覚醒する力の日(5)
「――あらぁ? 何かしら、なんだか地下のほうが騒がしいけれど……」
炎で埋め尽くされた夏流を見下ろしながら欠伸をするナイアーラ。地下から響き渡る激しい振動とここまではっきりと伝わってくる強力な魔力の波動に思わず眉を潜めた。
リリアの放った神剣の一撃はマリシアと言えども両断するほどの力を秘めていた。その圧倒的な光の力はナイアーラは勿論の事、炎に埋もれた夏流にも届く。
もっと下で頑張っている奴らがいる――。その事実が夏流の心を振るわせる。魔力を解き放ち、炎を吹き飛ばしながら夏流はもう一度立ち上がった。どんなに勝ち目の無い相手だとしても、ここで諦めるわけにはいかないから。
「あら、まだまだ元気そうねえ? やっぱりそうでなくちゃ面白くないわ」
「無事ですか、ナツル様……? 今までに無いほどのダメージが蓄積されています。これ以上は危険かと」
「そんなことは、言われなくても自分が一番判ってる……。だけど……なあ。ここで俺がコイツを倒せなかったら、かっこ悪いだろが……!」
「うふふっ、健気ねえ! そんなぼろぼろの身体で一生懸命立ち上がったりしちゃって……そういうのすっごく可哀想でいいわあ! 安心しなさい、アナタだけじゃなくて他の小娘もみいんな燃やして灰にしてあげるからっ!!」
溢れる紅蓮の炎の翼を羽ばたかせ、焔の嵐を巻き起こす。それは正面に立つ夏流へと容赦なく襲い掛かり、既に部屋の中にあった物は全て灰になり、障壁で防御する夏流の身体も燃え始めていた。
逃げられる空間も無いほど、部屋全体を一気に焼き尽くす炎の中歯を食いしばってそれに耐える夏流。戦況は圧倒的に不利……しかし、少年には負けられない理由があった。
一方その頃地下ではリリアの叫び声が響き渡っていた。両足が石化し、立つ事もままならなくなったマリアがゆっくりと倒れていく。慌ててそれを抱きとめたリリアの腕の中、マリアの身体は徐々に石化しながら朽ちて行く。
美しい白い肌が灰色に固まり、罅割れて崩れて行く様子をリリアは瞳を震わせてじっと見詰めていた。マリアはそんなリリアの手を握り締め、優しく微笑む。
「……さあ、こんな所で立ち止まっている暇はないでしょう? 早くここから立ち去りなさい……。仲間を連れて……大切な人の所に」
「……女王陛下……」
リリアは歯を食いしばり、瞳を瞑る。それからマリアを背負い、ゆっくりと歩き出す。
「まだ、間に合うかも知れない! 助けられるかもしれないっ!! 学園には、凄く腕のいい医術師さんだっているんです! こんな、石化くらい……っ!!」
しかし、ゲルトはその場で立ち尽くし動こうとはしなかった。振り返るリリアの視線を見詰め返す事はなく、ゲルトは首を横に振る。
石化は見る見る進行していく。あのリインフォースでさえ一瞬で破壊したほどの呪いを受け、未だに意識を保っている事が既に奇跡だった。下半身は既に石となり、いつ砕けてもおかしくない様子に成り果てている。
「リリア……もう、良いのです。ありがとう。その気持ちだけで、充分です」
「…………くっ!! だったら、リリアが治しますっ!!」
床にマリアをそっと寝かせ、石化した部分に手を当てる。しかしマリアはそのリリアの手を取り、首を横に振った。
「その力をみだりに使ってはなりません。貴方の力は人の命の重さを軽くしてしまう……。その力は、人の身には過ぎた代物なのです」
「え……? 力?」
「今は何も判らずとも良いのです、リリア……。わたしはもう、充分長く生きました。満足の行く恋もしましたし、出来うる限りの力で自分の世界を変えようと努力しました。そして未来を託す事が出来る、素晴らしい子供たちにめぐり合えた……」
目を閉じたマリアの脳裏に浮かぶ景色。マリアはそう、既にこの時の事を知っていた。
思い返すのはかつての戦乱の日々。死んでしまったほうがマシだと思える地獄のような世の中で、姫が出会った一人の勇者の姿……。
白銀の剣を担ぎ、一人荒野に立つその青年は沢山の物を背負い、そしてマリアさえも背負ってくれていた。その背中に憧れ、強くなろうと努力した。全ての夢の終わりは今、既に心安らかに始まっていた。
身体が朽ち果てる事に恐怖はない。心残りがあるとすれば、過酷な運命を娘に残してしまう事。何も知らない、出来れば平凡に生きて欲しかった自分の娘が今、こうして泣きそうな顔をしながら手を握ってくれている。それがどれだけ嬉しい事か。
「……リリア、貴方にもいつかきっとわかる日が来る……。己の人生に悔いが無いと思えるのならば、全ては恐ろしくなどありません」
「陛下……」
「だから、大丈夫です。後悔せぬよう、貴方は貴方の物語を生きるのです。わたしはもう、充分にわたしの物語を生きました。貴方たちには申し訳ないけれど……ここで、お別れです」
石化が胴体にまで及べば生命活動の停止は避けられない。マリアは風前の灯と成った命で微笑み、二人の勇者の少女の頭を撫でた。
「ゲルト……。リリアの事を、御願します。かつてのゲインのように、彼女を……この子を、支えてあげて……」
「……はい。必ず……必ず、果たします」
「貴方には本当に申し訳の無いことばかり押し付けて……本当に、駄目な女でしたね。でも、ゲルト……貴方も貴方の幸せを探すのですよ。貴方もまた、そうなる権利を持つ一人の女の子なのですから」
「…………はいっ」
マリアの手を握り締め、ゲルトは目を瞑る。そうしてマリアはリリアを見詰め、苦しみを堪えながら微笑む。
「それじゃあ、元気でね……。愛しているわ、リリア――」
その瞬間、マリアは二人を突き放した。突き放された二人の頭上、電撃の魔法が降り注ぎ、石になりかけたマリアの身体を砕いて散らした。
「え……っ?」
二人とも何が起きたのかその瞬間理解出来なかった。振り返ったその先、天井に張り付いて呪文を詠唱する包帯男の姿があった。
砕け散り、既に胸から上しか残らないマリアの死体を見詰め、リリアの身体が震える。振り返った少女は神剣を振り上げ、空中へと跳躍していた。
「うわああああああああああっ!!」
振られた神剣から放たれた光は地下深くから地上へと、積層する大地を貫いて飛び出して行く。
空に立ち上る閃光の柱に誰もが目を奪われた。そしてまたその光は上の階層で戦う夏流にも届いていた。
「リリア……?」
「ちょ、ちょっとちょっとお!? 崩れるんじゃないの、大聖堂!?」
激しく振動し、崩壊していく大聖堂。空へと突き抜けた穴を見上げ、ナイアーラは空へと羽ばたいて行く。
「悪いけどこんな穴倉で心中なんてお断りだわ。それじゃあせいぜいがんばってね、ぼうや」
空へと消えて行くナイアーラを見送り、夏流はその場に膝を着く。最早満身創痍ではあったが、ここで立ち止まるわけには行かない。地下でまだ、戦っている仲間がいる。
「あの馬鹿……。何、大聖堂壊そうとしてんだ……っ」
よろめく足取りで壁にぶつかるようにして立ち上がり、ゆっくりと階段を下りて行く。地下から響く、激しい魔力の源を目指して……。
⇒覚醒する力の日(5)
リリアの放った閃光の一撃は地下深くから地上へと続く巨大な縦穴を生み出してしまった。
攻撃を紙一重で回避した男はその威力に驚嘆し、縦穴をよじ登って行く。それを追いかけようとするリリアだったが、突然両足に力が入らず、何の受身も取れずに正面に倒れこんだ。
「り、リリア!?」
「は……う……? あれ、身体に、力が入らない……」
手から神剣が零れ落ちる。音を立てて大地をはねた剣は静かに帯びた魔力を収めて行く。
リリアを抱き上げるゲルトであったが、見たところリリアに外的なダメージは存在しない。となると、極端に魔力を放出した事による一種の衰弱状態だと推測出来た。
それも無理の無いことだ。あれだけの攻撃を――術として放ったのではなく、夏流のようにただ我武者羅に魔力を放出しただけで放ったのだから。夏流よりも大きく魔力総量で劣るリリアにとってそれは自殺行為にも等しい。
「何て無茶を……! リリア、しっかりしてくださいっ!!」
「う……あ……」
虚ろな瞳で口を小さく開けたまま返事をしないリリア。明らかに危険な状態に陥ってしまっているリリアに気が動転してしまう。
そんなゲルトを冷静に諭す声があった。それはその場に存在しないはずの、第三者の声――。
『落ち着け小娘。ただの魔力失調だ。落ち着いて休ませればそのうち治るが、少々極端に放出しすぎたようだ。私を手にして魔力を送り込め。それでリリアの命は助かるだろう』
おそるおそる振り返るゲルト。しかしそこには人の姿は存在しない。ふと足元を見下ろすと、そこにはリリアが落してしまった神剣が転がっていた。
声はほかならぬその神剣、フェイム・リア・フォースから聞こえてきていたのである。耳を疑うゲルトであったが、しかし事実である以上仕方が無い。
剣を手に取り、じっと見詰めるゲルト。言われたとおりに魔力を流し込むと、剣を通じてリリアの身体に生命力が戻って行くのが感じ取れた。
「こ、これは……!?」
『私とリリアは魂で繋がった存在だ。故に剣と心は常に共にある。端的に言えば、私がリリアとおまえを結ぶパスと成っただけの事よ』
「は、はあ。そうなんですか……。それより貴方は一体……?」
『ん? ははぁ、成る程……おまえはどうやら何も知らないらしいな。まあいい、兎に角今はここから脱出するのが先決だ。リリアを担いで縦穴を上れるか?』
頭上に広がる縦穴は半径5メートルはありそうな円形のトンネルを地上まで続けている。しかしどうも今のゲルトの体力では縦穴を一気に蹴り上るような事は難しそうであった。
かといって、飛行系の能力も持ち合わせては居ない。となると走って戻るしかないわけだが、地下を支える石柱を殆ど破壊してしまった上にあの衝撃である。いつ大聖堂が崩れ落ちてもおかしくない状況下にあった。
「わたしの能力では無理ですね……。リリアを抱えて地上まで戻りましょう」
『情けないな、飛行くらい会得しておけ――と、ちょっと待て』
「な、なんですか?」
剣は静かに黙り込んだ。しばらくすると、溜息を漏らすような声が聞こえる。
『……ライバルとして争った相手だ、黙祷くらいは捧げてやらんとな。何より気高い女であった。貴重な人間を失ったな、この国は』
「……マリア様のことですか? ライバルって一体……?」
『そんな事よりも今は脱出を優先だ。ここで死んでしまっては私の話を聞いたところで全て無意味になってしまうだろう? さあ急げ、地上へ走るのだ』
「は、はいっ!」
石柱が倒れてくるのを見てゲルトは弾かれるようにして駆け出した。リリアを背負って階段を駆け上り、剣を引き摺りながら地上を目指す。
『こら! もう少し丁寧に運ばんか!!』
「そんな事を言われても、この剣重いし大きいんですから仕方がないじゃないですか!」
剣と言い争っていると、階段の途中で夏流と合流した。傷だらけの様子の夏流はゲルトがリリアを抱えて地上に走っているのを見て、苦痛に耐えながら階段を昇り始める。
「ゲルト……マリアは?」
「…………マリア様は」
ゲルトの表情から夏流は全てを察した。だが、悔やんでいる暇はない。今は一刻も早くこの場所から立ち去らねばならないのだから。
崩れて行く神殿の中、夏流は力を振り絞り走り抜ける。ふと、ゲルトが持っている剣が以前とは姿をかえていることに気づいて首を傾げる。
「その剣は……?」
『うむ、久しいな救世主。いつぞやおまえを助けてやった恩、まさか忘れては居まいな?』
「は? 恩って……まさか、お前ロギアか!? でも声が……」
「え、ろ、ロギア? 今貴方、ロギアと言いましたか!?」
『おまえら案外余裕だな。正面から柱が来るぞ」
「うおっ!?」
倒れてきた石柱を回避し、回廊を急ぐ。確かに今それを議論している場合ではなかった。
地上の礼拝堂まで飛び込むと、既に仲間たちはヴィークルで脱出を始めている最中であった。最後に残ったヴィークルに飛び乗り、夏流はヴィークルを急発進させる。
「くそ、間に合え……っ!」
背後で次々と地下へと陥没していく大地。そこから逃れるように必死で加速を続ける。長い長い礼拝堂へと続く通路を付きぬけ、大聖堂の崩壊に慌てふためいている聖堂騎士団の頭上を跳び越え、オルヴェンブルムの街を駆け抜ける。
しばらく進んだ所で急ブレーキをかける夏流。既に魔力が付きかけ、疲労の為上手く操縦する事が出来ずに居た。スピンしながら壁に激突するヴィークルが民家の壁を大破させつつ停止する。
「いってえ……! ぎ、ぎりぎりか……」
「あ、貴方という人は……! ヴィークルに障壁魔法が備わっていなかったら今頃どうなっていたか!」
「じゃあ運転変わってくれよ……つーか後ろから聖堂騎士団の連中が追ってきてるぞ!! ほらゲルト、発進させろ!!」
「わ、わたしですか!? え、ええと……ここがこうで、こうやって……ううっ、えーと……」
急に話を振られたゲルトは夏流と操縦を交代する。しかしいざ席に座ってみると混乱してしまい操作が出来ない。
「何やってんだ! 来るぞ!!」
「わわ、わかってますっ!! ええと……こうですかっ!?」
間違ってバックに急発進するゲルト。近づいてきていた騎士たちを数名跳ね飛ばしながら進行し、慌てて前進を開始する。
追っ手から逃れ、オルヴェンブルムの街をとりかこむ城壁を乗り越えて草原を進む。その最中、ゲルトはほっと胸を撫で下ろしながら生唾を飲み込んだ。
「びっくりした……。後ろにも進むんですね、これ……」
「……意味もなく轢かれた騎士には同情するな」
後部座席に座り、リリアを抱きかかえた夏流。その背後からヴィークルが次々に追いついてきて隊列を構成する。
遠く、オルヴェンブルムから上る土煙を眺めながら深く息を付いた。全員無事とは行かなかった上に、作戦は失敗……。しかし何とか生きて帰ってくる事が出来た。
『マリアの事を気に病んでいるのか?』
夏流の足元、ヴィークルのブレードホルダーに装備された神剣が語りかける。
『奴は奴で充分に出来る事をやり遂げた。おまえもそうであるのであれば、後悔する必要などあるまい』
「……そういうわけにはいかないさ。俺は……リリアに、何て言えばいいか」
夏流の言葉の意味を汲み、神剣はそれ以上何も語ろうとはしなかった。空しい胸の痛みだけを抱え、夏流たちはディアノイアへと帰還した……。
それから、俺たちがどうなったのかというと……。
マリアの救出に失敗した俺たちは無念を抱えたまま休息を取る事になった。意図せずとも大聖堂本部を潰してしまった俺たちは、それなりに一定の戦果を上げる事が出来た、とも言えるのかもしれない。
だがそれはリリアのいわば暴走が引き起こした結果……。リリアは過度の魔力放出で意識不明の重体……。突撃したメンバーは全員奇跡的に無事だったが、誰もが傷つき疲れていた。
大聖堂本部崩落の知らせを受けてか、学園を取り囲んでいた聖堂騎士団は撤退していった。その後、戦場はシャングリラからオルヴェンブルムへと移行し、聖堂騎士団と聖騎士団、ならびに学園生徒の混成部隊が戦闘に望んだ。
その戦闘には俺も参戦する事になったが、戦闘はそれほど長引く事もなかった。本部を失った聖堂騎士団は、一同西へと撤退して行く。しかし、本部を崩落させただけであり、大陸各所にいくつも拠点を持つ聖堂騎士団ならびに大聖堂元老院を追い詰めたわけではなく、ただ聖都から追い出す事が出来た、程度の戦果である。
それでもその勝利は僅かな安らぎと希望を人々に与えた。オルヴェンブルムにも一時的な平和が戻り、女王の死は大々的に発表された。
聖騎士団と大聖堂元老院は完全に決別。ディアノイアは新生聖騎士団に協力する形となったが、全てがそう丸く収まるわけではなかった。
学園内部で何度か勃発した生徒同士の争いの火種はやはり学園がどちらに所属するのかという点である。元々学園はどこかの軍属、というわけではない。新生聖騎士団に協力することを良く思わない大聖堂派の生徒も居るのだから、まとまるわけもなかった。
結局ディアノイアもクィリアダリアも、広い意味で言えば世界そのものが二分される結末を向かえ、俺たちは結局この国を守る事は出来なかった。勿論、それでも得られた物はあったのだが……。
少なくとも味方に対して、リリアや俺たちの裏切りの汚名は漱ぐ事が出来たようだ。だが、結局はどちらが裏切り者で、どちらが正しいのかはもうわからなくなってしまった。国が二つに割れ、近隣諸国も動き出す。大きな戦争を予感させる事態に、誰も明るい気持ちになどなれるはずもなく……。
「どうしたんだい、こんな所で。一人でぼんやりするのもまあ、悪いとは言わないけれど」
「……アイオーンか」
変形した学園は、当分元に戻る事もなさそうだった。学園全体が実戦という状況に慣れようと、少しずつ雰囲気を変えて行くのが解る。
この奏操席から見下ろす学園で、生徒もそうでない人も、皆戦いの中で自分に出来る事を探している。平和はたったの十年しか持たなかった。また同じように、過ちを繰り返してしまう。
本物の戦いに慣れようと、生徒達はみんな一生懸命にやっている。魔法で回復する者、生産技術で武器を作る者……。それぞれが様々な力を生かし、この街を守ろうとしている。
シャングリラ、そしてディアノイアというこの学園を、皆守りたいから。仲間と過ごしたこの学園で、皆それぞれ自分の生きる意味を探している。そしてそれを消されたくなくて、何が正しいのかはわからなくても頑張ってるんだ。
そんな事を思うと、自分の責任の重さに押しつぶされそうになる。それと同時に、皆の小さな力が合わさって、何とか成立しているこの学園が愛しくなった。街を一望するバルコニーのようになっている最短部に並び、アイオーンは溜息を漏らして俺の肩に手を乗せた。
「マリアの事、まだ悔やんでいるのかい?」
「……それもある。でも何より、この世界はやっぱり戦いに向かっているって事が悲しいんだ。俺は……世界を救う力何て無い」
結局マリシアを相手にして、俺に出来たのは時間稼ぎだけ。たまたま運良く生き残れたが、あのままではやられていただろう。
情けないことこの上ないな。皆を守りたいのに、救世主なのに……俺より強いやつがうじゃうじゃいやがる。この世界の中で、一体何を守り、何を救えるのか……。それさえも解らなくなりそうだ。
「……気休めを言うつもりはないよ。けれどね、夏流……。君たちは素晴らしいものだ。人間とは、間違いながらも歴史を積み重ね、学び、営み、生きて行く。それはとても素敵な事なんだ。たとえ間違えても君が歩む足を止めないのであれば、その先に必ず今より良い未来派待っている」
「……そりゃ気休めじゃないか?」
「受け取り方にもよるだろうね。けれどもボクは少なくとも気休めのつもりはないよ。ただの……そう、本気さ」
肩を竦めるアイオーンと向かい合う。風が吹き、それを気持ち良さそうに受けて目を細めるアイオーン。俺はずっと疑問に思っていた事を投げかける事にした。
「お前は……人間じゃないのか?」
俺の突然の言葉にアイオーンは目を閉じてあさっての方向を向く。答えを待つ間、風に靡く美しい紅い髪を見詰めていた。
「確かに、ボクは人間とは異なる生き物なのかも知れない。長い長い間、この世界で生きてきた。それこそ、君たちが生まれるよりずっと前から……ね。この世界で人の営みを見詰めてきた。時には絶望し、時には希望を抱き……夢見るように、眠るように。ただ世界の中に在り続けた」
「…………お前は、どうして俺を助けてくれるんだ?」
アイオーンは学園を司る存在……ディアノイアそのものと言ってもいいだろう。
そのアイオーンは、長い間この学園の中で過ごしてきた。外に出る事は可能なのだろうが、しかし彼女の役目はプロミネンスシステムを守る事にある。この地に値を宿すのも当然の事だといえるだろう。
日々過ぎ去って行く時の中、沢山の生徒と出会ってきたアイオーン。そのくせ自分も生徒して学園に関わったり、闘技場に参加してみたり……。夜はバーでピアニスト、その実本職はプロミネンスシステムの奏者――。ふらふらとした彼女の生き方の中、それでもはっきりと自分に対する優しさ……思い遣りのようなものを感じ取る事が出来る。
アイオーンはこの学園の中で生きている時、いつも笑っている。微笑を絶やさない。だが、それは彼女が本当は楽しくないからなのではないかと思った事がある。ピアノを弾いている時だけ、のびのびと羽を伸ばしているような気がしていた。
「お前は、本当は……奏者なんかに成りたくはなかったんだろ」
「……どうしてそう思うんだい?」
「さぁ、どうしてだろうな。何となくそんな気がしただけだ」
彼女は腕を組み、困ったような顔をする。それから少しだけ歩き、空を見上げて。
「これでも自分の人生は楽しんでいるつもりさ。ただ……君には少し、期待を寄せては居るからね。それで君を少し贔屓してしまっているのかもしれないかな」
「期待?」
「この退屈な世界を……閉塞されたこの物語を打ち壊す、型に嵌らない異世界からの来訪者。本城夏流……君がボクの退屈を紛らわせてくれるんじゃないか、そう思っていた」
やはりこいつは俺が異世界から来た人間だって事を知っていたのか。まあ、ある意味学園長であるアルセリアと同等の人間なのだから、知っていてもおかしくはないが。
「でも君はそうじゃなかった。君は普通の……いや、少し変わった男の子、かな」
「何だそりゃ」
「ふふ、褒めているんだよ。君は面白いからね。そういう意味では、やっぱり退屈を紛らわせてくれると期待しているよ。でも、君に世界をどうこうしてほしいなんてことは、もう望んではいないさ」
振り返ったアイオーンは微笑を浮かべ、俺の隣に立つ。そうして街を共に見下ろした。
「ボクはね、この学園で十年、色々な生徒を見てきた。旅立って行く子を見送ってきた……。その前は戦争で、軍隊で、国で……。沢山沢山、別れを経験して来た。そのどれもが大切で、誰もが幸せになってほしいのに……世界はそうは優しくないのさ」
「…………」
「君だけじゃない、この学園に居る全ての生徒がボクにとっては大切な子供たちなんだ。でもね、好かれて別れるのは、辛いんだ。大好きな人と、何度も別れなければならない……。皆は年老いて普通に死んでいくのに、ボクはそうは行かない。こんなに若くて、綺麗なままさ」
自分の胸に手をあて、アイオーンは無邪気に笑う。しかしそれはとても寂しそうにも見えた。
「誰からも好かれない存在で居なければならない。でも同時に、誰かに嫌われる時はきっとプロミネンスシステムとしての役割を果たす時だ。だからボクは空気のようでなければいけない。神出鬼没で、何を考えているのかわからない……出来れば係わり合いになりたくない、そんな存在でなければね」
「……俺は、そうは思わないけどな」
「――――だろうね。いつだったか君がユーフォニウムにまで押しかけてきた時は、柄にもなく嬉しくなってしまったよ。君は予想斜め上で、いつも面白いんだ」
子供みたいに笑うアイオーン。思わずこっちまで苦笑してしまう。彼女は俺の手を取り、それから優しく微笑んだ。
「いつだったか、君のようにボクを追いかけてくれた人が居た。その人とは、もう一緒に居られないけれど……少し、昔の事を思い出せる。幸せな時間を繰り返せる。それだけで、君に優しくする理由としては充分じゃないかな」
「自分のためだから、か……。結局気を使ってもらってるな、俺は」
「ははは、そう思うのならば、全て背負えるように……いつか、誰かを守ってあげられるように、強くなればいいだけの話じゃあないか」
そういってアイオーンは俺の頭を撫でながら隣で笑う。優しい、儚げな笑顔……。その綺麗な横顔に何となく脱力する。
コイツは多分、一生こうなんだろうなあ……そんな事を思いながら、俺は溜息を漏らした。
「あんた、別に変わんないよ……」
「ん?」
「別に、普通にどこにでもいる、ちょっとキレーだからって調子乗ってるネーチャンだわ」
俺の言葉を聞き、アイオーンは暫く黙り込んだ。それから思い出したように腹を抱えて笑い出した。
しばらくそうしていたが、じっとしているわけにもいかない。オルヴェンブルムではマリアの死を弔う儀式が行われるという。俺もそれに出席しなければならない。
未だに眠ったままのリリアを残し、オルヴェンブルムに向かい……そして、リリアにどんな風に伝えればいいのだろう。偉大な女王が、彼女の母であったことを。
そしてこれからリリアは背負わねばならない。女王マリアが背負っていたこの国を、全て……。
「なんだか、遠くなっていくよ」
俺の呟きを聞き、アイオーンは背中を叩いた。そうして何も言わずに目を閉じて首を横に振る。
「追いつけるさ、君なら」
そのどうでもいいいかにも胡散臭い一言が、今の俺には必要だった。
〜それゆけ! ディアノイア劇場Z〜
*もう七十部いってしまうよ編*
アクセル「出番がねえ……」
夏流「うっかり敵になったりすっからだよ」
アクセル「まあそれは兎も角、アンケート終了のお知らせだ! 協力してくれた皆さん、ありがとうございました!」
夏流「そろそろ物語も新章に突入し、いよいよ勇者としての最後の戦いが始まるわけだ」
アクセル「え、最後なの?」
夏流「んー、リリアが勇者になるまでの話は次で終わる予定。その次からは俺がメインになるのだ」
アクセル「……夏流、俺たち友達だよな?」
夏流「おま……すりよって来んな!! 気持ち悪いなっ!!」
アクセル「つーか俺いつ仲間に復帰できんの?」
夏流「え、復帰前提?」
アクセル「んー、だって俺が居ないとなんかほら、全体的に暗くねえ?」
夏流「……まあ、確かに」
アクセル「そんなわけで、近々登場するぜ! 多分! 俺様のファンは要チェックだ! アイラビュー!!」
夏流「……お前と戦う時までに俺強くなっておくよ」