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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第四章『全てを救う者』
93/126

交わる時の日(6)

「ねえ、ふーちゃん。いきなり魔王をやっつけちゃったけど、これ、魔王は何をしたの?」


「え? そこまで考えてなかった。シュートは?」


「え、俺様かよ。そうだな……あれだ。ほら、あれだよ。愛だよ」


「「 愛? 」」


俺たちが作った魔王と勇者の戦いの結末――。そこに至るまでの物語を秋斗はそんな言葉で表現した。

外見は悪ぶっているくせに実は一番正義感が強くて真面目な秋斗らしい言葉だったと今思い返すと納得する。だがたかだか小学生の俺たちにとって『愛』なんて言葉は余りにも現実離れしていたが。

魔王はどうして勇者に倒されたの? その素朴な疑問は確信を射ている。勇者は最終的に魔王を倒すだろう。魔王に負けてしまう勇者なんてありえない。魔王はなにかとても悪い事をして、世界の危機に立ち上がった勇者が魔王を下すのだ。

だが、俺たちの物語には魔王の『悪性』が圧倒的に不足していた。物語の見せ場である魔王を勇者が討伐するシーンばかりに拘って、そこに至る理由が圧倒的に不足していたのだ。

理由を考えた時、愛という単語を閃いた秋斗は今思ってもかなり不思議なセンスを持っている。普通は世界征服とか、もっとわかりやすい理由を取り出すだろうに。


「愛情の縺れ……それこそ魔王の死因なのだ」


「……君、それ自分で言ってる意味本当にわかってる?」


俺の的確なツッコミに秋斗は半ば笑いながら応えた。それが冗談であった事は今ならよくわかる。だが、冗談が通じない奴というのはいつでも一人くらいいるもので。


「愛……そう、愛だよ!」


「「 はあ? 」」


言いだしっぺである秋斗でさえ首を傾げる。呆気にとられる僕らを他所に、冬香は画用紙に絵を書き込んで行く。

そこに描かれたのは白い勇者と、それに相対する白い魔王だった。しかしそれは魔王というよりは、もっと的確な表現がある。


「これじゃあまるで――お姫様だよ?」


俺の言葉に冬香は満足そうに微笑んだ。その時から魔王はお姫様になった。


「勇者と魔王は運命の相手だったんだよ。でもね、魔王は魔王だから、勇者とは結婚出来なかったの。だから魔王はね、最後は自ら勇者に倒される事を選ぶの」


「お、おぉ〜……」


「……なんだか、物凄く悲しい終わり方だね」


「そうかな? でも、どうしても結婚出来ないのに好きな人がいて……。だったら私は、最後は好きな人に殺して欲しいかなあ……なんて」


照れくさそうにそう笑う冬香は余りにも俺たちよりも大人びていた。そう、まだ子供の彼女がそう言ってそれをヒロインとしたことの意味に、俺たちが気づくはずもなかった。

本城冬香――。それは、もう一人の俺の名前。もう一人の自分……。彼女はどんな物を見ていたのだろう? 僕がノートと鉛筆を見ている間、彼女は外の広い世界で何を見つけたのだろう?

どんな経験をして、どんな思いを紡いで……。知りたかった。冬香の見ている物、彼女の心を……。冬香はいつでも俺の予想斜め上を行く。それはきっと、俺の心が彼女に届いて居ないからだ。

お姫様なのに魔王で、勇者に叶わぬ恋をした――。そんな白い髪の魔王の存在を心に浮かべ、彼女は何をそこに思い描いていたのだろう。

俺と彼女は同じだ。なのに同一人物じゃない。どんなに俺が彼女を思っても、その心の焦がれる痛みは彼女には届かない。

同じなのに全く別であるという紛れも無い事実が俺の心を苛んで行く。どんなに彼女に手を伸ばそうと願っても……彼女の心には届かないんだ。

だからそれを理解したかった。一つの物語を紡ぐ行為は二つの心を織り交ぜる事に良く似ていた。彼女が思い描くストーリーを俺は解釈し、物語として形にして行く。

それはとても拙く、見るに耐えない幼稚な作業。けれどもそこに交わる心は、二人で手を重ねて膨らませた想像は、決して誰にも馬鹿にされる謂れのない、確かな一つの世界――。


「マスター? こんな所にいらっしゃいマシたか」


背後からの声に意識を現実に引き摺り戻される。リア・テイルの中庭、薔薇に囲まれた小さなスペースでゆっくりと振り返る。

俺を探していたらしい白蓮が隣に立つ。彼女はじっと俺を見詰めている。少しだけ居心地が悪くなり、俺は溜息を漏らしながら白蓮の額を小突いた。


「……どうした? 何か用事があるんじゃなかったのか?」


「……いえ。マスターが何やら思い悩んでいるように見えまシタので」


他人の心の動きまで敏感に察知するとは、本当によく出来たロボットだ。思わず苦笑を浮かべてしまう。


「少し……フェイトの話を考えていたんだ」


あの日、リア・テイルの中で見た景色……。勇者と魔王が対峙するその絵を俺はどこかで見た事があった。

そのルーツを思い返した時、何かばらばらになっていたパズルのピースが正しく収まるべき場所を求めて動き出したような気がする。

息苦しい仮面を外して深呼吸する。誰も入り込む事の無い薔薇園の真っ只中、俺は忘れてしまった物語を思い出していた。



⇒交わる時の日(6)



白き勇者がまだ勇者と呼ばれるよりも前、彼が聖騎士団の一員になるよりも更に時を遡れば勇者と魔王の接点は露呈する。

フェイト・ライトフィールドと呼ばれた男がまだ北方大陸の軍事国家ザックブルムを根城にしていた頃。彼はどこにでもいるようなただの仕事の無い少年だった。

元々はクィリアダリアの出身であったフェイトが難民としてザックブルムに辿り着くのには紆余曲折があった。しかし残された結果はシンプルに、ただ仕事も無く、親も無く、世界中から見放されたように生き続ける小汚い人生だけだった。

毎日裏路地の隅で膝を丸くして眠り、物乞いをし、ゴミを漁って生きた。同じようなストリートチルドレンは沢山居た。時代がそうさせていたのだ。

戦争が無くとも世界から貧富の差は消え去る事はない。発展途上の歪んだ歴史を再現するその世界において、彼らのような闇の子供は絶対的に発生するものだった。

それでも彼は必至に生きながらえていた。彼の人生が大きく変化したのは、共に町で生きていた一人の少女が病で死んだ時だった。家族も居ないフェイトにとって身近な存在である少女の死は余りにも重かった。

友人の死――だがそれは自分の死でもある。同じ境遇に置かれた人間がすぐ隣で息絶えていた時、目前に迫ったリアルな死にフェイトの中の何かが壊れた。

生きたい。ただそれだけだった。死にたくないから必至だった。初めて人の命を奪ったのは十二歳の時だった。迂闊にも裏路地――闇の世界に足を踏み入れた貴族を一人、空き瓶で殴り殺したのだ。

どの程度暴行すれば殺す事が出来るのかわからなかった少年は瓶が割れても何度も殴り続けた。割れた瓶を太った男の腹部に何度も突き立て、突き立て、突き立て、死が間違いの無い物になった時、ようやく得物を降ろす事が出来た。

その時少年が感じたのは殺人という背徳に対する恐れではなく、『これで生き延びられる』という歓喜であった。彼は貴族から金品をせしめ――そうして金を溜め込んだ。

他にも同じように飢えた目をした子供たちがいた。中には品物を横取りしようとする子も居た。だがフェイトはそれらを容赦なく殺した。やがて彼に近づく者はいなくなった。

奪った金で服を手に入れ宿を手に入れ食を手に入れ、そして武器を手に入れた。割れた空き瓶よりも速やかに確実に人間を殺せる刃物を手に、少年は嬉しそうに目を細め微笑んだ。

盗賊として町から町へと渡りながら金品を無差別に略奪する生活が安定したのは十五歳の頃だった。皮肉にも彼は類まれなる努力家であり、同時に天武の才も持ち合わせていた。

旅をしながら金を奪い、生活し、同時に剣の腕を鍛え続けた。誰かに教わる事はなかったが、腕はめきめきと上達した。やがて名が挙がり騎士に追われるようになったが、彼は騎士を返り討ちにし続けた。

その時の彼にとって金が全てだった。金さえあれば死なずに済む。生きる事が出来ればそれで構わなかった。

少年はある日一つの馬車を襲撃した。護衛の騎士六人を瞬殺し、馬車の扉を開く。中に乗っていた人物を強引に引き摺り下ろし、首に刃を押し当てて少年は目を見開いた。

自らが殺めようとしていたのは一人の美しい少女であった。その真っ直ぐで邪気のない眼差しにかつて共に暮らし、惨たらしく死んで行った少女の姿を重ね、フェイトは戸惑う。


「…………おまえが護衛を全滅させたのか?」


少女が言葉を発する。力強い言葉だった。


「何が目的だ?」


恐れる様子の全くない少女。こんな事は初めてだった。誰でも首に刃を突きつけば皆取り乱し、命乞いをし、涙を流しながら喚くのだ。その囀りを止めてしまいたくて直ぐに命を奪ってしまう少年だったが、少女は違う。


「……金だよ。他に何か理由があるのか?」


「そうか。では金ならいくらでもやろう。その代わりに私を城まで送り届けろ」


「……はあ?」


「お忍びで街に出てみたが、おまえのせいで護衛がいなくなった。城に戻るまで護衛が必要だ。その報酬としておまえに金をやろう。それで文句はないだろう? 快楽殺人者ではないというのならば――悪くない取引だ」


それがフェイトとロギアの出会いだった。

今まで散々人を殺し続けてきた少年はあろうことか姫の言うとおり、ザックブルムの城まで姫を送り届けた。その奇妙な縁の所為で二人はその後何度か町で出会う事になる。

ロギアはたびたびお忍びで城を抜け出しては少ない護衛と共に町から町へと旅をしていた。その範囲は勿論ごく限られたものであったが、二人が出会うには充分な行動範囲であった。

二人がそうして何度か言葉を交わし、思いを交わし、フェイトは少しずつロギアという少女に心を開いて行った。余りにも暗すぎる闇を歩いてきた少年はロギアに何時しか心を赦し、微笑みさえも取り戻そうとしていた。

その交流が続いたのはたった一年間の事であった。本格的な討伐組織が聖騎士団に発生し、名を売りすぎたフェイトはザックブルムを去らねばならなくなったからである。二人はきちんとした別れも告げられないまま、離れ離れになってしまった。

少年が流れ流れてオルヴェンブルムに辿り着き、そこで質素な生活を送るようになって間もなく戦争は起きた。ザックブルムが侵略戦争を開始したのである。

その脅威もまだ遠く、クィリアダリアに関係のない時代だったのは僅か無い間だけであった。直ぐに聖騎士団の軍備拡大が開始され、少年は安定した仕事を求めて聖騎士に志願する。

大聖堂の下、その剣の才能と『殺し』の実力を充分に見せ付けて聖騎士に就任するのはとんとん拍子だった。しかしその身元も知れない殺しのプロにいい思いをしない騎士も多かった。

その中には嘗て彼と対立した後の勇者であるゲインの姿もあった。野蛮な戦いを好むフェイトと殺しを好まないゲイン、徹底的に趣の異なる二人が対立したのは必然でもあったのだろう。

それでもフェイトはそこで初めての仲間を得て、姫の護衛、教育という大役さえも任されるようになった。戦争の足音はオルヴェンブルムにも近づき、いよいよ彼らは戦争の真っ只中に投げ込まれて行く。

フェイトがロギアと再会を果たしたのは戦場だった。屍の山を乗り越え、二人は戦場の中心で対峙した。直ぐにお互いの存在を認識し、そして――。


「気づけばなんだかよくわからん関係になっていたんだよ」


プロミネンス攻略作戦が終了し、オルヴェンブルムへと戻る馬車の中フェイトは長話をそう括った。

全ての話を聞き届け、夏流は複雑な表情を見せていた。フェイトと白蓮、そして鶴来しかいない個室の中、仮面を外して話に耳を傾けていた夏流はなんともいえない様子で視線を落す。


「な、なんかいえよ! 過去の話なんか本当なら恥ずかしいしやらねえところをお前がどうしてもっていうからなあ……」


「……いや。そうか……。もしかして、それで……」


夏流の頭の中で再生される未来……。勇者の剣の中に封じられた魔王。ロギアのリリアに対する態度――。その疑問が少しだけ解けたような気がしていた。

だがしかしその事実は余りにも異様で、驚きに満ちていた。フェイト自身の過去もそうであり、勇者と魔王の関係性も……。

長い長い話のお陰でオルヴェンブルムへの帰還の道程はあっという間だった。夏流たちは街の前で馬車を降りる。


「お前、これからどうするんだ?」


「……え?」


「何トボけてんだよ。未来の世界に戻りたいとか……色々あんだろ? どうやら、未来のブレイブクランとも浅からぬ関係のようだしな」


「……まだ、正直言うと迷ってる。自分がどうすればいいのか、何の為にここに居るのか……。でも、その答えはもう直ぐ見つけられると思うんだ。だから……」


「もう少し待って欲しい、か? ま、別に俺たちの時間は俺たちが流している。お前がいても居なくても別に変わりゃしねえさ。世界ってのはそういうもんだ。答えを急がずとも、暫くは勇者部隊においてやる。安心して悩めよ、少年」


明るくそう告げて去って行くフェイト。その背中に背負われた沢山の傷や思いを感じ取り、夏流は複雑な心のまま仮面で全てを覆い隠した――。

フェイトがどんな思いで勇者になったのか。どんな思いでロギアと戦っているのか……。それは恐らく自分には理解の出来ない、とても複雑なものなのだろう。そう夏流は解釈した。

あの戦いから数日が経った今でも思い返す。そして考えるのだ。この戦争は何なのか……。勇者と魔王、そして後の世代……。未来では同じ事が繰り返されるという寂しい事実に胸を痛める。

薔薇に囲まれた庭で白蓮と二人、ぼんやりと花を見詰めながら考えていた。そうしていくらかの時間が経ち……。


「こんな所に居たんですか!? ナタル、一緒に来てくださいっ!」


「マリア……? っと、おい、何だ!? そんなに慌てて……?」


マリアに手を引かれ、走り出す夏流。当然白蓮も後に続き走ってくる。白い回廊を走り抜け、マリアが辿り着いたのは夏流に与えられた部屋だった。

その扉を開き、中に入り込む。そこには意識を取り戻しベッドに腰掛けるナナシの姿があった。


「ナナシ! 気が付いたのか!?」


「つい、さっき……。まだ万全じゃないかもしれないけど、一応貴方にも知らせておこうと思って……」


「ありがとうマリア。少し二人で話をしても構わないか?」


「ええ、勿論ですよ。それじゃあ私はこれで」


気を使ってマリアが部屋をそっと後にする。まだ目覚めたばかりで顔色のよくないナナシに駆け寄ろうとする夏流よりも早く、ナナシに縋りつく白蓮の姿があった。


「は? 白蓮……?」


ナナシは何も言わず、白蓮の髪を撫でる。つい先ほどまでうさぎの姿で眠っていたナナシ故に、彼女がそれに気づくのには時間がかかってしまった。

震える腕でナナシの身体を飛びつき、離れようとしない白蓮。それを優しい目で見詰め、それからナナシは顔を上げて夏流を見た。


「……もう、大丈夫なのか?」


「ええ、お陰様で何とか……。如何せん、まだ万全とは言えませんが……」


「無理はしなくていい。それより……ええと、これはどういう事だ?」


夏流が首を傾げながら指差す先、白蓮を見やりナナシは困ったように眉を潜めた。


「……この人は、マスターです」


「はい?」


よく聞こえなかったという様子で眉を潜め夏流が聞き返す。耳を澄ませた夏流に、今度ははっきりと聞こえてしまった。


「この人は、ワタシのマスター……。ナタル・ナハ様です」


「……ええ。まあ、実はそういう事なんです」


「ほー。ナナシがナタル・ナハなのか」


「はい」


「…………なんじゃそりゃあああああああっ!?」


「おぶうっ!?」


ナナシの顔面を蹴り飛ばし、ベッドの上にダウンさせる夏流。二人になってしまったマスターのどちらを擁護すればいいのか判らずにフリーズする白蓮を無視し、口から血を、目からは涙を流しながらダウンしたナナシの胸倉を掴んで引き摺り起こす夏流。


「おいっ! テメエ、なんだそれは!? 聞いてねーぞっ!?」


「それは言ってませんでしたからね……って、や、やめてえっ!! 怪我人を容赦なく殴り飛ばそうとしないでくださいっ!! 貴方は鬼ですか!?」


「救世主だこのクソ野郎何か文句あるか!?」


「文句というか、命乞いはさせてくださいっ!!」


拳を振り上げたまま眉をひくつかせながら笑う夏流。その恐ろしい魔力に冷や汗を流しながらひたすらに謝り続けるナナシ。やがて夏流は拳を下ろし、椅子の上に溜息を共に座り込んだ。


「うう……。マスターが、二人……。ワタシは、どうすレバ……?」


「……知るか。それより本当なのか? お前が……ナナシがナタル・ナハだっていうのは」


「……ええ。本当は、わたくしの口から貴方にお伝えする積もりでしたが……順序が逆転してしまいましたね。改めて――わたくしは貴方に自己紹介をしなければなりません」


ナナシは包帯の巻かれた胸元を肌蹴させながらふらつく足取りで立ち上がる。そうして自らの胸に手を当て、深々と頭を下げた。


「わたくしは、名も無き英雄神ナタル・ナハ――。かつては貴方の妹君、冬香様にお仕えしていました」


ふてくされた様子で夏流はその言葉にもう一度溜息を漏らした。

異世界人である夏流には魔力というものが存在しない。だが救世主としての力は存在する。それは一体どこから来るものなのか。

全くの無からは生まれず、そして夏流が生まれ持った物でもない。異世界に来て覚醒し、しかしそれをコントロールし力を与えていたのはこの男であった。


「つまり、俺の魔力がナタルと同じっていうのは……」


「はい。貴方の魔力はわたくしから供給される物でしたので……。ほぼ、同一の物だと言えるでしょうね」


「それでこいつは俺とナタルを思い違えていたのか」


相変わらず混乱した様子の白蓮はとりあえずといった様子で二人の中間地点に腰を下ろした。膝を抱えて二人の会話の顛末を見守る事にしたようだ。


「こんな形で貴方に伝わるのは、不本意なのですが……。どちらにせよ、ヨトが出てきた以上お話せねばならない事でしたから。まあ、切り出す手間が省けたと思いましょう」


「前向きというよりは無理矢理だな……。お前がナタルで、神話上の人物がこうして実在しているとなると――」


「ええ。あのヨトは――本物のヨト神です。クィリアダリアの国教、ヨト信仰により奉られた神――。それがあの翼を持つ者の正体です」


十二年後の世界、パンデモニウムでの決戦を妨害するように現れた白い翼の女。それを秋斗はヨトと呼び、何一つ解らぬまま夏流は敗北する事になった。

パンデモニウムの魔力回路へと落ちて行く最中、彼が生きながらえた理由は単純な転送であった。肩の上に乗っていた黒いうさぎが、急遽異世界への扉を開こうとしたのである。


「本来ならば、現実の世界へ……あの洋館へ貴方を送り込むつもりでした。ですがヨトの妨害に合い、わたくしの転送魔法は正常に作用しませんでした」


転送を封じられた彼に出来る事はそう多くはなかった。強引に門を開けばどのようなことになるのか解って居ないはずもない。だがしかし、彼は異世界へと転送する力を過去に向けて解放したのである。

現時点より少し過去に跳躍するだけでは無意味だった。パンデモニウムがまだそこに無かった時間軸へと移動を果たす必要がある。だがその最低目標を達成する事は容易でも、正確に時をコントロールすることは彼の力では不可能であった。

結果、必要以上に過去へと遡り力尽き、倒れてしまった。何とか魔力の海で燃え尽きるよりも前に脱出する事には成功したものの、こうしてありえない時間軸へと転送されてしまっている。


「……申し訳ありません、ナツル様。この様なことになるとは、正直予想していませんでした」


「……そりゃ、別にいいさ。お前は俺を助けようとしてくれたんだろ? 実際俺たちは二人ともこうして生きてる……。それだけでとりあえずは上出来だ」


「確かに、死んでしまっては元も子もないですからね」


二人はどこか安らかな様子で笑いあう。様々な事実があり、それでもそれが二人の信頼を傷つける事はなかった。

この世界では様々な出来事があった。出会い、笑い、悲しみ、それを乗り越えてきた。その全ての経験を、二人は共有してきたのだ。

言葉を交わす事は少なかった。だが、ナナシはずっと彼を見詰めてきた。彼の成長を、戦いを、生きる様を……。だからこそ、どうしても殺したくはなかった。たとえ禁じられていたとしても、どのような結果を迎えるか解らなかったとしても、それでも力を使って彼を助けようとした。

夏流もその事実は理解している。はっきりと言葉にしたわけではない。だが、それは分かり合っていた。魔力を通わせ、常に同じものを見てきたからかもしれない。二人の間には確かに通じ合う絆のようなものがあった。


「……結論から申し上げますと、今の状態ではわたくしは未来へ貴方を戻す事は出来ません」


それは予想出来る現実だった。イレギュラーな存在をイレギュラーな方法でイレギュラーな場所へと送り届けてしまった。ここに落ちる事は容易でも、未来の同じ時間に戻る事は難しい。


「元々、この転送する力はわたくしそのものが持つ力ではなく、ある人物から貸し与えられた物でしたから」


「……じゃあ、強引に過去に戻る事は出来ても、歪んだ方法でねじれた場所に来ている以上、それを正確に戻して戻る事は難しいって事か」


「それに未来のヨトがわたくしたちの動きを封じようとしているのでしょう。時間同士のつながり、元々貴方が存在した世界への道が閉ざされているのを感じます。彼女が気まぐれでも起こさない限りは元の世界に戻る事も、未来に戻る事も叶わないでしょう」


「……そうか」


深々と息を付き、重苦しい現実を受け入れる。現実に戻れない――。それは、夏流にとっては予想外の事態だった。

充分に考え得る事だ。だが、現実に戻れない――その言葉は言葉以上に重く、非現実的である。もう、元の世界に戻れない……。それは現実の全てを否定し、虚幻を現実とする言葉だから。

だが今の夏流ならばそれを混乱無く受け止める事が出来た。帰る事を諦めたわけではない。投げ出したわけではない。だが、どうにもならない……それが今の現実ならば受け入れるしかない。

その上でどうすればいいのかを考えなければならない。ここで足を止めているわけにはいかない。自分に出来る事を、自分が成すべき事を……見つけなければならない。


「ナナシ……教えてくれ。ヨトってのは何なんだ? どうして俺と秋斗を狙った?」


「ヨトはわたくし同様、トウカ様の中から生まれ出る存在……。この虚幻の世界の中に一番最初に産み落とされた『命』――。それこそがヨトなのです」


「……すまん、どういう事だ?」


「そうですね……。ではこうしましょう。まず、この世界とい大きな画用紙がありました。そしてその世界にトウカ様が呼び込まれたのです」


世界の始まりは虚無だった。何も無い、空想という名の幻想空間――。冬香はそこに、まず一つの命を生み出した。


「この世界がただ物語を模した物……貴方がそう考えているのならば、それは間違いです」


世界とは、数限りない蠢く無数の自立した意思が織り成す奇跡の連続体である。

例えば彼らが生み出した勇者と魔王の戦いという物語の大筋があったとしよう。だがそれだけでは世界は成立しない。それは世界ではなく、特定の人物の叙事詩に過ぎないのだ。

世界とは何か? 例え大筋が勇者と魔王の戦いだとしても、そのお互いの国には名前も顔も持つ数え切れぬ人々がいる。命を落として死んでいく者がいる。その家族がいる。子供がいる。友人が居る。

命と命の連続体、自然環境、偶然の生み出す螺旋。世界というものを構成するありとあらゆる物――。それは人間一人程度では決して想像することの出来ないものだ。


「『世界』に成りたいと画用紙は叫んでいました。ですがその空白を『世界』にする事はトウカ様の手には余る行いです。故に彼女は『世界を作れる者』を生み出した」


それは神と呼ばれる者たち。複数存在したそれらは各々が担当し、冬香の幻想を形にする。例えば人を、運命を、時を、自然を……。世界というものが生み出す調和と混沌、偶然と運命が独立して稼動し続ける永遠機関……。世界という名のプログラムを作らせて行った。


「その際、世界を創造した者……神のうちの一人がヨトです。つまり……トウカ様が最初に『この世界』の願いをかなえて生み出したのが彼女なのです」


「ちょっと待て……。俺は物凄く当たり前の事を訊くが、いいか?」


「どうぞ?」


「じゃあ、この世界を作ったのは冬香じゃないのか?」


「……難しい質問ですね。この世界という空白の意思が彼女を必要とし、空白の世界を必要とする彼女がそれに応えたのです。きっかけがどのようなものだったのかは誰にもわかりません。それこそこの世界そのもの……まだ何の色も形もなかった世界と、今は亡きトウカ様にしか」


「召喚、されたのか……? あいつも、俺と同じように……。この、『世界』に……」


そこで冬香は己の心の赴くままに世界に現実を与えて行った。世界は冬香の空想を餌に爆発的な成長を遂げた。そして創造主――否、想像主となった冬香の心、イメージ、世界に在るべき形を物質という形で再現したものが生み出された。


「それが、ヨトの預言書」


世界を構築する未来を想像する想像主、冬香。しかし彼女の全てを理解する事はやがて難しくなっていた。

空白の、無の世界はただそこにいる冬香の空想その全てを受け入れる事が出来た。声を上げる事も触れ合う事もなく、ただ空想を汲み取るという原理を持っていた世界そのものとは違い、作業用に生み出された神には想像主の意思を汲み取る能力が存在しなかった。

世界はやがて独立した無数の意思に支配され、『世界そのものの意思』はどこかに紛れて消えてしまった。故に続きの管理は初めに生み出された神の手に委ねられたのだ。

だが彼女たちは『世界』のように無色透明ではなかった。各々が意思と肉体を持つ『色』だった。故に冬香の色を浴びせられたとしても、それをそのまま現実にする事は難しかった。

故に書物という形を取り、そこに未来の出来事を『大雑把に』記す事にした。そこから神が独自に解釈を重ね、世界を動かして行く――。そんなシステムが構築された。


「トウカ様の手から筆は離れ、画用紙の上に描かれた登場人物が世界を担うようになりました。それにより、想像主である彼女は役割を終えた」


「だから殺したっていうのか……?」


「……それはまた別の話になります。兎に角現時点で重要なのは、ヨトは世界の管理を『世界』そのものに任された絶対的な神だという事です」


それは世界という画用紙を手に取り眺める立場へと今や昇り詰めている。この世界そのものを手中に置く存在に対し出来る事など何も無い。


「ヨトが我々を否定する限り、世界の壁を越える事は不可能でしょう」


「……くそっ! じゃあ、どうすればいいんだ! お前も神なら何とか出来ないのか!?」


「残念ながら、わたくしは神は神でもトウカ様に直接生み出されたのではなく、ヨトに作られた神です。より根源に近い彼女の力に対抗する事は不可能です」


「じゃあ、八方塞じゃねえか……っ!!」


立ち上がり、苛立ちテーブルを拳で叩く夏流。その背後、浮かない様子でナナシが呟く。


「一つだけ……まだ、可能性が残されているかもしれません。彼女ならば或いは……元の時代に我々を戻す事が出来るかもしれない」


「本当か!? それで、その彼女っていうのは……!?」


「すぐ近くにいるはずです。まずは大聖堂に向かいましょう。運がよければそこで、帰還の目処が立つはずです」


そうと決まれば行動するしかない。怪我をしたナナシを気遣い肩を貸し、夏流は部屋を出る。

白い回廊を肩を並べて歩く二人。そのどちらをマスターとするべきなのか悩んだままの白蓮はとりあえず二人の後に続いて歩き始めた。


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