約束の日(4)
ミスリルとオリハルコンの納品が終了し、後は俺たちがそれをディアノイアまで運ぶだけと成った。
例の疑惑についてはまだ解決していないが、このティパンに留まっている以上その続きは見えそうにもない。俺たちは一先ず物資を輸送する事になったのだが――。
「あたしは魔剣の打ち直しが完成するまでは戻らないから」
と、メリーベルは帰還を拒否……。それに伴い、ゲルトも魔剣の調整に付き合う為に魔術教会の残る事になった。
尤も、時間もうそう長くはかからないという事で、数日後にはオルヴェンブルムで合流する手筈となった。こちらは他にもやるべき事が残っているので一先ずそれを了承し、俺はフェンリルと共にオルヴェンブルムへ向かう列車に乗り込んだ。
オルヴェンブルムに戻るとすぐに城に鉱石を納品し、リリアの元へ向かう。客間でリリアと合流する頃には既にこちらの事情は伝わっているようだった。
「……さて、問題はドラゴンオーブをどうするか、だな」
メフィスの話ではこの大陸にはドラゴンオーブは無いと言う。となると、ドラゴンオーブは一体どこにあるのか。
しかし俺が考えるまでもなく情報は伝わっていたらしい。魔術教会によれば、ドラゴンオーブは東の島国――イザラキに存在する希少な鉱石らしい。こちらの大陸では飛行石などと呼ばれているそうだが、とにかくオーブは大陸を渡った海の向こうだという。
「イザラキか……。行って帰ってくるとどれだけ時間がかかるやら」
「オーブの事ならば問題ない。鶴来にオレからコンタクトを取っておいた。あいつはイザラキ出身だからな……何とか手配してくれるだろう」
「……いいのかフェンリル? そこまでされると本当に仲間みたいだぞ」
「パンデモニウムには恨みがある。ただそれだけだ」
腕を組み、そっぽを向くフェンリル。何だかんだで手伝ってくれる当たり、こいつもそんな悪いやつじゃあないんだろうな。
「それじゃあ、オーブの回収はフェンリルに任せるね! ありがとう、フェンリル」
フェンリルの手を握り締め、微笑むリリア。それを見たフェンリルは暫く眉を潜め、やがてリリアの手を振り解いて部屋から出て行ってしまった。
「照れてんのか、あれは」
「なんで?」
「いや、何でっていわれてもな……」
まあ、あんまり細かい事は気にしない方が良さそうだ。
さて、残りの問題は白夜の鍵とコントロールユニットである白蓮――ミッドナイトだが……。こちらはどうしたものか。
一先ず白夜の鍵の話をリリアにしてみたところ、どうやらそれらしき物には心当たりがあるというので一先ず鍵の事は置いておくとして――。
「あとはミッドナイトか。八がつれまわしてると思うんだが、行方はわからないのか?」
「擦れ違う形になっちゃったから……。でも、連絡役にブレイド君を向かわせたから、直ぐに戻ってくると思うよ」
そうなると、また今ここで出来る事はなくなってしまったな……。暇をもてあました空気の中、ふとリリアに問い掛ける。
「そういえばリア・テイルの動かし方はいいのか?」
「うん、大体は把握したよ? 難しいけど、ロギアがサポートしてくれればなんとかなると思う」
そうか……。魔王の城パンデモニウムを動かしているのがレプレキアだとすれば、同じ魔王の血筋であるロギアは古代兵器に精通している。リリアが多少知識不足でもロギアの技術で補えるわけか。
ふと、リリアを見ると俺と同じように何やら暇そうに後ろで手を組んでぼんやり窓の向こうを眺めていた。色々忙しかったはずなのだが、こんな所で油を売ってる余裕があるのだろうか?
「リリア」
「な、なんですか?」
「お前仕事はどうしたんだ? アホほど仕事が溜まってて大変だって言ってただろ」
「う、うん。なんか今日は皆が変わりにやってくれるって言うから……。というか、リリアのやるべき事は殆ど他の人が代用できる事で、だからリリアはずっとリア・テイルの動かし方を勉強できたんだけどね」
まあそうだろうな。事実上政治なんぞリリアには無理な話だし、大聖堂を吸収してより組織の構築も正しい形に戻りつつあるこの城においてリリアがどうしてもやらねばならない仕事など高が知れている。
何より今は決戦を控えた重要な時期だ。リリアに無理をさせるわけにも行かないだろうし……。そうか。せっかく皆がリリアに与えた休日を俺が邪魔しては悪い。
「だったら今日はゆっくり休むといい。悪かったな、休みの所を邪魔しちまって」
「はう? え、いや……あのう」
「俺も一人で考えたい事があるし、シャングリラに戻って――うごっ!?」
振り返った瞬間誰かに正面衝突してしまった。何やら柔らかいものに当たったようだが、慌てて顔を上げるとそこにはエアリオの巨大な胸が聳え立っていた。
「エアリオ……こんな所で何を――おわっ!?」
「あらあら、二人とも暇そうね〜? だったら今日はお休みなんだから、どこかにお出かけしてきなさい〜」
「え、エアリオさん!?」
リリアと俺の首根っこを掴み、ずるずる引き摺るエアリオ。こいつ――どういう怪力だ!? リリアよりも数段上の馬鹿力だぞ!?
そのままずるずる引っ張られ、城の外にポイされてしまった。二人して階段を転げ落ちる俺たち……。エアリオはそんな俺たちを見下ろし、いつものとぼけた笑顔で言った。
「今日は帰ってこなくていいですからね〜。夏流ちゃんは、ちゃあんと女王陛下をお守りすること。ばいば〜い」
「あ、ちょ……エアリオッ!? おいっ!!」
「……いっちゃった」
扉が閉まり、完全に途方に暮れる。確かに暇といえば暇なんだが……いや、やるべき事はまだ何かあるはずだ。何か……。
隣で尻餅ついているリリアを引き起こす。リリアは昔からずっと変わらない無邪気な笑顔で俺を見詰め、手を握り締めた。
「せっかくだから、シャングリラに行きませんか?」
「……いいのか?」
「こういう時は、多分男の人が率先して誘ってくれるべきなんですよう〜……」
「あ、ああ? そうなのか? じゃあ、行くか……?」
どっちにしろシャングリラには一度戻るつもりだったんだ。それにリリアとこうして二人というのも随分と久しぶりの事だ。
何となく懐かしい気持ちに導かれるように俺たちはシャングリラ行きの列車に乗り込んだ。空が青い――戦争なんて嘘みたいな日の事だった。
⇒約束の日(4)
「は〜っ! なんだか凄く懐かしいなあ〜!」
シャングリラに到着するなりリリアはそんな事を言った。そうしてリリアは派手な勇者王の新しいアーマークロークのまま駅を飛び出して行く。
しょうがないやつだな本当に……。後について駅を出ると、リリアが手を振って俺を呼んでいた。まあ……楽しそうだからいいか。
近づいてまず俺はリリアの頭を小突いた。街中で女王がうろうろしてたら拙いに決まっている。一先ず着替えを何とかしなければならないので、リリアの部屋に行く事にしたのだが――。
「おう? よお、なんだこっちに戻ってきてたのか」
「おじいちゃん!? なんでリリアの部屋に!?」
「まあ、間借りしてるっていうか……住んでるって言うか……」
「占領だよ、もおーっ!! おじいちゃんの、ばかあっ!!」
というわけで、顔に張り手の後をくっきりと残したヴァルカンと一緒にリリアの部屋を出る。流石に中でお着替えしているのだから出ざるを得ない。
しばらくそこで立ち尽くしていると、食料品などが詰まった紙袋を持ったクロロが歩いてくるのが見えた。どうやら以前に渡した腕のスペアも無事接続できたようで、今回は両腕がある状態だった。
「お久しぶりです、ナツル」
「ああ、久しぶりだなクロロ。最近どうしてんだ?」
「返答します。プロミネンスのメンテナンス及びシステム復旧作業に従事しています」
そういえばこの二人はプロミネンスの修理に携わった人物だ。まさか、例の事件に絡んでいるのではないだろうか。
そんな疑念が一瞬心の中からわきあがったが、俺は考えるのを止めた。必要な時になれば、いやでもそれを問う時が来るだろう。まずはパンデモニウムを落してから……それに、今はせっかくこうしてリリアと戻ってきたんだ。あんまりそういう殺伐とした事は考えたくなかった。
と、俺が一人で考えているとクロロが容赦なく室内に入って行った。数秒後、ボッコボコにされたクロロが出てきたが、この空気読めない感は相変わらずらしい……。
待つ事さらに数分。部屋から出てきたリリアは――。昔の服装に戻っていた。この街で初めて出会った時のリリアがそこに居た。それだけで俺はなんだか懐かしくなって、思わずその髪に触れていた。
「な、なんですか?」
「いや、何かお前のその格好見るの久しぶりだと思ってさ」
「まだ一月経ってないですよう……? それじゃおじいちゃん、クロロ君、行ってくるね」
二人ともリリアにボコされた後だからか心なしか元気がない。まあ、それは二人が悪い……自業自得なのだから、俺は何も言うまい。
さて、こうして街に出たわけだが……特にすることはない。やるべき事はこの街にはないのだから当然だ。シャングリラ、そして英雄学園ディアノイア――。思えば俺たちの物語はここから始まったんだ。
「――懐かしいね。あそこ、覚えてますか? リリアと夏流さんが再会したところ」
リリアが走って行って俺を手招きする場所。勿論、忘れるわけがない。あの頃は結構頻繁に現実とこっちを行き来していて――。そう、転送も大変だったんだ。
ここで俺はリリアに出会った。勇者就任の儀式から数えて二度目の邂逅――。リリアはおびえていて、でも俺に声をかけてくれた。
――あの〜……? 一ヶ月くらい前に、戴冠の儀式の時、勇者の指輪を拾ってくれた人……ですよね?
「夏流、いっつも転んでたよね? あれってどうしてだったんですか?」
「……異世界からの転送に慣れてなかったんだよ。昔の事をいつまでも根に持つな、ばか」
「えへへ……っ! あ、そうだ! せっかくだから、色々な所に行こうよ! 思い出の詰まった場所……いっぱいあるから」
そう言うとリリアは微笑み、それから走って行く。俺もその背中を見失わないように追いかけた。
物語をなぞるように、まずは学園へ。そこで俺はこの学園に初めて足を踏み入れ、その異様な雰囲気に圧倒された。
ファンタジーばっちりの世界観……異世界という存在。受け入れがたい事実ばかりで、どこか気持ちも落ち着かなかった。
この場所で俺はアクセルに出会い、そして仲間たちと出会った。全てはここで始まったんだ。英雄学園ディアノイア……。変形しちまって外見は変わってしまったけど、それは決して変わらない。
「覚えてるか、リリア? ゲルトの試合のチケットを風に飛ばされて、一緒に校庭探し回った事」
「あ、あれは……。うぅ、今思い出してもへこたれざるを得ないですよう……」
――大好きっていうか、憧れっていうか……えへへ。ゲルト・シュヴァインの観戦チケットって、結構手に入らないんですよ〜! はい!
大好きなゲルトの試合を見たくてここまでやって来たのに、俺と話していたらそれを風に攫われて……。そう、結局確か、水路の中に落ちてたんだよな。
それでリリアは躊躇なくそこに飛び込んで……。今思うと馬鹿だなこいつ。でも、楽しそうだった。ゲルトの試合を見られて、嬉しそうだった。
自分の事みたいにゲルトの事を語って、目をキラキラさせて……。そうだよな。ゲルトとリリアの絆は、結局一度だって断ち切れなかったんだ。二人はいつも相手を想っていた。それがどんな形であれ、思いは繋がっていたんだ。
「びしょぬれになって、それでチケット売り場のおじさん、怒らせちゃったんですよね」
「しかも俺はタダ見だったしな」
「そ、そうだったんですか!? 師匠、悪い子ですね〜」
「その師匠ってのも何か……懐かしいな」
今聞くと馬鹿らしい呼び名だ。確か俺が、半ばやけくそにリリアを鼓舞したとき、そんな話に成ってしまったんだっけ。
師匠、か。その呼び方、そんなに嫌いじゃなかった。リリアにそう呼ばれていると頑張れる気がした。カッコつけられる気がした。だから俺はその呼び方が嫌いじゃなかった。
リリアは俺よりも立派だ。女王にもなった。きっと最強の勇者になれるだろう。だから師匠なんて相応しくないし、そんな風に呼ばれる資格は俺にはないけど――。
「……ありがとな、リリア」
「え?」
「俺の事を信じて付いてきてくれて……。師匠って呼んでくれて、ありがとう」
そう呟くと、リリアは少しだけ寂しそうに笑った。そう、俺たちはもう師弟関係ではない。仲間……なのだろうか? いつかは別れが来る事を知っているから――。俺たちは素直に笑えなかった。
「それで、まずはランキング最下位を抜け出そうって! えへへ、なんだか今思うと……打倒ゲルトなんて夢のまた夢だったよね……」
それでもリリアは戦った。勇者になんか成りたくなかったというリリア。それでもリリアは戦ったんだ。
初めての戦いはメリーベルだった。そこで俺はリリアの信じられない根性を目の当たりにした。血まみれになり、何度も意識を失いながらもリリアは絶対に引き下がろうとはしなかった。
――遠慮、せず……かかってきて、ください……ッ!! リリアは……逃げも、隠れもしませんからっ!!
もう見ていられなくて心中まともじゃなかったのを今でもはっきり覚えている。もう、直ぐにでも助けてやりたくて――。でも、誰もそれを望んでいなかった。
あの頃から既にそうだったのかもしれない。俺がリリアにしてやれることなんて何もなかった。あの子はいつでも一人で立派に戦っていた。そして、今でも……。
「メリーベルにボコボコにされたよな」
「あれはすっごく、すうっごく痛かったよ〜……。気絶とか初めてしたもん」
「……ゲルトも試合見に来てたよ。あいつ、きっと何だかんだでお前の事が気になってたんだろうな」
「そ、そうだったんですか……。あの頃はゲルトちゃんとも、上手く行ってなくて……。擦れ違ってばっかりでしたね」
リリアがゲルトにぶん殴られた事もあった。今にして思えばあのときのリリアの態度はゲルトにしてみれば侮辱以外の何者でもなかったのだろう。
それも仕方の無いことだった。ゲルトはそれだけリリアに執着していたし、リリアはそれだけゲルトに罪悪感を覚えていたのだから。その二人のお互いを思う気持ちは擦れ違い、あの出来事が起きた。
勇者同士の戦い……。黒白の勇者は雨の中激突した。どうしようもない悲しみと擦れ違い、心から湧き上がる衝動を隠そうともせず、二人は戦った。
リリアはそこでゲルトと正々堂々本気で争った。二人は真剣に力を競い、そして全てが終わる頃にはすっかり打ち解けてしまっていた。
まあ、当然の事だ。本当はこれ以上ないくらいの親友だった二人の間にあった誤解が解かれただけなのだから。だが、それは予想もしなかった力を呼び覚ました。
魔王ロギアの力の覚醒――。だが、それはリリアの中に眠る力を呼び覚ます事件の発端に過ぎなかった。
「思えばあの時、ゲルトちゃんと戦って魔王の力に目覚めたんですね」
「お前は気を失ってたから知らないだろうけどな。そりゃもう、苦労してお前を倒したもんだ」
「うぅ……ごめんなさい」
「謝るのはまだ早いぜ? 確かに俺たちの物語は、お前に謝ってもらわなきゃならないシーンが多々あった。例えば――」
初めての課外実習で俺たちは始めて学園の外に出た。列車なんて近代的なものがあって、課外実習では新たな仲間も出来た。
ブレイド、アイオーン、ベルヴェール……。ノックスでの魔物発生事件ではマルドゥークとも邂逅を果たした。そして俺たちはそこで初めて死とリアルな戦いを肌で感じたんだ。
リリアは恐怖と何かを実際に殺さねばならないという事実に完全に震えてしまっていた。俺はあの時何を感じただろう? 現実味のないリアル……。俺はこの世界をまだ一つの現実だと考えてはいなかった。
人の死や目的よりも、リリアを守る事が全てだった。多分それは冬香のこととかも関わってきていたのだろう。でも、リリアはそんな俺に反発を示した。
――……助けられたかも、知れなかったのに……っ。
目の前で子供が魔物に殺された時のあのリリアの横顔は今でも覚えている。きっとあの時、リリアは俺さえも憎んでいただろう。
当然といえば当然か。だがあの頃の俺たちにはまだ大した力もなくて、救える物と救えない物があった。何かを選ばなきゃいけなくなったとき、俺はリリアを選んだんだ。
「ノックスの坑道の戦い……。お前、一人で突っ走りやがって。ベルヴェールがいなかったら間に合わなかった」
「あれは……。だって、夏流が戦っちゃだめっていうから」
「……だから、無茶すんなって言ってんだろ? お前の事を心配して言ってるんだから」
「リリアはリリアのことよりも周りの人のほうが大事なんです! 自分が傷ついてもそれで何かを守れるならそれでいいじゃないですか!」
「……未だにそんな事を言ってんのかお前は」
そういえば、こうして心は擦れ違ったまま、俺はアイオーンと戦う事になった。
リリアはルーファウス……フェンリルに術を教わるようになったっけ。あの時点で既に俺たちの師弟関係は崩れていたのかも知れない。
そうそう、ゲルトがスランプになったのもこの辺だった。あいつはあいつで苦労させられたっけ。まあ、何はともあれ……俺はその時強くなる事に躍起だった。
兎に角強くなることで何かが変わるような気がしていた。守れる気がしていた。そんな時、アイオーンは俺に教えてくれたんだ。戦う事、強くなる事、立ち止まらない事……。多分、俺の気持ちを見透かしていたあいつには、その後も色々と世話になることになっちまった。
――なつるさああああああんっ!!
そういえば、リリアが大声で叫んでいたっけ。あの一瞬だけ闘技場が静まり返って……。意地でも勝たなきゃって思えたんだ。でも結局、アイオーンには届かなかった。
夏休みになって、俺たちはリリアの家にも行った。あそこでは短期間に色々な事があったな……。
――リリア、勇者になんか成りたくなかった。勇者なんてくだらないって思ってた。勇者になっても何もいい事なんか無い、救えることなんかない、って。でもそうじゃないんだね。勇者かどうかが問題なんじゃない。この世界を守る人間の一人として、どう行動するのか……それがきっと大事なんだと思うんだ。
少し成長した、大人びた表情を見せたリリア。ゲルトはスランプが深まる一方で、リリアと折り合いがつけられずに苦しんでいた。
リリアはゲルトの事を心から思っていた。だからゲルトを追いかけるなと言った俺にも食って掛かってきた。リリアは大人しそうに見えて意外と根性がある女の子だ。男だろうが目上だろうがなんだろうが、大切な物を守ろうとする時、彼女はいつでも強い目をしていた。
まだ子供であることも手伝って時々その行動は短絡的で幼いものだったが、それでも真っ直ぐ前だけ見ていた。そんなリリアとゲルトの間を引き裂いたのが、犬ことフェンリルだ。
やつは突然現れ、ゲルトの魔剣を奪って行った。全員でかかっていったのに、あっさりと俺たちは敗北してしまった。フェンリルの強さは出鱈目だ。多分追いつけるのは当分先だろうな……。
カザネルラではちょっと恥ずかしい思い出も多かった。リリアと一緒に手を繋いで寝転んだ花畑や、リリアが心の中に抱えていたどうしようもない気持ちを吐露したり……。俺は、それを今でも受け入れられているのか怪しい。
リリアは表面上は明るく元気で誰にも心配をかけないようにしている。転んでも泣いても直ぐに立ち直って笑おうとする。でも心の中ではその境遇からして他人を信用せず、強固な心の壁を作っている。彼女は俺を信用したかったのだろう。でも、出来なかった。そのジレンマがどうしようもなく心を蝕んでいた。
俺もきっとそうだった。俺たちは同じだった。だからそれから少しずつ、時間を重ねて俺たちは分かり合って行く。少しずつ、少しずつ――。
――オルヴェンブルムに近い敵勢力から順次迎撃します! 御願します、ついてきてくださいっ!!
オルヴェンブルムでの戦闘が起きたのはそれから間もなくの事だった。フェンリル率いる魔物の軍勢はオルヴェンブルムを襲撃し、学園も参戦せざるを得ない状況に追い詰められた。
ディアノイアから優秀な生徒を集め、戦場へ送り込む。実戦が始まった。あの時の息が詰まるような緊張は忘れられない。無理に自分を鼓舞しようと、大声をあげた。
リリアは勇敢に戦った。今思えばあれがリリアの勇者デビューだった。聖剣を手に敵陣に切り込む勇猛果敢なその姿はどれだけの仲間を救ったかわからない。
一生懸命に頑張るリリアはいつも疲れていた。でも、いつの間にか誰からも好かれるようになって……。俺たち勇者部隊は仲間から特別な意味を込めて呼ばれるようになっていった。
「あの時は、本当に辛かったです。自分が辛いんじゃない。仲間が……同じ学園の生徒が死んでいくのが」
「皆、守れるものは少なかった。どうすればいいのかもわからなかった。一生懸命で……無我夢中で。だから仕方が無かったのは確かなんだが」
「うん。それでも多分、胸の痛みは一生赦される事はないんだよね……」
俺たちはそこでグリーヴァに遭遇した。ゲルトを拉致られてマジギレしたリリアの所為で色々と大変な目にもあった。
グリーヴァとの戦いはリリアの中の勇者の力をさらに覚醒へと導いて行く。そして俺たちはフェンリルとの戦いをロギアの力に頼りなんとか切り抜ける事が出来た。あの時ロギアの力が無かったら……俺たちはどうなっていたかわからない。
「グリーヴァは、死んだんだよね?」
「ああ」
「……それでも、赦せないかな。ゲルトちゃんをあんな身体にしたんだから……」
「赦す必要ならないさ。いつかそうなれた時、それでいいだろ」
「……戦争の所為でみんな暗くなってたよね。だから、気持ちを盛り上げたくて皆で学園祭、やったよね」
そうそう、ミスコンなんて馬鹿なこともやった。
――リリアが一番得意なのはお料理なんですが、ここでは出来ないので――――歌を歌います。
あの時リリアが聞かせてくれた歌は素晴らしかった。いつか機会があったらもう一度聞きたいと思う。
でも学園祭はそれだけでは済まなかった。秋斗との遭遇……。それはまた俺とリリアをすれ違わせて行く。
秋斗との戦いは俺にとって望ましい物ではなかった。リリアの事を構っている余裕が無かったのも事実だ。俺は現実に戻り、覚悟を固めた。
――人はみんな一人だからです。生まれた時から死ぬ瞬間まで……。だから、何も頼れない。
リリアとは仲直りできたわけではなかったと思う。でもリリアは俺を一生懸命に探してくれた。見捨てられた子犬みたいなあの目だったっけ。
俺たちはそれから少しギクシャクした。思えばずっとギクシャクしっぱなしだった気もする。でも、俺たちの間にあった壁は目に見えるほどに薄っすらと浮かび上がり始めていた。
そして、例の大聖堂事件に発展する。リリアは大聖堂に捉えられ、俺は北方大陸に向かう事になった。
リリアはフェンリルに救出され、そこでアクセルと戦うことになった。様々な暗い感情に支配され倒れそうになるリリアを、フェンリルはずっと支えてくれた。
俺もまた、幾つかの戦いや出会いを経てリリアに伝えたい事を思い出していた。すれ違ったままだった俺たちは再会した時にはまるで何事もなかったみたいに話す事が出来た。
「ディアノイアに戻ってきたら、学園が変形して……。大聖堂に潜入して……。それで、マリア様は、リリアたちを守る為に……」
マリアの死は大きな事件だった。俺は直接親しかったわけではないが、後にリリアの母であった事が発覚し、そしてゲルトにとっては大切な忠義の対象でもあった。
そこでリリアは聖剣リインフォースの刃の中に眠っていた真の姿、神剣フェイム・リア・フォースを覚醒させる。それは同時にロギアの封印の解放をも意味していた。
魔王の力を完全に目覚めさせたリリアは驚異的な力を手に入れた。しかしその代償にマリアはこの世を去る。マリシアとの戦いは熾烈を極め、そしてリリアはマリアの死をきっかけに女王へと就任する。
「リリアが女王に就任した時……夏流、寂しかった?」
ふと、そんな事をリリアに言われた。俺は考えを中断し、その事実へと想いを馳せる。
リリアが就任の儀式を受けている最中、俺は式典会場を抜け出した。女王になるための階段を一歩ずつリリアが登るのを見て、彼女が遠ざかって行く気がしていた。
彼女には俺がこの世界の人間でないことを話してある。俺はいつかは元の世界に帰るだろう。だから、一緒には居られない。いつかは別れが来る……それが辛くて恐ろしくて仕方が無かった。
これ以上親しくなることはないようにと願った。リリアは俺を好きだと笑ってくれた。彼女の唇の感触ははっきり覚えている。それは――多分、冬香のものと良く似ていた。
彼女に彼女の面影を重ねる瞬間が増えて行く。その度に俺は恐怖を覚えた。心は苛まれ、どうすればいいのかわからなくなった。そんな俺の気持ちを汲み取ってか、リリアは俺を自ら遠ざけた。彼女はオルヴェンブルムへ、俺はディアノイアへ……。
「リリアは、すごく寂しかったですよ? 夏流さんが傍に居るって事が、どれだけ当たり前になってて……どれだけ大事だったのか、思い知った」
「……リリア」
「でも、しょうがないんですよね? 師匠は、別の世界の人だから……。帰らなきゃいけない場所があるから……。だから、頑張って女王になって、頑張って一人前になって……頑張って、師匠が帰れるように、安心させてあげなきゃ」
きっとリリアは頑張っていた。慣れない仕事にも取り組んだ。女王として皆を率い、悲しみの無い世界を目指して剣を振った。
俺たちは気づけば違う道を歩いていた。でも、目指していた場所はきっと同じだった。リリアがリア・テイルから眺める空と、俺がディアノイアから見上げる空は同じものだった。
でも、いつかは終わってしまう。この世界が俺にとって幻であり、俺がこの世界のとっての夢であるように――。いつかは終わってしまう。
どんなに胸躍らせる冒険も、どんなに心高鳴らせる愛の物語も、それがただの物語である以上いつかは終わりを迎えてしまう。それは『空白の日』がくれば終わるんじゃない。明確な終わりはきっと、いつかどこかに待っている。
俺はそうなった時また歩き出せるのだろうか。それがわからなくなる。俺はこの世界を知り、真実に近づく度にこの世界を好きになった。もう、忘れることなんかできない。
こんなにも思い出が胸の中で渦巻いている。こんなにもこの世界が好きだ。こんなにも、リリアを失いたくないと願っている。
「ケルゲイブルムでの戦い、夏流がきてくれて本当に嬉しかった。夏流はリリアのヒーローだから……。いつだって助けに来てくれる、心を守ってくれる、いつも不機嫌そうな顔しておでこにしわ作ってるけど、ホントは優しくて……っ! だから、リリアは……」
「…………リリア」
顔を上げたリリアは泣いていた。泣きながら笑っていた。俺は目を閉じる。どうして俺はいつもこうして、誰かを泣かせることしか出来ないのだろう――。
「楽しい事、幸せだった事……いっぱい、いっぱいあったよね……っ」
「ああ……」
「悲しい事も辛い事も……皆で一緒に乗り越えてきたよね……っ」
「ああ……」
「リリア、頑張ったよ……。頑張って頑張って、これからも頑張って行くよ。だから、夏流なんか、いなくなったって、平気なんだよう……っ」
「ああ……」
「だから……っ!! だから、夏流が居なくなっても、リリアちゃんと一人で頑張れるから……っ!! だから……っ!!」
泣きながら笑おうとするリリア。俺は見ていられなくなり、その顔を隠すように自分の胸に押し当てた。
少しだけ力を込めて抱きしめる。リリアは俺の胸に爪を立て、大声を出して泣いた。思い出の詰まったこの学園の校庭の中、リリアは子供みたいに泣いた。
沢山の涙を零し、声にならない声をあげ、何度も俺の胸を叩いて泣いた。その全てが自分の中に染み込んで、心を奮わせるのが良くわかった。
リリアはちっとも泣き止みそうにもなかった。心の底から悲しくて、どうしようもないほど悲しくて、それをずっと我慢して、だから止まらなかったのだと思う。
俺が異世界の人間だと告げたとき、リリアは笑ってくれた。赦してあげると言ってくれた。俺の頭を撫でて、それから抱きしめてくれた。
――もっと自分の気持ち、誰かに伝えてもいいと思います。もっと解って欲しいって言ってもいいんですよ? 人間はきっと、皆そうして誰かに助けを求めてる。求める権利を、最初から許されているから。
それはこの子の言葉だった。でも、それを一番出来て居ないのはきっとこの子自身だ。
もっともっと、俺を頼って欲しかった。いつか来る別れの日までの間、ずっと君を守りたかった。心も身体も、何もかも――。この世界の全てと共に。
いつか終わってしまうとしても、ここに誰かが居たんだってことだけは忘れたくない。ここに俺が居たって、声を大にして叫びたいんだ。いつか誰かの心から俺が居なくなっても、俺はきっとそれを忘れない。
この小さな勇者に出会う事が出来た一つの奇跡を、きっとずっと忘れない――。
「帰っちゃやだ……。帰らないで……。行かないで……」
「……リリア」
「貴方がいない明日なんて……っ! 夏流が傍に居てくれない今日なんてっ! ただ、思い出になってしまうだけの昨日なんて――! そんなの要らないよ! そんなの意味ないよぉっ!! 『そこ』に夏流が居ないのに、どうやって笑えばいいの!? ねえ、教えてよ……! 教えてよ、なつるさんっ!!」
それは、俺も同じことだ。君が居ない、明日の僕を想像出来ないよ。
僕は、いつでも彼女を求めていた。傍に居てくれない、居てあげられなかった過去のことばかりを後悔した。
でも僕はまた君出会う事が出来た。君は冬香じゃないから、冬香のように思う事はきっと間違えているんだろう。
だから、ずっと傍には居られない。いつかは終わってしまう。それは、自分自身で決めた事だから。自分で自分を強くする事だから。
きっと僕は――俺は。それでも明日に進んでいける。悲しみを置き去りに、未来を信じなきゃならない。そうして乗り越えて、前へ――。
「一人で頑張るなんて、無理だよ……っ。なつるさんが居ない未来なんて……そんなの、守る意味、あるの……?」
「…………ごめんな」
「貴方はいつも自分勝手にそうやって……っ! そうやって……っ!!」
暴れるリリアを放すことはしなかった。そうしてしまったらもう、二度とお互いの存在が触れ合う事は出来ない気がした。
「だったらどうして優しくしたりするんですか!? どうして守るとか言うんですか!? どうして救うとか……どうして人の心に勝手に入り込んでくるんですかっ!?」
「……」
「貴方なんて好きになりたくなかったっ!! 貴方なんて、出会わなければ良かった……っ! 貴方さえ居なければ、私は……っ! 私はずっと、明日が見えないまま……一人で暗い気持ちを引き摺ってた……」
静まり返ったリリアは涙を流しながら俯き、歯を食いしばる。そうして――本当に心のまま、素直な悲しい表情で俺を見上げる。いつもの間抜けな笑顔はそこにはなくて、代わりに大人びた悲しい瞳が俺を映していた。
「嫌いになんてなれるわけないじゃないですか……。毎日毎日、貴方の事を忘れようと、嫌いになろうと考える度、もっともっと好きになる……。そんなの、忘れて生きていけるわけないじゃないですか……」
「……ごめん」
リリアはもう何も語ろうとはしなかった。目を閉じ、ただ彼女を抱きしめる。
この世界で出会ったこのへこたれ勇者様の事を、俺も一生忘れない。
忘れる事なんて出来るはずがない。そう、これから一生、ずっとずっと――ずうっと覚えてる。
小さな女の子が必死に歯を食いしばって頑張っていた事。俺を好きだと言ってくれたこと。
遠く離れてしまっても、決して――。
決して、そう――。俺は、リリアを忘れない――。
風が吹く中、俺たちはお互いの瞳に映った自分を見つめていた。
その虚幻を掻き消すように目を瞑り、いつかのように俺たちは唇を重ねた――。
〜それゆけ! ディアノイア劇場Z〜
*そして最終決戦へ!*
リリア「あにゃーっ!」
ゲルト「ど、どうしたんですか急に」
リリア「えっと、本編がなんか恥ずかしい事になってるので少しでも気分を紛らわせようと思って……」
ゲルト「そ、そうですか……。何はともあれあと六話くらいで魔王と決着が付きますよ」
リリア「問題はその後なんだけどね……」
ゲルト「にしても、いつもより長い一話になってしまいましたね」
リリア「皆きっと感情移入してうるうるしてる頃だと思うよ!」
ゲルト「いや、それはどうでしょうか……」
リリア「皆存分にうるうるして、このあとがきで気分ぶち壊しになるといいよ!」
ゲルト「…………。まあ、もう皆ここ読んでる人はぶち壊しになるの前提で読んでると思いますけど」