忘らるる日(2)
冬香の存在が自分の中で余りにも大きくなっていたのだと気づいたのは、地元から遠く離れた地の高校に一人で通うようになってからだった。
当時の俺は、ただ兎に角早く一人前になりたくて焦っていた。中学生という義務教育が終わる頃、自分も早く何とか一人立ちできるようになりたかったのかもしれない。
俺は、冬香に余りにも頼りすぎていた。彼女は才能に溢れ、あらゆる意味で俺よりも出来た子供だった。両親の関心も次第に彼女に向けられていき、そして俺はその呪縛から解放された。
冬香に熱心に教育を施す両親と、それを快く思わない冬香。きっと俺の存在意義を奪ってしまったかのようなそんな罪悪感に苛まれていたに違いない。
だが当の俺は清々した気持ちだった。これでようやく、この街に、この屋敷に、囚われた生活が終わる。冬香とは、いつか別れの時がやってくる。俺も彼女も一人の人間であり、別々の存在なのだから、いずれは別々の道を歩み出す。
だから、というわけではなかったが、兎に角その頃の俺は一刻も早く一人前に成りたかったのだ。あれからまだ経ったの二年程度だというのに、当時の気持ちは自分でもよく判らない。多分……そういうものだろう。
街を飛び出し、一人で生きるようになり、師範の家で厄介になり、身体を鍛え、勉強し、部活に打ち込み、所謂充実した高校生活を送った。
しかし……心のどこかで、離れ離れになってしまった、置いてきぼりにしてしまった妹の事が、脳裏から離れなかった。
でも、彼女は暇がある時師範の家に遊びにやって来た。その時は別に、なんてことはなかった。俺には普通にしか見えなかった。だから全く気づかなかった。二年もの歳月をかけて、彼女がゆっくりと壊れて行っていた事に。
誰にも心を開かなくなった冬香。笑わなくなった冬香。俺の前では普通だった冬香。冷たくなって行く想い、重力を増して行く身体、取り戻せない時間……。突き放し、強引に一人を選んだのは、俺の方だ。
自分はずっと彼女の傍には居られないと考えていた。当然の事だ。居てはならない――否、俺がそれに耐えられそうになかった。
何故なら、俺は彼女の事が好きだったから。彼女の事を愛していたから。双子の妹であり、限りなく自分に近い存在を、俺は愛してしまっていた。
愛なんて語れるほど真っ直ぐに誰かを好きになったことなんかない。でも、俺は冬香が好きだった。少なくとも、それが危険であると認識し、離れなければならないと行動に移すくらいには――。
その結果、彼女は壊れて行った。俺の知っていた冬香は居なくなった。自殺したという連絡が寄越された時、俺はどんな顔をしていただろう。
俺が殺したも同然だ。忘れていいはずがない。俺が殺したも同然なのだ。そう思っていた。でも、違うのか? 彼女を殺したのは、俺ではないのか?
安心するわけにはいかない。そんな権利は持たない。だが、彼女が自殺ではなかった事に安堵している自分が居るのもまた事実――。
だが、犯人が居るのならば、それは殺さねばならない。何故なら冬香は死んだのだから。それだというのに殺した犯人が生きているのは、不自然というものだろう――。
「…………俺のやるべき事、か」
秋斗は間違って居ない。恐らく迷っているのは俺の方で、間違えているのも俺の方だ。
何かを信じ、それを貫き通せる強さを秋斗は持っている。でも、俺は何も信じられない。この世界も俺自身も、冬香も秋斗さえも。
だったら確かな事を一つずつ行って行くしかない。信じられないのならば、信じられるものを探り当てなければならない。
雪の降る景色に背を向け、溜息を漏らす。犯人がいるのならば、『空白の日』を望んでいるのならば、その日が来るまで俺は戦う。
戦って――そしてどうなる。その先は、意図して考えようとはしなかった。
⇒忘らるる日(2)
「……出来た、っと」
長時間向かい合っていた作業台の上に両腕を投げ出し、背筋を伸ばす。昼も夜も作業に取り掛かっていた為、すっかり身体が凝り固まってしまっていた。
作業を終えたメリーベル・テオドランドは深々と息を吸い、ゆっくりと吐き出す。身体の中に溜まっていた疲労が排出されるような、そんな錯覚を覚える。
椅子を引き、窓辺に移動する。カーテンを開くと太陽の光が差し込んできた。眩しいそれに目を細め、それからカーテンを閉じる。
作業台の上に乗せられていたのは夏流の手甲、神威双対であった。しかしそれは既に大幅な改良が施され、新たに施された無数の紋章が輝きを放っている。
本城夏流が彼女に武器の改造を依頼したのは、ディアノイア攻防戦の後の事であった。預かってから既に一週間、自分にしては時間をかけすぎた物だと少女は首を鳴らす。
何せ世界は一時の平和の中にある。戦乱も今は息を潜め、文字通り裏方で様々なやり取りが交錯していることだろう。だが、結局表の事情にしか関係のない彼女にとって今の世界は平和そのものだった。
机の上にある薬瓶の蓋を開け、中身の液体を一気に飲み干す。美味とはお世辞にも言えない薬品は身体に染み渡り、呪いを抑制する事だろう。ゲルトには大量に持たせた物の、無事にやっているのかは心配だった。
部屋の中に閉じこもっているのは嫌いではなかったが、今は光を浴びたい気分だった。何より彼の――救世主の喜ぶ顔が見たかった。専用の鞄に武器を収め、扉を開け放ち裏路地に出る。
既に昼下がりである事にメリーベルはそこでようやく気づいた。遥か遠く、通りを行き交う人の多さは午後のそれである。人気が多いのは好きではなかったが、仕方がないと割り切った。
眩しい日差しの中を歩く。しかし今日はそこまでいい天気というわけではない。ただ、メリーベルが日の光を浴びるのが久しぶりだったというだけの事。
目指す場所はディアノイア。夏流はディアノイアの変形以降、ずっと学園に滞在している。文字通り様々な動きがあった学園だが、ようやく人々はそれにも慣れ様としはじめていた。
戦闘中以外はシャングリラの町が大きく変化する事も無く、避難誘導も今は疎通し始めている。壊された街が数日で元通りになる事は無かったが、人々は手を取り合い、被害と向き合っていた。生徒の協力もあり、街が元通りになるのはそう遠い日のことではないだろう。
学園へと辿り着いたメリーベルの視界に入ってきたのは八と話をするブレイドだった。流石に知り合いを無視するのもどうかと思い、しかし声をかけるのも億劫。その場に立ち暫く考え込んでいると、彼女を見つけたブレイドが声をあげた。
「いよっ! ネコのネーチャン!」
「……いよっ」
一応同じように挨拶をしてみる。ブレイドは苦笑を浮かべていた。
「学園に来るなんて珍しいじゃん? どうかしたの?」
「ん……夏流に頼まれていた武器が出来たから、渡しに来た。夏流は?」
「あー、残念、擦れ違ったかな? ニーチャンなら今は北方大陸に行ってるはずだよ」
「北方大陸?」
予想していなかった行き先に困惑するメリーベル。そんなメリーベルの背後に立ち、八が両肩に手を乗せて笑った。
「救世主の旦那は色々忙しいんでさぁ。どれ、ここは一つあっしがその品物を預かりやしょうか?」
「……遠慮しとく。盗まれそうだし……あとセクハラ」
「おや、こいつぁ失敬。いやしかし、あのメフィス・テオドランドの娘さんとは思えない綺麗な娘さんだ」
「……知り合いなの?」
「こう見えても、第一次勇者部隊のメンバーでやしたからねえ。お父上は元気ですかい?」
メフィス・テオドランド――。テオドランド家の当主であり、錬金術の権威であり、そしてメリーベルの父親でもある。
現在は魔術教会の所在地でもある交易都市ティパンに住み、研究を続けている父。メフィスとは、もう何年も顔をあわせてはいなかった。故に現住所は不明だが、彼の性格を考慮すれば巨大な図書館があるティパンを離れるとは考え難かった。
メフィスは勇者部隊のメンバーに様々な武器を提供したという。ゲルトの持つ魔剣フレグランスを始め、彼が生み出した特殊武装は数え切れない。そんな男でさえ『これ以上のものは人には作れない』と言わしめたのが、かの聖剣リインフォースであった。
偉大なる父の技術を確かに受け継いだメリーベルではあったが、父とは折り合いが悪く、既に勘当を食らってから長い。父親が元気かどうかは判らないが、恐らくは元気でやっているのだろう。そんな返答をした。
「まぁ、お嬢さんはお嬢さんで色々ありそうですしねえ……。ま、あっしはそろそろ放浪の旅に戻りやすから、そんな怖い顔をしなくとも大丈夫でさぁ」
あまり訊ねられたくない事を訊ねられた所為か、メリーベルの表情は険しかった。八は低く笑い声を上げ、二人に背を向ける。
「八、もうどっかいっちゃうのか?」
「ええ。方々に散った、亡き団長の財宝を集めるのを一先ずの目標に活動中ですわ。聖騎士団が足踏みしている今、魔物を討伐するのもあっしらの役目ですし」
「そっか……。なあ八、今度はいつ来るんだ?」
「さて、それはどうでしょうねえ。あっしらは所詮根無し草……。まあ、縁があればまた直ぐにでも、という事でしょうか。坊ちゃんもどうかお元気で」
「ああ、それは任せとけ! せいぜいヘマして死んだりすんなよ、八」
八はブレイドとメリーベルに一礼し、その場を去って行く。学園へと続く坂道を下って行くその背中が見えなくなると、ブレイドは顔を上げた。
「んで、ニーチャンは留守だけどどうすんだ?」
「それより、夏流はどうして北方大陸に?」
「んー、これ言っちゃっていいのかな? まあいっか。ニーチャン、シュートとかいう友達の所に行ったみたいだぜ」
「……それ、もしかして……」
「ああ。もう一人の救世主、とか言ってたやつかな? なんでも友達らしいけど……ネーチャン?」
何故、夏流は武器も持たずに出かけたのだろう。もう少し急いで仕上げればよかった……そんな風に後悔する。
しかし、今更想っても遅すぎる。夏流は誰もつけずに一人で行ってしまった。勿論、誰にも話してはいないだろう。リリアもゲルトも今は大事な時期……一人で戦わねばならないと考えているのだ。
「そんな深刻そうな顔してどうしたんだよ? ちょっとやそっとじゃあのニーチャンはくたばんねーと思うぜ?」
「……その夏流の武器がここにあるんだけど」
「へえ、武器が……ほっ!? まさか、丸腰で出かけたのか!?」
二人して顔を見合わせる。まさかの緊急事態である。今更慌てても意味はないのだが、送り出してしまったブレイドとしては少々混乱するのは無理もない。
「いや、まさかそんなことになってるとは思わなかったぜ……。来るなって言われたから大人しく付いていかなかったけど、多少強引にでもついていくべきだったな……」
「夏流がどこに向かったのか、わかる?」
「それはちょっと……。まあ、北方大陸で機能している都市っていうと大分限られると思うけど……。どっかの街で待ち合わせ、見たいな事は言ってたかな……って、ちょっとちょっと!? まさか、追っかけるつもりか!?」
話を聞くなり踵を返すメリーベル。ブレイドが呼び止めると、首だけ振り返って少女は頷いた。
「いやいや、え!? いや、そんな危ない事にはなってないだろ……た、たぶん……」
「シュートはフェンリルとも通じてるのに?」
「……いやあ、それを言われるともうぐうの音も出ないけどさ……。ああもう、わかったよ! おいらも一緒に行く! それでいいだろ?」
「別に一人でもいいけど」
「前衛じゃないネーチャン一人じゃ北方大陸は危ないって。治安こっちよりも大分悪いんだから……。確か、今からならオルヴェンブルムに行く列車があるはずだから、一先ずそこまで行こう」
そういってメリーベルの前を歩き出すブレイド。メリーベルもまた、その背中を追いかけて歩き出した。
「ふう……っ」
大きく溜息を漏らし、ベッドの上に横たわるリリア。
日が暮れ、一日が終わる。そうしてようやく一人になる事が出来た。傍には必ず誰かがいる生活がもうずっと続いている。
夜寝る間も傍にはゲルトが居て警護に付くというサイクルが繰り返されて、もうじきゲルトもやってくるだろう。だからこの僅かな時間だけが、ゆっくりと一人で考え事の出来る時間だった。
天蓋の付いた大きなベッドはかつての女王、マリアが使っていた物でもある。一人で寝そべるには余りにも大きすぎるベッドの上、思うのは母のことだった。
マリアは自分たちの為に命を投げ出したと言っても過言ではない――そう、リリアは考えていた。砕け散ったマリアの身体を見た時の怒りと悲しみは、今でも夢に出てくるほどに鮮明に焼きついている。
大聖堂を憎む気持ち、マリアを失ったという事実……。複雑な気持ちは少しずつリリアの身体でリアリティを帯び、長年求めていた母を失ったという事実に悲しみがこみ上げる。
もっと沢山の事を話したかった。もっと触れたかった。しかし現実は彼女の身体を石として砕き、棺には身体の半分もまともな状態では納められなかった。
償い――。その気持ちが何よりも強かった。自分が強くなり、女王となる事をマリアは望んでいたはずだから。そして自分が立派に国を纏め上げれば……きっと、夏流も安心出来る。
異世界の人間だという夏流を突き放してしまった日からもう何日か時間が経過している。突き放したといっても、それほど大した事はしていない。だが、女王として名乗りを上げた事が既に、彼に対する拒絶の意味を持っていたのかもしれない。
目を閉じ、額に手を当てる。疲れているのは当たり前、この疲労と向き合っていかねばならない。この、複雑な心境とも……。
戦争は直ぐにでも始まるだろう。平和は長くは持たない。人々の平穏を奪ってしまったのは、大聖堂の存在をはじき出してしまったのは、リリア本人なのだ。ならば、その責任は取らねばならない。
女王となり、勇者となり、世界を救う……。出来るのだろうか? この国を守れるだろうか? だが、他にやれる人間はいないのだ。どうしようもないことだった。
「アリアちゃんとも、仲良くならなきゃいけないのになあ……」
母の死を知ったアリアはもうずっと塞ぎこんでいた。世話はエアリオが引き受けてくれているものの、リリアが女王となる事をアリアは快く思わなかった。
「お姉ちゃんなのになあ……」
横になり、膝を抱える。寒くはなかった。だが、どこか冷たい。それが寂しいからだという事に気づき、もっと寂しくなった。
「マリア様は……リリアをどうしたかったんだろう。お父さんは……リリアを、どうして……」
呟きと同時に扉が開き、ゲルトが姿を見せた。赤いマントを揺らしながらリリアのベッドの傍に立ち、薄暗闇の中のリリアを見詰める。
「……お疲れのようですね、陛下」
「陛下ゆーな! 二人の時は『リリア』でいいじゃん!」
「そうでしたね。いえ、つい……」
ベッドに腰を下ろし、ゲルトは振り返る。リリアは枕元に座ったまま、膝を抱えて俯いていた。
「…………大丈夫ですか?」
「うん、平気。ごめんね、なんか心配かけちゃって」
「いえ、心配くらいはさせてください。他に貴方にして上げられる事など、そう多くはありませんから」
「そんな事は無いよ! ゲルトちゃんがいてくれて凄く助かってるもん。きっとリリア一人じゃ、どうしようもなかった」
リリアが明るく微笑みかけるとゲルトは照れくさそうに笑った。二人はどちらからとも無く、シーツの上で手を重ねる。
「本当に、良かったのですか? ナツルと離れ離れになって」
「……んー、何故にここで夏流さんの名前が出ますかね、ゲルトちゃん」
「い、いえ……。ただ、リリアは……ナツルに好意を寄せているのでしょう?」
「ん、そうだね。夏流の事は大好きだよ」
「では、リア・テイルに招いた方が……」
「それは駄目」
はっきりとした口調で断り、そしてリリアは寂しげに笑う。
「夏流はね、いつかは故郷に帰っちゃうんだって」
「……故郷?」
「でもね、リリアが駄目駄目なままだと、安心して帰れないでしょ? この国が不安定なままじゃ、夏流は帰れないの。だから、夏流が笑って、安心して帰れるように……私が頑張らなきゃ」
「…………ナツルの事が、好きなのに……ですか?」
「好きだからこそ、だよ。夏流は帰らなきゃならないから。だから、リリアが頑張るの」
「リリア……」
思わずリリアを強く抱きしめてしまったゲルト。少々驚いた様子であったが、リリアもそっとゲルトの背に手を回す。
「リリア……貴方という人はっ」
「な、なんでゲルトちゃんが泣いてるの!?」
「貴方が泣かないから……わたしが泣いてるんですよぉう……!」
「そ、そういわれてもなあ……。よしよし、いい子いい子」
ゲルトの頭を優しく撫でるリリア。しばらくすると落ち着いたのか、鼻をすすりながら立ち上がり、ゲルトは剣を手にする。
「リリアの為にも、もっともっと強くならねば……っ!」
「えーと、熱血しているところ悪いんだけど、室内であんまり魔剣振り回さないでね……?」
二人がそうして室内で騒いでいると、突然部屋の扉を叩く音が聞こえた。ゲルトが一瞬で態度を切り替え、騎士の顔になって問い掛ける。
「何事ですか?」
「マルドゥーク・アトラミリアです。失礼します」
扉を開き、部屋に入ってきたマルドゥークの表情は険しい。何かの緊急事態であることを察し、リリアはベッドを降りた。
「どうしたの? マルドゥークさん」
「お休みの所大変申し訳ございません陛下。まずは非礼をお詫び致します」
「いいよそういうのは。どうせゲルトちゃんといちゃいちゃしてただけだし」
「いちゃ……!? そ、それで何が起きたんですか?」
「……ええ。それが、にわかには信じられないことなのですが……」
歯切り悪く口元に手を当てるマルドゥーク。リリアがじっと見詰めると、マルドゥークは気を取り直して話を進めた。
「――――先ほど、『魔王』を名乗る人物が突如として城内に現れたのです。数名の騎士を付け、今は客間に通してあります」
「魔王……?」
互いに顔を見合わせるリリアとゲルト。魔王、そんなものはもうこの世界には存在しないはずであった。何故ならば魔王ロギアは既に神剣フェイム・リア・フォースに取り込まれ形ない存在となっているのだから。
「魔王、ね……。解った、直ぐに着替えて向かうから、その人には無礼を働かないように」
「客人として相手をするおつもりですか?」
「正々堂々訊ねてきたのだから、こちらが慌てる必要は一切ありません。通常通りの対応を願います」
「……御心のままに」
頭を下げ、マルドゥークは部屋を後にする。不安そうな表情のゲルトが振り返り、リリアは余裕の笑顔でそれに応えた。
「着替え、持ってきてくれるかな?」
「リリア……良いのですか?」
「問題ないよ。魔王だろうがなんだろうが――私はクィリアダリアの女王なんだから」
ゲルトの用意した女王の装束に着替え、片手に神剣を携えて歩き出す。長い回廊を歩きながら髪を纏めるリリアの傍ら、不安を隠せないままのゲルトが並んで歩く。
客間の扉を自らの両手で開け放ったリリアの視界に飛び込んできたのは、銀色の髪を持つ少年だった。歳の瀬はリリアよりも五つは下に見える。
アリアと同程度の年齢の少年が、魔王を名乗る人物なのか。見れば左右には護衛と思しき人物が少年を守るように立ち、その中には見覚えのある顔もあった。
「……成る程。突然城内に現れたのは貴方の所為ですか? グリーヴァ」
不敵な笑みを浮かべながら仰々しく頭を下げるグリーヴァ。顔を上げた男は目を細め、静かに答える。
「流石は勇者王リリア・ウトピシュトナ様ですね。僕の事もご存知のようだ」
「以前、この城の中に転送魔法の術式を刻んだそうですね。放置したつもりはありませんでしたが、一度消滅しても復活する類のものでしたか」
「お察しの通りでございます。ですが、今は我らの主と話を進めて頂きたい」
「――それもそうだな。して、貴方が?」
椅子に座りながらリリアが問い掛ける先、少年は頷いた。そうして何の感情も浮かべないような冷めた視線をリリアに向け、しかし直後には無邪気に笑ってみせる。
「お初御目にかかる、勇者王。余がザックブルムの王――。二代目魔王、レプレキアである」
「……失礼。私の聞き間違えかも知れませんが、貴方は今こう仰りましたか? 『自分は魔王である』、と――」
「その通りだ、勇者王。余は魔王……。貴殿の国に滅ぼされた亡国、ザックブルムの正当なる継承者である」
不敵な笑みを湛え、呟くレプレキア。その威厳のある口調にリリアもまた、微笑で返す。
「して、ご用件は?」
「単純な事だ――。一つだけ忠告に赴いた次第」
「忠告とは?」
「余がこれから起こす『終末の戦争』を、黙って見ていろと言う、良心的な忠告だ――」
レプレキアの言葉に衝撃が走る。戸惑いに包まれる客間の中、リリアは一人覚めた瞳でレプレキアを見詰めていた。