決戦の日(2)
魔王城パンデモニウム――。そこの城から放たれた六つの巨大な楔が大地へと穿たれ、ケルゲイブルムに大きな衝撃が走った。
空を揺れる鎖を見下ろし、城の最上階でレプレキアは大地を見下ろしていた。その傍ら、紅い甲冑を纏った老騎士が巨大な槍を携え歩み寄る。
「パンデモニウムの固定が完了致しました、閣下。これより不死者をケルゲイブルムへと進軍させまする」
「騎兵は既に展開しているのであろう?」
「は……。竜騎兵は既に展開完了しております。機械人形も続けて出撃予定で御座います」
「そうか。なら問題ないな」
「クィリアダリアの女王が聖騎士団を率いて進軍してきている模様ですが」
「捨て置いて構わないだろう。それよりも今はマリシアを全滅させる事が重要だ。あんな呪わしき者――この世に在ってはならん」
「仰る通りで御座います」
胸に手を当て深々と頭を下げる騎士。レプレキアは振り返り、その傍らに歩み寄る。そうしてそっと老人の枯れた頬に手を伸ばすと優しく微笑んだ。
「お前にも今まで苦労をかけたな……ジルベストリ」
「勿体無きお言葉……。我が命は先王ロギア様と共に散るはずで御座いました。この価値無き身体に命を吹き込んでくれたのはお坊ちゃまでしたからな。充分、我輩は感謝しておりますよ」
「坊ちゃまはやめろって。ジルベストリ、例の錬金術師の様子はどうだ?」
「何やら無断に出撃したようですな。キメラを一匹借りたいと申し出があったようですが……」
「キメラか……。何をたくらんでいるのやら、あの男」
腕を組み、背を向けるレプレキア。ジルベストリは目を細め、険しい表情で王に告げる。
「閣下、過ぎた言葉となりましょうが……あの男、信用成りませぬ。平静を装っているかのように見えまするが、その目に狂気を宿しております」
「わかっているよジルベストリ。こちらの技術をあの男に渡すと同時に、こちらも色々な物を得られた。もうあの男が何をしようが構わないさ」
「しかし……」
「大丈夫だよ。あんなくだらない錬金術師一匹、ぼくの障害には成り得ない――。ジルベストリもそれは解ってるんだろう?」
魔王レプレキア――。この世には既に存在しない、神代の魔術を用いた大魔術師にして魔王と呼ばれたロギアの一人息子。彼はその親の才能を余す事無く継承していた。
その力は十歳にして常人を遥かに超越し、圧倒的な魔力総量と技術力を持ち、嘗ての魔王さえ追い抜かんという勢いで成長を続けてきた。その力と才能を側近として見詰めてきたジルベストリこそ、圧倒的な魔王の貫禄を最も理解している。
だがそれでも心配に思ってしまうのはやはり幼き日より彼の傍に居た所為だろう。既にジルベストリを圧倒的に上回る力をつけた少年でさえ、どうにも気にかかってしまうのだった。
「……我輩も出撃し、マリシアを討伐して参りまする。閣下はどうぞ、此方にて吉報をお待ち下さい」
頭を下げその場を引き返すジルベストリ。その背中に声をかけ呼びとめ、魔王と呼ばれた少年は寂しげに微笑む。
「死ぬなよ、ジルベストリ」
孫のように可愛がってきた魔王がそう呟くと、ジルベストリもまた優しい笑顔を浮かべた。
「勿論ですとも、坊ちゃま――」
「ケルゲイブルムを脱出する、だと……っ!?」
戦火の直前、滑り込むようにして帰還をはたしたアクセルが耳にしたのは信じられない言葉であった。
ケルゲイブルム大聖堂の奥、オルヴェンブルムを命からがら逃げ出した元老院の老人たちが避難する一室があった。帰還を果たしたアクセルは大聖堂騎士として元老院にそれを報告しに顔を出しに行ったところ、その凄惨な事実を伝えられた。
「パンデモニウムが出てきているだけでもどうしようもないというのに、リリア・ウトピシュトナまで……。これでは我らに勝ち目などない……! 大聖堂騎士を集め、撤退の準備をするのだ!」
「し、しかし……っ! この街は後方に魔王軍、正面には聖騎士団と囲まれた状態にあります! 脱出する道なんてもう……っ!」
「こんな時の為に、地下に抜け道を作ってある……。何のためにこの街を拠点に選んだと思っている」
「で、ですが……っ! 外ではまだ騎士たちが戦っています!」
「それがどうした!」
「皆、貴方達が説いた神の国の為に戦っているんですよ!?」
「それがどうしたと言っている! アクセル・スキッド……貴様、自分の立場を忘れたのか!」
円卓を囲む仮面をつけた老人の一人が机を叩き、怒声を上げる。アクセルは肩を震わせ、拳を握り締めながらその言葉に耳を傾けていた。
「貴様は元老院を守るのが役目であろう! 我らを守る為の存在なのだ、それを履き違えるな!」
「慈善事業で貴様のような物を養ってきたわけではないのだよ。礼儀というものを弁え給え」
「し……しかしっ」
「貴様はリリアの捕獲にも暗殺にも失敗しているのだぞ? そう何度も失敗を容認する我らではない」
「く……っ」
肩を震わせ歯を食いしばり、アクセルは言葉に耐えていた。それは自分が今までこの状況を打開できなかったツケであり、誰かを責める事は出来そうにもなかった。
誰も救えないまま、外で仲間たちが散って行くのを見ていることしか出来ない。大聖堂の騎士たちは皆熱心なヨト教の信者であり、神に仕える位の高い存在である司祭や元老院を崇拝している。その言葉をさも神の言葉であるかのように受け取り、誰もが心を囚われていた。
他国に対する非道な行いも、彼ら自身の過ちも、全ての判断は元老院が行い、司祭たちが指示を出す。故にその行いに間違いは無く、彼らの言うとおりに動けば神に愛されると信じて皆刃を手にしている。
考える事を放棄し、誰かに心を預けたのは彼らである。だが、アクセルは知っている。誰もがあの戦争で大切な物を失った。そしてそこに何か救いを求めていた。神だろうがなんであろうが、己を許してくれる存在を求めていたのだ。
心に傷を負い、空しさを抱え、信仰に縋るしかなかった人々をアクセルは責めようとは思わない。それを仕方が無かったという言葉で片付ける事は出来ないだろう。だが、それでも――。
「彼らは……あんたたちに使い捨てられる為に、戦ってきたわけじゃない……っ」
「何か言ったかね、スキッド」
「兎に角、わしらは地下に逃げる。足止めは何も言わずとも騎士たちが勝手にするだろう。マリシア連中は最早我らの手にも負えんし、ここで身代わりになってもらおうではないか」
「まったくだ……。マリシアに成ったものは皆気が狂っておる……。言動が些かおかしくて見るに耐えんよ」
最早言葉はなかった。アクセルはただ沈黙し、拳を握り締める。そうして顔を上げると、意を決して語り出した。
「……俺はこの場所を最後まで死守します。元老院の護衛には、他の者をお使い下さい」
「何だと? 他に我らの身を守れる実力者などおらんではないか!」
「俺は最後まで仲間を見捨てない……。あんたたちには、本当に世話になった。あんたたちが居なかったら、俺たちは皆のたれ死んでいただろう。だから、あんたたちは逃げればいい。それを止めたりしない。だが――」
剣を抜いたアクセルの周囲に風が舞う。怒りと悲しみに震えた鋭い眼差しが老人たちを射抜き、その背筋を奮わせた。
「もう二度と、俺たちの前にその面を見せるな……っ!! 俺はもうあんたたちを頼らない! 俺の力で皆を救って見せる!」
「わ、若造が……っ! 後悔しても遅いぞ!」
「…………ああ。後悔だったら今――している所だよ」
アクセルがそう呟いて剣を収めると、老人たちは口々に愚痴を漏らしながら地下への隠し階段を下りて言った。無人になった円卓の中、取り残されたアクセルは一人やりきれない思いを両手の拳に乗せ、円形の机へと叩き付けた。
⇒決戦の日(2)
街中は既に地獄のような景色に変わっていた。そこでは民間人も容赦なく殺戮され、死体が街を覆っている。紅くぶちまけられたペンキのような大量の血液が世界を染め上げ、目に染み込み痛むような錯覚さえ覚える真紅の景色にリリアは思わず歯軋りした。
市街地では空から襲ってくる龍に跨った亡霊の騎士が聖堂騎士と刃を交えていた。魔王軍の騎兵は腐った翼の龍を駆り、錆付いた槍を携えた騎兵を送り込んでくる。倒しても倒してもきりのないその魔物の群れに大聖堂は完全に疲弊していた。
正面で交戦する聖堂騎士へと襲い掛かる龍目掛けて魔法を放つリリア。光が激突しよろめく龍の首を一瞬で刎ね飛ばし、亡霊の鎧を蹴り砕いてみせる。
空中を舞い、華麗に着地したリリアの横顔を見て背後に力なく倒れこんだ聖堂騎士は怯えた目でリリアを見ていた。それはまだ若く、リリアとそれほど歳も変わらないような少年だった。リリアが声をかけようと手を伸ばした時、少年は自らの首を剣で斬り、その場にゆっくりと倒れこんだ。
勇者は歯軋りする。聖堂騎士たちは皆そうだ。助けようとすれば自害してしまう。一体どんな教えを仕込まれればこうなってしまうのか。どうすればこんなにも、命を軽く出来るのか。
「…………助けて上げられなくて、ごめんなさい」
一言だけ祈りを込めて囁き、少年騎士の瞼を閉じる。振り返り剣を振るい、リリアは再び駆け出した。
近づく龍騎兵を切り伏せ、襲い掛かってくる聖堂騎士には拘束魔法をかける。リリアの足元から溢れ返るようにして放たれた無数の銀の鎖が騎士たちに絡みつき、次々に身動きを奪って行く。
街の入り口周辺を粗方片付けてしまったリリアの背後、駆け寄るゲルトの姿があった。余りにも早く、そして圧倒的に敵陣を切り開いて単身ここまで突き進んでいくリリアについて行くのはゲルトにも相当困難な事であった。
「リリア、無事ですか!?」
「うん……。早く、こんなの終わらせなきゃ」
無傷の姿で血の海の中に立つ白い姿にゲルトは一瞬見惚れてしまった。美しい――。単純にそう思う。地獄のような景色の中、圧倒的な存在感を誇るリリアにゲルトが見入るのも無理はなかった。
一瞬の間を置き、ゲルトは頷く。背後から接近する龍騎兵の放った火炎を片手で障壁を編み防ぎ、影の矢を放ちそれを打ち落とす。光の粒になり消えて行く魔物でさえ、リリアは悲しげに見詰めていた。
「あの騎士の亡霊は、誰かの死の証なんだよね」
「……リリア」
「これだけの死が、クィリアダリアを恨んでるんだよね……。それでも……討たれてあげるわけには行かないから」
降り注ぐ雪の中、リリアの白い姿は霞み、時々見失いそうになる。ゲルトはリリアの肩を叩き、優しく微笑んだ。
「一人で背負わないでください。一緒に行きましょう――。悲しみを広げてしまわぬように」
頷きあう二人の正面、空より急速に落下する影が一つあった。それは二人の正面に轟音と共に落下し、仁王立ちの構えのまま大地を砕き、二人を睨みつけていた。
真紅の重鎧を身に纏った老騎士――。ジルベストリは二人の前に立ち塞がる。遥か彼方、大空に浮かぶパンデモニウムから単身落下してきた男はリリアに問い掛ける。
「先日ぶりだな、勇者王」
「貴方は……レプレキア君の護衛のおじいさん!」
「……成るほど、母親に良く似ている。だがしかしその格好、父の面影もある……。あの男の遺志、そして母の力を継いだ姫か」
蓄えた髭を片手で撫でながらジルベストリは笑う。老人が片手を側面に伸ばすと、遅れて落下してきた巨大な槍がその手にすっぽりと収まった。
「我輩はジルベストリ――。魔王レプレキアが腹心、闇の騎士であるっ!! 貴殿の母と父の残した業と責務、貴様に果たしてもらうぞっ!!」
ジルベストリの全身から放たれる猛々しい魔力――それは二人の肌に鋭く突き刺さるような迫力を持っている。手にした槍も魔槍の類である事は間違いなく、圧倒的な力と揺ぎ無い意思がひしひしと伝わってくる。
魔王の腹心を名乗る騎士は間違いなく大きな力を持っている。二人は同時に剣を構え、リリアはその老人を悲しげに見詰める。
「貴方もまだ、十年前の過去に囚われているんですか……?」
「――――ほう、戦の中で敵に問うとは笑止。知り得る事ならば剣戟の狭間にて垣間見よ、勇者王。我輩は手加減をするつもりは無いぞ?」
槍を高速で振り回し、腰の背後に構えるジルベストリ。ピンと張り詰めた緊張感の中、焦りを感じながらもリリアはそれに向き合った。
「行って下さい、リリア。彼はわたしが引き受けます」
「ゲルトちゃん……」
「良いのです。貴方の為に戦うと誓ったのですから。さあ、リリアは聖堂へ! 元老院を抑えれば、少なくとも大聖堂との争いは終わるのですから!」
事態はそんなに単純なものではなくなっているのは二人ともわかっていた。これはもう、心の戦い。戦いを止めようと思えるかどうかは、一人一人の兵士にかかっていると言える。
だからもう、何かすべてを纏めて引っくり返せるような手段は存在しないのだ。だから、一つ一つを何とかしていかなければならないのだ。
それでもここは自分の役目だと、リリアの手を煩わせないようにとゲルトは剣を構える。そのリリアへ少しでも余裕を与えてあげたいというゲルトの優しさが何よりも今は痛いほど嬉しかった。
「貴方の相手はわたしが勤めます! わたしは女王の騎士、ゲルト・シュヴァイン! 魔王の騎士よ、相応の決闘を望みます!」
「ほう……。そう言われては武人として断る訳には行かぬな。同じ、王を守る騎士としても……。良いだろう。見逃してやる、リリア・ウトピシュトナ」
「え?」
「見逃してやると言っているのだ。我輩はそもそもマリシアの殲滅が任務……。貴様の相手をするようには命じられておらぬ。尤も――こちらの小娘はマリシアに近しい者のようだがな」
ジルベストリの鋭い視線を浴び、ゲルトはたじろいだ。その身に宿す魔性の力――それを老兵は見抜いていたのである。リリアが不安げに一度振り返り、しかし彼女は立ち止まらなかった。
「ごめん、ゲルトちゃん……!」
「謝る必要などありませんよ、リリア……。わたしは、こんな所で死にはしないのだからっ!!」
「――来るが良い、黒き勇者の末裔よ!」
黒と赤のシルエットが刃を交える。その轟音と火花を背後に感じながらリリアはきつく目を瞑り、そして前だけを見て走り出した。
不安と嫌な予感だけが胸の中にわだかまっている。それでも走らねばならなかった。立ち止まってしまえば、また何かを失ってしまうような、そんな気がしていたから――。
「くそっ、来るのが遅すぎたか……っ!」
ケルゲイブルムを望む草原の最中、夏流ははき捨てるようにしてそう呟いた。
遥か彼方、パンデモニウムから穿たれた鎖が大地へと続く道を作っている。火の手があがり、戦場と化したケルゲイブルムの景色に想うのは、友であるアクセルの事だった。
魔王の行動は迅速だった。素早く、そして確実に重要な拠点を攻略してくる。魔王復活の連絡を受けていなかった夏流ではあったが、オルヴェンブルムに戻りリリアたちが出撃したという連絡を受け慌てて急行したのである。
これ以上ない程に急いできたつもりではあったが、実際戦闘には間に合わなかった。リリアが自分に何の声もかけずに戦いを始めてしまった事が解せない上に、決戦の地に乗り遅れてしまった事が悔やまれる。
「パンデモニウムが……っ!? おいニーチャン、どうなってんだよ!?」
「わからないが……兎に角ヤバそうだ。リリアたちも来ているはずだ、早く合流しなけりゃ……」
夏流がそう呟いた時だった。上空より放たれた氷の攻撃魔法が夏流に襲い掛かる。一早くそれを察知したブレイドが壁を召喚し、攻撃を防御した。
放たれた小さな氷の結晶は着弾すると同時に周囲を全て一瞬で凍結させた。壁に守られたその背後だけ、不自然に氷結の影響を免れている。
「誰だ!?」
夏流の叫び声と同時に舞い降りてきたのは翼を持つ獅子であった。その背中に立ち、マントをはためかせながら降りてきたのは彼らも見覚えのある男だった。
「グリーヴァ……」
錬金術師の男はキメラの背に立ったまま夏流たちを見下ろして薄っすらと微笑を浮かべる。そうしてキメラから飛び降りると両腕を広げて声を上げた。
「やあ、救世主君! 相変わらずうちの妹が世話になっているようだね?」
「……? 妹?」
一人会話が飲み込めずに首を傾げるブレイド。しかしメリーベルと夏流はその言葉の意味を重々承知していた。
黒い長髪を束ね、その合間から笑みを覗かせるグリーヴァ。一度は完全に倒したのではないかと思っていた二人だったが、目の前の男の底知れない存在感に恐怖を覚える。以前出会った時とは何かが異なるような――そんな微かな違和感が付きまとっていた。
「ククク……ッ! いやね……。不老不死について、色々とわかった事があってね。やはり魔王に付いたのは間違いではなかったよ。彼らは神代の魔術まで継承しているのだからね……っ」
「……ブレイド、先に行け。ここは俺とメリーベルで相手をする」
「で、でもニーチャン……!?」
「いいから行けっ!! リリアに合流して話を伝えてくれ! こいつは一度倒した事がある……。倒し方なら心得ているさ」
勿論それは強がりに過ぎなかった。実際に倒せて居ないからこそ目の前にこうして錬金術師は再び立っているのだから。
だがしかし、ここにブレイドが居た所で仕方が無い。むしろ早くリリアに話を伝えねばならない。こうなってしまった以上、一刻も早く――アクセルに戦意は無いという事、そして彼らの中にも戦いを降りたいと考えているものが居る事を。
それに、他の人間に事情を知られたくないというメリーベルの気持ちも汲み取っているつもりだった。メリーベルはそんな夏流の横顔に切なげに視線を伏せる。
「わ、わかった……。ニーチャンが言うんなら、問題ないだろ。先いってるから、早く追いつけよ!」
「わかってるよ、団長」
ブレイドはグリーヴァを一瞥し走り去って行く。最早少年の姿は眼中に無いのか、グリーヴァは低く笑い続けながらただ二人だけを見詰めていた。
少年が完全に走り去ると、夏流は拳を構えて前に出る。グリーヴァはその様子に眉を潜め、問い掛けた。
「全く君というやつは……。僕ら兄妹に気でも使ったつもりかい?」
「かもしれないな……。邪魔をするって言うなら相手になるぜ、グリーヴァ。仲間がピンチで急いでるんだ。今度こそ息の根を止めてやる」
「息の根を止める……? 君如き存在が? この僕のっ?」
途端、狂ったように笑い声を上げるグリーヴァ。その奇妙な声は充分嫌悪感と恐怖を植えつけるのに値する。変わり果てた兄の異様な挙動にメリーベルは思わず後退した。
「おかしなことを言うんだね、救世主……! 僕は! 不老不死の法を手に入れたんだっ!! 死ぬことの無い僕を、君如きが殺せるわけがないじゃあないかっ!!」
「グリーヴァ……?」
「さあ……メル。やっと君を呪いから解放してあげられるんだよ……? 僕と一緒に行こう……? 君に永遠の命をプレゼントしたいんだよ、メル」
優しげな微笑を浮かべメリーベルへと手を伸ばし歩み寄るグリーヴァ。しかしメリーベルは首を横に振りながら後退し、そっと夏流の影に隠れた。
それがグリーヴァにとっては許しがたい事だった。途端に形相を浮かべ、血が滲むほどに拳を握り締める。
「メル……! どうして逃げるんだい!? 全ては君の為にやってきたことじゃあないかっ!? 君を呪いから解放するために無数の命を削り、捧げ、潰し、汚し、魂さえ塗り潰してようやく手に入れた不老不死の法だというのに……っ!! どうして君は僕を受け入れないんだっ!?」
「……兄さん…………」
「……やめろ。どうして僕をそんな目で見るんだ……? 僕は君の兄なんだぞ? 君を助けるために研究を重ねてきたんじゃないか……」
震えながら手を伸ばすグリーヴァ。その二人の間に割って入り、夏流は兄の腕を掴んで捻り上げる。
「どうしちまったんだグリーヴァ!? あんた、ちょっとおかしいぞ!?」
夏流の記憶の中にあるグリーヴァはこれほどまでに狂った男ではなかった。確かに残酷な男ではあったが、もっと理知的な男であった。一度は命を救われた事もある、恩人だ。その背中に礼を言った事は忘れてはいない。
グリーヴァは話せば言葉の伝わる男だった。故に次に会った時は戦うだけではなく話し合い、呪いの解除について聞き出せるのではないかと夏流は考えていた。しかし――。以前彼が出会ったのが今のグリーヴァであったのならば、そんな希望はきっと抱かなかったであろう。
「放せ……」
男が小さく呟く。夏流が手を放すと、グリーヴァは身体を揺らしながらふらりと仰け反った。
「メル……。呪いを解くんだ……。君は不老不死になって……そして、僕は罪から解き放たれるんだ……」
「兄さん……もう止めてっ!! あたし、そんな事望んでない! 望んでないよっ!!」
「うるさああああいいっ!! メルは……この僕が助けるんだあっ!!」
頭を抱えて叫ぶグリーヴァ。その全身から漆黒の魔力があふれ出し、渦を巻いて行く。その光景に見覚えのあった夏流はメリーベルを抱いて後方へと跳躍した。
「下がってろメリーベル! あれは――マリシアの……っ!」
雄叫びと共に光に包まれるグリーヴァ。光はやがて卵のような形を形成し、グリーヴァを内部に取り込んで静まり返る。その奇妙な静寂の最中、夏流は確かに感じ取っていた。
黒い卵の内側、恐ろしい力を持った存在が蠢いている。グリーヴァという肉を食らい、何かが生まれようとしている――。その予感は直ぐに現実の物となった。
亀裂が入る卵。ぴしりと音を立て、それは滑稽なまでにあっさりと砕けて行く。卵の内側から黒く血に塗れた腕が伸び、殻を破って現れたのは人の形をした魔物だった。
黒い肉に異形の姿――。二足歩行の形態を取ってはいるものの、姿は限りなく魔物そのものに近づいている。黒い翼を広げ、かつて錬金術師だった男は頭を抱えて咆哮する。
「にい……さん?」
「なん、だ……あれは……っ!? マリシア、なのか……!?」
「多分、違う……。あれが……兄さんが辿り着いた力の答えなの……?」
異形の存在が瞳を開く。金色の獣のような瞳が二人を捉えた。三つに増えた目はぎょろりと周囲を見渡し、首を捻り、音を鳴らしながら白い息を吐き出す。
獣――。いや、魔物と言う言葉が似合う怪物。生まれたばかり、羊水のような血の海に浸っていた翼をゆっくりと羽ばたかせ、グリーヴァだった者は声を上げる。
『さあ、メル……帰ろう。僕たちの家に……。君がまだ、あの白いベッドに囚われていた日々に……』
夏流は無言でメリーベルの前に立つ。黒い魔物は腕を伸ばし、小首を傾げて夏流を見る。
『君は邪魔なんだよ救世主。そこに居ていいのは僕だけだ。そう――メルを守るのは、僕の役目なんだっ!!』
羽ばたきと共に風を斬り襲い掛かるグリーヴァ。その拳が夏流の放った拳と正面から衝突し、電撃が迸る。
「あんたがどういうつもりでメリーベルに会いに来たのかは知らない……っ! だが、そんなバケモノにまで身を窶したあんたにっ!! 仲間は渡せないっ!!」
『メルは僕の物だ……っ!! メルは……! メルを救うのは、僕でなければならないんだあああああああああっ!!』
「兄さん止めてっ!! グリーヴァ兄さんっ!!」
メリーベルの叫び声は兄には届かない。魔物の放った魔力の塊と夏流のレーヴァテインが正面から激突し、争いの火蓋が切って落された――。