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虚幻のディアノイア  作者: 神宮寺飛鳥
第一章『二人の勇者』
7/126

特訓の日(3)

別に、この世界を救う救世主になりたかったわけじゃない。

別に、なりたくて勇者になったわけでもなければ、仕方が無くここに居るわけでもない。

リリア・ライトフィールドの脳内を交錯する無数の思考。深く吐き出した息は自分で思うよりもずっと熱く、痛みを帯びて震わせる。

手にした剣は重く、振り上げる事さえ困難だった。それは何よりも己の努力不足なのだから仕方が無いのだが、今だけは鎖で頑丈に封印された聖剣を恨まずには居られなかった。

父であり先代の勇者である男、フェイト・ライトフィールドがたった一つ娘に残した遺品にして伝説の武具、聖剣リインフォース。本来ならばあらゆる災厄を両断し、一度は世界を救った剣も彼女の呼びかけに応える事はなかった。

闘技場に立つと己で決めた以上、傷つく事も傷付ける事も覚悟しなければならない。そんな事は夏流に言われずともとっくに気づいていた。自分のしている事が問題を先送りにしているだけだという事も、ただ受身になって未来を『諦められるとき』を待っているだけだという事も。

だけど、そう。なりたくて勇者になったわけではない。本当は普通の女の子でよかった。勇者なんて人種に、ロクな人間がいるはずもない。リリアはそう昔からずっと考えてきた。

救国の英雄。世界を守った勇者。百万の祝杯と勝利の美酒がその存在に浴びせられた所で、一人の勇者はたった一人の妻も、娘も、故郷も守る事は出来なかったのだから。

今でも鮮明に思い出せる己の中にある過去。旅に出た父親は、棺桶の中に入って帰郷を果たした。その時の景色を、リリアは今でも覚えている。

レンガ敷きのグランドに剣を逆手に突き刺して立ち上がる。本来ならば誰の目から見てもそれは無謀な試合だった。いや、最早それは試合ですらなく、一方的な暴力に過ぎない。

自分自身に問い掛ける。何故この舞台に上がったのか? 勇者という肩書きが齎す様々な悲しみを、否定していたのではないのか?


「……決めた、から」


メリーベル・テオドランドは未だ遠く、彼女の声は既にリリアには届かない。

だが、その風の向こう側から聞こえる確かな相手の心遣いにリリアは微笑みさえ浮かべ、それから強い眼差しでメリーベルを見つめ返す。

そう、例えこの手足がばらばらに吹き飛んだとしても、逃げられない理由がある――。

リリア・ライトフィールド対メリーベル・テオドランド。最弱の称号を欲しいままにする二人の決闘は、誰も予想しなかった状況を迎えようとしていた。



⇒特訓の日(3)



リリアとメリーベルの決闘が予定される日。夏流は一人闘技場の観客席、その最前列に座っていた。

自分で戦うようにと言い出したくせに、少年の心は今不安で一杯だった。余りにも早く入場してしまったせいで、まだ客席は半分も埋まる様子がない。


「不安になりましたか?」


夏流の隣、人の姿に変化したナナシの姿があった。シルクハットの紳士は口元に手を当て、夏流に微笑みかける。

それは最早言葉で答える必要もないほどシンプルなこと。今はまだ誰もいないフィールドを眺めては複雑な心境を何度も脳内で繰り返していた。

あの日以来、リリアには会っていない。夜の帰り道、リリアが一瞬見せた寂しげな表情の意味……それが今になって彼を不安に陥らせる。

メリーベル・クラークの『棄権』の意味。リリア・ライトフィールドの『棄権』の意味。それをきちんと理解しないままあれだけの啖呵を切ってしまったのは何故なのか。

だが確かにあれでよかったのだとナナシは彼に語りかけた。きっかけはいつだって主人公を突き動かすのに必要になるものだから。つまり誰かが必ず背中を押してあげる必要があった。

他人と正面から向き合わずにズレた生き方をしてきたリリアにとって、夏流の言葉は始めて正面から向けられた誰かの熱い気持ちだった。それが心の中に燻っていた彼女の中の何かに火をつけたのならば、決して無意味などではない。

それでも不安になってしまうのは普段のリリアの弱弱しい素顔を夏流が知ってしまったから。何も知らない、リリアを理解していない夏流がまだ同じ席に座っていたのだとしたら、今ほど悩んだりはしなかったであろう。


「……リリアは、勇者になりたくなかったんじゃないかな」


夏流の呟きにナナシは苦笑を浮かべる。それはもう『なりたかったかどうか』なんて問題ではない。『そういう世界』に生まれ、『そういう役割』を持たされた。

わかっている。そういうものなのだ。そのために存在するのだ。だとしても、いや、だとしたならば、何故……。


「冬香は、あいつにそんな運命を課したのか……」


口元に手をあて、思考する夏流。その肩を叩き、ナナシは首を横に振った。


「貴方が今考えてもそれは答えの出ない事です。貴方はリリア・ライトフィールド……勇者を表舞台に引っ張り出した。今はそれだけで良いではないですか」


気を使っての言葉ではない。勿論嘘でもなければ、それはただ真実を指し示しただけの言葉に過ぎない。だが、夏流は後悔していた。もっとリリアの話をちゃんと聞いておけばよかった、と。

相変わらず原書にはぼやけた絵と文章しか浮かび上がっていない。だが夏流が危惧した通り、そこにはうっすらと不気味な絵が浮かび上がろうとしている。

その結果へと世界を近づけている行動がもしも自分によるものなのだとしたら――。そこで、少年は思考を閉ざした。


「……そうだな。確かに今、俺がうだうだ考えてもどうにもなることじゃない」


今はただ、リリアをちゃんと見ていてあげよう。

負けてしまってもかまわない。ちゃんとこの場所に出てくるのだと決めただけで、大きな一歩なのだから。

だから……無理はするな。そんな言葉を心の中で繰り返す。冷や汗が零れ落ち、自分が思いのほかリリアに肩入れしている事実を知る。

ナナシは肩を竦める。夏流はそれを見てみぬフリをしてやり過ごした。少し、気持ちが浮いている。落ち着かない。これは少々、冷静さに欠ける状況だろう。

そんな時、夏流の隣に一人の少年が腰掛けた。少年……アクセル・スキッドの姿があった。二人は待ち合わせをし、事前にこの席を予約していた。

遅れてやってきた……否、時間通りにやってきたアクセルは夏流の落ち着かない様子を見て肩を叩き、苦笑を浮かべる。


「今からお前がそんなにビビっててどうすんだよ? ほれ、もうちょっとシャキっとしろい!」


「あ、ああ……悪い。いや、だって……あのリリアだぞ? リリア、剣も振れないっていうのに……一体どうするつもりなんだ」


「そうかい? 別に勝つ手段は剣を振るだけじゃないさ。ま、勝っても負けてもリリアちゃんにとっては大きな前進だ。俺たちが口を挟むことじゃない」


「いいのか? お前、リリアに気があるんだろ? 怪我したりしたら……」


「好きだからこそ、信じてるんだよ。あの子は周囲に笑われて、駄目駄目で、しょっちゅう転んで泣いて、不幸で……でもよ、まだこの街に居る。あの子がこの街に自分の意思で居る意味を、俺は信じてみたいんだ」


アクセルの言葉に夏流の両肩に重く圧し掛かっていた不安は少しだけ消え去った。確かにそう、アクセルの言う通り。好きだから傷ついて欲しくない……でも、それだけではない、もっと上の志がある。

夏流は僅かに驚嘆さえしていた。アクセルは調子に乗っているようで、自分よりずっとリリアを信じている。信じられる。それは、本当に彼女をよく見て想っているという証拠なのかもしれない。

試合開始時間が近づくにつれ人が集まり始める。闘技場での試合は一日に何度か連続で行われ、何組かの組み合わせが事前のスケジュールから割り出される。

今日一番の試合がリリアとメリーベルのものである以上、無名の二人の試合を見るために朝早くからこの場所に集まっている面子は少ない。結局客席は半分埋まらないまま、試合開始時間を迎えようとしていた。

シャングリラの一番の娯楽施設でもある闘技場が人で埋まらないのは珍しいケースだった。予想はしていたものの、アクセルも夏流も苦笑を浮かべる。


「ま、まあ……誰も期待してない試合なんだろ〜ねぇ〜……」


「確かに、わざわざあいつらの試合を見に来ているのは……俺とアクセルと……?」


そうして客席を見渡していた夏流はようやく気づいた。自分たちの座っている列より三つ後ろの列、誰も居ないその客席の中央部にぽつんと座る黒い剣を携えた少女の姿があることに。

アクセルもゆっくりと振り返り、二人は目を丸くした。そこに座っていたのはリリアの憧れの人、トップランカーのゲルト・シュヴァインだったのである。

二人は同時に前を見て同時に首を傾げた。何でゲルトがこんなところに? そう思うのは全く不思議な事ではない。無名の二人の試合をわざわざゲルトが観戦する理由……二人には全く検討もつかなかった。


「ナツル、ゲルトの知り合いなのかー?」


「んなわけないだろ……。なんで居るんだよ、しかも後ろに……」


「わたしが後ろの席に居ると、何か問題でもあるのですか?」


二人は同時に立ち上がり振り返る。二人のすぐ後ろに噂のゲルトの立つ姿があった。

リリアの着用している勇者のアーマークロークに近い形状の、しかし漆黒の衣服。長い黒髪に金色の髪飾り、背中には美しい装飾の施された漆黒の剣を携えている。

ゲルト・シュヴァイン。常にトップに立ち続ける学園のエリート。その彼女が何故この場所にいるのか、夏流もアクセルも全く知らなかった。


「ゲルト・シュヴァイン……」


「最近は名前ばかり勝手に一人歩きしてほとほと困り果てています。そういう貴方は?」


「本城夏流だ。そっちはアクセル・スキッド」


「ナツルにアクセル、ですか。始めまして」


「は、はじめまして……」


腕を組み、背後の席に腰掛けるゲルト。その眼差しは冷たく、何もして居ないというのに強烈な威圧感が在る。

会話は一方的に終了させられてしまった。アクセルも夏流も席につくしかない。しかし、背後からゲルトの強烈な視線をひしひしと感じる。


「な〜んか、ヤな席になっちまったな……」


「……は、ははは」


試合開始時間を迎える。結局ゲルトは何も言わず腕と足を組んだまま、ステージを無言で見つめていた。その視線が夏流の後姿を捉え、少女の唇は一度言葉を紡ぎそうになった。

いや、しかしそれは必要のないこと。全ては試合を見れば分かるのだから。ゲルトは夏流を意識しつつ、フィールドに視線を向けた。


『さぁ〜〜今日も始まりました! 英雄学園ディアノイア、ランキングバトル〜! 最早ここに居る人たちに説明は不要だとは思いますが、今日もわ〜たくし実況のマイクがルールを説明いたしましょう!!』


闘技場での戦いは基本的に何でもあり。武器も道具も使い放題で、要するに相手に己の全力のコンディションで勝利すればいいというだけの話である。

フィールドは特殊な結界を覆われており、透明な壁に覆われた空間で生徒たちは決闘を行う事になる。勝敗を決定するのは生徒の戦闘不能か、どちらかの降伏の二種類のみ。試合が終わるまでは決してフィールドを降りる事は出来ない。


『まあこんなのは説明しなくても皆分かってるでしょう! さて、本日一戦目のカードは……おっと? わたくし見慣れない生徒名に若干戸惑っておりますが、果たしてどんな試合になる事でしょう!? 第一回戦! リリア・ライトフィールド対メリーベル・テオドランド!! 両選手、ただ今入場です!!』


夏流とアクセルが息を呑む。暫くの間、全員がフィールドに注目するが、一向に二人が現れる気配が無い。

実況も停止してしまった。会場がざわつきはじめる。すると、ようやく片方の生徒、メリーベルがフィールドに姿を現した。

紅いマントで全身を覆い、足元には猫たちを引き連れている。その滑稽なスタイルに会場がざわめいた。


『なんでしょうか? 猫でしょうか、あれは? よく判らないが戦闘に使用するのか……っと、思いきや猫たちはここで退場だあ〜〜ッ! 何故出てきたのかよく判らないぞ〜〜ッ!!』


「め、メリーベル……」


「……随分変わったやつだなぁ。まあ俺が言えたセリフじゃねえけど」


そしてメリーベルは舞台に出てきたというのに、いつまで経ってもリリアの姿が出てこない。

再び会場がどよめきだした頃、慌てて飛び込んでくるリリアの姿があった。リリアが遅れてやってきた理由を推測するにも容易い、明らかなリリアの異変に夏流もアクセルも思わず立ち上がり身を乗り出した。


「り、リリアのやつ……なんだ、あの装備!?」


よろめきながら入ってきたリリアは普段から装備しているアーマークロークの上にローブを何枚も重ね着し、顔もマスクのようなもので覆っている。夏流はなんとなくその顔のマスクだけはメリーベルの薬品のにおいに対抗するものなのではないかと個人的に推察していた。

どこからどう見ても怪しい、フードの中から覗くマスクの少女。アクセルは爆笑し、夏流は両手を合わせて神に祈った。どうかこれ以上おかしな事になりませんように、と。


『ず、随分と重装備ですね……。さて、選手も揃った所で試合を開始したいと思います! わたくし、ジャッジも務めさせていただいておりますので皆さんどうぞよろしく! それでは早速、試合開始!!』


何だか投げやりな気がしたのは夏流だけではなかった。勿論この試合には誰も期待などしていないし注目もしていない、前座ですらない戦いだ。誰もがどうでもいいと思っているし、時間を潰すだけのものにすぎないだろう。

だがこの会場でフィールドに立った二人だけは全くそんな事は関係なかった。お互いに正面に向き合い、それから戦いに備える。


「――――あのぅ」


問い掛けたのはリリアだった。二人は近い距離、2メートル程の間をとって向かい合う。


「試合、受けてくれてありがとうございました」


「ん……まあ、構わない。たまにはこういうのも悪くない」


「はい。それで、あの……じゃあ」


「ん。全力で――」


紅いマントが投げ捨てられる。

メリーベルの短い茶髪が風に揺れ、マントの下、研究室で夏流とリリアが見た物とは全く異なる軽装が露になる。革のブーツに革の防具、両手には特殊な加工が施され、強力な魔力を帯びた手甲が強烈な存在感をリリアにアピールしていた。

会場がどよめいた。メリーベルは錬金術師である。そもそも、戦闘に向いているタイプではない。だがしかしその軽装と武具の様子、整え方、そして身のこなし……あらゆる点が証言していた。メリーベル・クラークは、格闘戦闘も出来る錬金術師なのだと。

構えも表情も、全て下位ランクのものとは思えない威圧感が在る。驚いていたのは夏流もアクセルもそうだったが、背後で腕を組んでいたゲルトも目を丸くする。


「おい、メリーベル……あいつ何者なんだ……」


メリーベルは指先をこきこきと鳴らし、軽く身体を動かしながらリリアを見つめる。

リリアもまた、メリーベルの意外な戦闘スタイルに完全に呆気に取られていたが、メリーベルが指先でリリアを示すと同時に気を取り直した。


「やるからには手は抜けないし、怪我をさせると思う。もし死んじゃっても、恨まないで」


「……は、……えっ!?」


リリアが返事をするよりも早く、メリーベルの拳がすぐ近くまで迫っていた。慌てて聖剣を掲げるが、ガードの上からリリアの小さな身体は後方に吹き飛ばされていた。

鳴り響いた重く激しい金属音はそれだけの威力が細い腕から繰り出された事を意味している。メリーベルのアームガンドレッドは淡く光沢する魔法文字を浮かべながら火花を散らす。


「――ルーン加工」


突然のゲルトの発言に二人は振り返る。


「彼女は錬金術師でしたよね。武器に特殊な魔術を付与する事で、武器そのものに高い攻撃能力を事前に与えて来ている」


吹き飛ばされたリリアは剣の重さに振り回され、あっさりとダウンしていた。そこへ一直線に駆けてくるメリーベルの追撃が入る。

倒れたままのリリアを蹴り上げ、フィールドの端、目には見えない壁に叩き付ける。その衝撃で既に意識朦朧となっているリリア目掛け、メリーベルは腰のベルトに挿された無数の試験管の内、紅いラベルのものを投げつけた。


「術式設置」


アクセルが身を乗り出していた。分かる人物にはわかっていた。いや、推測は難しいことではない。何せ相手は錬金術師。その瓶の中身など、容易に想像がつく――。


「擬似炎熱魔法」


メリーベルの唇が起動の術式を刻む。直後、瓶の内側に渦巻いていた魔力が炎の渦となり、リリアに襲い掛かった。

一瞬で発生した巨大な爆発。熱の暴風は術者であるメリーベルの指先さえ焦がすほど熱くフィールドを駆け抜ける。重い衝撃にコロシアム全体が震動していた。

そんな強力な術の前にリリアに出来る事など何もなかった。まるで人形にように軽々と吹き飛ばされ、フィールドの中央に向かって転がっていく。何の受身も取れず、頭から落下した少女は血だらけになって無様に倒れ、ピクリとも動かなかった。

血溜まりだけが残酷にレンガの網目を縫うように広がっていく。完全に会場は沈黙していた。メリーベルの強さにも驚きを隠せなかったが、だがしかし今の状況はそんな事を言っている場合ではない。

目の前で人間の……少女の命があっさりと奪われようとしている。試合になんて最初からならない。わかっていたのに。夏流は身を乗り出し、手摺を強く握り締めた。


「お、おい……リリア……?」


「…………まずいぞ。思い切り頭を打った……つーか、リリアちゃん……あんな強力な術式、防げるだけの魔力、持ってないんじゃ……」


アクセルの一言に夏流は我慢の限界を迎えた。幸いその場所は最前列。手摺を乗り越え、夏流はフィールドに飛び込もうとする。

そんな夏流の行動を制したのは何故かゲルト・シュヴァインであった。夏流の首元に剣を突きつけ、行動を阻害する。


「今入れば彼女は失格になります」


「そんな事言ってる場合じゃねえだろ!? メリーベルは本気だ! つーか、何であんな状態なのにまだ試合が続いているんだよ!?」


「落ち着けよナツル。終わってないのは――――まだ、リリアちゃんが諦めてないからだ」


静まり返った会場の中、立ち上がるリリアの姿があった。夏流は我が目を疑った。『立ち上がる』? 何故?

立ち上がれるような状態ではなかった。いや、そんな問題ではない。何故リリアは立ち上がったのか。勝因など、何もないというのに。

傷だらけの少女は剣を杖代わりに立ち上がる。重い剣を握り締める両手は震え、足取りは心許ない。それでも少女が立ち上がる事が出来た理由は二つある。

リリア・ライトフィールドという少女が唯一発動可能であり、そして得意分野でもある『回復魔法』。己に対してずっとそれをかけ続けていた少女の傷は、尋常ならざる速度で損傷と回復を繰り返していた。

焼け焦げた皮膚が、折れかけた骨が、それでも尚何とか活動する事を許してくれるのは、彼女が魔法により己を回復しているからに他ならない。頭から大量に流れていた血も傷が塞がったことで一応止める事が出来た。

しかし、痛みはそのまま彼女に襲い掛かる。涙が溢れて仕方が無かった。痛くて辛くて、それでもどうしても倒れたくなかった。それは、少女にとっても奇妙な感覚だった。

相手が全力で向かってきてくれるという事。そしてそれに諦めずに向かう事……それは戦いの中で何かを彼女に残したのかもしれない。メリーベルはリリアの前に立ち、瓶を手にして眉を潜める。


「恐ろしい根性……。諦めていても全然おかしくはないのに」


「え、へへへ……。ほ、本当は……三回くらい……意識、跳んだんだ……。で、でも……っ」


もう一つの理由が、観客席で今にも飛び出しそうな表情で自分を見つめてくれているから。


「……決めた、から」


全力で挑み、そして負けるならばいい。

だから、せめて最後の最後まで足掻こう。痛くても辛くても耐えよう。その為にここに来た。ただ、認識したかったのかもしれない。

自分の弱さと自分の甘さが呼んできた結果。そして……それでもそこに立つ事が出来るのかどうか。


「遠慮、せず……かかってきて、ください……ッ!! リリアは……逃げも、隠れもしませんからっ!!」


重い剣を両手で必死に掴み、構える。その満身創痍の姿は風が吹けば消し飛ぶ程弱弱しかった。だがしかし、誰もそれを倒せないような迫力があった。

メリーベルは返事もなく瓶を投げつける。今度は瓶の中から電撃が溢れ出し、リリアの身体を衝撃が襲う。

頭の中が真っ白になる直後、メリーベルの蹴りが脇腹に突き刺さる。吹き飛ばされたその身体にいくつも瓶が投げ込まれ、爆発と電撃の暴風がフィールドの内部で連続で炸裂する。

錬金術によって生み出した魔法瓶(マジックポッドは詠唱も魔力の消費も必要なく、無慈悲なまでに連続での発動を可能とする。リリアはその激しい痛みの中、しかしそれでもまだ生存していた。

何の防御能力も魔法も持たないリリアにとって、攻撃に耐える手段は一つだけ。普段から愛用している勇者のアーマークローク、そしてその上に重ね着した対魔法防御効果のあるローブたち。それらを用意した時点で、リリアはもうこんな試合内容になる事を推測していた。

勝つことは絶対に出来ない。傷付ける以前に刃を相手に届かせる事も出来ないのだから。ならばこの試合でリリアに出来る事、逃げないでいられる事があるとしたら、それはただ全てを受ける事に他ならない。

攻撃を避けられるほどの能力も防げるほどの能力もない。そんな少女がまだそこに立っていられるのは、単純な防具の性能だけではない事をアクセルとゲルトだけが理解していた。


「聖剣リインフォース……」


ゲルトの呟き。爆発の中で必死に耐えているリリアを守っているものの正体。それは彼女が正面に突き刺し、盾代わりにしている巨大な無骨な剣。


「魔法は物理的手段で防ぐ事は出来ない。でもリインフォースなら……リリアの身体を在る程度守ってくれるはず」


聖剣の力はなんら発動していなくとも、それそのものが強い力を帯びた存在。魔術的な攻撃は全てリインフォースが軽減する。

その上伝説の防具を仕立て直したリリアの鎧とローブの重ね着。どう見ても戦いには適さないその格好は、しかし守り続けるだけならばシンプルにそれ以上の手段がないほど上等だった。

勿論それはリリア自身の力ではない。聖剣と鎧、そしてローブ。ただ道具に頼っているだけの、何の事は無い弱者の行い。だがそれでも、リリアは逃げ出したくなかった。

爆風に吹き飛ばされ、壁に背中を強く打ち付ける。倒れた身体をメリーベルの拳が、足が打ちつける。無様にフィールドを転がりまわり、血を流し、震える足で立ち上がりながら回復魔法をかける。

一方的な暴力だった。しかしリリアは敗北を認めようとしない。血を吐きボロボロになりながらも立ち上がる。何度も何度も、何度でも。


「もういい、リリア!! 降参しろ!! おまえ……死んじまうだろうがっ!!」


夏流の叫び声が静まり返っていた闘技場に響き渡った。しかしリリアの耳には届いてはいない。

今リリアが見ている物は目の前の敵だけ。全力で自分の挑戦に応えてくれたメリーベルだけ。明らかに勝敗がついている戦いに、まだ付き合ってくれる優しい彼女の存在だけ。


「どうして……」


メリーベルはリリアを殴りながら瞳を揺らしていた。


「どうして、あなたは……そこまで」


剣ごと吹き飛ばす回し蹴り。リインフォースが空中をくるくると舞い、地面に突き刺さる。リリアはふらつく足取りで立ち上がり、それでも立ち上がり、メリーベルを見つめる。

その視線に気づけばメリーベルは完全に圧倒されていた。理解が出来ないものを正面から捉えたのなら、混乱しないはずがない。冷や汗が零れ落ち、ベルトに挿された瓶全てを両手に持つ。

投げ出される無数の瓶。その全てが無防備なリリアに命中すれば致命傷となるものばかり。そんな攻撃の嵐が降り注ぐより前、少女は走り出していた。

足取りは思いのほかしっかりしている。出来ない事はない。回復ばかり鍛えてきた。確かにそれ意外に出来る事は無い。武器も振れない未熟者。だが、それでも――。


「わあああああああああっ!!!!」


前に向かって思い切り跳んだ。

爆発を背景に、リリアはメリーベルにしがみ付く。そのまま二人は吹き飛び、大地の上を転がった。

直ぐに体勢を立て直し、メリーベルはリリアに馬乗りになって拳を振り上げた。しかし、それが振り下ろされる事はなかった。


『…………ど、どうした事でしょう? なんだか、試合が止まってしまいました……ん? あれ? どういう事でしょうか!?』


立ち上がったメリーベルは両手を挙げて降参のポーズを取っていた。見れば先ほどまでメリーベルの手足を覆っていた術式の光が今はすっかり息を潜めている。


「降参」


メリーベルのあっけなく放った一言に全員が沈黙した。


『……念の為、聞きなおしても宜しいですか?』


「うん。私、メリーベル・テオドランドは、降参します」


「「「 な、何ィ〜〜〜〜ッ!? 」」」


夏流もアクセルもゲルトも全員が叫んでいた。だがしかし、理由は明白だった。

メリーベルは錬金術師。身体はそれほど鍛えていないし元々体力もない。それを補っているのが自慢の特殊武装と擬似魔法発生アイテムなのである。魔法の瓶は弾薬切れ、両手足に強力な打撃能力を付与するルーン加工も、時間制限切れで既に効果を失ってしまった。


「この状態でリリアを倒せる方法が浮かばないので、負けでいいです」


あっさりとそれだけ言いのけ、メリーベルは倒れたままのリリアを抱き起こす。リリアは既に虚ろな目で肩で呼吸をし、意識があるのかないのか判らないような状態だった。

ふらふらしているその身体を背負い、そそくさとフィールドを後にするメリーベル。会場は異例の事態の連続に完全に置いてけぼりをくらっていた。


『えーと……なんだかよくわかりませんが、そういうことなので……だ、第一試合! 勝者、リリア・ライトフィールド!!』


ジャッジが名乗りを上げると同時に、会場中をブーイングの嵐が包み込んだ。

同時に駆け出した夏流は二人が消えて行った選手控え室に向かっていた。控え室に許可もなく飛び込むと、ベッドの上で倒れているリリアに駆け寄る。


「リリアッ!!」


その身体は所々焼け焦げ、本当にぼろぼろだった。防具が無かったら既に命はなかっただろうという程に。

しかし、リリアは安らかな表情で寝息を立てていた。見ればメリーベルは鞄から様々な薬品を取り出し、リリアの身体に塗りたくっている。


「心配ない。薬なら沢山持ってきたから」


「……そ、そうか……。死んだりしないんだよな?」


「当然。防具が良かったから、致命傷を与えられなかった。道具に頼ってるのはあたしも一緒だから、つべこべ言えないけど」


「そ、そうか……そうか、良かった……」


メリーベルの太鼓判に全身の気が抜けた夏流はその場に膝を着く。ベッドの上、眠っているリリアの手を握り締め、深々と溜息を漏らした。


「ったく……見ているこっちが死ぬかと思う試合だったよ……。でもメリーベル、あれでよかったのか?」


誰がどう見てもメリーベルの優勢は揺るがなかった。結局試合終了直後リリアは気を失って倒れてしまったのだ。あのままほうっておけばメリーベルの勝ちは揺るがなかった。

その当たり前の夏流の疑問にメリーベルは答えなかった。ただ薬を塗り、さらにそれを幾つか夏流に渡して鞄を手に取る。


「リリアは強かった。少なくともあたしはそう思っただけ。それ、用法用量を守ってお使いください」


「あ、ありがとう……って、もう行くのか?」


「こんな所にいるなら、研究していたほうが有意義。この間は言い返さなかったけど、あたしってそういう奴。人と話すより、試験管と話していた方が有意義」


メリーベルはあっけらかんとそんな事を言い放つ。夏流は苦笑を浮かべ、それから改めて頭を下げた。


「ありがとな。リリアとちゃんと全力で向き合ってくれて」


彼女は応えなかった。ただそのまま部屋を去っていく。それと入れ違いに入ってきたアクセルがベッドに駆け寄り、リリアの様子を見て溜息を漏らした。


「まじビビった〜……。でもリリアちゃん無事みたいで良かったぜ」


「ああ……。そういえば、ゲルトは?」


「試合終わったらそそくさと帰っちまったよ。いや、しかしホント……」


「ああ、疲れたな……」


二人は同時に溜息を漏らす。それにあわせ、リリアは寝返りを打って小さな声で寝言を呟いた。


「むにゃむにゃ……ごはん……」


その言葉に二人は同時に肩を竦める。

何はともあれ、そうして波乱万丈のリリア初バトルが終了したのであった……。


〜ディアノイア劇場〜


ナナシ「おや? ここは物語の舞台裏……ああ、確かに屋根裏部屋とも言いますね。ここに足を踏み入れたという事は、わざわざあとがきスペースに目を通しているお方とお見受けします。宜しければ原書をご覧になりますか? 貴方の知りたい世界の法が、そこで垣間見えるかも知れませんよ……」



〜設定資料集その1〜


*とりあえず能力とかが出ている人から優先で*


『本城 夏流』


読み方は『ほんじょうなつる』。年齢十七歳、高校二年生。新学期からは三年生になる。

キャッチコピーは捻くれものの救世主だが、実際にはそこまでひねくれてはいない。他の作品の主人公たちと比べると大分人格がまとも。

細身だが肉体は筋肉質。とある事情で家庭を離れ、親戚の武術家の家で過ごし道場に通っているのがその理由。

勉強は中の上程度で運動能力は高い。双子の妹の死の理由を知る為に幻想世界への入り口である『原書』を手にした救世主。

基本的に面倒見のいい兄貴分で、リリアを救うという役目に大人しく従事している。基本的に常識人だが、諦めてすっぱりと割り切るのは得意。

今まで自分が作った主人公の中では恐らく今の所一番無個性。その辺を今後物語りに織り交ぜて行きたいところ。



『リリア・ライトフィールド』


年齢十五歳の少女。聖クィリアダリア王国のはずれにある田舎町の出身。いじめらっ子で友達いない引きこもり。

『白の勇者』と呼ばれたかつての戦いでの英雄の血族にして娘。二代目勇者として王国の英雄育成機関で鍛錬を積んでいる。

ドジで不幸で泣き虫で、しかし結局負けず嫌いで善人で空回り。ギャグマンガみたいなヒロインを作ろうとして生み出された。

自らの背負う『勇者』という役職を本当は嫌っており、どうせならばそんなものはなくなってしまえばいいとも思っている。

戦闘能力はほぼ皆無であり、父の遺品である『聖剣リインフォース』も全く使いこなせないというより振り回せない状態で、使える魔法は回復のみ。

キャッチコピーは泣き虫勇者だが、意外と根性はあるのかもしれない。序盤は夏流よりこっちの成長をメインにしたいところ。



『メリーベル・テオドランド』


年齢十七歳の少女。出身は聖都オルヴェンブルム。捻くれものの猫好き錬金術師。

それなりに地位と名誉を持つ錬金術師一族であるテオドランド一族の末裔であり、同時に一族のつまはじき者でもある。それは性格的に他人と馴染めないからかもしれない。

錬金学科に属しているものの、手広く生産系の技術を学んでいる。自身に戦闘能力は皆無だが、錬金術を駆使した道具を駆使してある程度の戦闘は可能。

その実力は学内でも上位なのが真相だが、戦う為には大量のアイテムを消費する事やそもそも戦いは時間の浪費と考えている事から戦いは好まない。

独自の思考を持ち、他人の言動に流されない性格。冷静で可愛げのない、しかし忌憚の無い意見を述べてくれる友人として作成した。

リリアの初めての女友達である。ちなみに錬金学科一年生なのは、何度か留年しているから。学園のシステム的に進学は難しいのだが。

とある事情により研究に没頭するあまり、私生活が滅茶苦茶になってしまっている。

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