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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第三章『女王の神剣』
76/126

決戦の日(3)


少年は、偉大な錬金術師の家系に生まれた長男であった。

その才能を漏れなく受け継ぎ、力を目覚めさせるのに長い時間は必要なかった。少年は魔術教会でも期待の星であり、誰からも将来を有望視される存在だった。

少年の世界は、巨大な屋敷の中だけだった。特に、その中でも書庫はお気に入りであった。父はいつも研究室に閉じこもっているか出かけているかで、家の事をするのは使用人たちだった。母は、魔王大戦で命を落としたと聞いた。

特にそれを嘆く事はなかった。使用人は皆優しく、大人たちも彼を褒め、期待を寄せていた。それに彼には一人、血の繋がった妹が居たのである。

妹は生まれた時から虚弱体質で、常に何らかの病気を患っていた。寝込みがちで外にも出られない妹……。たった一人の家族を少年はとても大事に扱っていた。

しかしその一方で、名家に生まれたというのに将来を期待できず、いつ死んでもおかしくない妹に対する人々の態度は冷ややかだった。何かをするわけではない。だが、既に死んでいる者を扱うかのように淡白だった。

必然少女は言葉を失い、直に誰とも言葉を交わしたがらなくなった。それでも兄にだけは心を開いていた。少年は毎日少女の見舞いに向かった。同じ屋敷の中、書庫や研究室に向かう道すがら彼女の様子を見て行くのは日課となっていた。

数々の華々しい賞を受賞し、才能を認められた少年はいくらかの年月を経て一人前の錬金術師となった。むしろ他の者より頭一つ秀でるだけの実力を持つ彼は、いよいよ妹の病を克服する薬の製作に取り掛かったのである。


「メルは、病気が治ったらまず何をしたい?」


少年が学術書を片手にそう問い掛けると、窓辺に座った少女は少しだけ思案し、それからこう答えた。


「兄さんの……お手伝いがしたい」


「え? 僕の?」


「……うん。兄さんの事、手伝ってあげたい。兄さん……最近ずっと疲れた顔しているもの。あたしの為に、毎日大変なんでしょう?」


不安げに顔を覗き込む妹に兄は勤めて明るい態度で首を横に振った。本当は日々徹夜の連続で身体はつかれきっていた。しかし、妹の為に努力できる事が彼は何よりも嬉しく、それを苦に感じる事はなかった。

研究の為に少しずつ、妹の部屋を訪れる回数は減って行った。疲れた顔を見せるのはまずいと思い、会いに行く前には必ず少しの睡眠をとった。お陰でいつも寝ぼけた表情で訪れるものだから、妹には笑われてしまった。

妹の病はただの病ではなく体質であった。故にそれを根本的に打開する薬を作り出すのは困難を極めた。それでも少年は諦める事を知らなかった。毎日研究に打ち込んでは妹の笑顔を夢見る日々が続いた。

ある日少年は研究を強引に中断させられた。それは父の意向だった。魔術教会は彼に様々な研究を求めていた。いつまでも成果の出ない研究など、誰も望んではいなかったのだ。

それでも少年は研究を再開した。その頃には既に研究者たちも彼から目を背けていた。妹は自分の事はほうっておいていいからと、兄に何度も申し出た。それでも少年が首を縦に振る事は無かった。

しかし、成果の出ない研究に少年は心身共に疲れきっていた。そんな兄を見かねた妹はある日少しずつ錬金術を覚えたいと兄に申し出た。

彼女の一日の大半はベッドの上である。妹はそこで本を読みふけった。兄が休んでいる僅かな間だけ、体調を考慮しながら腕を磨いた。

そうして何年かが経ったある日、兄は妹の実験の成果を見て我が目を疑った。そこから感じ取れたのは――自分以上に深い、彼女の才能だったから。

兄は嬉しい反面、複雑な心境であった。妹の病気が治れば、自分を超えた錬金術師になる日は遠くはないだろう。少年は全てをなげうって少女の為に尽くしたというのに、少女はあっさりと少年を越えて行く……。

それがどうしたと自分に言い聞かせた。最早少女を救う事だけが彼に残された目標だった。偏執とも呼べるその執念の研究は続き、ある日少年は家を飛び出した。

狭い屋敷の中ではもう研究を続ける事は不可能だった。少年は世界を旅し、様々な術を学んだ。錬金術だけではない、魔術や呪術の類も会得して行った。

そうして、全ての病以前に体質を変化させ、異常を克服してしまう秘薬を完成させた。それは呪いと紙一重の禁断の薬であり、精製には魔王の残した文献を必要とした。

魔物を生み出すように、命を変化させる薬物を作り出したのだ。それは妹の体質を変化させ、命を救う薬になるはずであった。

少年は喜び勇んで薬を片手に屋敷に戻った。髪の伸びた妹は兄の帰りを大層喜んだ。そうして渡された薬を何の躊躇する事も無く、一息に飲み干してしまった。

それが全ての悲劇の始まりだった。少女の体質は変化し、病にはかからなくなった。しかし同時に、少女の身体は別の呪いに蝕まれるようになった。

適応できず、作り変えられていく体の激痛に少女は何日も悶え、嘆き、血を吐き続けた。その悲痛な叫び声を聞きながら少年はあらゆる薬を少女に施した。しかし、それを直す事は出来なかった。


「僕は……僕はただ、メルを助けたかっただけなのに……っ」


夜中になってもうなされ続け、もう何日も眠る事の出来ない妹。球の様な汗を顔に浮かべ、涙を流しながら苦しむその様に少年はただぎゅっと妹の手を握り締めた。

そうしてふと顔を上げた視線の先、妹がいつも眺めていた窓ガラスがあった。少年は言葉を失った。鏡に映りこんだ自分自身の顔は、歪な笑顔を浮かべていた――。

偏執的な自らの愛情と目的と才能への嫉妬――。様々な感情に揺れ動き、少年の中で何かが音を立てて崩れてしまった。

わざとではなかった。それは確かだった。だが心のどこかで、このまま少女が白い部屋の中に閉じ込められたままである事を祈る自分が居たのも事実だった。哀れ部屋から出られぬか弱い妹を救う事――。それは未来を絶たれた少年に唯一存在した夢だったから。

このまま永遠に彼女が自分だけを見ていればいいと感じていた。心のどこかでそれを願っていた。歪な願いは叶えられた。少女はいつ消えてしまうかも判らない命のまま、自由を手に入れた。

少年は既に青年になっていた。彼は無言で家を飛び出し、それから妹の前には姿を現さないと誓った。そう、彼女を救い、自らの罪を償う手段を見つけ出すまでは。

それもまた偏執的な愛となって彼の心を蝕んで行く。様々な禁術に手を出したかつて優しく微笑んでいた少年は想う。何故、こんな事になってしまったのか――と。

心の中に立ち尽くす幼き日の幻影。それさえも砕く魔物の腕は今、妹を守ろうとする救世主を殺そうと殺意を湛えて居た――。



⇒決戦の日(3)



「グリーヴァアアアッ!!」


夏流の放った魔力を乗せた拳は魔物の腕に簡単に遮られてしまう。長く、しなやかに伸びる拳を持つ魔性の存在は猛攻を仕掛け、夏流を手数で圧倒する。

戦闘が始まって直ぐに放たれた二人の必殺の一撃は互いに激突し、目標を大きくそれて炸裂した。雪の振る大地の中、抉れた草原の凄惨な光景が二つ――。その中心で踊る二人の男は何度も拳を交え、火花を散らす。


「なんだってそんなになっちまったんだ!? あんたは――あんたはっ!!」


拳をかわし、夏流が小さく宙を舞う。素早く繰り出された蹴りは大気を穿ち、魔物の頭部へと突き刺さる。しかしグリーヴァは怯まず、夏流の脇腹を殴り飛ばした。

激しく吹き飛ばされて草原を転がり周る夏流を目で追いながらもメリーベルは身動き一つとる事が出来なかった。兄がここまで変貌を遂げてしまった理由は自分にある事を、彼女は認識していた。


「兄さん……っ! 兄さんっ!!」


『メル……。やっと君を治してあげられるんだよ』


振り返り、そっと手を伸ばすグリーヴァ。しかしメリーベルは首を横に振る。


「あたしは、治らなくたっていい! あの白い部屋の中で、ずっと兄さんと二人だけでも良かったっ!! 治りたくなんかなかった……っ!! 兄さんにそんな風になって欲しくなんかなかったっ!!」


『メ、メル……? 何を、言うんだい……?』


「お願い、元の優しい兄さんに戻って……っ! 兄さんは世界でただ一人、あたしの事を見ていてくれたっ! 兄さんが居てくれればそれで良かった!! 兄さんはどうしてそんなに成ってしまったの!? あたしの所為なんでしょう!? ねえ、兄さんっ!!」


『違うよメル、君は何も悪くないんだ。僕はね、ただ君を助けてあげたかっただけなんだ。わざとなんかじゃなかった。だからホラ、その証拠に僕は今でも薬を作っているじゃないか……!』


長く伸びた魔物の両腕がメリーベルの細い両腕を掴む。激しい力で万力のように締め付けるその指先のせいで少女の身体に激しい痛みが走る。しかしメリーベルは兄から目を反らそうとはしなかった。


『さあ、一緒に帰るんだメリーベル……』


「――――ろ、して……」


『……なんだって?』


首を傾げ、聞きなおすグリーヴァ。異形の姿に変わってしまった兄を眼前に、メリーベルは涙を流しながら目を閉じていた。


「もう、殺して……っ! もう、耐えられない……っ! そんな……そんな姿になった兄さんを……見て、居られない……っ」


『何を言っているんだ、メル……』


「兄さん……ごめんなさい。あたしの所為で……あなたを苦しめてしまった。追い詰めて、しまった……。だからせめて、一緒に死んで上げるから……。だからもう、これ以上――もう、自分を責めないで」


折れかけた腕を伸ばし、メリーベルは微笑んでみせる。苦痛に必死に耐え、球のような汗を浮かべながら笑うその姿に、男は嘗ての少女の姿を思い出していた。

苦しみに耐えて懸命に笑おうとしていた愛しい妹――それが何故こんなにも苦しげな顔をしているのか理解出来なかった。少年は少女を手放し、自らの両腕をふと眺めた。


『僕は……』


そこにあったのは最早妹を優しく抱きしめられる腕ではなかった。そう、彼は妹を握り潰すつもりなどなかったのだ。だというのに、ほんの僅かに力を込めただけで、彼の腕は勝手に小さな少女の身体を捻り潰そうとしてしまった。

それは、身体がもう変わってしまい原型を留めて居ないということ。少年はそんな事を望んではいなかった。また昔のように、妹と一緒に――ただ、微笑んで暮らしたかっただけだというのに。


『僕の……僕の身体が……!?』


頭を抱え、魔物は後退する。身を捩り、絶望にうめき声を上げる。大地に解放されたメリーベルは痛む腕を押さえながらそっと顔を上げた。

その濡れた瞳に移りこむのはバケモノになってしまった自分自身の姿。その異形の光景に、グリーヴァは悲しみの悲鳴を上げた。


『ア――!? アアアアアアアアアアアアアアッ!! アァァァァァアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!』



聖堂の中に銃声が響き渡った。

力なく崩れ落ちた黒衣の子供たちが膝を折り、大地へ伏す。その正面、銀色の薬莢が転がり落ち、銃の持ち主である少年は得物をホルスターに収めた。

彼の周辺には大量の死体が転がっていた。この世界の住人を殺す事に何の迷いもない。全ては幻――。自分とは関係のないことであると秋斗は割り切っていた。

ここに来るまでに邪魔をしてきた魔王軍も聖騎士団も聖堂騎士も民間人も一人残らず容赦なく区別無く弾丸を撃ち込んできた。それは彼なりの礼儀であった。この世界の全てに背くと決めた以上、これは守るがあれは守らないなどと甘ったれた事を言うつもりは毛頭なかった。

全て薙ぎ倒し、殲滅して進む事――。それが彼がこの世界に対して抱く、たった一つの矜持であった。故に彼の弾丸は区別無く、敵と認識した存在を貫いて行く。


「ここにはマリシアはいない、か……。仕方ねえな、元老院連中を皆殺しにして帰るとするか――」


そう囁いた少年の背後、立ち上がった一人の執行者が刃を構えて襲い掛かろうとしていた。その少女の接近を振り返らずに認識した秋斗は背後に銃を向け、容赦なく発砲する。

銀色の弾丸は正確に少女の額を討ち抜く――はずであった。しかし、弾丸は阻まれる。どこからとも無く飛来した剣によって。

風が吹き荒れ、少女の背後にはいつの間にかアクセルが立っていた。気を失いかけてよろめく少女を腕の中に抱きかかえ、アクセルは眉を潜める。


「おにい……ちゃん……?」


罅割れて半壊した仮面が大地に落ちて真っ二つに砕け散った。妹の身体を抱きしめ、それからアクセルは正面を見据える。

容赦なく振り返った瞬間に銃弾を連射する秋斗の攻撃を全て風に踊る剣で叩き伏せ、アクセルは後退する。秋斗の周辺に転がる無差別な死体の群れに執行者は嫌悪感を隠さずに行った。


「お前は何を目的としている……!? そんなに殺したいのか!?」


「――ああ。どっかで聞いた覚えのある声だと思えば、あの時の時間稼ぎか。ハッ! くだんねえ質問してんじゃねえよ」


答える事も無く、秋斗は引き金を引き続ける。一撃一撃が上級攻撃魔法に匹敵する光の弾丸――。それを踊るように回避し、物陰に傷ついたレンを寝かせてアクセルは壁を蹴り、空中から秋斗に襲い掛かる。

十二本の踊る刃のうち二つを両手に構え、空中から×字に斬りかかる。秋斗は後方に跳んでそれをかわし、アクセル同様壁を蹴って空中で上下逆様の体制で銃を構え、何度も魔弾を発射する。

それは一度弾いても息を吹き返し、後方から襲い掛かる自動追尾する一撃――。それが合計六発同時に放出され、アクセルはその全てに剣を投擲して貫き、防御に成功していた。


「ほ〜。まるで曲芸だな」


「まだ答えを聞いて居ない……! 答えろ! 何の為にお前は――っ!」


「いちいちうるせえんだよ、幻想の住人が……っ! とりあえずお前強そうだし――元老院の居場所も知ってんだろ? 俺様に教えろや」


「お前みたいな奴に教えるわけにはいかないな……。あの爺さんたちを庇うわけじゃないが――お前を野放しには出来ないっ!!」


例え無抵抗な子供であろうとも秋斗は容赦なく命を奪うだろう。それが解ってしまった以上、もうその存在を看過する事は出来なかった。

駆け出したアクセルの刃と秋斗の銃が正面から衝突する。二人はお互いに魔力を解放し、礼拝堂に激しい地鳴りが巻き起こった。



「ぬうんっ!!」


「はあっ!!」


二人の呼吸が同時に交わり、刃が火花を散らす。

市街地にて何度もぶつかり合う二人の王に仕える騎士の戦いは激しさを増していた。何度も槍と大剣がぶつかり合い、迸る魔力が炸裂する。

周囲でも戦闘は繰り広げられていた。それは攻め込んできた聖騎士であったり、防衛の為に命をなげうって戦う聖堂騎士でもある。はたまたそれらに襲い掛かる魔物であろうか。混迷を極める戦場、しかしその最中でも二人の決闘は充分に成立していた。

誰も二人の間に割って入る事は出来なかった。それほどまでに高度な技術と高い錬度の魔力がぶつかり合っているのだ。二人の間に割って入る事は死を意味する。誰もその戦いの邪魔は出来ない。


「ふん、小娘にしてはやりおる! だが、まだまだ黒の勇者を名乗るには生ぬるいわっ!!」


「ぐっ!?」


重い力を込めた槍の一突きが繰り出される。等身で何とか受け止めたゲルトであったが、力を相殺する事が出来ずに吹き飛ばされる。

よろめくゲルト相手にジルベストリは手加減をしない。大地に槍を突き刺すと同時に発動した魔力が術式を形成し、大地より無数に突起する岩の刃がゲルトへと迫る。

乱立する剣山のような蜂起する大地を飛び越え、刃で受け流し、岩の嵐を抜けて上空から剣を叩き込む。槍で受け止めるジルベストリを前に、身体を空へと捻り回転しながら等身から魔力を放つ。

漆黒の魔力の刃がジルベストリに襲い掛かるが、老騎士もまた槍に魔力を込めてそれを一蹴する。二人の間合いが開き、互いに得物を構えなおす時間が訪れた。


「貴方は父を知っているのですか?」


「知っているも何も、奴らとは何度も刃を交えた身よ……。我らが主を卑劣な手段で討ち取った勇者の名を忘れる訳も無かろう」


「卑劣……? 世界に混乱を齎し、幾千の命を大地に染み込ませた大罪の者に卑劣などと言われる筋合いはない!」


「何も知らずに己の正義を信じて疑わぬゲインの娘よ……。貴様らは十年前の戦の何を知っていると言うのだ」


「…………っ」


沈黙するゲルト。悔しげなその表情を前に落ち着いた様子で騎士は槍を構える。


「少女よ、貴様は己の目で見、耳で聞いた訳でもない事を単純に信じすぎていると何故気づかぬ。それは幸福ではあるが、決して賢い事であるとは言えぬ」


「何が言いたいのですか……!?」


「戦などする人間は全て卑劣よ。騎士道精神や誇りなど、勝利の美酒を前にすれば霞む……。故に貴様らを責める事はせん。だが小娘、己を正当化し、さも悪は他にあるかのような物言い――。余りにも滑稽!」


駆け出したジルベストリはその勢いを殺さずゲルトへと一撃を叩き込む。紙一重でそれを見切り回避したゲルトの頬を血が赤く染め、反撃で斬り返したゲルトの刃は確かにジルベストリの身体を貫いていた。

しかし、違和感は直ぐにゲルトにも伝わった。巨大な剣で貫かれたというのに、ジルベストリは顔色一つ変えてはいなかったのである。

慌てて剣を引き抜き未知の恐怖に後退するゲルト。そして自らの剣が全く血に染まって居ないという奇妙な事実を認識する。


「……言ったであろう、小娘。正義や誇りなど、勝利の前には意味を成さぬ。故に我輩はそれらを捨ててここに立っている。己の命さえ、投げ捨てて――だ」


ジルベストリは槍を大地に突き刺し、己の腕を覆っていた鎧を外してみせる。その合間から見えた物、それは――。


「……ジルベストリ、貴方は……!?」


「そう、我が身はとうの昔に朽ち果てておる。我が主である、レプレキア様の死術ネクロマンシーが、我が身を復讐の幽鬼としてこの世に再び導いたのよっ!!」


再び攻防が始まった。大剣を振り回し、ゲルトは叫ぶ。


「そこまでして、貴方は何を――っ! 何を求めているのですっ!?」


老兵は最早答える事はしなかった。少女もそれに応え、全力で魔剣を振り下ろした――。



理性を失った獣と化した兄の腕は妹の首へと伸ばされる。それは万力のような握力で細く白い首を握り潰そうとしていた。

少女は逆らおうとはしなかった。苦痛に顔を歪め、しかしその腕にそっと手を添える。ずっと、彼の事を探していた。彼を止めてあげたくて、許してあげたくて、長い時間を過ごしてきた。

自らで呪いを克服する事さえ出来ればもう彼を苦しめずに済む――。その一心で研究を続けてきた。生きたいなどとは考えなかった。ただ、全ては自分の所為だから。

あのまま白いベッドの上、存在感も無い透明なままの自分で居られたのであれば、誰も苦しむ事など無かった。そのような運命の元に生まれたのであれば、その運命を受け入れて居ればよかったのに。


「う……うぅっ」


身体が呪いに蝕まれても兄を恨んだことなど一瞬たりともなかった。だというのに兄は変わってしまった。罪悪感と研究への偏執は彼の心を蝕んでいった。それも全ては自分の所為。

だから、旅に出てしまった兄を探して自らも家を出た。研究を続けるには固定した場所で、そして情報を得る為には大都市である必要があった。学園にはあらゆる依頼が世界中から舞い込んで来るだろう。クエストボードの前をうろつく日々が続いた。

そうして二年間彼女は時を費やした。自分の為に生きる選択肢などなかった。ただ、兄を救いたい一心で生きてきた。そしてもしも兄がもう後戻りの出来ないところまで壊れてしまっていたとしたら、その命を奪い魂を解放してやることこそ自分に出来る償いであると考えていた。

だが、そんなことは出来そうにもなかった。あの優しかった兄は、こんなになってしまうまで自分を思っていたのだから。手にかけられるはずもなかった。だからであろう――。かつて必殺の一撃を討ち込んだはずだというのに、その術式に綻びがあったからこそ、彼はまだ生きていた。


「にい、さん……」


思い返すのはあの色の無かった日々だけ。思い残すことなど何も無い――そのはずだった。

なのに、何故だろう? 心の中に湧き上がる思い出は、もう何も無いわけではなかった。そう、色づいた記憶が――あの時からメリーベルの中にも現れ始めた。

突然研究室の扉を叩いた一組の男女。勇者を名乗る気弱な少女と、不機嫌そうな顔の少年。二人と出会ったあの日から、迷いが心に生まれてしまった。

死ぬために生きているのに、殺すために生きているのに、もっと生きて見たいと想ってしまった。仲間と共にありたいと願ってしまった。それは、許されないと知っていたのに。

今まで誰とも関われなかった少女を仲間と呼んでくれる人たちが居た。それがどれだけ嬉しかったのか今になってようやく理解する。そうして気づけば涙が止められなかった。


『メ……ル……』


強く力が込められる。全てが折れて壊れてしまうと思った瞬間であった。怪物の背後から黄金の電撃が放たれ、激しい衝撃がグリーヴァを吹き飛ばす。

腕から解放されたメリーベルは大地に落ち、途端に必死で空気を取り込んで噎せ返った。自分がまだ生きようとしている事実に嫌気が差し、しかし同時に嬉しくなる。

掌から電撃を放った少年は立ち上がり、ゆっくりと歩いてくる。その腕に纏う黄金の爪こそ、彼女が作り与えし物――。黄金の光を放ち、迸る魔力は大気を振動させているかのようでさえある。

立ち上がった怪物は翼を広げ、振り返る。救世主は一人怪物と向かい合い、拳を真っ直ぐに突き出して握り締めた。


「おい、メリーベル……。何勝手に諦めてんだよ」


「……ナツル」


「約束しただろ? 今度はお前を助けるって。まだ返しきってない借りが山ほどあるんだ。勝手に諦めんなよ……馬鹿野郎」


夏流の言葉を耳にした瞬間、少女は涙を止められなくなっていた。嬉しくて仕方が無かったのかも知れない。悲しくて仕方が無かったのかも知れない。それでも立ち上がり、バケモノを間に挟み二人は向かい合う。


「兄さん、ごめんなさい……。あたし……。あたし、やっぱりまだ生きたいよ――! まだ、生きて居たいよっ!!」


『ガアアアアアアアアッ!!』


獣の咆哮が響き渡る。少女の声はもう届かない。だが、それでも叫び続ける。


「兄さんと一緒にいてあげたかった……っ! 兄さんがどんなに歪んでいても良かった! でももう、兄さんは兄さんじゃなくなってしまったからっ!! だからもう――っ!! 貴方を許してあげるからっ!!」


メリーベルが魔力を解放し、七色の光が広がって行く。巨大な魔方陣が大地に浮かび上がり、空を舞う雪の花を光で染め上げて輝かせて見せる。

溢れ出す膨大な力を全て両手の間に構築し、両手を広げると同時に展開する。それは魔方陣上空から無数に降り注ぐ巨大な剣の羅列であった。

塔のようなそれは四方八方から降り注ぎ、大地を円形に括って行く。大規模な結界が展開されると同時に剣に記された紋章が輝きを増して行く。

術を形成するメリーベルを本能的に危険だと判断したのか、獣は低い姿勢から一気に妹に襲い掛かる。しかし少女と獣の間に次の瞬間割り込んだ救世主は獣の拳を蹴り飛ばし、少女とバケモノの間に立ち塞がる。


「メリーベルッ!!」


「……うん。ナツル、お願い――兄さんを」


「何言ってんだ。今更そんなこと言われなくてもわかってるよ。さあ、力を貸してくれメリーベル! お前の因果をここで断ち切るっ!!」


神討つ一枝の魔剣レーヴァテインその力を我は担うコールライトニング――」


メリーベルの詠唱に答え、神威双対は輝きを増して行く。電撃の魔力が迸り、ナツルにも理解出来なかった輝きが曇った空を突き抜けて行く。


「これは――!?」


「貴方に新しい力を授けて上げる。大丈夫、武器を信じて。ナツルの為に、ナツルの事を想って、ナツルと一緒に作り上げた武器だから。だから――それは必ずナツルに応えてくれる」


夏流が正面に腕を伸ばす。次の瞬間指先に浮かび上がった魔方陣がグリーヴァの身体を大きく吹き飛ばした。

魔方陣は指先から肩へとゆっくりと移動を開始する。まるで武器を再構築するように、ゆっくりと。指先に巨大な爪が現れ、黄金の手甲は姿形を変えて行く。

そうして現れた刃に夏流は見覚えがあった。かつて彼が無意識に放っていた魔力で構築された光の剣――。紋章のような形をした巨大な刃は腕の外側に装備され、今も輝きながら強い力を放っている。

膨大な力をコントロールするのは難しい。だが、夏流はそれをやってのけていた。今日まで練習は欠かさなかった。そして今、メリーベルの補佐を受ける夏流にそれが成せないはずもなかった。

少年の腕に背後から少女が指を重ねる。近づいた二人の顔は視線を合わせ、それから同時にグリーヴァを見詰めていた。

草原の中、頭を抱えて苦しむ魔物。かつては兄だった人物。仲間になれたかも知れなかった人。それを今、討たねばならない。他に手段は無い。解放する術は無い。ならば最早、迷う事さえ意味を成さない。


「……いいんだな? 本当に」


問い掛ける声に少女はゆっくりと頷いた。


「……兄さんをお願い、夏流」


怪物が救世主を睨みつける。少年はゆっくりと歩み出す。その両腕に携えた刃を正面で十字に交差させ、静かに呼吸を整える。

負ける気はしなかった。相手がどんなバケモノであろうと、容赦なく両断するだけの圧力を持つこの刃があるから。これは自分だけの力ではない。メリーベルが――仲間が授けてくれた祈りそのものなのだから。


「来いよ、グリーヴァ。冥土の土産に――妹があんたにどれだけの想いを抱いていたのか、じっくりと味わって逝けっ!!」


翼を羽ばたかせ獣は飛翔する。正面から猛スピードで突進してくるその怪物を夏流は正面から受け止めていた。

獣の腕に手を伸ばし、大地に両足を踏ん張って受け止める。グリーヴァは空中から猛攻を仕掛けた。両腕を振り回し、一撃一撃が鬼神の如き威力を放つ拳――。しかし少年はそれを全て同じく拳で相殺していた。

避ける事はしようとしなかった。あくまでも正面から、正々堂々ねじ伏せる――。そうでなければ意味がない。自分は自分だけで戦っているわけではない。彼と決着をつけねばならないのは夏流ではない。今自分の背後で祈っている少女なのだ。

だから、彼女の力で勝利しなければ意味がない。それを超えなければ意味がない――。少年は歯を食いしばり、怪物と殴りあう。


「グリーヴァアアアアアアアアアッ!!」


高圧力の魔力同士が何度も何度もぶつかり合い、衝撃が発生する。降り注ぐ白い光の中、救世主と魔物は全力で打ち合った。

互いの拳が互いの身体を傷付けても止まる事は無い。最早獣に帰るべき場所も引き返す意味も無く、そして少年には振り返る事も引き返す事も出来ないだけの意味があった。

やがて獣の攻撃を正面から拳で受けた少年は反対の腕で獣の腕を両断してみせる。あっさりと黒い肉を切り裂いたのは少女が授けた黄金の刃だった。

拳から伸びた刃――それは紋章で編みこまれた光の剣。幻の剣。少年はそれを正面に構え、腕を失い怯んだグリーヴァを見やる。

獣のように変化してしまったとしても、それはきっと彼の意思ではなかった。それを殺すという事は心が痛む。だが、それでも――。


「行くぞ、メリーベル」


「――うん」


その力を我は担うコールライトニング


右腕を後方に大きく振り被り、全ての魔力を拳の剣に乗せて。


「――――じゃあな、グリーヴァ」


ゆっくりと、拳を放つ。それは怪物の胸に突き刺さり、そして術式が発動する。


「「 黄昏を齎す者ラグナレク 」」


光の剣が怪物を貫く。そしてその一撃は魔物の身を焼き、全ての魂を滅ぼす閃光――。

グリーヴァの身体は黄金の炎に焼かれ、しかし苦しむ様子はなく全てが光に包まれていく。やがて何もかもが解けてなくなった頃、そこには胸から血を流す青年の姿があった。

人の姿に戻った兄がゆっくりと倒れる中、それを抱きとめたのは夏流であった。すぐさまメリーベルが駆け寄り、兄の血に濡れた手を握り締める。


「兄さん……」


「…………メ、ル? 僕は……どうして……」


「兄さん、ごめんなさい……! ごめんなさいっ!! あたしなんかが居たから……っ! あたしなんかの所為でぇっ!」


涙を流しながら必死に謝罪の言葉を並べるメリーベル。しかし少年は微笑みながらその頬を撫でた。


「何、言ってるんだ……? 当たり前、だろ……。だって僕たちは……たった一人の、兄妹なんだから……」


兄の言葉に泣き崩れるメリーベル。その頭を撫で、少年は満足げに息をついた。まるで長い間悪夢に取り付かれていたかのような心は晴れ渡り、雪景色の中で本来の輝きを取り戻したかのようだった。

子供のように泣きじゃくるメリーベルを抱きしめ、グリーヴァは口から血を流し、自らを倒した少年を見詰める。


「救世主……。お人よしな君の事だ……。メルとは、仲良くやっているんだろう……?」


「……ああ」


「くく、そうか……。じゃあ、僕はもう……必要ないだろう?」


「……そうだな。もう、必要ない。あんたはもう……いいんだ」


グリーヴァは寂しげに微笑み、それからメリーベルを見詰めた。血に濡れた指先では妹の白い肌を朱に染めてしまう。それが今は何よりも悲しかった。


「……不老不死の法は、見つからなかったよ……。でもね、メル……。君の呪いを解く薬は……う、ぐっ」


「兄さんっ!!」


「……あの、白い部屋に……。戻りたいな、メル……。君と一緒に……」


「うん……。うん……っ! 帰れるよ……? また、いつでも会えるから……」


「…………メル、君は……幸せ、に――」


手が力なく大地に落ち、二人は事実を理解した。

メリーベルは事切れた兄の身体を強く抱きしめて泣いていた。それを止める事は夏流にも出来なかった。最早動かなくなったグリーヴァの瞼をそっと閉じ、ゆっくりと立ち上がった。


「兄さんは、あたしの病気を治す為に……」


「……ああ」


「なのに、あたしは……兄さんに何もしてあげられなかった」


「…………でも、これから出来る事はあるだろ?」


涙を流しながら顔を上げるメリーベル。その雫を指先で掬い取り、少年は笑う事は無く、しかし真剣な表情で言った。


「こいつは幸せになれと言った。それがきっと本音だったんだ。何もかも投げ捨ててまで、お前を守りたかった……。きっと最初は、それだけの――ただ、兄貴なら誰でも思うような事だったんだ」


「…………なれるのかな、あたし……」


「……なれるさ」


目を閉じ、少女は祈る。瞼の裏に描くのは、あの幼かった日々。

まだ笑顔で、まだ無邪気で、まだ無垢で居られた、あの優しかった日々。

光の中、少年は微笑んでいた。今と何も変わらぬ、妹思いな気弱な少年は、光の中で、確かに微笑んでいた。

〜それゆけ! ディアノイア劇場Z〜


*リリア編は最早クライマックス*



リリア「え!? 何か不穏なサブタイ付いてるよっ!?」


ゲルト「最近は毎日更新ではなくなりつつありますから進行速度が落ちてますね。書き溜め分&休みの日ラッシュで書き上げた怒涛更新でお茶を濁すのでした」


リリア「ナチュラルスルーッ!? ゲルトさん!?」


ゲルト「何はともあれ『決戦の日』は一日で丸々更新されたわけですが――」


リリア「なになに? 何か問題でもあるの?」


ゲルト「序盤のほのぼの感はどこ行ったんでしょうね」


リリア「そんなん今に始まったことじゃないじゃん」


ゲルト「まあ、そうなんですが……。最近は戦闘ラッシュで……」


リリア「もう少ししたらほのぼのパートになるから安心してね!」


ゲルト「にしても、随分長く連載していますね……」


リリア「あと30部くらいで完結にしたいけど、30部って冷静に考えると長いようで短いよね」


ゲルト「纏まるんですか?」


リリア「まとめ……ないとね」


ゲルト「何はともあれ、毎日更新されてると信じて夜中にもチェックしに来てくれていた読者の方々。申し訳ございませんでした」


リリア「これからは『可能な限り』毎日更新でがんばるよー! そして、暇な時に遅れた分は取り返す!」


ゲルト「ところでどうして更新しなかった日があるんですか? 夜中は暇なのに」


リリア「え? スターオーシャン4やってたから?」


ゲルト「え?」

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