエレベータへと走り出した。

地下の機関ブロックに続くそのエレベータに滑り込み、下降スイッチに手を伸ばす。その掌に何かが突き刺さり、衝撃に引き摺られるようにして少女の身体は吹き飛ばされた。


「うあっ!?」


掌を貫通したまま壁に突き刺さっていたのは黒い影だった。靄――とも言える。兎に角両方の性質を併せ持つ何か。

どんなに努力してもそれを引き抜く事は出来なかった。串刺しにされた腕――。正面にはヒトガタの影――。ゆっくりと、歩み寄る。

ひたり、ひたりと音を立てるそれは靴の者ではなかった。素足、否――素手。ヒトガタは地面に這い蹲り、ベルヴェールに迫っていた。

その姿を目視した瞬間、背筋に悪寒が走る。見る者を呪うような禍々しい姿……。全身を影で覆われ、塗りつぶされるように真っ黒なその身体に無数の瞳が浮かび上がっている。

それら全てがまるで一つ一つ独自の意思を持つかのように蠢き、やがて息をそろえたようにぴたりと調子を合わせてベルヴェールを射抜く。


「ひ――っ!?」


男の体からは無数の手足が生えていた。左右に四本ずつ、合計八本。まるでその這い蹲る姿は蜘蛛の様だった。

口だと思われる部分から真っ赤な舌が覗く。その上には禍々しい黒い光を放つ小さな聖書の姿があった。預言されし者マリシア――。気づいた時には既に少女は腕を強引に引き抜いていた。

悲鳴に等しい雄叫びと共に串刺しにされた左手を強引に引き抜く。手が半分切断された状態に陥り、大量の血が白い床を染めて行く。

痛みに歯を食いしばり呼吸を荒らげながらも冷静に逃げる手段を探す。男の体から生えた手足は自在に長さも形も変えて襲い掛かってくるだろう。思わず舌打ちする。


「バケモノ……ッ!」


背を向ける事は出来ない。そんな事は自殺行為以外の何者でもない。だが、どうすれば逃げられる? 考える。痛みで鈍る思考を必至で研ぎ澄ます。

呼吸が苦しい。冷たいのか痛いのかも判らなくなりそうだった。無事な手で傷口に包帯を巻きつける。止血は充分とはいえない。だが、今はそれ以上の事は出来そうもなかった。

魔法戦に持ち込むか? だが、魔法戦に入るよりも前に圧倒的な物理攻撃性能の前に瞬殺されかねない。舌打ちする。答えが見つからない。

やがて男は前進を始めた。考える時間ならたっぷりくれてやっただろう? そんな意図さえ感じる。反射的にベルヴェールは宝石の格納されたポシェットに手を突っ込んだ。

しかしそれよりも早く、一瞬で影の腕がベルヴェールへと伸びる。それは一撃で少女の喉を貫き、腕を、肩を、胸を、足を、全てを貫いて壁に磔にする。

信じられないほどあっけなく一瞬で戦闘不能になってしまった。喉を貫いた一撃のせいで熱いものがこみ上げてくる。霞む視界の中、化物が立ち上がるのが見えた。

八本の腕が乱舞する。壁に串刺しに去れたまま、ベルヴェールの身体は滅多刺しにされてしまった。意識は既になかった。目を薄っすらと開いたまま、ベルヴェールは息絶えていた。

やがて乱舞が終了し少女の死体はずるりと壁に寄りかかって崩れ落ちる、血の池と化した景色の中、少女の体から溢れた熱がゆっくりと冷めて行くのを感じる。

散らばった宝石が血を浴びても直輝きを放つ。美しい景色だった。一つのオブジェのようでさえある。だがそれは命が燃え尽きてしまった証。直に美しさを失い、無残な死という事実だけを見る者に突きつけるだろう。

死を前に男は再び全身を包帯で覆いつくして行く。ゆっくりと丁寧に自らの腕で。そうして振り返り天井へと跳躍する。部屋の中には死体だけが残された。

美しい金色の髪が解け、毛先が血に染まって行く。吹き込む白い雪はやがて血さえも凍えさせる。魂さえも、思いさえも、その形さえも……。



⇒空白の日(2)



夏流とゲルトが辿り着いたのはイザラキという国の中心部に存在する宮殿であった。

イザラキに移住してから一年以上を過ごしたゲルトもこの場所には近づいた事がない。しかしそれは冷静に考えてみると少々不思議な事でもある。

ゲルトたち難民となった人々を救い、住む場所や仕事の面倒まで見ているイザラキの王の姿も話も聞いた覚えがなかった。勿論、戦う事以外に興味関心が向いていなかったのも理由の一つに上げられるだろう。だがそれだけではないとも言える。

そもそもイザラキという国そのものが謎めいているのだ。結界により鎖国された島国。移動する国家……。高難易度であり魔術師でも一部の才能ある人間しか会得出来ないといわれる転送魔法を容易に扱う人々。むしろその技術力からは古代文明の名残を強く感じさせる。

奉龍殿と呼ばれるその場所は巨大な塔のような建造物であった。夏流は何故か迷う事無くその場所に足を踏み入れるのだが、先ほどから二人の間に会話が存在しない所為で彼の狙いがつかめないままであった。

うっかり口を滑らせてしまった直後、なんとか気を取り直して歩みを再開したものの最早ゲルトの頭の中は真っ白であった。かろうじて反射的に夏流に続いて歩いているが、夏流が何を考えているのかを想像すると怖かった。

故に真っ白。カラッポの頭のままぼんやりと奉龍殿に足を踏み入れる。意外にも内装は質素。木造作りの何てことは無い建造物である。

内部には上に向かう螺旋階段が見えた。ふと思い出すようにその構造にラ・フィリアを重ね合わせる。二つの塔は外見や内装こそ違えど、形そのものは良く似ているように思えた。

そんな中、夏流は地下へ向かう階段を下りて行く。空へと続く階段に比べ、それは少々みすぼらしく見えた。

石造りの古めかしい階段。実際それは地下の洞窟へと繋がっていた。湿った空気が競りあがってくる。ディアノイアの地下などにあった遺跡とは全く性質が異なるように感じる。

階段を下りた先にあったのは予想通り巨大な空洞であった。周囲には大地を削り水路が流れている。遥か彼方には水路が合流し波打つ海のようなものが見える。鉱石に包まれた小さな秘密の海岸……そんな印象であった。

二人の正面には巨大な垂れ幕がかかっていた。幾重にも折り重なる赤や黒や蒼、カラフルな布の向こう側にただならぬ気配を感じる。


『…………お前たちがここに来る事は判っていた……。世に満ちる同胞はお前の存在を歓迎している』


大きな声が聞こえた。しかしそれは囁くような、それでいて威厳のある声……。二人は同時に顔を見合わせる。


『驚くのも無理は無い……。人の身では感じ取れぬ世界の様相も在ると言うだけの事……。理解出来ぬ事を恥じる必要は無い。ただありのままに受け入れるのだ』


低い声が空洞に響き渡る。ゲルトは意味が判らずに首を傾げた。

そもそもこの声の主が王だというのだろうか。それにしてはここに来るまでにあまりにもあっさりとしすぎている。まるで警備など素通りだ。誰一人この場所に下りる二人を呼び止めることさえしなかった。

考えるとますます意味がわからなくなりそうでゲルトは考える事を止めた。夏流が自分で率先してここに来ると言い出した以上、彼には何か考えがあるのだろう。

しかし期待とは裏腹に夏流も困惑した様子だった。それに気づき、ゲルトは冷や汗を流す。


「あの……もしかしてここに来るの、初めてですか?」


「当たり前だろう。イザラキなんか普通こないだろ」


「じゃあどうしてあんなに自信満々にここに来たんですかっ!?」


食って掛かるゲルト。夏流は苦笑を浮かべながら視線を反らす。その反らした視線の先、彼は目当ての人物を見つけて声を上げた。


「……よお、ちび子」


「ふむ、君は変わらないようだ。相も変わらずと言った様子で安心したような、不安になったような……。複雑な心境だよ、君」


二人の背後、階段を下りてくる鶴来の姿があった。夏流は『ちび子』と彼女を呼称したが、実際の彼女は長身でゲルトよりも一回りは大きい。

長大な刀を片手に二人に歩み寄る。ゲルトも当然見覚えはあった。しかし二人の様子はなにやら予想以上に親密そうである。


「昔の姿を知ってるとお前の成長ぶりが良く判るよ」


「これでも一応、拙者は年上なのだがね……。こちらとしては、何も知らない君とは何度か顔を合わせていたのだが」


「あー、まあそうなるんだろうな。とりあえず言うとおりここに来たけど」


「うむ。君にしては上出来だ。さて、それではこの世界の今後について話し合うわけだが――君」


鶴来の切れ長な視線がゲルトを捕らえる。何故か背筋を伸ばして言葉を待つゲルトを見て鶴来は失笑する。


「そんなに畏まらずとも良いだろう? 君とも何度か面識はあるはずだが」


「え、ええ……。いえ、大丈夫です。話を続けてください……」


少しだけ落ち込んだ様子でおずおずと引き下がる。話の途中で判らない事があったら後で夏流に訊こう……そんな事を考えながら。

夏流の後ろに引っ込んだゲルトを見て鶴来は笑う。それから二人の視界、垂れ幕の前に立ち腰に片手を当てた。


「さて、まずはこの時代に無事戻れた事を祝おうか」


「まさかこっちがこんなになってるとは思わなかったからな……。鶴来が助けてくれなかったら俺もどうなってたか」


十二年前の世界――。実際には十四年前なのだが、その時代から戻ってきた夏流は当然のようにパンデモニウム墜落地点に出現した。

ヨトの影響もあり、兎に角元の場所、出来うるだけ元の時の流れに自然に帰還を果たす為にそれは必要な事であった。結果、夏流は突然海の中に放り込まれたのである。

慌てて海岸まで泳ぎ陸に上がるも世界は冷気に包まれた天変地異の時代……。凍えそうな夏流の目の前に現れたのが鶴来であった。


「事前に君の出現する場所は予測が出来た事だからな。尤も、かなり長い時間君を待つ事に成ってしまったが」


「頼んだ覚えはないんだけどな」


「拙者も頼まれた覚えは無いし、覚えていた積もりも無かった。まあ……偶然の産物という事だろう」


そんな事は有り得ないとゲルトは突っ込みを入れたかったのだが、何故か二人の様子を見ていると余計な茶々を入れるのは憚られた。

兎に角帰還後直ぐに鶴来に救助された夏流はイザラキにやって来た。その後、この場所で合流する事を約束し一度鶴来とは別れ、ゲルトの家に向かったのである。


勇者部隊ブレイブクランで居場所がハッキリしているのは君だけだったからね。取り合えずという事で伝えたら、夏流は直ぐに向かってしまったらしい」


「そうだったんですか……」


「そんな事より今はどうやってヨトをぶっ倒すかだ。大体の状況は聞いてるが、これが空白の日って事なんだろ?」


「如何にも。ヨトは物理的な手段で世界を滅ぼす積もりらしい。その気になれば時を逆行させる事も可能なはずなのだが……。こればかりは本人に訊いて見ないことには判らない」


「理由はどうあれ物理的手段で世界を滅ぼすにはまだ時間がかかるんだろ? だったらその分やり様があってこちらとしてはありがたいが」


「ところがどうやらそう気楽にも行かないようだ」


夏流がこの世界に戻ってきた事を鶴来が察知する事が出来た様に、この世界を見下ろす存在であるヨトもまた帰還の事実を知った事だろう。

これまで物理的な手段においてのみこの世界を駆逐しようとしてきたヨトの考えは誰にも判らないのだ。夏流の帰還を契機に新たな行動を起こす可能性も充分に考えられる。


「それにどちらにせよヨトを倒したところで世界が終わってしまっていては意味がないのだろう?」


「結局猶予はそんなに無いって事か」


腕を組み、静かに呟く夏流。どちらにせよ悠長に構えている積もりはなかったのだから問題はない。予定に変更も。


「問題はどうやってヨトのいるリア・テイルに行くか……か」


「ちょっと待ってください! 本当にその……リア・テイルが?」


割っては行ったゲルトの言葉に二人は同時に視線を向ける。辛い現実だが、それは特に難しい話でもなかった。


「元々リア・テイルは神の居城の一部だったと言われている。リア・テイルだけではなく、パンデモニウムやディアノイアも」


「じゃあ、操っているのはリリアじゃないんですね……!?」


「それはまだなんともいえない答えだろう。だが少なくとも希望が無くなったわけではないさ」


腕を組んだまま微笑む鶴来。ゲルトはそれに頷き返す。


「ヨトはリリアを生かしているはずだ。リリアを殺したら目的がひっくり返るからな……。とりあえずリア・テイルに直接乗り込む手段はないのか?」


「難しい話だが、やって出来ない事はない。ただしそれには『彼』の協力が必要だ」


そうして鶴来は振り返り、垂れ幕の向こうへと視線を向ける。来客二人は同時に顔を見合わせ、それから同じく垂れ幕の向こうに目を凝らした。

そもそもこの場所は王の居るべき場所である。だとしたらやはり居るのは王なのであろうか? こんな岩肌が露出し放題の洞窟の中、王の居る景色が想像出来ない。

二人の想像は一瞬で砕かれる事になる。垂れ幕はどこからともなく吹いた風で捲れあがり、その向こう側に鎮座する存在が姿を現したのである。

初見、二人はそれが『蛇』であるように感じた。しかしそれは蛇などではない。巨大な、とぐろを巻いた白い『龍』――。それこそが隠された声の主の正体であった。

龍は金色の瞳で二人を見下ろしている。その凄まじい威圧感に思わず息を呑む。しかし鶴来だけは龍に親しげに歩み寄り微笑んだ。


「そう怯える事は無い。むしろ名誉な事だ。『彼』は人前には姿を現さないものだからね……。実際にお目にかかれる人間はごく僅かだ」


「あ、ああ……。えっと、『彼』は?」


「『彼』は『彼』だよ。名も無き精霊の王――。イザラキを今まで守ってきた者だ」


精霊と呼ばれる存在が居る。

それは自然の中に存在する世界という言葉に調和する者。魔力を持ち、魔力で身体を構成し、空白なその身に意思を宿した存在。

亡霊の類である事もある。時には物に憑依することもあり、形を成して人の前に姿を現す事もある。そして時にそれは『龍』と呼ばれる。

龍は精霊の中では最高位に君臨する。自然の化身でもあり、人前には姿を現さない。自然のバランスを司り、世界を影から支える存在なのだ。

その龍さえも浸食するのが魔物の呪い――。その結果を夏流も一度体感している。呪いは全てを飲み干して掻き消して行く。それが例え、セカイだとしても。


『いつぞやは『我々』が世話になったようだ。暗き呪いの海に囚われし意思を解き放ってくれた事に礼を言わせてほしい……』


「あ、いや……。あの時は、ただ無我夢中に戦っただけだ。それに敵として俺たちは龍を処理した」


『それでも構わぬ。『我々』は『個にして全』……。塵に変えれば新たな命を育み世界を構築する者……。真に恐るべき物とは輪廻の停止……。死とは一時的な現象に過ぎない……』


「つまり、魔物になってるくらいなら死んだ方がマシってことか」


『空白の日を……。ヨトを止める事を願うと聞く……』


「ああ。あんたがその方法を知っているのか?」


『手段は至らぬ……。所詮『我々』は世界の一部に過ぎぬ塵芥……。神であるヨトを超える存在ではない』


「だが、彼らはヨトに匹敵するとも言える」


『彼』の言葉を遮り鶴来がそう口にする。続けてその根拠を説明した。


「この世界には一つの根源から二つのルーツが産み落とされた。一つはヨト、もう一つが『彼ら』だ」


想像主トウカを呼び込んだものは全くの空白――。いわば世界そのものの『生まれたいと願う意思』であった。

それは願いが叶えられた瞬間に消滅し、同時に別の二つの存在へと分岐した。『想像主の代弁者』と、それとは別に世界を構成して行く『自立性』である。

人為的に想像主の願いを叶え、世界を構築するヨトとは異なり自立性かれらは各々勝手に世界そのものに融和する。否、彼らそのものが世界から産み落とされたのである。

世界が構成される過程で自然に発生し、この世界に存在する理を支える自立性……。この星そのものとも言える集合意識。神の意思に匹敵する、調和した自立性。


「つまり彼らにはヨトに匹敵するだけの力があるという事になる」


「そ、そうなのか!? だったらあんたが力を貸してくれれば……」


『それは罷り通らぬ事……。『我々』は世界に手を加える事はしない。滅びると言うのであればあるがままにそれを受け入れよう。我々は世界の自立性……。この世界の総意は、運命に大して歯向かう事を望まない』


「だったらヨトの事はほうっておくっていうのか?」


『如何にも……。『我々』にとって消滅は死ではない。終焉の後も世界が残るのであればそれは世界の存続であると判断する。地上でどれだけの命が失われようとも……『我々』は大きな変革を望まない』


「じゃあ、俺たちには手を貸さないと」


龍は静かに目を瞑る。大きく吐き出した息が三人の髪を揺らして行く。龍は暫くの間沈黙し、それからゆっくりと瞳を開いた。


『世界の紡ぎ手が目覚めようとしているのを感じる……』


「紡ぎ手……?」


『この世界を産み落とした存在が目を覚ますだろう。そうなれば、この世界は彼女の意思で存在を抹消される……。『我々』は世界の防衛能力として彼女の目覚めを妨害する義務がある』


「滅びと抹消は違うのか?」


『完全なる無への回帰……『我々』だけではなく全ての存続が赦されなくなる。全ては無かった事に……虚幻へと姿を変えるだろう』


その言葉に夏流は静かに世界の滅亡と同時に冬香の覚醒を予感する。それはもうずっと前から判っていたことだ。

出来ればそうなってしまう前に決着をつけたかった。まだ間に合うというのであればそうしなければならない。そうする為にここに居るのだから。


『回帰を『我々』は望まない……。世界の可能性が完全に食いつぶされる事だけは拒まねば成らない』


世界なりの自衛本能に近い反応……それが尤も世界に近い言葉だろう。だがしかし完全に彼らの正解を導き出す事は出来ない。当然夏流にも理解しきれるような事ではなかった。


『結論、『我々』は答えをお前に託す事にした……』


「……俺に?」


『お前は生み出す存在と同義……。この世界をただの虚幻ではなく現実へと昇華させた力を持つ者と同じ段位に立つ。『我々』はお前の行動に世界の可能性を委託する。故に……お前をリア・テイルへと導く事に同意した』


三人は顔を見合わせて笑う。夏流は前に進み、龍の目の前で顔を上げた。


「期待には応えられるように努力するよ」


『……『我々』はお前に期待はしない。世界の総意がお前を選んだのだ。間違いは無い……』


「そうかい。だったら俺も、賭けた事には後悔させねえよ」


夏流の言葉に龍は目を瞑る。まるでその口元が笑ったかのように見えたのは目の錯覚だったのだろうか。

三人は奉龍殿を後にする。一先ずは準備を整える必要があるだろう。奉龍殿の前の広場で鶴来が立ち止まり話を切り出した。


「さて、では決戦の前に――ヨトに勝利する為の算段をつけるとしようか」


「勝利する為の算段、ねえ……」


ふと思い返す。ヨトの圧倒的な力は夏流も実際に体験している。得体の知れない魔法に相手の魔力を消し去る能力――。力をつけた今でも正面からまともにやりあえば勝ち目は薄い。


「ヨトの力はどの属性にも該当しない特殊な物だ。その名を『虚属性』と呼ぶ」


「虚……?」


「属性……?」


夏流とゲルトが言葉を半分にして繰り返す。二人の驚く様子を見て鶴来は歩き出した。


「詳しい話はまた後にしよう。今は兎に角足並みを整える事が必要だからな」


そう言って止まらずに歩いて行く鶴来。二人は顔を見合わせ、それから一先ず鶴来を追い掛ける事にした……。


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