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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第一章『二人の勇者』
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友達の日(1)

「…………」


メリーベルとの戦いから数日後。全身に包帯を巻いたリリアは夏流と共にアクセルのバイトする喫茶店に訪れていた。

ようやく傷も治り始め、動く事が出来るようになったリリア。頭に巻いた包帯が緩み、ちょっとずれている。その視界の合間から正面の席でぐうぐう寝ている夏流を見つめていた。

既に食事は終了し、テーブルの上には山のように空いた皿が並べられている。ただ一つ、夏流の食べかけのグラタンを除けば、全てリリアが平らげたものだ。

リリアの丸っこい目がじいっと夏流の寝顔を捉える。腕を組んだまま、涎を垂らして眠る夏流。ちょっとやそっとの事では目覚めるような気配もなかった。

ぱちくり、ぱちくり。リリアの視線がじいっと夏流を捉えている。そんな停止した瞬間の間に挟まれ、ナナシは困ったような表情を浮かべていた。尤も、うさぎの表情を見て取れる人間はそうそういないのだろうが。


「うさぎさん、うさぎさん」


「何でしょうか?」


ついに声までかけられてしまった。リリアは不思議そうな顔をして、小首を傾げる。


「なつるさん、疲れてるのかな?」


疲れている、というよりここ数日連続で活動しているため極端な睡眠不足状態にあるだけなのだが、確かにリリアの看病などをしていた夏流は疲れている、とも言えるのかもしれない。

うさぎはぴょこんとテーブルの上に飛び乗り、リリアを見つめる。夏流はだんだん横に倒れ始め、壁にもたれかかって眠り続けている。


「疲れているというか、彼は今寝不足というか」


「うさぎさんたち、どこに住んでるの? なつるさんって、どこの人なの?」


ぎくりとする。何故今まで夏流にはそんな事を一言も訊かなかったのに、今になって自分に言うのか。冷や汗が流れる……比喩であって実際には流れていない。何故ならうさぎだから。


「どこに住んでいるとなると……学園の寮ですよ、勿論」


嘘はついていなかった。学園長アルセリアは確かに夏流の部屋を用意している。それもこれ以上ないというほどの最高級の部屋である。

しかし、実際夏流はそこに入っても居ない。もう少し休み休みやれば問題ないのだが、夏流は何かに焦っているかのように休まず行動を続けていた。

その疲れが祟り、いよいよ活動限界となってうっかりリリアとの話中に眠ってしまったのである。食べかけのグラタンはすっかり冷め切ってしまった。


「なつるさん……無理してなければいいけど」


心配そうな表情で夏流を見つめるリリア。その正面で夏流は涎を垂らしながら完全に熟睡している。


「そういえばリリア様、もう怪我は宜しいのですか?」


「うん、平気だよ〜? 流石に何日かはベッドの上生活だったけど、もう出歩いても大丈夫」


「もう少し休んでいても良かったのではないですか?」


「うーん……でも、なつるさんが部屋に押しかけてきて看病するって言うから、申し訳ないんですよー」


結局リリアをベッドから追い出す結果になってしまった夏流の善意。しかしそれは確かにリリアにとっては嬉しいことだった。

理由ならまだいくつかある。休んでいる気なんてしなかった。早くベッドから出て、特訓……夏流と一緒に居たかった。もっと色々な事を話したかった。

恐らく彼の存在は、孤独な勇者の少女であったリリアにとって、生まれて初めて出来た仲間なのだから。


「リリアじゃなつるさんを寮まで担いでいけないしなあ……うさぎさん、どうしたらいいかな?」


「ああ、じゃあワタクシが担いでいきますよ」


リリアの目の前で人間の姿に変化したナナシはシルクハットの下から覗く甘いマスクでにっこりとリリアに微笑みかける。

その変身っぷりを間近で目撃したリリアは口をぽかんと開けたまま呆然としていた。ナナシは眠っている夏流を背負い、リリアに頭を下げる。


「それでは、そういうことで」


「へ? は、う? はい……?」


夏流を背負って消えていくナナシの影。それを見送り、リリアは首を傾げていた。


「なんですか、あれ……?」


そんな、特訓は休みの日。

事件はリリアが一人でうろうろしている日に起きてしまった。



⇒友達の日(1)



「それで暇だからってあたしの研究室に来た、と」


薄暗い通りを抜けた先、メリーベルの研究室にリリアの姿があった。

しばらくの間、夏流のいない町を歩き回ったリリアは何故か猛烈に寂しい気持ちになり、誰でもいいから話をしたくなってここにやってきた。理由は簡単、他にリリアには口を利くような友達がいなかったのである。

とはいえ、別にメリーベルもリリアの友達になった覚えはない。相変わらず猫塗れの研究室の中、一人でローブのポケットに手を突っ込み、片手でフラスコを回していた。


「や、やっぱり急に来たら迷惑ですよね……?」


「うん、迷惑」


「はうっ!? そんなハッキリ言わなくても……るるる……」


涙を流しながら笑うリリア。メリーベルは全く彼女の方を向かないまま小さく息をつき、フラスコを眺める。

指先でくるくると中身を混ぜながら見つめるその紅い液体にはリリアの姿が映りこむ。この研究室に人を上げるのは、実のところ彼女にとってもリリアと夏流が初めての事だった。

そもそも人を上げる必要性を感じなかったし、研究室に知らない人間が立ち入る事は錬金術師として失態である。しかし不思議と前回も今回も、リリアたちを部屋に上げる事にそれほど抵抗は覚えなかった。

自分もまた人間で、他人との接点に飢えていたとでもいうのだろうか。答えの出ない自問自答。メリーベルにしてみれば二人は確かに命を救ってくれた恩人でもある。それを理由とするには少々強引だが……一先ずは納得する事にした。


「怪我の調子はどう?」


「え? あ、はい。薬がいいのかすぐ直りました。まだ包帯巻いてますけど、こんなのは飾りみたいなものなのですよ」


「そうやって男の関心を引く……包帯属性あり、的な……」


「はい?」


「なんでもない。それより、おなかがすいた」


メリーベルの唐突な言葉と視線。それを正面から見据え、リリアはぱちくりと目を輝かせる。


「は、はい! こう見えても、お料理は得意なんですっ! 友達いないから、外食しないで自炊がメインですからっ!!」


「……今何気に悲しい設定が出た」


「台所とかあるんですか!?」


「奥に……もう一年くらい使ってないから汚いけど」


「充分です! 行ってきますっ!!」


元気良く頷き、走っていくリリア。静かになった研究室の中、火にかけていたフラスコが罅割れて中身が駄目になる情けない音が響いた。

メリーベルは淡々とそれを廃棄し、新しいフラスコを手にする。リリアが余りにも元気がいいものだから、一瞬混ぜるのを怠ってしまった。

足元に群がる猫たちが擦り寄ってくる。メリーベルは何も言わずに再び薬品を火にかけた。部屋の置くの台所からは定期的に何かを割るような甲高い音が聞こえて来る。


「……不安すぎる」


来る前よりも美しく、とまでは期待していないが、せめてあれ以上の惨状にならないことを祈る他ない。

足元の猫たちに視線を送ると、数十匹の猫が台所に走って行った。恐らく向こうで散らかった部屋の片づけを手伝っている事だろう。メリーベルは目を閉じ、ぐるぐるとフラスコを回す。


「騒がしいやつ」



「どうだったんだい? 見てきたんだろう、リリア・ライトフィールドの初試合」


英雄学園ディアノイアに無数ある回廊。日差しが差し込むその支柱の合間、剣を手に佇むゲルト・シュヴァインの姿があった。

その背後から歩み寄ってきたのは長髪の男だった。歳の瀬は彼女たちより一回りも二回りも上の若い男。学園で魔法学の教師を務める彼、ルーファウスは魔術書を片手にゲルトの隣に立った。

一見親切そうな優男。眼鏡の向こう側に微笑む瞳をゲルトは睨み返して応える。踵を返し、剣を肩に乗せて。


「見たからどうというわけではありませんから。それより、生徒のプライベードにまで干渉されるのは不快なのですが」


「そういうつもりはないんだけどね。まあ、ある程度プライベードを知ってこそ正しい道を教えられる……というのは僕の師匠の方針なんだけど」


僕の師匠。その言葉に反応したゲルトは振り返る。視線には不快感がたっぷりと塗りたくられていた。肩を竦め、ルーファウスは腕を組む。


「少なくともリリアの方は君を気にしている。君も彼女の羨望の眼差しに気づいているはずだ。言いたい事があるのならば、きちんと言うべきじゃないかな?」


ゲルトは応えない。肩に乗せた大剣を握り締める手に力を込め、眉間に皺を寄せる。まるで兄か父親に反発する娘であるかのように、彼女は視線さえ合わせようとしなかった。

その様子は今に始まったことではない。もう十年も前からずっと彼女はこの状態だったし、恐らく二人の距離感が縮まる事は今後永遠にありえないだろう。しかしそれでもルーファウスは言葉を続ける。


「君も彼女も、決められた運命からは逃れられない。せめて手を取り合うべきではないかな? それを君の父上――先代『黒の勇者』、ゲイン・シュヴァインも望んでいるはず」


父親の名前を出された瞬間、ゲルトの我慢は限界を超えてしまった。一瞬で振り下ろされた巨大な殺意の塊は自らの兄弟子であり教師でもあるルーファウスの首筋に容赦なく突きつけられる。

巨大な物体が一瞬で移動する事により発生した風の流れ。空を切る音。二つの中、ルーファウスはしかし微動だにせずその刃を首筋に当てたまま微笑んでいた。

その態度をこれ以上崩せない事はゲルトにも分かりきっていた。しばらくの膠着状態の後、大剣は主の手元に戻り、ゲルトは今度こそ立ち去ろうと背を向ける。


「…………彼女は、勇者には相応しくない」


吐き捨てるような、憎悪を込めた一声。


「勇者は、わたし一人で充分過ぎる」


振り下ろした刃がレンガの大地を切り裂く。空を切る轟音と共に大地につけられたゆるぎない真っ直ぐの傷跡。ゲルトは苛立ちもそのままに、早足でその場を去って行った。

その姿を見送りルーファウスは己の首筋に手を当てる。血が滲むその様子に苦笑を浮かべ、それから口元に手をあて思案する。


「……リリアの存在はやはりゲルトにとっていい刺激になる、か」


教師のその呟きを耳にする生徒は誰一人としていなかった。



「どうぞ、たーんとめしあがれっ!」


そういってリリアが自慢げに机にならべた料理の数々。それを見てメリーベルは眉を潜めた。

それは決して料理がまずそうだったからではない。むしろ料理は全ておいしそうに輝いて見えた。一流料理人のそれと比べれば勿論見劣りするが、いかにもずっと家庭料理を嗜んできました、といった雰囲気の暖かい出来栄えである。何より寝る間も食べる間も惜しんで研究に勤しんでいるメリーベルにとって、家庭料理は久しぶりに見るものだった。

では、なぜ困った顔をしているのか。それは机の上に並べられた料理の数々、その量のせいであった。軽く五人前はありそうなその分量にメリーベルは手にしたフォークを思わず落としてしまった。

どう考えても食べきれる量ではない。冷や汗を流すメリーベルを、リリアは満面の笑みで見つめている。食べた時のリアクションを楽しみにしている顔である。おいしいって言ってくれるかな? 喜んでくれるかな? 純粋な好意と期待がメリーベルの両肩に重く圧し掛かった。

あえて言うならば、メリーベルは余り食べる方ではない。小食ですと断言してしまってもなんら問題はないだろう。普段からぎりぎりまで食事を抜いているせいで、常に腹八分目までしか胃には収めない状態が続いている。

それがいきなりこんな分量を突っ込んだらどうなることか。食べすぎで戻してしまうのではないか。様々な思考がメリーベルの脳内を駆け巡る。ちなみにこの思考の間、経過した時間は僅かに一秒だった。


「い、いただきます……」


ごくりと生唾を飲み込む。リリアは正面に立ってニコニコ笑いながらメリーベルを見つめている。自分が何をしているのか段々良くわからなくなってきた。

いや、今から考え込んでも仕方がない。とにかく一口と口に放り込んだサンドウィッチは本当においしかった。しかしこれだけの食材となると、この研究室につい先日買い溜めした食料が殆ど全部つぎ込まれているのだろう。そこも考えると涙が出そうだった。

研究費に生活費を削ってまで当てているメリーベルにとって、この出費は痛すぎる。しかし、リリアは目をきらきら輝かせているのだ。とても文句を言える気がしなかった。


「居るよね、頑張りすぎて逆に失敗するやつ……」


「う? 何か言ったですか?」


「なんでもない。おいしいよ、おいしい……」


「うわぁ、本当ですかっ? 人に食べさせるの、おじいちゃん以外じゃ初めてだったのでとても心配だったんで、ちょっと控えめに作ったんですけど……えへへっ」


「控え目? 本気で言っているの……?」


「はいっ!」


溢れんばかりの笑顔に完全に硬直するメリーベル。意を決する事にした。全力で一度は命を賭けてやりあった仲なのだ。ここで手を抜くわけにはいかない。

メリーベルの戦いが始まった。ひたすらに無言、無表情で料理を食べ進めるメリーベル。リタイアは許されない。目の前でリリアが見つめているのだから。

ひたすらに口にかきこんでいく。必死に食べ続ける。全身が悲鳴をあげ、限界はとうに通り越している。それでも食べ続けた。

しばらくすると意識が朦朧としてくる。忘れかけていた死という概念を思い出した。体が言う事を聞かない。自然と前のめりになり、料理に顔を突っ込んでメリーベルは意識を失った。


「めめ、メリーベルさんっ!? ほわあっ!? 何が起きたんですか!? さっきまでフツーにご飯食べてたのに!?」


確かにメリーベルは一見どうにも正常そうに見えた。しかしそういう状態を維持するようにしているメリーベルの努力のお陰なのである。

完全に気を失っているメリーベルの身体を抱き起こし、激しく揺さぶるリリア。その状態がさらにメリーベルの気分を悪化させていく。


「メリーベルさん! メリーベルさん!! しっかりしてください! 死んじゃ駄目ですう! こんな所で料理なんかしたから、変なものが混じっちゃったんですか!? メリーベルさあああああん!!」


「ゆ……あ……」


震える声と身体で必死に訴えかける。しかしリリアはまるで聞いていない。それでも何とか伝わってほしいと、必死で声を上げる。


「ゆ……すら……ない……で…………――――あっ」


「えっ? あああああああああああっ!?」



十分後。



メリーベルはソファの上に横たわり、口元から涎を垂らしながら完全にぐったりしていた。

色々あって盛大に汚れてしまった床の掃除を終えたリリアがその傍に駆け寄り、顔を寄せる。メリーベルは体の上に飛び乗ってくる猫たちを一匹ずつ引っぺがしながら突かれきった笑顔を浮かべている。


「め、メリーベルさん……本当に大丈夫ですか? 回復魔法かけましょうか……?」


「平気……。でも、もう料理はいいや……猫にでも、食べさせて……」


「え? でも猫に料理なんて食べさせたらまずくないですか? 大丈夫なんですか?」


「野生の猫はそんなに柔じゃないから、平気……うぷっ」


吐き気を催し、口元を押さえるメリーベル。リリアはあたふたして、とりあえずメリーベルの上に圧し掛かっている猫たちを引っぺがした。


「なんでこんなにぬこさんが寄ってくるんですか!? 乗っちゃだめー!!」


何故かわらわらと猫たちがメリーベルに寄ってくる。それは猫たちなりにメリーベルを心配しての行動なのだが、倒れているメリーベルはどんどん猫で埋もれて行く。どこからともなくやってくる猫たちは窓やら扉やらから部屋に入り込み、メリーベルの上に乗ってしまうのである。

猫に埋もれるメリーベルを必死で掘り起こすリリア。と、そこでリリアは机に戻り、料理を床に置いた。


「ぬこさんこっちですよー! ご飯ですよー!」


野良猫たちは流石に空腹だったらしく、料理に群がって行った。猫たちが立ち去り、埋もれていたメリーベルはぐったりした様子でリリアを見つめた。


「うーん……き、気持ち悪い……」


「うう、何が当たったんですかねえ……?」


リリアの所為だとは言えない優しいメリーベルの閉じた瞳から薄っすらと涙が零れ落ちた。

メリーベルは何とか身体を起こし、上着のポケットに両手を突っ込んで深々とソファに腰掛ける。その隣にリリアは座り、心配そうにメリーベルの表情を窺っていた。


「にしてもすごい数のぬこですね……」


「あのさ……『ぬこ』って?」


「あ、リリアの地元では猫の事を『ぬこ』っていうんですよ〜」


「じゃあ犬は?」


「犬は普通に犬ですよ?」


「なんで……?」


「何でって言われても……そうなんだからしょうがないじゃないですか」


二人の会話が完全に途切れ、沈黙と猫の鳴き声だけが部屋を覆ったときだった。リリアの視線の先、メリーベルの頭部で何かが動いていた。

首を傾げる。頭……というよりは髪の毛が勝手に動いている。気になってその部分を摘んでみると、メリーベルが顔を顰めた。


「いたい」


「あれっ? なんですか、これ? ぬこの……耳?」


ありえないものがそこにはあった。リリアが両手で摘むメリーベルの頭部、髪の毛の中にまぎれていたのは紛れも無く猫の耳……所謂ネコミミというものであった。

首を傾げる。リリアの頭の上をクエスチョンマーク踊りだす。そんなリリアの様子を見てメリーベルは目を閉じ、溜息を漏らした。


「実験に失敗して、生えた」


「えぇええっ!? そんなあっさりと!? あ! それで猫が寄ってくる体質になっちゃったんですか!?」


こくりと頷くメリーベル。ふさふさとした質感の耳にリリアは胸をときめかせた。猫の耳をなでなですると、メリーベルはくすぐったそうに身をよじる。


「いじるな……」


「あ、はい、すいません……なんかふかふかしてて、つい……え? ていうか、何をどうしたらこうなるんですか?」


「まあ色々あって。これでも良くなってきた方。最初は尻尾もあったし、語尾にも『ニャー』ってついてた」


「え!? あ、冗談ですかっ!?」


「うん、冗談」


二人の間に沈黙が走る。ほっぺたを膨らませたリリアが猫耳を指先でグリグリすると、メリーベルは頭を抑えてにやにや笑い出した。


「や、やめなさい……っ」


「イジワルするのが悪いんですよ……。でも、いいなぁ。リリア昔からぬこさんにだけは嫌われちゃってて、触ろうとするとすぐ逃げられちゃうんですよ。リリアもぬこさんに好かれたいです」


リリアの発言を聞き、メリーベルは立ち上がる。無数に並んだ怪しい薬剤の眠る棚の引き出しから猫の絵の描かれたラベルの瓶を取り出し、リリアに渡した。


「あげる」


「え? いや、でもこれ使うとずっと猫耳になっちゃうんじゃ……」


「それは違う。解毒剤を作っている途中で開発した、弱い薬。しばらく猫になるだけで、翌日には直ってる……ハズ」


随分と胡散臭い語尾に苦笑を浮かべるリリア。一先ず瓶を受け取り、ポケットにしまった。


「あ、ありがたく貰っておきます……」


「どうぞどうぞ。それじゃああたしは寝るから。片付けはしないでいいよ、後でやる」


「そうですか? じゃあそろそろお暇しますね。また今度です、メリーベルさん!」


元気よく走り去って行ったリリアを見送るメリーベル。それから最後の言葉を思い出し、顔を上げた。


「……また来るんかい」



「こ、ここは?」


起きたら完全に日が暮れてしまっていた。

一体どれくらい俺は寝ていたのだろう? 隣には本を呼んでいるナナシの姿があるが、自分が寝ているベッドも天井も見覚えのない場所だった。

俺が目覚めたのに気づいたナナシが本を閉じ、歩いてくる。ベッドからおきだすと、特に自分の身体に異常が無いかどうかを確認した。


「お前……俺が寝ている間に何もしてねーだろうな?」


「それどういう意味ですか……。そんな女の子みたいな事を言うなんて、ナツル様も随分と可愛いところがおありで……はうっ!?」


腹部にパンチを見舞ってやるとナナシは腹を押さえてその場でうめいていた。部屋を出ると、学園の中庭が見える。どうやら学園内の寮のようだが……。


「行き成り殴るのはやめませんか……?」


「で、ここはどこだ? 学園の寮か?」


「はい。あの部屋はアルセリアから貴方に与えられた部屋です。どうぞ、鍵をお持ちください」


ポケットから鍵を取り出し、俺に手渡す胡散臭い男。俺は鍵を受け取りそそくさと歩き出す。たしか、リリアと話している途中に寝てしまったはずだ。あいつのことだから、まだあそこで待っている……なんて事もあるかもしれない。

不安に思いながら階段を駆け下り、中庭に出る。ナナシは何も言わずに俺のハイペースな移動についてきていた。


「そういえば、お前に色々訊きたい事があんだけど」


「なんでしょうか?」


シルクハットを片手で抑えながら颯爽と走る男、ナナシ。結局俺はコイツに色々を訊きそびれたまま、時間を過ごしてしまった。

リリアのこと、この世界のこと、俺の存在のこと、何よりも冬香のこと。こっちにきて暫く過ごしたからわかったんだ。このままじゃいけないんだって。


「リリアとちゃんと話しねーと……。それに、俺だけ見てるだけっていうのもな……」


「それは良いのですが、正面からそのリリア様が歩いてきますよ?」


ナナシに言われ、正面を見ると確かにリリアが何か小さな瓶のようなものを手にしながら歩いているのが見えた。

走ってくる俺たちに気づいたのか、リリアは手を振って走ってくる。しかしその途中、坂道に躓き、盛大にずっこけた。

助けに入ろうと思ってリリアに駆け寄る。すると空で何かがキラリと輝いた。何だかよく判らないまま顔を上げると、突然瓶が俺の頭に直撃して中身の液体がぶっかかった

なんだか甘いような匂いがする……。起き抜けにすかさずリリアにしでかされた俺が立ち尽くしていると、顔を上げたリリアが俺を指差し大声を上げた。


「あっ!?」


「……あ、じゃねえだろ。お前なあ……」


見ると、リリアの様子がおかしい。口元に手をあて、目を丸くしている。そんなにビックリされるほどまずい状況でもないんだが……。


「いつまで座ってんだ。さっさと立つんだにゃ」


にゃ?


「な、ななな、なつ、なつるさん……っ! ご、ごめんなさいぃぃいい……っ!!」


何だか嫌な予感がする。ナナシを見ると口元を押さえて盛大に笑っていた。非常に嫌な予感がする。

頭に手を当てる。ぬれているだけではない。何かがそこにはあった。冷や汗が流れる。言葉に出来ない不安を何とか確かめようと、ショウウィンドウの硝子の前に立った。そうして俺は全てを理解した。振り返るとリリアが真っ青な顔をしてぷるぷる震えていた。

俺は肩を竦める。それから星空を見上げた。ああ、今日も星が綺麗だ。ゆっくりと溜息を漏らし、それから頭を抱えて叫んだ。


「なんじゃそりゃああああああああっ!?」


まるで俺の叫び声を効きつけたかのように何故か猫たちが駆け寄ってくる。

一斉に身体に飛び乗ってきた猫たちに埋もれ、俺はそのまま坂道でもがき苦しむ事になった……。


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