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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第三章『女王の神剣』
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約束の日(6)


「貴方にこれを渡すようにと、リリアから頼まれています。それと……もう、別れは済ませたと言付けてくれと」


「これは……」


ゲルトの手から俺に渡された物、それはどこかで見覚えのある鎖のブレスレットだった。

そう、これには見覚えがある。聖剣リインフォースを封印していた聖なる鎖……。俺とリリアの繋がりの象徴でもあり、ある意味俺たちの物語の始まりでもあった。

ブレスレットを腕に付ける。何か、きらりと光る宝石のような物が括られていた。アクセサリというには少々強引な代物だが、着け心地はそう悪くはない。

俺がそうしている間、ゲルトは黙って俺を見ていた。二人きりの中庭の中、俺たちは黙ったまま見詰めあう。ゲルトはなんとも言えない、複雑な視線で俺を捉えていた。


「……リリアから、話は聞いています。貴方は……故郷へ帰るそうですね」


俺は答えなかった。リリアはきっと、俺が異世界の人間である事は一言も告げて居ないのだろう。一番の友達にだって、内緒の事。俺とリリアだけが知る、たった一つ共有した秘密なのだから。

ゲルトの言うとおり。俺は、いつか現実の世界に帰る。そしてそれはもう間近にまで迫っている。目と鼻の先……。俺はこの戦いが終わったら、どのような結末を迎えても皆の前から姿を消すつもりだった。

この大陸に平和が訪れれば、俺のやるべき事はリリアの傍にはなくなる。救世主として秋斗と決着を付けるとしても、冬香を殺した人間の手がかりを追うとしても、それは両方この世界には関わり無い、所謂神の領域の話しになる。

外部の存在、この世界のイレギュラー……。未来を知り、そして並外れた力を持ちこの世界を闊歩する存在。俺たちは異端分子以外の何者でもない。この世界の人間とは本来相容れない、出会うことさえなかった存在だ。

故に、俺は役目を終えたならばもう、皆と一緒にはいないつもりだった。それが俺なりのけじめだった。この世界に居るのは楽しくて幸せで、皆と一緒に居たい。でも、それじゃあ駄目だと思うから。


「本気、なのですか……?」


「……ああ」


「……誰にも告げずに、一人で居なくなるつもりなんですか?」


「そうだ」


ゲルトは眉を潜め、肩を震わせていた。俺は正面からゲルトの瞳を見詰め返す。ゲルトの瞳は揺れていた。多分、様々な思いがあるのだろう。

俺を……恨んでいるのかもしれない。当然の事だ。俺は結局皆を裏切る。その結末だけは最初から決まっていて、絶対に変える事は出来ない。

リリアの気持ちを裏切り、仲間の気持ちを裏切り、俺はこの世界から消えねばならない。それが自然な事であり、正しい事なのだから。


「貴方はいつも勝手ですね……。本当にそれで……それで、いいんですか?」


「もう決めた事なんだ。それに俺は、まだやらなきゃならないこともある」


「それを……わたしたちと一緒には出来ないのですか?」


それも考えられる。確かに皆の手を借りた方が確実だし、格段にはかどるだろう。

でも、それは駄目だ。この世界の外の理に皆を巻き込むわけにはいかない。俺と秋斗の戦いに、皆を巻き込んでも意味なんかない。

黙って俺が首を横に振るとゲルトは歯を食いしばり、俺の胸倉に掴みかかってきた。


「……それで、リリアを一人にするんですか?」


「一人じゃない。お前が居る」


「そうじゃない……。そういう事じゃないんですよ、ナツル! 貴方は……貴方は、自分が仲間にとってどれだけ大事な存在であるのかまるで解って居ないっ!!」


「……なんだ、寂しがってくれるのか?」


「――っ! 茶化さないで下さいっ!! わたしは、本気で――っ!!」


「だったら、俺も本気だ」


ゲルトの腕を掴み、振りほどく。突き放されたゲルトは戸惑っているようだった。二人の間の距離が離れ……ゲルトは自らの手を握り締め、泣きそうな顔で俺を見詰める。


「そんな顔するなよ、ゲルト……。もう、お前だって一人じゃない。リリアが一緒に居る。仲間がいる……。もう、何かにおびえなくてもいい。恐れなくてもいい。お前たちの悲しみは、最後まで俺が連れて行く」


ゲルトに歩み寄り、その両肩に手を乗せる。彼女はそっと顔を上げ、今にも泣きそうな顔でじっと俺を見る。


「…………今までありがとな、ゲルト。最後の戦いも、宜しく頼むよ。これでも俺、お前の事……頼りにしてるんだぜ?」


「…………ナツル」


「俺の事なんか、嫌いなんじゃなかったのか?」


「……ええ、嫌いです。大嫌いです」


「そうか」


ゲルトの肩から手を放す。一歩身を引くと、彼女は俺に背を向けた。


「……わたし、貴方の事……一生、赦しませんから」


「……ああ」


「一生……一生、赦しませんから……っ」


肩を震わせ、ゲルトは走り去って行った。少し、あっけない別れだった。でも、別れだと解っていて済ませる以上、仕方の無いことだ。

ゲルトは思いを飲み込んで俺を嫌いだと言ってくれた。一生赦さないと――忘れないと言ってくれた。それだけで上出来だ。俺みたいな幻には、過ぎた別れだ。

一人で歩き、中庭のベンチに腰掛ける。雪が降り積もる中、ふと、ブレスレットを翳す。


「……そうだな。お前とのお別れは、一番最初に……一番時間をかけて、済ませたもんな」


きらりと、光を弾いて輝く鎖。目を閉じ、彼女の事を思い返す。


「これで最後だ――」


その笑顔を守る為に。この気持ちを失わない為に。


「これで、終わりにする……。だから、さようなら……。さようなら、リア・テイル。さようなら、オルヴェンブルム。さようなら……ディアノイア」


独り言と共に目を瞑る。降り積もる雪は冷たく肌を濡らす。涙は流さない。別れは悲しまない。そう、リリアと決めたから。

あの日涙を流して俺の腕の中で震えていた彼女の温もりを思い出しながら、冷たい世界に小さく別れを告げた。



⇒約束の日(6)



「システムオールグリーン。ミッドナイトシステム起動。リア・テイル、飛翔形態に変形しマス」


「――リア・テイル発進! 目標、北方大陸上空、魔王城パンデモニウム!」


リリアの声と共にリア・テイル全域に魔力の光が走る。リア・テイルという城そのものが大きく浮かび上がり、ふわりふわりと空へ舞い上がって行く。

その過程で城は姿かたちを変え、白い翼を広げる船となった。大空に光の翼を広げて羽ばたくリア・テイルを、オルヴェンブルムの人々は黙して見上げていた。

多くの人々がそこに平和への祈りを込めていた。そうして手を合わせ彼らの神であるヨトに祈りを捧げる影の中、空を見上げるメリーベルの姿があった。

メリーベルだけではない。何人もの学園の生徒、今回の決戦には適さないと判断された者たちが旅立ちを見送っていた。その中には一人酒を呷る鶴来の姿もある。


「……さて、この決戦は吉と出るか凶と出るか……。十年前の戦いの再現になるかどうか、それは全て救世主次第、か――」


遠く離れた地、シャングリラでも沢山の人々が祈りを捧げていた。カノン形態に既に移行したプロミネンスシステムを操りつつ、アイオーンもその旅立ちを見送る。

その傍らでは鎧に身を包んだアルセリアが立ち、無言で遠く空で輝く白き翼を見詰めていた。二人は何も語ることは無く、アイオーンは静かに息を付いて目を閉じた。

白い光の翼がはためき、淡い光の残像を残しながら空を舞う。雲を切り裂き、青空を突き進む美しい景色の中、それを始めてみる全ての者は感嘆に声をなくしていた。


「――綺麗な空」


王が一言呟いた。目標地点へは既に移動が始まっている。全面青空を望む場所に立ち、リリアは振り返って背後に並ぶ兵たちを見詰めた。

聖騎士団凡そ千名を主戦力とし、そこに協力を申し出てくれた大聖堂騎士、更には学園の生徒を加え、決戦の地へ赴く軍団は構成されていた。

誰もがパンデモニウムとの戦いの備え、そして空の美しさに見惚れている。リリアは光の鍵盤に囲まれた台座の上、剣を掲げる。


「私たちはこれから最後の決戦に赴きます。そこでは恐らく、沢山の物がその両手から零れ落ちて行く事でしょう。しかしもう、誰も引き返す事は出来ません。私もまた、もう戻る事は出来ないのです」


リリアは目を閉じ、そして心の中に思い描く。沢山の思い出、沢山の言葉、沢山の色……。そこにあった一人の少年の姿。それを求めた自分の心。

軍団の中から一人の誰かを見つけ出す事は出来ない。それでもリリアは目を閉じ、声高らかに告げる。


「どんな別れが待っていたとしても、それがどんなに辛い、身を引き裂くような物だったとしても……。明日へと進む心だけは失っては成らない。この戦乱を、悲しい動乱の時代を生き抜き、そしてこの出来事を後世に伝える為に……。もう、このような悲しみを繰り返さない為に……。全てを思い出に風化させてしまわない為に」


剣を振り下ろし、リリアは腕を振るう。少女の機敏な動きに誰もが身を引き締め、その強い瞳に勇気を与えられた。


「私に出来る事は、貴方たちと共に在る事のみ。この剣で、王国の敵を叩き伏せる事のみ! 我、汝らの道となり壁となり剣となり、魔王を撃ち滅ぼす事をここに誓うっ!! 騎士よ! 英雄の子らよ!! 全ての悲しみを振り払う力を、我に与え給え――!!」


剣を台座に刺し、リリアは両手を広げる。そうして高らかに奏で始めたのは、一つの旋律だった。

それは、古くより女王の一族に伝えられてきた創世の歌――。幼き日、まだゆりかごに揺られていた少女の心の中の記憶、母が何度も繰り返し聞かせてくれたもの。

大人になるにつれ、沢山のものを掌から零していく。封印された記憶は過去を消し去り、今さえも不確かにする。だが、少女は確かに覚えている。

母が教えてくれた歌。祖父が聞かせてくれた歌。父が口ずさんでいた歌。その歌が、音色が、旋律が――思い出を引き連れて今、未来へと光を繋いで行く――。

美しい音色に誰もが聞き惚れる中、リア・テイルは飛翔を始める。より早く、より的確に、より遠くへ――。光を切り裂き、前進する。遥か彼方、天空に聳える戦地へと赴く為に。

騎士も、生徒も、誰もが歌の中に自分の源泉を見出した。それは太古の記憶――。自分が祝福されて生まれてきたことの証。思い出の中、己の戦うべき理由を見出し、戦士たちは心昂ぶらせる。

勇者王が歌声と共に導く世界の彼方――。もう、迷いは消えていた。誰もが武器を手に取り、決戦の為に歩き出す。戦地まで後何分? 誰もが言葉を発する事も無く、理解しあう。歌声に、導かれ――。

白い翼の船は空を切り裂き、音速で飛び交う。遥か彼方、雲を突き抜けて現れたパンデモニウムを視界に捕らえ、リリアはリア・テイルを減速させる。

二つの巨大な城が擦れ違う。進行を止めないパンデモニウムに反転し、低速で近づいて行くリア・テイル。二つの城は空中を同じ速度で移動しながらゆっくりとその間にある距離を詰めて行く。

肌を切り裂くような強い風の中、パンデモニウムより無数に放たれた黒い影は蠢きながらリア・テイルに迫る。それは一粒一粒が恐るべき力を持った魔物。リア・テイルへと群がる蟲のように蠢き、戦闘は開始された。

リア・テイルの甲板――中庭であった場所に騎士たちの姿があった。先頭に立つ神官部隊が同時に魔法を放ち、空を舞う魔物を打ち落として行く。激しい魔法撃の嵐の中、魔物も同時に口から炎や雷を放ち、凄まじい量の弾幕が飛び交う。

そんな中、リア・テイルの装甲の下部に動きがあった。開かれた出入り口にはずらりと並ぶ、騎士の跨ったヴィークルが待機している。城上方で魔法戦が始まった事を合図にヴィークルたちは同時に走り出す。

空中を跳躍し、ヴィークルは次々にパンデモニウムに乗り移って行く。中には魔物に迎撃され空の彼方へ消えて行く者、着地に失敗して爆発する者も居た。だが、誰も立ち止まる事はしなかった。

あらゆる場所で、あらゆる戦いが巻き起こっていた。夏流の乗るヴィークルも第一陣、第二陣に続き発進を控えていた。正面には迎撃の為に溢れる翼を持つ魔物の群れ――。しかし、少年は臆する事無くエンジンを唸らせる。

飛び出したヴィークルは翼を持つ龍の背中をレール代わりに駆け抜け、空中で夏流は飛び降りてパンデモニウムの甲板へと辿り着く。壁をよじ登り、少年が見たのは想像を絶する大空の戦場であった。

あちこちで騎士や生徒たちが武器を手に魔物と対峙している。頭上を魔法が飛び交い、一歩間違えれば理不尽に命を奪われかねない。その戦場の中、子供も大人も皆関係なく必死にそれぞれの戦いを始めていた。


「もう引き返せない……。ここで全てを終わりにするんだ」


夏流の振り返る視線の先には彼の仲間たちの姿がある。勇者部隊ブレイブクランと呼ばれた者たち、そして彼らを信じる生徒たち――。


「パンデモニウム中枢部を一気に制圧する! 皆、頼む……! 一緒に戦ってくれ!」


夏流の声に真っ先に応えたのはゲルトだった。寂しげな表情で夏流の隣に立ち、小さく微笑みながら魔剣を手にする。

それは、腰に並んだ二つの鞘から引き抜かれる漆黒の刃――。ゲルト・シュヴァインとメリーベル・テオドランドが選んだ新しい魔剣の形。ゲインのためではなく、ゲルトのために打ち直された、この世にたった一つの魔剣――。

二対の剣を構え、ゲルトは夏流より前を一人歩いて行く。そのゲルトの足並みに続き、生徒達も次々に夏流を追い越して行く。誰もが戦っている。救世主を、先に進ませる為に。


「――行って来るよ、リリア」


救世主は駆け出す。パンデモニウムの周囲、渦巻く死の戦場の中へ。

女王は今だ歌い続けていた。その歌はリア・テイル周辺に結界を生み出し、側面に配備された砲台から魔法を放ちパンデモニウムを攻撃する。周辺を何度か付かず離れずの距離で旋回しつつ、リア・テイルはついにパンデモニウムに正面から突撃する。

巨大な城と城がぶつかり合い、リア・テイルの艦首はパンデモニウムの森に載りつけたまま停止する。待機していた騎士団が一斉に黒い森の中に駆け出して行く中、剣を片手に歩き出すリリアの姿もあった。

聳え立つ漆黒の城を見上げ、勇者は目を細める。この戦いが終われば、全てが終わる……。魔王が居なくなる。そして、本城夏流も――。

剣を強く握り締めた。この城に生きている者はたった一人しかいない。それをリリアは理解していた。だから、魔王はリリアの手で倒さねばならなかった。魔王を――殺さない為に。


「さあ、行こうロギア。貴方の物語を、私の物語を終わらせる為に」



「魔王を殺さない……ですか?」


出撃前夜、リリアが突然言い出した事にゲルトは思わず聞き返してしまった。

夜の月を見上げ、リリアは暫く黙り込む。ゲルトはその背中に歩み寄り、隣に立ってリリアの顔を覗き込んだ。

リリアは泣いてはいなかったし、笑ってもいなかった。ただ月を見上げ、静かに佇んでいた。それ以上はなかったし、それ以下もない。ただ、月を見上げていた。

しかしゲルトにはそれが逆に不安を駆り立てる要因となった。今までに無い最大の戦いを前に、不安になるのが当然。それに付け加え、大切な人が居なくなるのだ。だというのに、これほどまでに冷静なのは何故なのか? まさか、少しおかしくなってしまったのか? 多少行き過ぎた思考が脳裏を過ぎる。


「魔王レプレキアは、ロギアの息子さんなんだって。だから、リリアにとっても他人じゃないし、それに――」


「……それに?」


「出来れば、助けてあげたいよ。勇者とか、魔王とか女王とか……。そういうの背負って生きて行くの、一人きりで頑張る辛さ、よくわかってるから」


「リリア……」


「むずかしい、かな……。多分、むずかしいよね。誰かと心を交わす事、凄く大変なんだもん。一人きりの方が、ラクだって思える時もある。それでも誰かと必死になってお互いを傷つけあって分かり合えた時、嬉しくて嬉しくて……その気持ちを、教えてあげたいんだ」


ゲルトは思わず黙り込んでしまった。リリアが考えている事は、とても優しく甘い事だった。だが彼女と同じ境遇で生きてきたゲルトには、その気持ちは痛いほど理解できた。


「貴方は、自分が大変だというこんな時に他人の事ばかり……」


「心配してくれるゲルトちゃんがいるからだよ。ゲルトちゃんの方こそ、いいの?」


「何がですか?」


「夏流さん、いなくなっちゃうんだよ? もっと言う事とか……話したいことあるでしょ?」


「別にないです」


「夏流さんの事、好きなのに?」


ゲルトは口をぽかんと開けたまま暫く放心状態を続けていた。それから思い返したように挙動不審になり、そっぽを向いて目を瞑る。


「何いってるんですか貴方は……っ」


「あれ? 違った?」


「違いますよ! はずれもはずれ、大はずれです! そもそも、ナツルはリリアの大事な人なのであって……」


「ゲルトちゃんだってほら、自分が大変なのに他人の事気にしてる」


振り返ったゲルトが見たのは大人びた笑顔を浮かべるリリアの姿だった。そこに悲しみや後悔といった感情は見出せない。あるのは強い覚悟――決意だけであった。


「魔王との戦いを決着させても、まだ世界は終らない。リリアも、ゲルトちゃんも死なない。だから、終わりなんかない……。やらなきゃいけないことは永遠に積もっていて、リリアたちはこれからも長い時間を生きて行く。そうして行く中で、何かを守って何かを手放して……。それでも、忘れたくない事があるから」


「……だから、魔王を救いたいんですか?」


「まだ、子供だからね。沢山のものを見て、手に入れて失って……。後悔したり擦れ違ったり、それでも誰かと分かり合える。だから、レプレキアを救いたい」


「……魔王を救いたい勇者というのも前代未聞でしょうね」


「うん、そうだろうね」


二人は笑いあい、それから肩を寄せて一つの窓から空を見上げた。昼間降っていた雪が嘘のように、綺麗に晴れた夜空だった。月明かりは降り積もった雪に反射して世界を薄明るく照らし出し、二人は今までの思い出に思いを馳せた。


「明日、ゲルトちゃんは夏流さんに付いててあげて」


「……しかし、それでは貴方が」


「リリアは一人で、正々堂々と魔王と戦いたいの。そうでなきゃ、意味がないから……。一応、誠意って事かな」


「……」


「夏流さん……どうだった?」


徐にリリアが問い掛ける。ゲルトは答えなかった。答えられなかった。


「別れは済ませた……。本当に、それでよかったんですか?」


「うん。いっぱいお話して、いっぱいいっぱい泣いて……。だからもう、じゅーぶんしあわせ。リリアには勿体無いくらい……幸せだったから」


そんな事を言われてはゲルトはもう居ても立っても居られなかった。リリアの手を握り締め、訴えかけるように叫ぶ。


「もう一度、会いに行きましょう! もう、今しかチャンスはないんですよ!? もう――会えなくなるんですよ!?」


ゲルトの激しい訴えにリリアは困ったように微笑み、首を横に振る。ゲルトは震える拳を握り締め、片手を壁に叩き付けた。


「納得出来ません、こんなの……っ! こんな……っ! こんな、身勝手な結末なんてっ!!」


「ゲルトちゃん……」


「リリアがどれだけ彼を好きでいるのか、彼は判っているのに!! なのに、どうしてっ!!」


リリアは黙ってゲルトを見詰めていた。それから握り締めた拳に手を伸ばし、優しくそっと、ゆっくりと指を解いて行く。


「ねえ、ゲルトちゃん。それでも、夏流はこの世界に居たんだよ。この街に、私たちの傍に……。それって凄いことなんだよ? 奇跡みたいな確率の、信じられないくらい偶然の出会い……。だからもう、それだけで充分だよ」


「充分なわけ、ないじゃないですか! もっと傍に居たいに決まっているじゃないですか! なのに……なのにっ!!」


歯を食いしばり、ゲルトは泣いていた。涙を流す親友の頬に触れ、リリアは困ったように笑う。


「どうしてゲルトちゃんが泣くかなあ」


「貴方が泣かないから……だから、代わりに泣いてるんです……」


「……そっか。じゃあ、そういうことにしておこっか」


ゲルトをそっと抱き寄せ、リリアはその頭を撫でながら目を閉じる。リリアの腕の中、縋りつくように背に手を伸ばし、ゲルトは静かに涙を流していた。



「……ここが、魔王の場所に続く回廊」


リリアは一人、広い巨大な回廊の中にいた。まるで時空をゆがめるようにしてねじれた回廊は重力を無視して中心部へと伸びている。

障害となる魔物は一匹として配置されていなかった。リリアは一人、神剣と共にねじれた回廊を進んで行く。

共に歩むものは一人も居ない。たった一人、勇者は単身で魔王の元へと向かう。歩みの中、心の中で沢山の思いを溶かし、固め、何度も何度もそれを繰り返し心を落ち着かせようとした。

しかし魂のざわめきは抑えきる事は出来ない。この先には何もないような気さえしてくる。無限の回廊――。その先にあるものは、まるで自分の未来のよう。

夏流の居ない明日へと続く歪んだ道。しかし、その先に進まねばならない。どんな事があっても、己の過去を否定することだけはしてはならない。今までの思い出を裏切れば、途端に世界は掌を返すだろう。

全てが夏流と共にあったのならば、この世界で生きてきた自分を信じなければ成らない。そう、共にあった時間が、これから共に歩くはずだった時間がある限り、リリアは前へと進まねばならない。

それがちいさな少女が己に課した業であり、己の決意であり、己に求められた立場でもある。少女は足音を響かせながら歩く。壁を、天井を、床を――。

やがて巨大な扉が眼前に現れてもリリアは足を止めなかった。むしろそれは先を急ぐかのように歩調を速め、呼吸を荒らげ、歯を食いしばり少女は進む。

両手で扉を開け放つとそこにはリア・テイルの謁見の間に良く似た部屋が広がっていた。青い絨毯の先、王座に座る魔王の姿がある。リリアは涙を堪え、神剣を片手に前に進んで行く。


「……一人で来るとは思わなかったな、勇者王。たった一人で余に敵うとでも考えているのか?」


魔王の言葉も聞かず、リリアは前進する。ただ神剣を揺らし、一歩一歩前へ。脅迫観念にも近い思いに急かされ、立ち止る事は出来ない。

ようやくリリアが足を止めたのはレプレキアから5メートルほどの位置にまで近づいた時だった。少女は神剣を掲げ、その切っ先をレプレキアへと向ける。


「…………貴方を、助けに来たの」


世迷言としか受け取れないそんな第一声にレプレキアは眉を潜める。しかし、リリアは心の底からそれを願っていた。

この戦いの帰結に意味があるのであれば、どうか最後はハッピーエンドで終わらせて――。せめて最後に、誰かを救わせて――。

少女は願った。かつてからの願い。王の、勇者の、魔王の願い。その全てを切っ先に乗せ今、勇者は辿り着いた。


遥か天空の彼方、魔王の元へ。二つのシルエットは光の中で影を伸ばし、今正に激突しようとしていた。


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