交わる時の日(4)
「……ああ。まあ、そんな気はしてたんだけどさ」
それが、ガラクタの山の中に紛れた白蓮を見た俺の第一声だった。
十二年後の俺が体感するのと全く同じ現象である。しかしこいつがここで発掘されるなんて事は過去にあっただろうか。俺がこいつを見つける十二年後まで、まだ白蓮は眠り続けているはずだが……。
「……機械人形か。他のタイプとは少し趣向の異なる個体のようだね」
興味深げに調べるゲインに本当の事を話すべきだろうか。流石にこいつの事まではハッキリ話したわけではない……というか、そこまで細かく話す余裕も無かったのだが。
しかし、どうして見つかってしまったんだ? まさか、俺が作業を手伝ったからか……? ほんの僅かな手心で過去が変化してしまうのなら、俺は行動をもっと自重すべきなのかもしれない。とは言え何もしないわけにはいかないし……さてどうしたものか。
「――この機械人形についてはまたあとで専門家に調査してもらうとしよう。一先ず今は夕飯だ」
振り返り先に去って行くゲインを見送り、俺は白蓮の傍に腰を落す。
彼女は魔力センサーで俺とナタルを同一人物だと言っていた。実際俺はナタルではないのだから、彼女のセンサーの信頼度は低いのかも知れない。だが、目覚めた彼女が俺の存在を認識すれば……未来は変わってしまうのだろうか。
そう考えると心の中に良くない考えばかりが浮かび上がってくる。『もしももう一度やり直せるのならば』――。何度も考えた事だ。俺は過去の世界に来て今まで一度もそれを考えなかった事を疑問に思った。
むしろ一番に願うはずだ。この過去の世界なら――魔王との決戦を控えた今の彼らならば、俺は救えるのではないか? 少なくとも、未来を知る俺は未来を変える事が出来る。最悪の可能性は回避出来る。そう、今までだって――原書の力でそうしてきた。
ナナシが傍に居ないので原書は手に取る事は出来ない。だが、その本の力を頼りに俺は嘗て未来を変えようとした。その結果最悪の未来を回避し、正しい未来へと修正してきた……その積もりだった。
今こうして過去にいるのならば、フェイトたちと行動を共にすることで未来を変える事が出来るかもしれない。そうすればそもそも、あんな戦いは起こらなかったかもしれない。俺は……必要なかったのかもしれない。
そう、コレはラストチャンスではないか? 未来でリリアと近づき、そしてそこで別れを絶対的に選択せねばならない俺。彼女にとってもしも俺と出会わない未来があるとすれば、それは限りなくきっと正解に近づいている。
「……俺は、やり直せるのか?」
自分の存在を抹消することで、彼女の存在を傷付けずに済む……。そんな事が出来るのか?
いや、可能なんだ。俺は実際にここでの調査に参加し、結果未来は変わった。俺の存在が過去の世界で白蓮を目覚めさせた。ならば俺は……。
「……いつまでそうしているんだい、夏流。その機械人形にそんなに興味があるのかね?」
振り返ると背後で鶴来が俺を待っていた。俺は怪しまれないよう、白蓮へと伸ばしかけていた指をそっと引っ込めた。
「いや、何でもない。マリアが待ってる。早く戻ろう」
「……ああ」
ちび子はそれだけ言ってとことこ歩いて行った。そう、まだ判断するには早すぎる。未来を変えるか、否か――。それがこの指に任されているというのならば。
見極めねば成らないかも知れない。自分自身がこの世界で成すべき事を。そして、何が正しかったのかを……。
鶴来とゲインは先に食卓に着いていた。だが俺はそれどころではない心境だった。未来を変えられる……やり直せる。その考えに気づいてしまった以上、もう目を反らすことは出来ない。
フェイトたちと共に食事を摂っているマリアへ視線を移す。彼女は未来に行けば死んでしまう。今から十二年後、彼女は娘を守る為に命を落とす……。娘とロクに言葉を交わせないまま、あっけなく。
俺はその未来を知っている。マリアは今、多分俺とそう変わらない年頃だ。彼女がこれから女王になり、大人になり、そして死んでしまう……そんな未来を今回避出来るのならば、俺は……。
「ん? どうしたナツル、食わないのか?」
「いや……。フェイト、俺の分も食べる? ちょっと疲れてるみたいなんだ……。先に休んでるよ」
「おぉ!? そりゃ名案だ! 任せろ、お前の食事は俺がちゃんと片付けといてやる……もぐもぐ!」
し、しかし食う量がハンパじゃねえなこいつ……。これがもしかしてリリアのはらぺこ勇者の由縁なんだろうか。何もここが似なくてもいいのに……可哀相にリリア。
フェイトたちを残し一人で建造物を後にする。乱立する廃墟の古代都市の中、特に部屋割りは決められていなかった。冷たい地下の空気と闇の中、一人でふらりと歩き出す。
「……リリア」
腕に輝くブレスレットをじっと見詰める。俺は、彼女と出会った事を無かった事にしたいのだろうか。
何かリリアに伝えたい言葉があったはずなのに、今はそれさえ希薄になってしまった。やり直せるなら……俺は、やり直したいよ。
リリアは俺が居なくなったら悲しむだろう。皆だってそうだ。俺は皆を裏切りたくない。嘘を付いた歴史をやり直したい。
過去なら可能なんだ。未来の誰も傷付けず、全ての問題を解放して、誰かに引き継がせる事なんてしない……そんな正しい道を選ぶ事だって。
俺が救世主なら、未来を救える存在なら……やらなきゃ成らない事がある。でもそれが本当に正しいのかどうか、それがずっと引っかかっている。
夢の中で冬香は俺に何を伝えたかったのだろう。やり直せるのならばやり直せばいい――。冬香のその想いは正しかったのだろうか。
最初から全てを、もう一度……。秋斗の願いでもあるそれを俺は一度は否定した。でも、あれは――あれは、他の全てを救えなくなるから否定したんだ。
誰も犠牲にせず正しい未来を選ぶ事、そんな奇跡みたいな、神の業としか思えないような事が今の俺には出来るかもしれない……。なら、俺は……。
「リリア……。君は俺が居ない世界で生きる。だったら……俺は、この世界で君に出会わない方が良かったのか……?」
一人で呟いた言葉は闇の中に消えて行く。俺の迷いも、思いも……。全てはきっと、答えの出ない物だったから。
⇒交わる時の日(4)
遺跡に探索が突然に終了したのはそれから二日後の事だった。
本国より届いた伝令によれば、魔王軍の攻撃用要塞、通称『プロミネンス』への総攻撃が開始されるらしい。
この十二年前の世界にディアノイアもシャングリラもない。ただ、彼の地には魔王がパンデモニウムと古代技術を使用して生み出した天高く聳える塔があった。
何故あの地なのか、何故今なのか……。解っている事は少ない。だが、魔王があの地に莫大な魔力を持つ謎の建造物を構築していることだけは確かだった。
プロミネンスは後にディアノイアに取り込まれ、それに蓋をするように、封印するようにシャングリラが作られた。だが、プロミネンスそのものはパンデモニウムにより運搬されてきた古代兵器なのだ。
そのプロミネンスになんらかの改造を施し、魔王軍が駐留するようになってから既に一年近く。プロミネンスそのものが持つ防衛機能により難攻不落の拠点と成っていたその地ではあったが、聖騎士団もそれを放置するわけにはいかなかった。
「……だから最初から俺たち勇者部隊に任せておけばよかったのによ」
「僕たちに命令が下るほど切羽詰った状況だという事なのだろうね」
というのは、帰りの徒歩中の会話の一つである。元々勇者部隊は聖騎士団の中でもかなり移植の存在であり、女王の名の下に独立行動を赦された特殊遊撃部隊であった。
圧倒的戦闘力を持つ勇者部隊ではあったが、リーダーであるフェイトの破天荒な行動もあり大聖堂はその扱いに手を焼いていた。仕方が無くメンバーをばらばらに分けて行動させたり前線に送り込みっぱなしにしたりなど、勇者部隊がよからぬ考えを持たぬように対応してきたらしい。
この良からぬ考えというのは、同時から侵略と変革に躍起になり、敵国への差別を続ける大聖堂に反感を示す姫マリアと近しい勇者部隊が彼女と共に大聖堂に謀反を企てるのではないかという事だが、コレは後に立派にフェンリルが成し遂げる事になる。
何はともあれ、圧倒的戦力でありながら運用は難しい危険な独立部隊……それが彼らの評価でもあった。そんな彼らに召集がかかり、今回のプロミネンス襲撃作戦に編入されたのは異例中の異例である。
「それほどまでに彼らは魔王の建造する『塔』を危険視しているのだろう。或いはもう丸一年手をこまねいていたものだから、面子の問題で意地でも落したくなったのか」
「ま、久しぶりに別働隊と作戦行動出来るチャンスだしな。弟子の成長ぶりが楽しみだぜ」
「君はいつでも楽観的だな。難攻不落の要塞と名高いプロミネンス、油断は禁物だよ」
「お前はいつでもマイナス思考だな。いいんだよ、俺一人でだって充分落せる。俺を誰だと思ってやがるって話よ!」
「…………そう簡単に行けばいいのだけどもね」
勿論それが簡単な事ではないことは俺も判っている。魔王の作った塔、プロミネンス……。いや、塔そのものはラ・フィリアと呼ばれる事になるのだが。
一度未来でその話を聞いた事がある。あれは確か、初めてオルヴェンブルムに来た頃……アリアに教わって、だったか。深く調べた事は無いが、未来の結果からこの作戦が成功するのは間違いない。
だが、俺はさらに進んだ未来へと皆を導く事が出来るかもしれない。余計な事をするべきではないという事はわかっている。だが……。
「ずっと考え込んでいるな、夏流」
「え? あ、ああ」
「何を思い悩んでいるのかね?」
俺の隣を歩く鶴来がそんな事を訊ねてくる。俺はその質問を曖昧に濁した。
「……ごめんなさいね、ナツル。オルヴェンブルムについたら、ちゃんとあのうさぎさんもお休みできるようにしますから」
そう言われながらオルヴェンブルムへと小さな船で移動する。暫く歩き……流石に未来と比べると不便な交通を我慢して進む。
その間俺はずっと考え事をしていた。どうするべきか……。オルヴェンブルムまでの道のりはあっという間だった。時間はかかったが、体感時間は大した事はない。
出来ればこのままオルヴェンブルムに辿り着く事が無ければいいと思っていた。そこに着けば決断しなければならなくなる。そうしたら俺はまた間違えるのかも知れない。
答えを出す事が恐ろしかった。けれど嫌だと、遠まわしにしたいと思えば思うほど時は素早く過ぎて行く。オルヴェンブルムの城門を前に俺は深く溜息を漏らし、考える事を諦めた。
オルヴェンブルムもその周辺も戦時中だけありかなりピリピリしていた。全体的に緊張した空気が漂う中、俺とナナシは城の中の一室を貸し与えられる事になった。
ナナシは相変わらず目覚めない。だが俺の魔力そのもののセーフティーとしての役割は果たしている以上、俺とナナシを繋いでいる魔力は健在なのだろう。彼が目を覚まさないと話が進まないわけだが、今はそれでも構わない。
「あの機械人形を……ですか?」
「俺に預けて欲しいんだ。理由は今はまだ言えないんだけど……」
「……そうですか。いえ、貴方がそういうのであれば信じましょう。直ぐに手配しますので、待っていてください」
マリアは俺の願いを直ぐに聞き届けてくれた。部屋に運び込まれてきた白蓮は相変わらず眠っていたが、それを起こすのは二度目だけありそれほど苦労はしなかった。
俺も未来で過ごした一年何もしなかったわけじゃない。未来の世界では言語だって学んだし、機械も操作できるようになった。白蓮はただのエネルギー不足で機能停止していただけだから、俺の魔力を分け与える事で目を覚ます事は容易だった。
目覚めた白蓮は十二年後と同じ事を俺に語り出した。俺は同じように自分はナタルではないことを語り否定した。だがここから先は、未来とは違う――。
「……白蓮、俺に力を貸してくれないか?」
そう、未来とは違う。俺は……未来とは違う道を生きる。
過去を変えるとかそういうことはまだわからない。でも、今フェイトたちと共に居る事でより正しい未来に近づける気がするから――。
プロミネンス攻略作戦――。それは後の歴史にも名高く語られる事になる魔王大戦時でも有数の決戦である。
その戦いを勝利へと導くのは勇者と彼が率いる勇者部隊――ブレイブクランであった。そして彼らの活躍により、大戦は末期へと収束して行く。
全ての戦いの節目となるべく運命に導かれ開幕したプロミネンス攻略作戦。それに当たり各地に出兵されていた勇者部隊は今大聖堂前に集結しようとしていた。
白の勇者、フェイト・ライトフィールド。並びに彼を支えるもう一人の勇者、ゲイン・シュヴァイン。彼らをサポートし、時には同行して作戦行動をフォローして来た現体制女王の娘であり姫、マリア・ウトピシュトナ。
三人を筆頭に構成される勇者部隊は一枚岩とは言えない特殊部隊であった。全員が何らかのエキスパートであり、単騎でも軍団に匹敵する能力を秘めていることから上下の指揮関係が存在せず、全員が自由に行動する事を認められていた事がその理由の一つでもある。
しかし何よりその構成員の全員がなんらか性格的に問題を持ち、この戦争の最中信じるものを別々に戦っていたのが最大の理由であった。そう、彼らは全員国の為などという理由では戦っていなかった。あるとすれば、それぞれの願いを叶える為に――。
「いや〜、久しぶりにオルヴェンブルムに戻ってこられたってもんだぜえ……。遥々遠く、一人で西の方まで飛ばされてたんだもんよ……泣けるぜえ」
「君は素性が素性だからな、まあそういう扱いを受けても致し方あるまい」
「たはー、言ってくれるじゃん、おっさん! そういうあんただって禁術の研究で魔術教会に絞られてたんだろ? よくバテンカイトスから出てこられたな〜」
「私の頭脳の必要性を大聖堂が認めたというだけの話だよ、ブレイド・ブレッド君。魔術教会本部など私には狭すぎる」
勇者の待つ地に階段を昇り迫る二つの影があった。長い金髪を揺らしながら歩く長身の男、通称盗賊王ブレイド・ブレッド。その隣を歩くタキシードの男は錬金術師の名門、レーヴァテインを受け継ぎし者、稀代の天才錬金術師メフィス・テオドランド。
その背後に続き、二人の少年が階段を登ってくる。全身傷だらけで両腕に包帯を巻いた薄着のフェイトの弟子、ソウル。そして同じくゲインの弟子、少年時代のルーファウスである。
四人と合流した勇者たちは一先ずお互いの再会を祝った。全員が全員一騎当千の実力を持つ特殊部隊、そのメンバーがこれだけ揃う時点で既に奇跡のような話である。
「旦那ぁ〜! おいらの話を聞いてくださいよぉ!! せっかく敵軍から奪った魔剣、また大聖堂の真面目サンが掻っ攫っていっちまってよぉ〜!」
「えー? そんなん俺が知るかよ。つーかまだそのコレクション続けてたのか?」
「ひでえよ旦那……これ、おいらの唯一の生き甲斐なんすよ? 旦那だってそれは許可するって約束だったじゃないすか!」
「いや、盗賊だったお前を捕まえて極刑にしないで使ってやってる時点で感謝しろって」
「そりゃそうなんすけど……! はあああ……っ! 超レア物にやっとお目にかかれたと思ったのに、とほほ……!」
「そんなに魔剣が欲しいのならば私が作ろうかね?」
「わかってねえな、わかってねえよおっさん。そういう新品に価値はねえの。伝説の武器と呼ばれるようなレトロな品物だけがおいらのコレクションに加わる資格を持つんだよ。最新鋭のテク全開の魔剣なんてお呼びじゃないぜ」
「……日々進歩する錬金術の技術を甘く見ないで貰いたいな。旧式を集めるなど君の方こそ理解が足りないようだ。一度バテンカイトスで講義を受ける事をお奨めするよ、ブレイド・ブレッド」
盗賊王と錬金術師が言い争っているのもいつもの話であった。元々ブレイドは義賊として行動していたものの、大聖堂の秘法である伝説の書物、ヨトの預言書に手を出してしまった事から順調に進んでいたコレクト人生は転落の一途を辿る。
追撃してきた勇者部隊のフェイトに決闘で敗北し、聖騎士団に身柄を引き渡される手筈となった。極刑は間違いないと思われていたのだが、フェイトの熱烈な勧誘があり勇者部隊として活動することで執行猶予とする事が決定したのである。
故にブレイドはフェイトに頭の上がらない関係であり、フェイトの為に戦っているとも言える立場であった。しかし彼は戦乱の時代、自慢のコレクションを増やす手段としてその関係性を前向きに捉えていた。
メフィスはバテンカイトスへの使者――所謂魔術教会への監視者としての役割も果たす聖騎士団お抱えの錬金術師であり、勇者部隊に参加することへの見返りとして禁術の研究許可、並びに莫大な研究資金を大聖堂より毟り取っていた。ビジネスライクな関係性ではあったものの、彼の齎した技術はクィリアダリアの勝利へと少なからず結びついているのは言うまでもない。
「あら、大体集まっているようね。集合時間前にこれだけ面子が揃っているのは奇跡としか言い様がないわね」
「皆さん、お帰りなさい〜! 長旅ご苦労様です〜!」
更に階段を登ってくる二つの影に全員が振り向いた。その先には巨大なロッドを携えた魔術師とその隣を歩くフルアーマーの聖騎士の姿があった。
「そういう君も時間通りとは珍しいね、ミュリア」
「……久しぶりに会った妻に対してその態度はどうなの? ゲイン、もっと他にあたしに言うことないのかしら?」
「え、えぇと……。そうだ、北方大陸で咲く珍しい花を摘んだんだ。押し花にしてあるから、君にプレゼントするよ」
「お金にならないものに興味はないっていつも言ってるでしょう? シュヴァイン家の婿養子になったんだから、貴方もそういう素朴な趣味は止めたら?」
黒衣の魔術師は苦笑を浮かべながらゲインに寄り添う。完全に困り果ててしまっている様子のゲインの表情を楽しげに覗きこみ、魔術師ミュリア・シュヴァインは振り返った。
「久しぶりに国に戻ってきたと思ったら忙しいわね、マリア」
「ミュリア! ごめんね、忙しいのに呼び出して……」
嬉しそうに手を振るマリアに歩み寄り、ミュリアは優しく微笑んだ。それが夫であるゲインに対するものより何倍も柔らかいものであることに既に全員が気づいている。
マリアの手を取り、笑顔で握り締める。ミュリアはそうしてマリアの額にキスをすると頬に触れて小首を傾げた。
「北は寒かったでしょう? うちの夫は役に立ったかしら? 肉体労働はてんで駄目だから、ゲインは」
「そんな事はなかったわよ、ちゃんと働いてたわよ〜……! もう、あんまり意地悪いうとゲインが可哀相よ?」
「うう、僕だって働いてたのに……。酷いよ、ミュリア……」
「……お前の奥さん相変わらずおっかねえな。俺絶対結婚したくないって思うわ」
「あんたはしっかり責任取りなさいよね! この最低男っ!!」
ロッドに魔力を込めてフェイトの股間に叩き付けるミュリア。フェイトは笑顔のままその場に倒れ、仲間たちが全員同時にミュリアから引き下がって行く。
「ふん……。子種ばら撒く為だけに股間にタマつけてるんならつぶれた方がマシね。男のタマは女を幸せにするためについてるのよ、この下種!」
「ミュ、ミュリア……。あんまり女の子はそういう事言わない方がいいよ……」
恐る恐る声をかけるマリアにミュリアは微笑を返す。
ミュリア・シュヴァイン――。宮廷魔術師であり代々女王の一族に仕え魔術と呪術を司る最高位の大魔術師の一族の現当主であり、ゲインの妻でもある女。
マリアとは幼い頃からの幼馴染であり、マリアにとっては姉のような人物でもある。ゲインと結婚してはいるものの、この乱世の時では共に過ごせる時間は限りなく少なく、別々の戦地に派遣される事の方が多いほどである。
「皆さん、相変わらずお元気そうで何よりです〜」
「おっす! エアリオちゃん! エアリオちゃんは、姉御みたいにならないようにしような〜」
「何か言ったかしら、ブレイド」
「何でもないっす!! あ、姉御は今日もお美しい……へ、へへへ……」
「本当に、ミュリアさんは綺麗なお人ですよね〜」
素でそう微笑んでいるのはエアリオだけである。周囲の男たちは全員乾いた笑いを浮かべ、全員ロッドの有効範囲からは離れていた。
「あー股間が炸裂するかと思った……。俺にゲイン、マリア……。ブレイドとメフィス、それにミュリアとエアリオそして弟子二人。んー、となると残りは二人だけか」
「……二人ですか?」
「師匠、残りって鶴来だけだよな? じゃああと一人じゃねえのか?」
ソウルとルーファウスが互いの顔を見合わせる。フェイトは二人の肩を叩き、階段の方を指差した。
「新入りのクセに遅れてくるとは度胸があるな。ほれ、あいつだ」
階段を登ってくる影の傍らには身の丈よりも巨大な太刀を抱いた八代鶴来の姿があった。和装の少女が先に仲間たちの輪の中に溶け込むと、必然的に追従していた男は取り残される形になった。
男へと勇者部隊全員の視線が収束する。彼の存在を認識しているのはこの場ではフェイトたちだけであり、大半のメンバーは首を傾げるしかない。
「旦那、あいつは?」
「あー。今回の作戦から一時的に勇者部隊に参入してもらう事になった。出所はいえないが、それなりに腕は立つ。名前は――」
フェイトの言葉を遮るように伸びた手。フェイトは言葉を引っ込め、代わりに笑いを浮かべた。
男は黒いマントに身を纏っていた。金色の手甲がその間から覗き――仮面をつけたその顔を上げる。
男の背後には白い和装の機械人形が控えていた。まるで彼に付き従うかのように立ち尽くす機械人形をマントで遮り、男はその名を名乗った。
「……初めまして、勇者部隊。俺の名前は――ナタル」
全員その名前に眉を潜めた。当然である。何故ならばその名前は――。
「ナタル・ナハ……。それが今日から貴方達と行動を共にする俺の名前だ」
伝説上の救世主が持つ名前だったのだから――。
全員がナタルと名乗る男とフェイトを交互に見やる。フェイトが指を鳴らし、全員の動きが中断された。
「さあ、行くぜ。魔王の作った城をぶん取りに――!」
後の歴史に名を残す戦いの幕開けはそんな一つの音だったのかも知れない。
過去の世界での夏流――ナタルの戦いはそこから始まった。